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  • 素人考えのドローンでの配達の困難さ

    配達の効率が悪いのはまさにその郊外の、家々が離れて存在している地域でしょうから、都心部は人間が、郊外はドローンが配達するという棲み分けであればいいのかも知れません。

    ネットショッピングなどで配達の需要はずっと増え続けています。消費者側のライフスタイルの変化でもありますが、実店舗ではなくネットから購入して自宅まで配達してもらう、という購買方法は今後もあらゆる分野に広がるはずです。Amazonが登場したときは書籍だけでしたが、今ではむしろ扱っていない商品を探す方が難しいくらいです。

    そしてこんなにネットショッピングによる商品の配達件数が増えると、当然ながら運送業界への需要が増えます。大型トラックの運転手不足、配達ドライバーの不足などが社会問題化していますが、その一つの解決策として、ドローンによるラストワンマイルの配達が試みられるようになりました。すでに外国では実用化が始まっているそうですが、日本ではまだのようです。

    いずれは日本でも始める業者(通販側か運送側かはわかりませんが)が出てくると思いますが、ドローンでの配達には困難な理由がまだいくつか存在します。

    1,ドローンが事故や故障せずに飛ぶか
    2,正しい住所に届けられるか
    3,届ける商品が壊れないか
    4,受取人以外の人間が取ることはないか

    素人考えでもぱっと3つくらいは思いつきます。このうち、3,については、そうそう壊れないような商品(本や衣類など)、壊れてもすぐに交換品を発送し直せる商品であれば問題ないでしょう。一点ものの貴重なものは送る方も受け取る方もドローンでの配達は嫌でしょう。

    4,については、届け先が住人以外の他人が入れないベランダに配達できれば簡単です。問題はベランダがない場合ですが、発送する箱を段ボールではなくもう少しガッチリしたもので暗証番号等を入力することで開く仕組みにすれば確実に受け取れます。その箱は使い捨てにするのはもったいないし費用もかかるので、例えば後日送り返したり、駅や役所など人が集まる施設に回収設備があってそこで返せばデポジットが返ってくる、とかすればいいのではないでしょうか。

    2,については、正確な住所・地図を把握することと、ドローンがGPSで正確に飛行できれば可能なはずです。現時点でのドローンの位置をリアルタイムでサーバ側でチェックして飛行ルートや目的地への飛行を補正・サポートする仕組みがあればより正確になるでしょう。その一つとして、5Gの通信システムは期待できると思います。

    「電柱に5G基地局を」、東電やKDDI、ソフトバンク、楽天が実験
    https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1175476.html

    こんな実験も始まるようです。5G時代が来れば、大量のIoT機器が出回り、そのためにアンテナもかなり増えるでしょう。GPSだけではなく基地局の電波を受信したときにその基地局の場所から推定してドローンの位置も把握できれば、配達先までの案内はハードルが下がるはずです。

    最後の1,ですが、まず故障するかどうかについては技術が発展していくことでしか解決できないでしょう。日本で配達するのなら、雨・強風・雪といった天候にも影響を受けないようなものでないといけません。PM2.5や黄砂、花粉のような微細物質がプロペラやモーターなどの可動部に詰まって故障するという可能性もあります。飛行中に鳥や虫とぶつかっても大丈夫なくらい頑丈に作らないと行けないかも知れません。

    個人的に一つの難点だと思っているのが、張り巡らされた電線です。当然ながら繁華街にしろ住宅街にしろ建物の周りには電柱と電線(ケーブルテレビや光回線などもあります)が設置されています。最近では景観を考慮して電柱を無くして電線を地中に埋設している地域もありますが、ごくわずかです。ドローンはほぼ全ての配達先に届けるまでに、電線をかいくぐらないといけません。

    じゃあ、いっそのこと電線地中化を全国的に進めてしまいましょう! ということになると、
    あれ?
    「電柱に5G基地局を」、東電やKDDI、ソフトバンク、楽天が実験
    https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1175476.html
    さっきのこれと両立できないですねえ・・・。

    ドローンでの配達は当面は都心部などでは難しいのではないでしょうか?
    そもそも、ドローンで配達しよう! というアイデア自体が、欧米での郊外の庭が結構あるような家を基準にしている気がします。

    そもそも配送の効率化を考えると、住宅が密集している都心部や住宅街では人間のドライバーが配達して、家と家の間が遠い郊外はドローンで配達と棲み分けを考えるのが先でしょうか。郊外だとドローンと鳥の戦いが熾烈を極めそうな気もしますが、そこはそれ、ドローンから鷲か鷹の匂いを出すようにしたら寄ってこないんじゃないですかね。

  • 立ち仕事における働き方改革

    デスクワークなど椅子に座りっぱなしの仕事をしていると身体に悪い、ということは最近とみによく聞くようになりました。実際に色んな報道で、一日に何時間以上座っていると寿命が何年短くなるとか、脳卒中の確率が増えるとか色んな学者が色んなデータを出して色んな主張をしています。色々ありすぎて混乱しそうですが、どの主張にも共通しているのは、座り続けるのは身体に悪い、ということです。21世紀に入った頃から、エコノミークラス症候群という言葉を目にするようになりましたが、飛行機に乗らずとも同じ姿勢で座り続けていると血行が悪くなり身体に悪影響を与える、ということは結構共通で認識しているような時代だと思います。

