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  • 横書きの文章を電車の中で読み続けるとすごく目が疲れます

    私は通勤に片道1時間以上かかるのですが、ほとんどは電車に乗っている時間なので、たいていはAmazonのKindleで購入した電子書籍を読んでいます。電車内で座っていることもあれば立っていることもありますが、日本語の縦書きの文章の本を読む分には少々揺れようとも目が疲れることもなく読み続けていられます。読書に使用するのはiPhoneもしくはKindlePaperWhiteですが、iPhoneはNightShiftモードとTrueToneモードのどちらもオンにしていて、ノングレアシートも貼っているため、どちらでも目の疲れは大差ない感じがします。もちろんKindle端末の方が広くて読みやすいですが。

    しかし、iPhoneでも横書きの文章になると途端に目が疲れます。ウェブ媒体はまず間違いなく日本語でも横書きですので、ニュース記事だろうと、ウェブ小説だろうと、このnoteの他の方の記事だろうと、電車で揺られながら読んでいると5分もすれば目の疲れを覚え始めます。10分くらい読み続けていると、数時間は影響が残ります。それ以上読んでいると、夜寝るまで目が疲れている状態が続いてしまいます。

    車酔いとは違うと思いますが、三半規管の関係なんでしょうかね。両目とも同じような感じになります。縦書きなら1時間読んでいても疲れないことを考えるととてつもない差が存在します。

    これって私だけでしょうか?

    「横書き 車酔い」「横書き 目の疲れ」で検索すると、こんなブログ記事が見つかりました。

    60歳からの視覚能力 読書スピードと目の疲れやすさ
    https://blog.goo.ne.jp/urataqw/e/7a3027a0ab99886999e018aed4c85246
    ちらのほうが目が疲れないかという問題もあります。
     校正をする場合、横書のほうが疲れやすいという話がありますが、これは横書のほうが、少ししか目を動かさずに読むことができるためです。
     横書のほうが視野が広いので、目に入る文字数が多く、結果として焦点を固定した状態で読むことになり、目を少ししか動かさないで、固視に近い状態で読み、毛様態筋を緊張させやすいためだと考えられます。
     縦書きの場合は、上下に視線を動かすので、固視しなくなるのと、多くの文字を捉えようとすると、目を大きく開けるので、焦点距離が長くなるためです。

    ホンマかいな、と思わないでもないですが、現に私がそうですからそうなのかな、という気にもなってしまいます。

    ということは、横書きでも目を見開いて大きく動かしながら読めば疲れないのか? と思ってやってみました。

    ・・・難しい。

    疲れる疲れない以前に、電車の中で目を見開いて大きく動かしながら読む動作を意識してやっていると不審極まりない気がします。

    読んで内容を頭に入れながら読む動作を意識して行うのは非常に難しいです。

    とりあえず、当面は横書きの文章を電車の中ではあまり読まないようにする、という対策しか無さそうです。

    何か良い案ないでしょうかね?

  • 移民の同化は必要か。移民が同化するか、移民を同化させるか。

    移民問題というのは現状、世界中の多くの国々で起こっている問題ですが、日本も例外ではなくなりつつあります。

    先般、国会で成立した法律によって、知的労働者や技能労働者に限らず、単純労働などでも移民の居住を認めることになりました。

    改正入管法が成立へ 14業種、外国人の就労拡大
    https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38701380X01C18A2SHA000/
    人手不足解消のため、一定の技能を持つ外国人や技能実習修了後の希望者に新たな就労資格を与える。これまで認めてこなかった単純労働に門戸を開く。日本の外国人労働者を巡る大きな政策転換となる。

    これにより、移民が日本でも増えていくことは予想されますが、そもそも今回の法律の目的は単純労働・肉体労働などで不足している人手を外国から連れてくることです。いわば経済界の要請によって成立したわけですが、秋に控える消費税増税のバーター的な法律でもあります。消費税増税によって消費が減るかも知れないけれど、その分外国から安い人手を連れてきて人件費下げれば企業の利益は確保できるよね、という理屈です。

    与党にしろ官僚にしろ経済界にしろ、上記の理屈を「はい、そうです」と肯定するわけはないのでもはやどうしようもありませんが、そもそも移民として日本に移住してくるはずの人達の事情を全く考慮していない気がします。日本は裕福で移民は貧乏という前提で成り立っているような計画かと思ってしまいます。

    移民が各国で問題になっているのは、その移住先の国のとは異なる言語・文化・風習・信仰などをずっと維持し続けることで起こります。いわば移住先に同化しない状態を続けるということですが、かつては移民は移住先に少なくともある程度は同化せざるを得ませんでした。

    言語が出来なければ仕事・収入を得られません。文化や習慣が異なると近隣住民と軋轢を生みます。信仰の違いも同じく同化の壁になります。特に既存住民との婚姻が困難になると次世代以降でも同化がなされず移民集団の純粋性が保たれることになります。少しずつ同化は進んでいったはずです。移住元にいる集団と移住した移民集団との間の通信はほぼ絶たれていて、移住自体困難を伴っての移動でありますから後ろ盾も頼るところもなく、移住先の現地近隣住民と仲良くせざるを得ませんでした。

    歴史上、多くの移民が発生し、移住先に半ば同化して生活していました。完全に同化する場合もあれば、例えばユダヤ人のように自らのユダヤ人としてのアイデンティティを保っていた場合もあります。しかし、ほぼ同化しないで生活し続けるというのは先に挙げた理由もあってかなり難しい話でしたが、現代では移住先にいる移民集団は、移住元の集団と密接につながりを保ちつづけることが可能です。

    移住先と移住元とではインターネットを使えばほぼ無料で毎日顔を見て話すことが出来ますし、ネットメディアを通じて故国の情報をリアルタイムに得られます。そしてお金が貯まれば飛行機などですぐに戻ることが出来ます。国際送金も簡単に出来ますし、ほとんどの場合で物価が大きく異なるため、移住先での所得を移住元の集団に送って生活の足しにすることが容易です。

    仕事さえ見つかれば、移民は現地の近隣住民と密接なつながりを持つ必要がなく、逆に元の国とのつながりを持ち続けて結婚相手をそちらで探して連れてきたりあるいは帰国したりすることも可能です。

    さて、こういった現代の移民の特徴を考えると、日本に移住してきた移民の集団が日本の文化・風習に同化するとは考えづらいです。サミュエル・ハンチントンが言うように、もともと日本文化・文明は世界の中でも国家・民族レベルで独立している稀なものです。その文化にルーツを同じくする人達は他に存在しません。

    日本に移住してくる移民は、多少のお金はかかりますがネット回線を契約すれば元の国と容易につながりを保ち続けて、飛行機で行ったり来たりすることも可能です。日本文化に同化しないまま元の民族としての純粋性を容易に保持できます。

    そういった人達が日本に多く来ることになりますが、入管法改正に関して日本政府は移民のための法律ではない、と言っています。確かに、移民を同化させるための法律とは言えませんが、同時に移民を移民として扱い続ける限り、移住先に同化することはありません。

    人手不足で苦しむ経済界を助けるためだけに労働者を連れてきます、という法律ですが、人手不足でなくなってもこの法律が自動で停止されるわけではありません。シンガポールは労働者を大量に受け入れていますが景気が悪くなると強制的に元の国に送還します。もちろん人権侵害という非難を浴びますが事実上の独裁政権であるので実行できています。

    しかし、日本でそこまでの措置を取れるとは思えませんし、おそらく取るつもりもないでしょう。人口減に対応する意味も存在しているでしょうから、景気が悪くなっても人口を維持するために法律が停止されることはなく、移民が増え続けます。

    そうなると、元からいる日本人側が、何のための法律なのか、何のための外国人労働者なのかという不満を持ち始め、欧米先進国で今起きているような、移民を嫌うゼノフォビア的思想を掲げる集団や政党が力を持ち始めるようになるでしょう。今の欧米先進国での移民に関する問題は、日本の未来の問題でもあります。決して対岸の火事ではありません。

  • マニュアルは本来お互いを守るもの

    今に始まった話ではありませんが、マニュアルに沿った対応しか出来ない人はしばしば批判されます。

    マニュアルは作業の手引きであってそれが本質ではないのは確かですが、だからといってマニュアル的対応を一律に批判するのも危険です。

    例えば、コンビニでお酒やタバコを買うときに求められる、「私は20歳以上です。[はい][いいえ]」という表示が出て[はい]ボタンを押す作業がしばしば槍玉にあげられます。

    客側から見ればなんで自分がやらなきゃいけないんだ、という不満の素ではありますが、コンビニ店員側から見れば、自分が客の年齢を判断する作業を省いてくれるものです。

    監督官庁とコンビニ業界でのやり取りで決まったことなのだと思いますが、そもそもなぜそのような作業が必要なのかというと、未成年者の飲酒喫煙を防ぐためです。そのために社会全体が面倒な作業を分け合って負担する、という仕組みです。

    見るからに年寄りという人にしてみたら面倒でしょうがないことですが、どこかで線引きが必要なわけで、店員の自己裁量に任せてしまうと厳しい店員・店舗と緩い店員・店舗が出てきて、売上に差が出るだけではなく結局その店舗の周辺で未成年者の飲酒喫煙が増えるという社会的損失を生み出すわけですから、個人の都合と社会の都合のどちらが優先されるか、という問題になってきます。

    こうなってくると国家の成り立ちや民族の歴史などで権威主義的、集団主義的か個人主義的、独立主義的かどっちだ、という話になってきますし、そういう話になると日本社会では社会の都合が優先されるのは間違いないでしょう。

    コンビニタバコ問題はマニュアルが社会の利益と店員の利益が優先されるということですが、そもそもマニュアルでしか動けない店員がなぜ存在するのかというと、雇ってから実践に投入するまでに費用をかけていられない企業側の都合があります。マニュアルを覚えたら即お店で働く、研修に時間をかけないことで人件費を減らせます。そしてその企業側の都合というのは最終的には商品・サービスの価格に転嫁されるわけですから、店員のサービスに高い要求をするのなら高い費用を払え、という元も子もない結論になってしまいます。

    タクシーとハイヤーは運転手の態度や運転技術に差があるのは当たり前です。
    料亭と牛丼屋で料理の味や店員のおもてなしに差があるのは当たり前です。
    デパートの外商とコンビニの店員に商品知識や受け答えに差があるのは当たり前です。

    庶民的な商品・サービスが提供される状況で接客対応の質が低いことに消費者側が激しく反発してしまえば、提供側は労働者の確保に困り、最終的にはロボット・AIに代替されてしまうでしょう。マニュアル人間どころではありません。生身の人間に対応してもらえるには金がかかる、という時代が来てしまいます。もちろん、マニュアル人間よりもAI搭載ロボットの方が質が高いサービスを提供する可能性もありますが。

    マニュアルの存在は、店員の臨機応変な対応の必要性を減らすことで、店員になる労働者の質のハードルを下げるという効果をもたらします。
    また、雇用する企業にとっても人件費を減らす効用があります。
    そしてマニュアル的対応を受ける消費者にとっても、安さというメリットの他に、客を見て対応を変えるような不公平さも無くすことが出来ます。

    三者三様に本来はメリットがあるはずのマニュアルですから、もう少しマニュアル人間に対して優しく接してみてはどうでしょうか?

  • 2022年のワールドカップはこのまま行えるか?

    フランス人サッカー選手としてはおそらく最高の地位にあるミシェル・プラティニが2022年のワールドカップカタール開催を巡り不正疑惑の渦中にあります。

    https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/201906190000582.html
    FIFA副会長でもあった同氏は、10年12月にカタールでの開催がFIFA理事会の投票で決まる前に、当時のサルコジ・フランス大統領、カタールのタミム皇太子(現首相)らとの会合に参加したことで不正とみなされていた。さらに、15年に法的根拠のない金銭授受を理由にブラッター前FIFA会長とともに4年間の活動停止処分を受けている。

    残念ながらプラティニは「晩節を汚す」という言葉が本当にふさわしくなってしまいましたね。まだ不正が確定したわけではありませんが、UEFAの会長になった時点で見えていた結果なのかも知れません。

    しかし、いまさら2022年のワールドカップの開催地変更をFIFAが持ち出してもカタールが納得するわけありません。もし、国際的な裁判になったら長期化して結局時間切れでカタール開催になるはずです(もちろんそれが狙いの裁判長期化をしてくるでしょう)。

    中東地域、西アジアでのワールドカップ開催というくくりでいうなら、カタールと対立している周辺国(サウジ、バーレーン、オマーン、UAEなど)での共同開催という話になるかもしれませんが、もしそうなったらなおさらカタールは収まらないでしょう。なんせその辺の国とは国交断絶するくらい揉めていますから。

    だからといって全く別の国で行うのもどうか。もともと北半球で冬の時期に実施する予定でカレンダーを組んでいたはずですので、全く別の地域で行うとしたらカレンダーの組み直しになりかねません。