    私は昨年からApple Watchを利用していますが、1時間のうち1分間は立つように通知が表示されます。Apple Watchを付ける前もトイレに立ったり飲み物を取りに行ったりするので数時間座り続け、ということは無かったと思いますが、それでもこういう通知ではっきり知らされた方が、意識的に立ちますのでいいことなんだと思います。

    また、私は使ったことないですがスタンディングデスクも導入している法人・個人もあるようです。結構値段がするのが難点ですが、既存の机の上に載せて利用するような昇降可能なスタンドもあるそうですので、こういう「座り続けるリスクを減らす」ビジネス商戦は今後もしばらく続くのではないでしょうか。

    その一方で個人的に気になるのは、座り続けるだけではなくて、立ち続けるのも身体に悪いのではないのか、ということです。

    当然ながら立っているだけ、立ち続けていると、血液は下がり気味になります。水分も下がるので下半身とくにふくらはぎや足首以下などがむくみます。むくむだけならいいですが、血液を足から上げるための心臓の負担が大きくなります。血液以外にも立っていることで疲労しやすいですから、疲れたことで仕事の質が落ちてしまってはダメでしょう。椅子に腰深くかけなくても、軽く腰をかけるだけでも疲労感は断然異なるはずです。座ってもいい、あるいは立ったり座ったりしてもいい仕事はそうした方が働く人にとってもメリットが大きいはずです。そういった「働き方改革」は論じられていません。

    主に接客業や小売業、あるいは警備業といった仕事ではずっと立っているはずです。しかし、そもそもずっと立っている必要がある仕事ばかりでしょうか?

    飲食店などで動いているような仕事や、いざという時にとっさに動く必要がある警備業などの場合は難しいかも知れませんが、スーパーのレジ打ちの仕事なんかは座っていても仕事の質に差が無いのではないでしょうか?

    仕事の質に差が無く、従業員が楽に働けるのであれば、昨今の人手不足の解消の一つの解決策として、座っても出来る仕事は座ってもいいというのもアリなのではないかと思います。立ち続けの仕事だと出来ないような、身体が少々弱いとか年齢が高いといった人達でも、立ったり座ったりしていい仕事であれば出来るということはあるはずです。働きやすい環境を整えることで就業可能人数を増やすというのは、社会全体にとって必要なことです。

    もしかすると、スタッフが座っていることに対して文句を言うような客がいるかも知れませんが、それは社会的にコンセンサスを作ること、特に政府・自治体・政治家やマスコミ、各種団体が広く協調してそのような働き方を認めるムーブメントを作り出すことが必要だと思います。

    そして何より、私たち一般の消費者がお店などでスタッフが立っていようが座っていようが何も思わないようになれば、働き方改革の一里塚になるのではないでしょうか。

  • アメリカと中国と項羽と劉邦

    2007年にアメリカ軍のキーティング司令官が中国を訪問した際に、中国高官から「ハワイを境にして太平洋を米中で分割しよう」と持ちかけられた、という話があります。まだ中国がGDPで日本を抜く前でしたが、抜くのは時間の問題であり、リーマンショック後の巨額財政出動で経済的にも世界的に大きな影響力を行使し始める時期でもありました。その後、習近平の時代になってからはあからさまに太平洋(及び内陸部のチベット・モンゴル・ウイグル)へ軍事的圧力を行使するようになりました。

    この米中による太平洋分割という目論見を見るに、古代中国の項羽と劉邦による楚漢抗争の時を想起してしまいます。

    司馬遷「史記Ⅰ 本紀」項羽本紀 p.228 ちくま学芸文庫 より抜粋

     この時、漢軍の勢いは盛んで軍糧が多かったのに、項王の兵はつかれて糧食が尽きた。漢王は陸賈をやって、項王に太公を還してほしいと言ったが、項王が聴かなかったので、さらに侯公をやって項王と談判し、「漢と約束して天下を二分し、鴻溝(河南・中牟)以西を漢の領土、鴻溝以東を楚の領地とする」ことを申し入れた。項王はこれをゆるし、漢王の父母妻子を帰したので、漢軍はみな「万歳」をとなえた。漢王は侯公を封じて平国君とした。人が「彼は天下の弁士で、行くところそこの国を傾ける」と言ったので、「傾国」と反対の「平国」君と号したのである。
     項王は漢王と約束すると、兵を率い囲みを解いて東に帰った。漢王は西に帰ろうとしたが、張良と陳平が、「漢は天下の大半を保有し、諸侯もみな漢に味方していますのに、楚は兵がつかれ糧食が尽き果てています。これは天が楚を滅ぼそうとするのです。この飢えに乗じて天下を取るのが上策と思います。いま放置して撃たないのは、いわゆる虎を養って自ら禍根をのこすものでしょう」と言ったので、漢王はその説に従った。
     漢の五年、漢王は項王を追撃して、陽夏(河南・太康)の南に行き軍を止めた。(以下、略)

    項王は項羽、漢王は劉邦、太公は劉邦の父です。

    引用部分をその前後も含めてまとめますと、項羽と劉邦は数年にわたる戦の末の和平交渉の結果、項羽は人質を劉邦に返して、当時の中国を二つに分けてお互いの領土として、一旦どちらも撤兵しようという和解を行いました。そして項羽がその和解を信じて帰ろうとしたところに、劉邦陣営は参謀の意見が通り帰路にある項羽をいわばだまし討ちの形で、和解を破って追撃した、ということになります。