    カタールでの競技場作りも進んでいますし、そのインフラ整備にかけた費用を損害賠償請求されたらFIFAとしてもやってられないでしょうから、さすがに招致に不正があったとしてもカタール開催を強行すると思うんですけどね。

    とはいえ、妄想の垂れ流しになりますが好き勝手に日本開催の可能性も考えてみましょう。

    2002年の日韓共催ワールドカップでは、いわゆる専スタだけではなく、陸上トラックのある陸スタでも行われました。批判や不満はあれど、あの頃はまだまだ球技専用スタジアムも少なくて大きい箱のスタジアムが陸スタが多かったという理由もありました。

    さて、今の日本で開催としたら新国立競技場で決勝をするとして、他にも2002年日韓ワールドカップ以降に作られたスタジアムも結構ありますので、いわゆる専スタだけで賄えるのではないでしょうか。

    仙台のユアテックスタジアム仙台
    埼玉のさいたまスタジアム2002
    鹿島のカシマサッカースタジアム
    千葉のフクダ電子アリーナ
    清水のIAIスタジアム日本平
    豊田の豊田スタジアム
    亀岡の新スタジアム
    吹田のパナソニックスタジアム吹田
    大阪のキンチョウスタジアム
    神戸のノエビアスタジアム神戸
    北九州のミクニワールドスタジアム北九州

    国立入れて12箇所です。収容人員的に厳しいところもありますが、そこはそれ、急遽代理開催ということで大目に見てもらうということで。VIPルームの制約の方が厳しいですかね。

    関西4府県全部というのも欲張りかも知れませんが、最近インバウンド目当てのホテル建設が大阪京都で洒落にならないほど進んでいますので、関西を拠点にする観戦客というのもアリかなと思います。

    あくまで妄想ですが、カタールでの開催が出来なくなるとしたらむしろ中東情勢の悪化の方が理由としては強いかも知れません。現時点で緊迫化しているのはイラン情勢ですが、カタールも周辺諸国と断交していますし、そのカタールを支援しようとイランが動いていますから、カタール開催とイラン情勢も無関係ではないんですよね。

    中東の覇権争い収束遠く、サウジ・カタール断交1年
    https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31339000U8A600C1FF8000/

    だからといって日本開催になったところで、北朝鮮情勢の問題もあるので諸外国から見たら大差ないのかも知れません。

  • 2019年6月22日J1リーグ第16節ガンバ大阪対湘南ベルマーレ観戦記

    梅雨入り発表がないまま梅雨の中休みのような天気になっている大阪ですが、今日はホームで湘南との試合です。

    前節から今日までの間に、長崎とのルヴァンカップのアウェイゲームがあり、控えメンバー中心に従来通りの4-4-2で挑んで4-1と大勝しました。相手はメンバーを落としてきたのでそれくらいはやってもらわないと困る気もしますが、何はともあれ次のホームで0-3で負けたとしても勝ち抜けられる条件はありがたいことです。爆発中の呉屋が契約上、ガンバ相手には出られなかったというのも助かりました。こういう恩返し弾ってよく決まるんですよね。そういえば仙台戦でも終了間際に長s・・・やめておきます。

    さて、それ以外にも井手口や宇佐美の復帰、というか違約金かかるんですけど獲得の噂があったりして騒がしかったりしていますが、果たしてどうするんですかね。井手口も宇佐美も欲しいところではありますが、そもそもシーズンオフにボランチもフォワードも補強していないということに改めて衝撃を受けます。中盤の構成を固めるまで時間がかかりましたし、FWの得点力不足がここに来て勝ち点に影響してきました。

    それはともかく、今日の湘南戦でも最寄りの万博記念公園駅からスタジアムまでのクラブ推奨ルートをパナソニックロードと名付けて、プレゼントのイベントをやっていました。

    2回クジを引いて、
    ・ローストビーフ丼などでの温玉サービス
    ・おさつスティック2本増量

    買わないとメリットないんですよね。前の200円のドリンクの100円引き券の方がマシだったかも。

    駅からスタジアムまで歩いている間に結構雨が降ってきて、試合中どうなるのかと思いましたが結局すぐに止んだようで良かったです。結構前の席なので屋根があっても雨が吹き込んでくるんですよね。

    さて、今日のメンバーは先週に近い形でしたが倉田が出場停止のため、また小野瀬が怪我でいないために、こうなりました。

         アデミ ウィジョ
     中村            田中
         福田    高江
            矢島
      ヨングォン 三浦 高尾
            東口

    左右のアウトサイドが攻撃的なため守備の不安もありますがサイドで押し切るつもりでしょうか。

    キックオフ後、しばらく湘南の前線からのプレスに苦しみます。後ろの方でつなげてはいますが、前に効果的なボールを送れません。中盤に運んだときには湘南の戻りが早く手こずります。

    湘南の方がサイド攻撃、特に中村の後ろ、ヨングォンの左にあるスペースを上手く突いて何度もチャンスを作っていました。ガンバとしてはボールを持って攻め込んだ時間帯もありましたが、セレッソ戦以降負け無しの中で一番悪い内容の前半だったかも知れません。

    さて、このままでは攻撃がままならないと思ったのか、宮本監督がハーフタイムに動きます。警告を受けていた福田に代えて遠藤を送り出します。なかなか前にボールを入れられなかったので、この交代は理にかなっていると思いました。もちろん、福田のダイナミズムがなくなるわけですから、中盤での守備が弱まる可能性もありますが、この日の湘南の攻撃姿勢から見て大丈夫だと判断したのかも知れません。

    そして遠藤投入の決断は当たりました。明らかにボールを落ち着いて回せるようになり、湘南陣内に押し込んで攻める回数が増えました。アンカーから離れて自由に動けるようになった矢島が左右と前に飛び出していきチャンスが増えます。それでも全体的にアタッキングサードでのラストパスとシュートの質が低く、得点には結びつきません。

    アデミウソンに代えて食野が入り、そのままFWとしてプレーしてシュートを放ちますが枠の外。

    そして湘南の決定的な場面もありましたが何とか防ぎ、これまたカードをもらっていた高江に代えて渡邊千真を入れます。怪我で長く離れていましたが、先日の長崎戦で戻ってきた待望のターゲットになれるFWでもあります。これでウィジョ・千真・食野の3トップになりさらに攻め続ける形になりました。

    個人的には千真を入れるのが遅いなあ、もう時間無いやんとか思っていたのですが、素人でした。食野が左から持ち込んでウィジョばりの巻き込むシュートを見事に決め、後半アディショナルタイムに先制します。

    守備に割ける交代枠も残っていませんが、何とか湘南の反撃を防ぐことに成功し、大阪ダービー以来のリーグ戦勝利を得ることが出来ました。

    湘南の戦術の目的がどうだったのか分かりませんが、引き分け狙いがメインだったとしたら九分九厘成功していました。セットプレー時の時間稼ぎも巧妙で警告をもらわないギリギリまで粘っていましたし、食野のゴール直前には逆にガンバにとってはあわやという場面もありました。

    最終的には食野のゴールで勝ちきりましたが、遠藤がいないと落ち着いたパス回し、縦のボールを前線に入れることが出来ないのは課題ですし、ウィジョ・アデミウソンの2トップが依然としてリーグ戦で得点できません。ウィジョは韓国代表では得点して帰ってきてますから、状態が悪いわけではないと思うんですが・・・。

    さて、とりあえずこれで13位に浮上して降格圏脱出です。下が詰まっているので負けるとすぐに落ちてしまいますし、次節は16位の松本とのアウェイでの直接対決です。きっちり勝ってシーズン折り返しを迎えたいところです。

    そしてその前に水曜日にはルヴァンカップのホーム長崎戦があります。今日フル出場した選手はさすがに出ないでしょう。そうなるとスタメンはこんな感じでしょうか。

           高木 食野
        倉田       芝本
           今野 高
      ジェソク 菅沼 青山 米倉
             林

    ホームで0−3で負けても勝ち抜けですから、芝本や高木を試しても良いと思うんですよね。もちろん勝つに越したことはないんですが。

    とにかくこれで5試合負け無しです。セレッソ戦でギャンブル的にスタメン・フォーメーションを変更しましたが、その後2勝3分というのは評価してしかるべきでしょう。昨年と同じく残留争いしながら、試合前の「コーチ 宮本恒靖」のコールで拍手が起きるのは、サポーターから見ても理解出来る戦い方を貫いているからでしょうね。

  • 音楽ストリーミングで分配される現代、そして書籍におけるストリーミングという未来

    今、音楽を聴くとなったら若い人はYouTubeやAppleMusicやSpotifyなどの有料無料のストリーミングサービスを選択しているのだと思いますが、そういった時代の流れには必ず批判も集まります。CDが売れない時代になったとは言いますが、しかし、そもそもCDが売れていた時代というのが一時的だっただけの話とも言えます。

    CDの売上の盛衰を見てみましょう。
    一般社団法人日本レコード協会のデータです。

    音楽ソフト 種類別生産金額推移(1952年~)
    https://www.riaj.or.jp/g/data/annual/ms_m.html

    金額ベースですがこれによると、1984年にCD販売開始され、その4年後の1988年にはレコードの過去最高金額を上回っています。バブル景気のまっただ中だったこともありますが、あっという間に音楽を「CDで聴く」時代になったわけです。

    その後、1998年(確か宇多田ヒカルがデビューした頃ですね)をピークに長期低落傾向がずっと続いています。つまり、CD売上が右肩上がりだったのはわずか10年間です。

    音楽ソフト 種類別生産数量推移(1929年~)
    https://www.riaj.or.jp/g/data/annual/ms_n.html

    レコードが長い期間をかけて少しずつ増えていったのはプレーヤーの普及に時間がかかったからですが、CDの「息の短さ」がやはり目に付いてしまいます。

    CDで音楽を聴く、という行為が当たり前だったという思い込みが今の音楽業界にもあるような気がしてなりませんが、後世には音楽CDというのは1980年代後半から2000年代後半くらいまで流行していた視聴形態という見方をされるのではないでしょうか。

    そして、CDよりもさらに短いダウンロードサービスの瞬間的な普及を経て、今のストリーミングサービスが世界中で定着しつつあるわけですが、消費者がお金を払っても対象音楽を手元に残せない、ということで不満に思う消費者もいますし、大きなお金が動かなくなったと嘆く業界人もいることでしょう。

    金銭的なことだけいうと、ストリーミングサービスはCDを大量に売る、あるいは買う人にとっては不満の残る形態であることは間違いないと思います。しかし、見方を変えてみると、聴いた分だけお金がミュージシャンに渡るということは、聴きたくなる曲を作った人にそれだけ分配されやすくなるということですから、再生回数という形で消費者が曲を評価する仕組みになっている、ということになるのではないでしょうか。

    言い換えると、CDの売上そのものはそのCD収録曲を評価することにはならないのではないか、ということです。

    今も昔もCDを買うパターンとして、一秒も聴かずに買う指名買いの場合もあれば、メディアやネットで聴いて気に入ったので買ってみた、という場合もあると思います。ただ、一曲だけ入ったCDというのは稀です。CDの中に入っている曲全てを常に同じ回数だけ聴くという人も稀だと思います。好きな曲だけリピートして聴きますし、あるいはカセットテープ、ミニディスク、今ならiTunesのプレイリストなどに編集して聴くことも多いはずです。そうなると、CDの売上を収録曲数で按分した金額と、ある一つの曲の再生回数とのバランスが合わないというわけです。買ったはいいが結局あまり聴かなかった、という場合でも、何百回と聴きまくっても配分されるお金は同じです。

    また、前述の指名買いの場合、その収録曲に満足してお金を払うのではなく、ミュージシャンの過去の音楽に対して評価しているから買うわけですので、評価と分配のタイミングがずれていることになります。

    一方、ストリーミングサービスであれば再生回数に応じてその曲の提供者にお金が回ります。曲の再生回数と売上のバランスが一致します。指名買いによるタイミングのズレもありません(正確には初めて聴くときには評価と分配のタイミングがずれることになりますが金額の絶対値としてはCDよりも遙かに小さいはずです)。

    そういったわけで、曲に対する消費者のシビアな評価としてはCD売上よりもストリーミングサービス再生回数の方が正確だと個人的には思っています。音楽業界の人はどうなんでしょうね。曲の評価よりも儲かった方が良い、というのであれば話は別ですが。

    さらに話は音楽業界だけではありません。AmazonのKindleUnlimitedサービスや、ドコモのdマガジンなどでは、書籍をサブスクリプションサービスとして提供しています。詳細な分配方法は分かりませんが、ユーザーのダウンロード回数だけではなく、ページ毎(リフロー型電子書籍ならもっと細かいですが)での表示回数によって非常に細かい単位で著者や出版社に分配されているはずです。

    音楽に比べると本をストリーミング的に読む習慣はまだまだ根付いていませんし、今後もどれくらい根付くか分かりませんが、音楽業界で起きた変化が出版業界では無関係だと断言するのも難しいでしょう。日本では共に再販制度による法的規制・保護がかかっている業界でもあります。CDショップが大きく数を減らしているように書店も大きく数を減らしているという点も似通っています。