    その結果、項羽は敗れ故郷に戻る途中で討ち取られます。劉邦は天下を統一し漢帝国を築き上げました。漢は前漢、後漢合わせておよそ四百年にも及ぶ帝国となり、創始者に当たる劉邦に関して、上記のだまし討ちを非難する人はまずいません。逆に降伏してもしなくても大量の虐殺を行っていた項羽の方が非難されることが多いくらいです。

    勝てば官軍ということでもあり、負けたら何もならないということでもあり、和解はいつまでも続くものではなく絶対的に信用できる敵などいない、ということでもあります。

    現在の超大国であるアメリカ合衆国と中華人民共和国とが、間にある太平洋を分割してお互いの勢力圏を定めようという提案について、中国側がどこまで本気で考えているのか不明です。ただその考えは19世紀における帝国主義そのものであり、まさにその19世紀に帝国主義によって苦しめられた清朝の恨みを晴らすような理屈でもあります。

    中国にしてみれば、太平洋の真ん中どころか中国近くにある韓国・日本・台湾がアメリカと連携している状況が、勢力関係を正確に反映していないという不満があるのかも知れません。

    もちろん、2007年当時のブッシュ政権も、その後のオバマ政権も、そして今のトランプ政権も中国と太平洋を分割して支配しようとするサインもメッセージも出していませんが、将来的にも絶対にないと断言するべきではないでしょう。

    アメリカは世界の警察官たり得ないことを公に口にしたのはオバマ時代ですが、その後のトランプもアメリカファーストというお題目を唱えて経済的かつ軍事的な影響力を世界から減らそうとしています。

    アメリカが世界に軍隊と資本を投下していたのは、自由資本主義に基づく民主主義体制を世界中に広めることが目的であり、それによってアメリカがさらに発展・繁栄するのがその先の目的でした。20世紀後半を通じてその目標は達成され、日本やドイツ(西ドイツ)やアジア各国などに製造業を奪われながらも、未だに世界一の超大国として君臨し続けています。

    しかし、冷戦崩壊後に自由でも民主主義でもないが資本主義を採用している大国が中国やロシアなど存在し、それらとの付き合いを続ければアメリカの繁栄が続くと判断すれば、アメリカが世界に軍隊を派遣する理由はほぼ無くなります。

    アメリカにとってルーツに当たるヨーロッパと、アメリカ東海岸の間の大西洋を表玄関とすると、経済的繁栄を支える西海岸と太平洋は勝手口と裏庭に当たります。超大国として表玄関と裏庭を支配し続けるパワーが無くなってきたのなら、先に削られるのは裏庭のためのパワーでしょう。5年10年は変わりはしないでしょうが、相当先の時代には分かりません。アメリカが極東やグアムから手を引き、ハワイにラインを引いた場合、日本は中国の勢力圏に否が応でも組み込まれます。

    さて、どうするか。

    日本にとって一番いいのは現状維持です。アメリカが在韓米軍を置き、日本とは日米安保を結んだまま、台湾にも影響力を持って中国に合併させない状態を続けるだけで、中国を膨張させずに済みます。

    中国と太平洋を分割したとしても、中国は楚漢抗争の時の劉邦のように裏切って太平洋全部を支配するつもりですよ、と告げ口みたいにいうのはダメですかね。

  • 何のための「バルサ化」か

    世界には大金持ちが大金をはたいて買収したサッカークラブにさらに大金を投じて有力選手を集めてさらにつまらないサッカーで勝利をもぎ取るために批判されているケースが多々見られます。

    それはそれで自由資本主義に基づいて、現行ルールに基づいて行われる限り防ぎようがないものです。ファンやメディアがどれだけ批判しても、そのクラブオーナーにとっては影響がないから無視されるだけです。

    そういうオーナーは、自分がこれまで稼いだお金を好きなサッカークラブに費やし、そのクラブが勝利を収めることで満足し、さらに世間から強豪クラブのオーナーであることを認められ尊敬される(実際に尊敬されるかどうかはともかく)ことが目的です。

    だからこそ批判されることがさらに多くなるのですが、三木谷氏とヴィッセル神戸の関係は上述のようなクラブとオーナーの関係に比べると成功しているとは言えないでしょう。

    三木谷氏はしきりに「バルサ化」ということを口にします。特に昨年夏前にイニエスタを獲得した頃から頻繁になりました。その後のリージョ監督就任、そしてシャビをオフに獲得してさらに加速しましたが、現時点でのヴィッセル神戸がFCバルセロナのようだと見る人はこの世の中に一人もいないでしょう。まさか三木谷氏にもそのようには見えていないはずです。もし見えていたら既に幸せの絶頂でしょう。

    イニエスタが「バルサのようだ」と言った直後、指揮官は神戸を去った
    https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2019/04/25/post_38/

    最近の神戸の不調、そしてリージョ監督の退任の理由として、開幕後に加入したサンペールを無理に起用していたことが多くのメディアで取り上げられていますが、そもそもの原因として、「バルサ化」にあると思います。

    上記記事にもありますが、FCバルセロナのようなトップチームを作り上げるには、1年2年では出来ないのは当たり前ですし、ジュニア年代から一貫した指導方針と指導者と強化担当、クラブの様々な施設・設備、フィロソフィーを揃えてからの話です。

    「バルサは一日にしてならず」なんて言葉遊びをするまでもなく、ヴィッセル神戸をバルサのようにするには10年20年かけないと無理でしょう。三木谷氏が経営難のヴィッセル神戸を救う形で買収してから十数年経ちましたが、その最初からバルサ化目指して大金を投じ続けていたら、今頃ようやく形が見えてくるくらいだったのではないでしょうか。