    音楽や書籍を所有せずに読みたいときに読みたい分だけ読み、それに対して消費者がお金を払い、再生・表示回数に応じて提供者に分配される、という仕組みが当たり前になる時代がもうすぐそこまで来ているのかも知れません。そうだとしたら、その流れは誰にも止められないでしょう。

  • noteで突然フォロワーが増えた

    今年の1月中頃からnoteに毎日投稿するようになりましたが、ここ数日急にフォローしてくれる方が増えました。突然すぎて驚き、またフォロワーの情報を見るとみんなnoteに登録したばかりの人っぽくて、どこかで晒されて炎上でもしているのかと不安になりましたが、これまでに似たような状況になっている人の書込とか無いかな、と思って検索してみたところ、どうやらこちらの方の書込の状況と似ているようです。

    https://note.montblanc.design/n/nb18738209491

    分かりやすくまとめてあったのですぐに見つかりましたが、中でも特に、note新規登録時のお勧めユーザーとして出ている場合の状況がおそらく私の場合に当てはまるようです。私の記事そのものの実力ではありませんが、フォローしていただいたことはありがたい話ですので、これからも毎日の投稿は続けていこうと思います。こういうことがあると続けていくモチベーションになりますよね。嬉しいです。

    数年前にGoogleのbloggerサービスを使って投稿してたことはあるんですが、その時も出来るだけ毎日投稿してみよう、と意気込んでいて結局2ヶ月くらいで途絶えてしまいました。さらにその前にもamebaブログやライブドアブログも挑んだような記憶がありますが、結局どれも永続きしませんでした。おそらく、noteのサービスが個人的には合っているんでしょうね。とはいっても、まだ半年にもなっていないので偉そうに言うことではないかも知れませんが。

    Twitterもつぶやくというよりは他の人のつぶやきを読む、もしくは情報源としての利用の方が大きいし、Facebookもリアル知人の情報しか読まないし自分が書き込むのもサッカー観戦時くらいなのでよく利用しているとはいえない状況ですね。FacebookやTwitterよりもnoteの書込のほうが頻度が高いという人間もあまりいないんじゃないかなと思います。

    まあこれまでもnoteには好き勝手に考えてることを書いてきたので楽でした。これからもこんな感じなら続けていけそうです。

  • 今の解雇規制は本当に労働者のためになっているのか?

    労働者と資本家の対立というのはイギリスでの産業革命以降、資本主義社会において必然のものではありますが、歴史を経る中でどちらも対立しすぎたら損をすることを理解したからこそ歩み寄り、法的整備がなされることによって激しい対立というのは先進国ではほぼ起こらなくなっています。

    メーデーもイベント的な存在になってきましたが、個別の事例においては企業と従業員の対立というのは当然ながら存在しています。

    東芝系社員、退職拒み単純作業 「追い出し部屋」と反発
    https://www.asahi.com/articles/ASM6D4JSKM6DULFA011.html

    追い出し部屋なんて90年代の話かと思っていましたが、未だに存在しているそうです。ぱっと読んだ感じでは当然ながら従業員側の肩を持って東芝は酷い会社だ、なんて気になってしまいますが、そもそもこのような追い出し部屋を用意せざるを得なくなる企業側としても嫌な話のはずです。

    別に資本家の味方になるつもりはありませんが、解雇規制が厳しいために雇用に及び腰になってしまうとか、雇ったはいいが様々な事情で企業としては使いたくない人材に関しても簡単に解雇できない、というのは企業にとってマイナスなだけではなく、労働者側にとってもあまり良い結果をもたらすとは思えません。雇用者数が増えなければ働き口が減りますし、雇われても会社で活躍できなければ、労働環境が良くない中で働き続けざるを得ないというのも昇給やストレスなどの面でマイナスでしょう。

    一部の外国のように簡単にレイオフ出来てしまうようになったらそれはそれで社会的な悪影響が大きくなってしまいそうですが、望まない仕事によるストレス、生産性が落ちることによる企業利益の圧迫、といった問題も出てきます。

    上記の記事によれば、希望退職を拒んだ人達が単純労働・肉体労働に回されたとのことですが、希望退職で得られる臨時収入や、失業保険の拡充など、雇用規制を緩めても労働者側の生活基盤に大きな悪影響が出ないような整備も必要ではないでしょうか。

    企業側としても日本国内だけで戦うのではなく、諸外国で競争している以上は労働規制の緩い国にある企業と争うのは人件費的に厳しいはずで、結局日本経済のマイナスにまでなってしまっては本末転倒の規制となってしまいます。

    そもそも中小企業の従業員や非正規社員は大企業の正社員に比べると簡単に首にされますから、公平性の観点からも問題があるはずです。

    また非正規雇用の話になりますと、同一労働同一賃金であるべき、という意見もありますが、もしそれが法制化された場合、追い出し部屋に行かせる代わりに単純労働に回した高齢の正社員に対して、給与を一気に下げることも許されるんでしょうか?

    厚生労働省 同一労働同一賃金特集ページ
    https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000144972.html

    同一労働同一賃金制は非正規雇用の給与を引っ張り上げるための制度として議論されていると思いますが、むしろ正社員の給与が下がりそうな気がします。

    そもそも、企業が人件費を抑えよう、低くしようという圧力を持っているのは必然です。売上を増やすか経費を減らすかでしか利益は確保できないのですから。だからこそ労働者に対する法的保護があるわけですが、人口も企業売上も含めて社会全体が右肩上がりだった時代の法的保護と、国際競争が激しく人口が減り始めた時代の法的保護において、資本家と労働者の関係性の捉え方も変わってくるべきだと思います。

    社会全体が正社員を減らして非正規雇用を増やさざるを得ないのなら、そのようになったとして政府がどのような保護を労働者に与えるのか、厚労省や労基署レベルではなく国家全体として、例えばベーシックインカムを導入するなどで全体の収入が増えれば企業からの給与は減っても生きていけます。それが正しい道かどうかは分かりませんが、正規労働者のみ保護する仕組みを維持するだけでは社会全体が成り立たない時代に既に突入していると思います。

  • HUAWEIは死なず? 反米連合なるか

    HUAWEIがアメリカ政府から様々な制裁や締め出しを食らう中で、AndroidについてもGoogleから切られたという話の流れで、以前こんなことを書きました。

    HUAWEIを中国政府はかばいきるのか、切り捨てるのか
    https://note.mu/hrsgmb/n/nc99c0cf5c71c
    Androidのプロジェクトそのものはオープンソースとして無償で公開されていますので誰でも利用出来ます。ただGoogleサービスを利用するならお金を払ってね、というのがGoogleのビジネスとなっています。HUAWEIクラスの企業であれば、AOSPを利用してAndroidベースの独自OSを自社スマホに搭載するのは費用を度外視すれば難しいことではないでしょう。