    そして、根本的な話ですが、そもそもなぜ「バルサ化」が必要なのか、という疑問があります。

    サッカーで勝つだけなら「バルサ化」も「チキタカ」も必要条件ではありません。固く守ってカウンターというのはバルサ化の明確なアンチテーゼでしょうが、それ以外にも攻撃も守備もいろいろなやり方があります。バルサは確かに面白いサッカーなのかも知れませんが、それ以外のクラブにも面白いと思えるサッカーをしているクラブはいくらでもあります。別にバルサを真似しないと面白いサッカーが出来ないわけではありません。

    もし、オーナーの三木谷氏がバルサが大好きでバルサみたいなサッカー以外は存在を認めないようなバルサ至上主義者であれば理屈が通りますが、オーナーになってからの神戸の試行錯誤を見るにそうは思えません。

    単なる流行り(すでにチキタカも流行りとは言えないでしょうけど)を追って「バルサみたいなサッカーをしたい」と思っているのなら、クラブへの投資もチーム強化も中途半端で諦めてしまうのではないでしょうか。

    Jリーグがアジアにおけるプレミアリーグのような存在になるには、DAZNみたいにリーグ全体に投資する企業だけではなく、クラブ単体にも多額の資金を投じてくれる企業が出てくる必要があります。

    Jリーグが狙う「アジアのプレミアリーグ化」の勝算
    https://diamond.jp/articles/-/183395

    三木谷氏とヴィッセル神戸については、あれほどのお金を持ち、あれほどのお金をクラブに投資するのですからもう少し結果を出してもらわないと、Jリーグに投資しようする他の金持ちが出てきてくれなくなってしまいます。札束で勝ち点を取るようなクラブは嫌われますが、お金をかけても勝てないというのは嫌われるところまですらいきません。むしろドン引きします。

    神戸のバルサ化が本当に成功するか、あるいは方針転換するのか、Jリーグの他クラブのサポーターとしても気になるところです。まさかサグラダ・ファミリアくらい時間がかかったりして・・・。

  • 次の次の紙幣の人物予想

    先日、2024年を目処に新しく採用される新紙幣の人物として、渋沢栄一と津田梅子と北里柴三郎が発表されました。

    いずれも明治時代の偉人であり、紙幣に採用されてしかるべき人だと思いますが、明治時代の人物がこれまでもずっと選ばれてきています。2040年代に出てくるであろう、次の次の紙幣のデザインではもう少し後の時代、大正や昭和の人物が選ばれるのではないでしょうか。そこで勝手に想像してみます。

    まず一人目。野口英世、北里柴三郎と理系の著名人が選ばれてきていますので、「湯川秀樹」と予想します。戦後の打ちひしがれた日本人に光を与えた、日本人初のノーベル賞受賞者として紙幣の人物としては申し分ないでしょう。

    二人目にはこれも日本人初のノーベル文学賞受賞者である「川端康成」はどうでしょうか。文学者も夏目漱石、紫式部、樋口一葉と選ばれていますので結構あり得るのではないかと思います。

    三人目としては、上記二名が男性でしたので女性が一人は選ばれるはずです。紫式部、樋口一葉、津田梅子と女性の採用も続いています。女性で大正から昭和前半くらいまでで、文学と理系を外した分野から選ぶとなると・・・前畑秀子はどうでしょうか。日本人女性として初の金メダリストです(水泳200m平泳ぎ)。スポーツ界から紙幣デザインに選ばれた人はいませんが、あってもおかしくない時代でしょう。惜しむらくはナチス体制下のベルリンオリンピックということですが・・・彼女やスポーツに罪があるわけではありません。

    抑えとして、女性文学者である与謝野晶子・平塚らいてう・金子みすゞ、あたりもありそうです。平塚らいてうであれば文学と女性参政権運動による政治分野もカバーできます。文学者の大穴としては小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)というのもアリではないでしょうか。日本に移住している人も2040年代には相当数いるでしょうから、そういった人達の先達にも当たります。

    ただ、そもそも2040年代頃になったら現物の紙幣そのものが廃止されている可能性もありそうですが、その時は電子マネーのデザインということにしてしまいましょう。

  • ポリティカルコレクトネス回避としての星新一的技法の可能性

    ハリウッド映画を作成するときに白人だけで登場人物を構成されがちだそうです。

    「白人がキャスティングで優遇されてしまうのは、リアルに起きている」日系アメリカ人の映画監督が語る、ハリウッドの裏側
    https://www.buzzfeed.com/jp/eimiyamamitsu/hollywood-shin-shimosawa

    実際にキャスティングで優遇されているという告発もありますので、昔に比べると今はまだマシなのでしょうし、未来はもっと白人優遇が減るとは思いますが、問題なのは白人を当てる必要が無い場合でも無条件的に白人が当てられてしまうからでしょう。

    逆に、映画でも小説でも、いい役に白人を当てて悪人や被害者役にマイノリティを当ててしまうとそれだけで批判されてしまうリスクがあるとも言えます。

    極端化したポリティカルコレクトネスはフィクションには有害ですが、映像として確実にどの人種かをあてないといけない映画・ドラマなどに比べると、文字だけで表現する小説なら逃げ道というか、表現技法によってポリティカルコレクトネス的な批判を受けなくて済む可能性はあります。

    具体的には、肌の色や瞳の色など本来の小説であれば緻密に書いて読み手の想像力により人物を頭の中で復元させるプロセスをすっ飛ばして表現してしまえばいいのです。

    差別回避のためというわけではありませんが、その手法を私小説的な実験ではなく大衆小説としてエンタメの中に実現したのが星新一だと思います。

    試しに、星新一全集第2巻を適当に開いたページから一節を抜粋してみます。

    「星新一ショートショート1001 ②」(新潮社) p.656より

    「やい、だれがおれを生んでくれとたのんだ」
     少年が言った。両親は悲しげな表情でそれを受けとめる。何回もくりかえされてきたことなのだが、なれることはない。
    「おい、答えられるものなら、こたえてみたらどうなんだ」
     少年がまた言った。だが、父親は首をうなだれ、困惑に沈む。母親は目的もなく、おろおろと歩きまわるばかり・・・・・・。
     その時、第三者の声がした。
    「答えてやろう。たのんだのはわたしだ・・・・・・」
     少年はそちらをむく。三人の男がいた。ひとりは事務的な表情の小柄な男。うしろについている二人は、無表情だが体格のいい男。少年は言いかえす。
    「だれだ、てめえたち。これは家庭内のことなんだ。勝手に入ってきて、よけいな口出しはしてもらいたくねえな」

    これは「少年と両親」というショートショートからの抜粋です。強気に暴力を振るい金をせびる息子に対して言うがままにさせる両親の家庭に男達がやってきてその息子を・・・・・・、という内容です。さすがにオチまで書くわけにはいきませんが、読んで分かる通り、平易な文章の中に人物そのものの描写はありません。名前すら出てきませんのでそこから人種や民族、国名を予測することも出来ません。

    もともと、日本のほとんどの小説では人物描写の中で人種的特徴を描きません。日本人が日本人を書いたものを日本人が読むので、そもそも人種的特徴を書き表す必要がありません。しかし、その物語を日本を舞台として固定していること自体がもしかするとポリティカルコレクトネスであれこれ言われるようになるかも知れません。そこまで行くと明らかに行き過ぎだと思いますが、今のポリコレ自体も人によっては行き過ぎだと思っているでしょう。どこまで主張が進んでいくかは誰にも分からないと思います。

    しかし、引用したように星新一の小説、ショートショートでは人物描写が極端に少なく、というかそもそも存在せず、人種どころか舞台が日本であることも分かりません。文化的背景や人物以外の描写で日本が舞台になっているということが分かる作品もありますが、大半はそうではありません。

    上述の作品「少年と両親」は舞台が日本でなくどこの国でも、少年・父親・母親・男達がどんな人種でも成り立つのではないでしょうか。

    かつて星新一がエッセイで、優れた小説は寓話になっていく、というようなことを書いていた気がします。

    王様の耳がロバの耳であることを知った少年は、どこの国でもどんな人種でもあらすじに影響はしません。王様の肌の色が白くても黒くても黄色くても関係ありません。ストーリーとしてのフィクションが突き詰められれば寓話になるのでしょう。それは星新一的描写技法が極小の描写で極大の効果を発揮できる究極のストーリーテリングであるとも言えるのではないでしょうか。

    将来的にポリコレが進んでいくと、あらゆるフィクションが存在し得なくなるディストピアが来るかも知れませんが、星新一はギリギリ最後まで残りうるのではないでしょうか。もちろんそんな時代は来てほしくありませんが。

  • ガンバの闇というかそもそも目に見える穴だったボランチ後釜問題

    ガンバ大阪の記事をこれまでにもたくさん書かれてきた佐藤俊氏の記事ですが、ずっとガンバを見てきたサポーターからすれば何を今さら、という話でもあります。

    ガンバ大阪が抱える「闇」。低空飛行の原因を探る
    https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2019/04/22/post_36/

    2017年のワールドカップ予選で世間的にもブレイクした井手口陽介がその年のオフにガンバからリーズに移籍したことで、ボランチの人材不足がはっきりしました。2012年に移籍してきた今野と、2001年から在籍する遠藤のコンビが問題なく機能していればガンバのチーム全体としても問題ないのですが、鉄人遠藤はともかく今野は怪我が増えてきました。案の定、クルピ新体制となった2018年のキャンプで今野が怪我をして、その後もなかなかコンディションが上がらず、その結果クルピ監督の下で残留争いが続きました。

    結局、今野は手術を決断しロシアW杯を挟んで長期離脱します。その間のガンバは本当にチーム状態が悪く、天皇杯では学生に負け、ルヴァン杯も敗れ、リーグ戦でも一時最下位にもなりました。今野復帰後には9連勝であっさり中位フィニッシュに持ち込みましたが、結局のところ昨シーズンを通じて今野もしくは遠藤不在時のボランチ不足が露呈しただけとなりました。

    そもそも井手口は2016年後半からガンバでも出場機会が増え、2017年には立派なレギュラーとなり途中からは守備も攻撃も井手口から始まるような状態になっていましたので、その井手口が抜けたらチームに大穴が空くことは目に見えていました。高江麗央や高宇洋を試しましたが当然ながらすぐに上手く行くわけもありません。井手口ですら2014年や2015年あたりはJ1では全然でした。結局は遠藤今野コンビに頼って残留を決めた形になりました。