    こんな風に思っていたら、まあまあ斜め上な対応をしそうなことがニュースになっていました。

    Huawei、Androidの代替としてロシアのAurora OSを試験中か
    https://iphone-mania.jp/news-250356/
    米政府の制裁により、使用できなくなったGoogleのAndroid OSの代替として、Huaweiがロシアの「Aurora OS」の採用を検討していると報じられています。
    Aurora OSは、フィンランド企業Jollaが開発したSailfish OSをベースとしたOSで、ロシアのOpen Mobile Platformが開発を進めてきました。2018年に、ロシアの通信事業者Rostelecomが、Open Mobile Platformの株式75%を取得しています。

    AuroraOSなんて知らないなあ、と思っていたら、SailfishOSをベースにしているということで、記憶の片隅になんか聞いたことがあるOSの名前が出てきました。

    ケータイ用語の基礎知識 第622回:Sailfish OS とは
    https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/keyword/607737.html
    もとになった「MeeGo OS」は、インテルとノキアが共同開発したスマートフォン用OSです。インテルの「Moblin」とノキアの「Maemo」を統合したオープンソースのLinuxベースのモバイルOSです。2010年の発表当初は、iOS、Android OSに対抗できる勢力として期待されていました。その後、ノキアは、2011年になってマイクロソフトと業務提携を行い、今後のスマートフォンの主軸をWindows Phoneにすると発表しました。そして、ノキアでMeeGoの開発に携わっていたメンバーらはスピンアウトし、このSailfish OSを作ります。

    この記事が2013年のものですので、その後どれくらいSailfishOSやAuroraOSが進化しているのか分かりませんが、よくこんなの引っ張ってくるなあと思いました。

    Androidのアプリも動くと書いてありますが、この頃と今ではAndroidアプリは動く仮想マシンの仕組みが変わっているはずなんですが(Dalvik→ART)、新しいアプリも動くんですかね。

    HUAWEIのエコサイクルが中国・ロシアなどの反米勢力の中だけで成り立つのであればいいんでしょうけれど、欧米での販売がなくても巨大企業としてやっていけるんでしょうか。

    珍しいOSを出してくるくらいなら、いっそのことWindowsアプリケーションすら動くようなエミュレータとか積んじゃえば世界中のギークがかえって支持に回ったりするかも。LinuxにWine積んで動くのならいけそう。

    マイクロソフトからもWindowsの使用を切られたのですから、Googleだけでなくマイクロソフトへの意趣返しにもなって一石二鳥! まあ動作速度的に無理でしょうけれど。

    それはともかく、HUAWEIは色々なリソースをアメリカに断たれた状態ですが、ここで潰れるか独自開発できるか正念場でしょうね。

    2010年頃に尖閣諸島問題で中国がレアアースの対日輸出を絞ったことで、かえって日本企業がレアアースのリサイクルや代替手段の開発に成功しましたが、HUAWEIがAndroidやArmの技術を頼らなくてもやっていける企業になるのなら、中国そのものの国際競争力を一層高めてしまうことになります。レアアース問題の時の中国政府が今のアメリカ政府の立場と似たような状況になっています。これからのHUAWEIは、あの時の日本企業のように対抗できるか、あるいは1980年代の日米貿易摩擦の中で磨り潰されたTRONプロジェクトのようになるか・・・。

  • イラン情勢と消費税

    安倍首相のイラン訪問と、そのタイミングでのタンカーへの攻撃によってむしろイラン情勢が悪化した感もありますが、アメリカの同盟諸国であるイスラエル、イギリス、サウジアラビアはタンカー攻撃を仕掛けたのはイラン革命防衛隊(事実上の国軍)であると断言して、イラン政府への圧力を強めています。日本政府は公式にイランを非難する声明は出していませんが、被害者&外交交渉をしていた日本がそれをやると、他の親米諸国による非難とは異なり、中東戦争のキッカケになりかねません。日本が最後の砦のようになってしまいました。安倍政権の今後の出方は非常に難しいですが、何もしないという選択肢が一番マシかも知れません。

    2003年のイラク戦争では、ブッシュ大統領・ブレア首相・小泉首相による米英日の強固な同盟関係から、アメリカの武力行使が始まりましたが、結果的にはイラクのフセイン政権は大量破壊兵器を所有していなくて、単なるブラフであることが終わってから分かりました。遅かれ早かれフセイン政権は維持できなかったとは思いますが、イラク戦争のキッカケがフセイン政権が大量破壊兵器を所有しているという偽情報だったわけですから、今のイラン情勢にも似たところがあります。

    果たしてイランは核兵器開発を継続しているのか、近隣の米軍に対する攻撃準備を行っていたのか、そして先日のタンカーへの攻撃はイランによるものなのか。

    今回のタンカー攻撃事件をベトナム戦争の泥沼化のキッカケになったトンキン湾事件になぞらえる人が結構いますが、この攻撃がアメリカの自作自演ならトンキン湾事件よりも米西戦争を引き起こしたメイン号事件の方が近いでしょう。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/米西戦争#戦争の始まり

    もちろん、現時点ではイランによる攻撃なのか、アメリカの自作自演なのか、それとも第三勢力によるものかは私には分かりません。

    タンカー攻撃、見えぬ犯人像
    https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46200330X10C19A6FF8000/

    情勢悪化を目指したアメリカの仕業か、
    アメリカへの間接的な警告としてのイランの仕業か、
    ペルシャ湾の不安定化を目指したイラン反政府勢力の仕業か。

    イランにしてみたらアメリカがどこまで攻撃してくるのか分からないですし、アメリカにしてみても同じでしょう。双方が相手に対して疑心暗鬼になっている状況であれば、仲裁に他の大国が入るというのは至極自然なことであり素晴らしいことのはずです。しかし、そのタイミングで仲裁国を敵視する行動が取られると結果的には情勢が悪化してしまいます。

    どれでも筋は通ってしまいますが、原因よりもこの後の事態の方が問題です。どこまで紛争開始を食い止められるのか、時間の問題かも知れません。

    そうなるとペルシャ湾・ホルムズ海峡経由の原油輸入が出来なくなります。サウジの紅海側からの輸入など、他のルートからの輸送も出来なくはないですが当然ながら他ルートの原油価格が跳ね上がります。湾岸戦争でも原油価格は急騰しましたが、2003年のイラク戦争でも値段が上がりました。その後、シェール革命によって原油価格は下落しましたが、ベネズエラ情勢も不安定なままですので、もしイラン戦争が起きれば原油価格の値上がりは起きるでしょう。