    そして2019年シーズン。やはり今年もボランチの獲得はなく(正確には矢島の出戻りがありましたが今野の後釜と見なす人はいないでしょう)、高宇洋がそれなりの成長を見せましたが、また結局遠藤今野の二人がスタメンに戻りました。

    ガンバフロントの言い訳を代弁すれば、井手口クラスのボランチなんかそうそう育つわけがないから、ということになるのかも知れませんが、じゃあ井手口の移籍で得たお金で他クラブからボランチを取ってこいよ、という話になります。別に日本人選手でなく外国人選手でもいいはずです。守備が出来るボランチ、ということであれば、ガンバから東京Vに行った内田が理想でもあったのでしょうが、戻りそうもないですかね。ロティーナがセレッソに連れてこなかっただけでもガンバサポとしてはマシかも知れません。

    高卒選手、アカデミー上がりの選手の中から今野や遠藤の後釜を見つけるのは至難の業でしょう。井手口のようにプロ契約後数年で代表レギュラーになるほどの選手でなくても、ガンバのレギュラーとしてやれる選手を他クラブから獲得しなければ数年後には2012年以上の悲劇が待っているかも知れません。そうなる前に手を打って欲しいのですが・・・。

  • 寄付と見返り

    フランスのノートルダム大聖堂の火事に対して、フランスだけでなく世界中の人々、特に大富豪と呼ばれる人達からの寄付の声が挙がっています。

    寄付による免税目当てという批判もありますが、フランスの貧しい人達への寄付は行わずにノートルダム大聖堂には多額の寄付をするのか、という批判もあります。

    フランス国内の富豪がその財産をフランスの貧しい人達に寄付するのかノートルダム大聖堂に寄付するのか、というのはフランス内部問題でしょうし、フランス人以外の人間があれこれいうのは不適当だとは思いますが、フランス以外に住む、フランスに特にルーツもない大富豪が寄付を申し出ているのであれば、ノートルダム大聖堂以外にも嘆くべき悲劇は存在しているのではないか、という思いが、以下の記事を書いた人にあるかも知れません。

    大火災に見舞われたブラジル国立博物館、ノートルダムに倣って寄付願う
    https://www.afpbb.com/articles/-/3221762

    ブラジルでは寄付金控除がないから、という指摘もありますが、本当に悲劇だと思っているのであれば、フランスのように多額の免税が可能な国であろうと、ブラジルのように免税がない国であろうと、寄付されてしかるべきだとは思います。

    そうはいってもそもそも金持ちというのは隙あらば金儲けをして無駄な金を使わない習慣があるからこそ金持ちになったのですから、そうそう簡単に寄付なんてしないでしょう。だからこそ、多額の免税特権があるフランスでの寄付が多く申し出てられているはずです。

    これは難しい問題です。免税を減らす、あるいは無くしてしまえば社会的不公平感は減るでしょうけれど、寄付そのものが減ります。もちろん寄付金控除を大きく認めれば寄付は増える代わりに税収が減り、スーパーリッチが財産を保持したまま名誉や名声を簡単に得てしまう社会になり、不公平感は広がるでしょう。今のフランスのようにデモが長期化し、社会そのものが不安定化します。

    日本でもふるさと納税に代表されるような、寄付に対する控除はありますが限定的です。それが原因で寄付が少ないのだ、という批判をたまに目にしますが、じゃあ実際にそういう制度を作ったら作ったで、今のフランスのような批判が出てくるでしょう。

    私が個人的に寄付金控除の仕組みを利用したのは、ガンバ大阪の新スタジアム建設のために設立された「スタジアム建設募金団体」にちょうど7年前に寄付した時でした。

    『みんな』でつくる日本初のスタジアム
    http://www2.suitacityfootballstadium.jp/c/stadium/build_stadium.html

    今はパナソニックスタジアム吹田という名前で利用されているこのスタジアムの建設の経緯については、ウィキペディアとか読んでもらえれば分かると思いますが、ガンバサポーターとしては寄付金控除があろうとなかろうと寄付していたと思います。

    寄付による控除よりも、5万円以上寄付した人の名前がスタジアム内のネームプレートに刻まれてずっと残っていることの方が遙かに大事です。というか比べものにならないです。寄付受付が始まった日の朝にFAXで申込をしたので、自分の名前がかなり前の方に表示されているのはかなり嬉しいものがあります。この気持ちはずっとこの後も、それこそ今のスタジアムが使用されなくなるまで続くものでしょうし、同じような気持ちを抱いているサポーターも多くいることと思います。

    ノートルダム大聖堂にしろ、ブラジル国立博物館にしろ、寄付の本質とは何か、ということを世界各地の大富豪が謙虚に認識してくれていれば、フランスでの富豪批判もブラジルでの寄付の少なさへの嘆きも本来起こりえないものでしょう。何のために寄付をするのか、寄付してくれた見返りを求めるのは当然かも知れませんが、お金を寄付してその見返りに免税の形でお金をもらうのは寄付の本質から外れているのではないでしょうか。

  • 曖昧になる境界線(職場におけるオンとオフについて)

    私が働いている職場には若い世代、いわゆるミレニアル世代の若いアルバイトの従業員も何名かいます。
    良い悪いというつもりはないですが、私が受ける感覚的に、公私のオンオフが厳密に分かれていないような気がします。