    そうなると当然ながら世界経済が冷え込みます。中国はロシアからも輸入できますがまだまだ中東からも輸入していますので、中国経済の急減速も相まって「リーマンショック級の出来事」が起きると、消費税増税もストップするかも知れません。増税するかどうかよりも戦争が起きるかどうかそのものの方が重大な話ではありますが、イラン情勢は日本の一般消費者にとっても無縁の話ではないということです。

    また、イラン戦争が始まったとして最終的にはどうなるか、という見通しを立てるとすると、まずアメリカが勝ちます。アメリカがこれまで行った対外戦争で負けて撤退したのはベトナム戦争のみです。第一次世界大戦・第二次世界大戦のドイツと太平洋戦争での日本、湾岸戦争・イラク戦争でのイラクなど、出口戦略に失敗した例もあれば成功した例もありますが、基本的にアメリカが戦争で負けることはありません。朝鮮戦争では38度線まで中国軍に押し戻されましたが戦争開始以前に戻しての休戦です。

    アメリカがイランに勝つとして、イランの政府まで破壊することは難しいでしょうし、イラク戦争がISを生み出したようにイランの地方や周辺が不安定化すれば結果的に中東情勢がさらに悪化してしまうことになります。さすがにそこまではやらないと思いますが、やってしまうと第二のイラクが生まれて米軍がさらに泥沼にはまることになるでしょう。だからといって中途半端なところでイラン政府が譲歩して敗北を認めるとも思えません。しかし、イランの国体としては宗教的権威と政治的権威が分離しています。安倍総理が相次いで会見した、ロウハニ大統領とハメネイ師です。どちらか(おそらくは大統領)を更迭、失脚させる形で責任を取らせてやむを得ずアメリカの出した条件を飲んで休戦する、という形であれば成り立つかも知れません。それでも、長期的には紛争の種を残すことにはなりますが。

  • 選ばれる側・呼ばれる側だけではなく、選ぶ側・呼ぶ側になること

    6月初めから中頃までフランスで行われたトゥーロン国際大会において日本代表U22チームが準優勝という結果に終わりました。最後の決勝はブラジル相手にPK戦の末の敗戦でしたので惜しかったですが、過去最高の結果ということで一定の評価は出来るでしょう。

    第47回トゥーロン国際大会 2019
    https://www.jfa.jp/national_team/u22_2019/toulontournament_2019/schedule_result/

    このトゥーロン国際大会というのはそれほど「格の高い」大会ではありません。サッカーの世界では、ワールドカップ・大陸別選手権・オリンピック・年代別ワールドカップなどに比べると一般的な知名度は劣ります。しかし、1967年から行われているそうですので、サッカーファンには意外と知られている大会です。日本代表は2000年から参加し、2001年からはU21やU22などの代表を派遣しています。

    しかし、今年は例年になく日本において注目された感があります。NHKがBS1で全試合生放送しましたので、見ていた人も結構な数になるのではないでしょうか。以前は生放送なんてなかったと思うのですが。コパ・アメリカをどのテレビ局も放送できないことの埋め合わせ的な感じなんですかね?

    スポーツのテレビ放送の終わりの始まり
    https://note.mu/hrsgmb/n/n2e64b1f899ce

    先日上記投稿にも書きましたが、コパ・アメリカはサブチャンネルでの放送もしないのに、トゥーロン国際大会を放送するというのもなんかバランスが取れてない気もしますが・・・。

    それはともかく、アンダー世代の有望選手は同じくこの6月に行われたU-20W杯と、行われるコパ・アメリカの代表に結構持っていかれていますので、このトゥーロン国際大会に参加した代表選手は結構あまりなんというか目立たないというか控え的なBチーム的なというと語弊があるかも知れませんが、大会前には正直そんなに注目されていなかったようなメンバーでした。いわば事前予想を覆すような成績でした。コパ・アメリカでどうなるか分かりませんが、東京五輪世代の選手達が国際経験を積み続けるのは良いことだと思います。

    さて、そういったチームの強化、選手の強化ももちろん大切ですが、トゥーロン国際大会のようなイベントを固定化して実施していくのもサッカーという文化の強化につながるはずではないでしょうか。

    先にこのトゥーロン国際大会は「格が高い」大会ではないとはいいましたが、FIFA公認大会ではあります。こういった若い世代の国際大会を半世紀以上継続して開催し続けるフランスという国の、若手育成にかける思いと国際サッカーへの貢献する気持ちというのは賞賛されるべきものです。

    決して儲けるためとか経済効果だとかを目的にしているわけではないでしょうし、あるいはただ単にお金をかけてやっている、ということでもないでしょう。こういったことはその国、その地域においてその文化が根付いているかのバロメーターでもあると思います。

    また、ほぼ同時期にリスボン国際という大会にU18日本代表が参加していました。

    第25回リスボン国際トーナメントU18
    https://www.jfa.jp/national_team/u18_2019/lisbon_international_2019/schedule_result/

    トゥーロン国際大会よりもさらに知名度が低い大会ですが、これも結構続いている大会です。

    では日本ではどうかというと同じくU-18世代ですが、SBS杯国際ユースサッカーという大会が毎年開催されています。

    SBS杯国際ユースサッカー
    http://www.at-s.com/youth_soccer/

    SBSというのは静岡放送というテレビ局のことですが、1977年に静岡放送の創立25周年記念事業として始まったそうです。これも40年以上になりますし、かつてはロナウジーニョやクライファートもプレーしたそうですので、歴史と伝統ある大会と言えるのではないでしょうか。

    静岡ではサッカーが盛んということはほとんどの日本人が知っていることだと思いますが、有名選手を多数輩出していることとか、高校の強豪校があることとかだけではなく、こういった大会を毎年継続して開催していることこそが「サッカーどころ」として誇れることなのではないでしょうか。

    そしてそれはサッカーだけ話ではなくて、例えば外国での映画祭とか文学賞とかで日本の作品が受賞するのは日本人としてはもちろん嬉しいことですが、選ばれる立場だけではなく選ぶ立場にもなってこそ、その文化が定着して盛んになっている、と言えるのではないかと思います。

    文学作品や映像作品などについては日本語の壁もありますのでなかなか難しい面もあるかも知れませんが、スポーツでは言葉の壁を容易に越えられます。特にサッカーのように世界中ほぼどこの国でも盛んで、世界的に統一ルールで実施されているスポーツであれば、モンテネグロだろうがソマリランドだろうがセントビンセントグレナディーンだろうが世界中からチームを招待することが理論上可能です。