    特にそれで問題を起こす、というわけではないのでいいのですが、この辺は結構、昭和生まれの人間からすると違和感っぽいものがないわけではありません。

    うまく言葉に出来ないですが、オンとオフが分かれているのではなく、境界線が曖昧になって重なり合っているような感じです。

    昔はオンとオフをはっきり分けることが社会的にも求められていて、家庭に仕事を持ち込むと軋轢の種になりましたが、今の時代では携帯電話やSNSにより、プライベートな時間に仕事の情報を見ることが多くなりました。

    いわばプライベートがパブリックに侵食されているとも言えるでしょう。その代わりに、パブリックもプライベートに侵食されるようになっているのかも知れません。

    仕事の際に男性の服装としてはワイシャツ・スーツ・ネクタイというのは当たり前でしたが、今では結構崩れています。もちろんきっちり上記3点セットをしている人も多数いますが、昔はそれこそほぼ間違いなくサラリーマン全員がそういう格好をしていました。しかし今では、チノパンやセーター、TシャツとGパン、スニーカーやサンダルで普通にオフィス街で働いている人も結構見かけます。

    服装についてはITベンチャー系の企業が比較的緩めということもあるのでしょうけれど、クールビズもその一つの原因だと思います。

    クールビズについては、2000年代に政府主導で推奨され、2011年の東日本大震災の後の電力不足による節電対策としてさらに普及しました。ネクタイを締めず、ラフな格好で涼しく過ごすことが目的でしたが、夏だけではなく冬場もワイシャツ・スーツ・ネクタイという3点セットにこだわらない習慣が結構確立してきているのではないでしょうか。

    この辺りはまさに、プライベートな服装でパブリックな仕事を行ってもいい時代になったと言えると思います。

    それ以外にもフレックスタイムやテレワークなど、プライベートがパブリックに影響を与える傾向にあります。

    若い世代だけではなく、プライベートとパブリックが重なり合っている時代になっているのでしょう。

    その一方で、いわゆる飲みニケーションといった、終業後の会社の人との付き合いは昔に比べると減っています。人間関係はオンオフがはっきりしている代わりに、自分の行動はオンオフが曖昧になっているということになります。

    昭和の時代は、飲み会や慰安旅行など職場での人間関係が濃厚でオンとオフが曖昧でしたが、いざ自宅に帰ったり休日にはオンとオフははっきり分かれていました。
    平成の時代(特にその後半)は逆に、職場の人間関係はオンとオフがはっきり分かれている一方で、業務に関しては休日でもメールやSNSでつながる可能性がありますし働き方もプライベートが混ざっているような状態になりつつあるようです。

    さて、令和の時代には、パブリックとプライベートの関係はどのようになっていくのでしょうか?

    職場の人間関係については、AIや自律ロボットが普及することで人間同士のつながりは疎になる場合と密接になる場合の二極化するのではないかと思います。

    一人の人間が大量のAI・ロボットを管理出来るようになりほぼ人と人との直接のコミュニケーションはなくなる一方で、人間でしか出来ない仕事・サービス等に関わる職場ではコミュニケーションが濃密になると思います。ただし、そのコミュニケーションは面と向かっての会話だけではなく、ネットを通じてのものもあるでしょうから、やはり働き方としてはオンオフが曖昧になってくると思います。
    昭和から平成にかけて迎えた変化がさらに極端化していくのが令和の時代における働き方、オンとオフの関係になるのではないかと推測していますが、令和の時代の終わりには想像もつかないような状態になっているかも。怖いようでちょっとは楽しみですね。

  • noteに毎日投稿するようになって

    #noteでよかったこと
    に入るのかどうか分かりませんが、個人的にnoteに書くようになって得られた効果を最近実感しています。

    というのは、noteに毎日投稿するようになって、自分の頭の中が整理されたような気がします。

    歩いているとき、電車に乗っているとき、ぼーっとしているとき、本を読んでいるとき等々、色々と物事を考えていることが多く、その中の一部をnoteに書いていますが、その考えている内容に関して、分野別にするとその分野のそれぞれの量がちょっと意外でした。

    意外と経済や環境問題が多く、昔から好きだった歴史関係が少ないようです。

    もちろん、考えていること全てがnoteの投稿に反映されているわけではありません。

    投稿に向かないようなことも(反社会的とか言う意味ではないですよ)ありますし、実際に投稿できるほど形がまとまっている考えではないものも多いです。

    しかし、そもそもこのnoteには、私が興味がないことをいやいや書いているわけではないので、各分野の投稿量が頭の中をある意味表しているのだと思います。

    これまでのノート一覧(基本的に常に最新版です)
    https://note.mu/hrsgmb/n/nb5dbc79e0e9a

    上記のnoteにはこれまで自分が投稿したものを一つにまとめていますが、まだタイトルと投稿時間しか書いていないので、いずれは一行くらいの概略も書こうかな、と思いつつ・・・どんどん時間が経っていき増えていくのでむしろそれでなおさら書く気が出てこないという悪循環になっているので、いつになるかなあ・・・。

    それはともかく、自分の頭の中をnoteに投稿することで少しは理解出来るようになった気がします。日記を今まで書いたことがなかったので、日記的な効果もあるのかも知れませんね。

    これからも毎日の投稿を続けていきたいと思います。とりあえず目標は半年かな。あと3ヶ月くらいは少なくとも。

  • 事前に電話番号が登録されている携帯電話ってナシですかね。

    何で間違い電話って無くならないんでしょうね。

    職場には通常の番号とフリーダイヤルの電話番号もありますが、間違い電話が多くかかってくるのはフリーダイヤルの方が圧倒的に多いです。間違えてかけてくる人は通販や保険と思ってかけてきますが、電話を取ったときにこちらも名乗っているのですが普通に間違いに気付かずに話し始めてくるのがほとんどです。自分が間違っているとは思ってもいないからでしょうけれど。

    今の時代、携帯電話からかけるケースがほとんどのはずですが、知人・友人の場合はもともと登録されているでしょうから間違いようはありません。初めてかける番号をプッシュするときに押し間違いがあるのでしょうけれど、昔に比べて間違い電話の発生確率って減っているんでしょうか?