    大会だけではなく選手についても同じですが、Jリーグから選手が出ていくだけではなく海外から優秀な選手がJリーグに来る方向も盛んになるべきでしょう。そして今のJリーグも少しずつはそうなっていると思います。神戸が連れてきたVIPトリオだけではなく、チャナティップやティーラトンなどのタイからの選手も所属しています。Jリーグからタイに移籍する日本人選手も昔に比べると多くなりました。韓国人選手は言わずもがなですね。

    選手獲得のレベルで、すぐにJリーグが欧州のトップクラスに追いつけるとは思ってはいませんが、トップクラスに行きたい選手、欧州2番手グループに行くまでのステップアップやあるいは欧州でのプレーが難しくなってきた選手達の選択肢として選ばれるようになれば、もっとJリーグのプレーレベルも上がるでしょうし、さらに指導者も同じように行き来するようになれば戦術面ももっと深まっていくでしょう。

    FC東京の久保建英選手がレアルマドリーに移籍することが発表されました。彼の才能・実力を評価されてのことで素晴らしいことです。

    一方、ビッグネームがJリーグへ移籍してくるのは、ヴィッセル神戸のここ数年の補強のように大金を積んで呼ぶのが条件になってしまいがちですが、お金や治安などだけではなくJリーグのプレーレベルに魅力を感じて移籍してくる選手(あるいは指導者)が増えてくれたらと思います。

  • ふるさと納税制度から考える地方分権と中央集権

    大阪の泉佐野市が新しいふるさと納税の対象から外されたということで、総務省や政府を強く批判しています。

    泉佐野市ふるさと納税サイト
    http://www.city.izumisano.lg.jp/kakuka/koushitsu/seisaku/menu/furusato/

    泉佐野市としては、元のふるさと納税制度において法律の範囲内で頑張っていただけなのに、なぜ非難されて新制度から外されるのか、という不満があるわけですが、総務省からみたらふるさと納税の本来の趣旨から外れているので改善を求めたのに無視されたので新法を作ったのだ、という理屈になります。

    どっちが正しいとか判断するつもりはありませんが、どう考えても泉佐野市の分が悪いでしょう。総務省の方が正しいとかいうことではなく、そもそもこの「ふるさと納税制度」辞退がいわば地方間の税収の不均衡を是正するために国が作ったものであり、都会に集中する人口の住民税を地方にばらまくためのものです。国家主導での「住民税の再分配」です。

    そもそも地方の過疎化と都会の過密化の問題は、地方から都会に人が移住するから発生します。都会が都会であり続けられるのは人口が多いからですが、この少子化の時代でも都会が人口を増やし続けることが出来るのは地方から人が集まるからです。言い換えると、地方で育った人が大きくなって都会に移住して社会的な生産活動に従事するわけですから、地方で富が発生しません。言葉は悪いですが都会が地方を搾取しているような状態なわけです。当然住民税も人口が多い都会が稼ぐわけですから、地方と都会において住民税が偏在することになります。人口比に従っていると言えばそうですが、都会は地方がなければ存在できません。地方から都会には人も物も移動するので都会が都会たり得るのですが、それがいきすぎると過疎化・過密化の問題が出て地方が衰退し、さらにはいずれは都会も衰退しかねません。

    その問題を少しでも減らすために、地方に国から税金を渡しているわけですが、それだけではなくて、地方からの恩恵を受けている都会も地方に金を渡せよ、というのが「ふるさと納税制度」の根本的な主旨です。

    この制度によって東京都からはかなり住民税が減り、都知事も文句言っていましたが、都会が都会だけで存在できるわけではないということはさすがに分かっているのではないでしょうか。

    ふるさと納税に東京都だけ参加せず「本来の趣旨と違う」
    https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/16553.html
    都によりますと、昨年度に、ふるさと納税で都の税収からほかの自治体に流出した金額はおよそ258億円に上ることが見込まれる一方で、ふるさと納税による都への寄付はほとんどないということです。

    そしてその地方がふるさと納税制度で住民税を取り戻すにせよ、「住民税の再分配」を国家の采配で行う以上、地方が国の方針に逆らうのはかなり難しいです。そもそも日本には明治以降、今も昔も地方分権など存在していません。明治政府の国家の成り立ちとしては、封建制の江戸幕府が封建制であるが故に薩長などの雄藩によって倒されて出来た歴史があります。その結果出来た政府が中央の権力を強めるのは当然のことで、そこから戦争・敗戦など経緯はあれど政府機構は地方の都道府県含めて大まかには変わっていません。

    その後の昭和・平成を経る中で地方分権の重要性が叫ばれて地方自治体の裁量はある程度増えてきましたが、それでも根本的には日本は中央集権国家です。州ごとに法律・税制・軍隊があるアメリカ合衆国や神聖ローマ帝国の頃から続くような連邦制のドイツとは比べものになりません。

    日本においては地方分権・地方自治は語弊があるかも知れませんが、「国のお情け」に留まるレベルです。あくまで中央政府が「この部分は地方に任せよう」と判断したことだけが地方が自由に出来ます。

    こう書くと、中央政府や地方自治体をいじめているかのような感じになってしまいますが、地方分権と中央集権を善と悪の関係でとらえること自体正しいのでしょうか?

    地方分権=善、中央集権=悪、という図式がそもそも出来上がってしまっている気がします。果たして本当にそうなのか。

    地方分権が良いイメージでとらえられがちなのは、下からの政治、すなわち、住民が話し合う町が集まって大きな自治体が出来て、それらが集まって国が出来るという形を理想の政治体制と考える思想が先にあります。

    逆に中央集権と聞くと、中央政府が無理な要求を地方に行い、住民の意思を無視するイメージがあるのではないかと思います。

    しかし、先にも書きましたが国家の政治体制はその国の成り立ち、歴史とは無関係ではありません。中央集権が絶対的に正しいと言うつもりはありませんが、今の日本がなぜ地方分権が難しいのかは現行政府・政治家・官僚などの悪意や怠慢によるものではないと思うべきでしょう。そもそも地方分権が過ぎることで国家がまとまらず、内乱・内戦の要因になっている国家があることも認識すべきですし、そういう国家から見れば中央政府の権力が弱いことが「悪」でもあるはずです。

    なぜ地方分権が実現しないのか、そもそも地方分権は善なのか、これまでの日本の歴史と、現在の日本の状況、そして未来の日本のあるべき形を網羅的に考えないと、結局は感情的な対立だけになってしまうのではないでしょうか。