    黒電話、プッシュホン、液晶表示あり、ピッチ、携帯、スマホと進化して来ましたが、この辺の具体的なデータって誰か持っているんでしょうかね。

    LINEやSkypeのようなチャットツールでも間違って送ってしまうのですから、いつまで経っても無くならないのかも知れません。

    もういっそのこと、電話帳データ自体を携帯電話端末に全部載っけちゃえばいいんじゃないでしょうか。そうすれば、かけた瞬間にどこにかけているか表示されますから間違いにも気付きやすいでしょうし。フリーダイヤルなんかは間違えてかけられると、かけられた方がお金の無駄になります。その無駄がなくなるのであれば、例えば、デフォルトでフリーダイヤルが大量にプリセットされている携帯をキャリアが発売して、その代わり電話番号事前登録広告料として端末価格が割引になり、その割引費用はフリーダイヤルを載せてもらう企業が負担する、っていうのはどうでしょうかね?

    携帯端末1台あたりに10万件のフリーダイヤルが事前搭載されていて、電話番号1つあたり0.1円としたら1万円の割引。企業側も、1台毎に0.1円払うとして10万台に載せてもらって広告費用10万円。

    企業側が割に合わないかな。この辺は調整次第かも知れませんが、フリーダイヤルの企業側、携帯を安く買いたい消費者、間違い電話に帯域を取られなくなるキャリア、の三者がいずれも得をするのであれば成り立たないわけではないビジネスモデルだと思うんですが、どこか試してくれませんかね。

  • ネット回線のセーフティネットとしての電力線通信というのはアリなのでは?

    PLCというのは以下の記事中にもありますが、既存の家庭用コンセントを通じて電力線をネット回線として使うための機器です。無線LANの電波が届きづらい、あるいは使えない場所でなおかつ有線LANのケーブルを這わせるのも難しいような場合に利用されます。が、そもそもそんな場面自体が少ないために実用化された後もあまり普及はしていません。

    パナソニックがコンセントに差すだけのネット接続家電
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190406-00010000-newswitch-ind

    PLCによって、コンセントから電源を取る家電も全て簡単にインターネットにつなげられるようになる、という内容です。

    PLCについては以前、個人的に使用したことがあります。その頃はまだ無線LANの普及していた規格が、11bや11gあたりの頃でしたので通信速度が速くなく、PLCでも結構使える、という印象がありました。

    その後、無線LANがどんどん高速化していき、最近ではメッシュ対応のルーター・アクセスポイントも増えてきたので、ネットにつなぐのはまず無線LAN、という時代になりつつあります。そうでなくても、最近の新しい家・マンションでは各部屋に家の玄関やリビングからLAN配線を壁や屋根伝いに最初から作り込んでありますので、PLCがネット利用時の通信手段として第一選択肢になることはもう無いでしょう。

    しかし、あくまで第一選択肢としての利用が無いだけであって、もしものときの備え、としては逆に非常の有利なのではないかと思います。

    有線LANはスピードと安定感はありますが手軽さでは無線LANに勝てません。その一方で無線LANは高速化していき、かつ5G時代になれば無線LANもなくてもいいようになるでしょうけれど、電力を供給するコンセント・電力線が無くなることは考えるのが難しいはずです。超小型の太陽光発電装置か、ドラえもん内部にあるような核融合発電装置が、ノートパソコンやスマートフォンに搭載されることにより使う側から充電されるようにならないかぎり、IT機器への電力供給は必須です。最近では無接点充電を数メートル離れてても出来る技術がありますが、それでも部屋の中にコンセントがあるのは数十年後も変わらないでしょう。

    有線LANが無線LANと5G(あるいはその先の6G)に取って代わられるのはおそらく間違いないでしょう。IT機器がどんどん小型化していく中で、有線LANポートは間違いなく邪魔になります。無線LANやモバイル回線のモジュールの方が、LANポートよりもサイズ的にも小さくなっていくことでしょう。そうなると、無線接続がメインになり、各家庭にも有線LANの配線が無くなり、ルーターも有線LANポートがほぼ無くなるはずです。機器から出ている物理的なケーブルは電源ケーブルのみになるでしょう。

    しかし、そのような状態になったときに、無線LANやモバイル回線の不具合、接続障害が起きてしまうと大変なことになります。ネット接続前提のPC・モバイル機器がネットにつなげなくなると無用の長物となります。YouTubeが見れなくなる程度であれば大した話ではないでしょうけど、そのような時代になっていれば、生活を営む上で必要な情報のやり取りや生命に関わるような問題が発生するかもしれません。

    そうなったときのために、電源ケーブルと通してネット接続出来るPLCは通信におけるセーフティネットになるかもしれません。

    PLC通信が第一選択肢でなくても、第一選択肢の通信経路が途絶えたときに通信できる第二選択肢という道は、PLCにとって生き残る道であり、PLCにしか出来ないものだと思います。