カテゴリー: スポーツ

  • 2026年4月29日J1百年構想リーグ第13節京都サンガ対ガンバ大阪DAZN観戦の感想

    連戦が続くJリーグの中でも、ACL2準決勝2試合と、決勝進出のための日程変更により、最も過密スケジュールで試合をこなしているガンバ大阪は、今日はアウェイでの京都サンガ戦です。

    ガンバのスタメンは前節、試合中に負傷交代したジェバリ、ウェルトン、安部を欠く布陣。怪我の深刻度が気になりますが、たっぷり休んでACL2決勝に備えてほしいところです。代わりに入ったのが宇佐美、奥抜、美藤の3名で、左SBも初瀬ではなく中野が入りました。18歳のGK荒木は3試合連続のスタメンです。宇佐美は開幕節以来のスタメン復帰です。

    1分、ファーストシュートはガンバのヒュメットでした。

    その後は前回対戦同様ほどにはガンバがボールをキープする時間は多くはありません。8分には右サイドを攻略されてゴール前でのピンチもありましたが、なんとかしのげました。

    京都が前回の反省を活かしているということもありますがガンバも攻守のキーマンである安部とジェバリを欠いているのも京都ペースな理由ですね。

    15分、山下のクロスから宇佐美が左足でダイレクトボレーを放つも枠の左にそれました。

    17分の京都の速攻からペドロにシュートされるも荒木がセーブ。

    その後もどちらかと言うと京都の方がやりたいサッカーを出来ているような展開が続きますが、両チームともゴールは生まれず前半終了。

    ガンバは本来のサッカーができなかったですが、ロングボールや相手DFの裏を突いた時にチャンスになっていたので、一方的に押し込まれていた感じは意外と無かったですね。

    後半は両チームともに交代無しで開始。

    後半も前半と同様に京都がセカンドボールも拾えて、連続して攻撃を仕掛ける展開に。ガンバは守りながらカウンターやロングボールで活路を見出せるか。

    前半に比べると少しオープンな展開にもなっているので、ガンバにもチャンスが出てきます。60分のカウンターではヒュメットのシュートはDFがブロック。

    61分に京都がついにラファエル・エリアスを入れてきました。

    69分、宇佐美と奥抜が下がり、食野と南野が入りました。南野が1トップでヒュメットがトップ下、食野が左ウイングですね。

    その後も一進一退の攻防が続き、時間がタイムアップに近づいていきます。

    85分、エリアスの強引な突破からのシュートはGK荒木が正面でキャッチ。

    89分、フリーにしすぎた京都の新井が強烈なミドルシュートをガンバゴールに決めて痛恨の失点を喫してしまいます。あまりにバイタルエリアで時間を与えすぎてしまいました。

    94分、鈴木のFKからゴール前に入れたボールを、京都GK太田がこぼしてしまい、南野がこぼれ球を決めてガンバが起死回生の同点ゴールをゲットしました。VARで岸本がGKと交錯したファウルを取られるかと思いましたが、助かりました。多分、岸本が相手選手にシャツを引っ張られたからGKとぶつかったとみなされたのでしょう。

    その後の京都の猛攻をしのぎ、タイムアップ。ガンバにとっては2試合続けてのPK戦になりました。

    PK戦では、京都の2人目を荒木がブロックしたものの、ガンバも3人目の中谷が失敗、6人目の山下も止められてしまい、万事休すかと思いきや、京都6人目を荒木がブロック。まだ続きます。

    しかし、ガンバの7人目も止められ、京都7人目が決めて試合終了。ガンバは勝点1に留まりました。

    とりあえず、ガンバとしては負けたのは残念ですが、怪我人が増えなかったのは良かったでうs。それくらい厳しい選手事情ですので。

    PK戦での失敗どうのこうのよりも、問題なのは安部不在だと攻守の切り替えや中盤での支配率に影響が出てしまうことと、ジェバリ不在だと前線でのタメが作れずに攻撃に厚みがでないことですね。これは構造的な問題でもありますが少なくとも選手を入れ替えても同じことは出来ません。

    その2つの問題を解決するには、鈴木徳真をトップ下(インサイドハーフ)に入れて、ダブルボランチを美藤と倉田にすることでしょうか。これで安部とジェバリの不在の解決の一つの方法にはなるとは思いますが・・・試してくれるかどうか。

    とりあえず、次は5月2日の神戸戦ですね。ここで90分以内に勝てなかったら優勝はまず間違いなくありません。まあ、百年構想リーグの優勝よりも、ACL2優勝のほうが重要度が高いので、とにかく次の神戸戦も怪我人が出ないことが最重要ですけれどね。

  • 自宅でのコンテンツ視聴のマルチアングル配信の可能性

     20世紀においては、映像を見る行為というのは、映画館に行って映画を見るか自宅でテレビ(VHS・DVD含む)を見るかどちらかしか無かったわけですが、今の時代は違います。パソコン・スマホ・タブレットで映像コンテンツを簡単にかつ格安で見ることが出来ます。フィルム→電波→ネット回線とコンテンツ提供経路が変遷してきたとも言えます。

     ネット回線経由で見る場合のメリットとして今後は、同じコンテンツでもどのような形で見るか、ということを選べる(マルチアングル化)ようになるのではないかと思います。自分が見たいカメラ位置の映像のみストリーミングするならネット回線にかかる負荷や帯域利用は変わらないですが、放送波の場合では、カメラ位置すべてのデータをいっぺんに送出する必要がありますから、この辺は明らかにネット回線に優位性があります。

     すでにDAZNがマルチアングル中継をサッカーでもやりましたし、昨年のロシアワールドカップではNHKがネット配信で行いました。
     
     もっと進んだ形を想像すると、一つのコンテンツを例えば基本料金あるいは無料ではみんな同じカメラアングルからの映像を見ることが出来て、金額によって見る角度が異なることも出来るようになると面白いと思います。

     例えば、野球の場合、無料ならバックスクリーン方向からのみの映像、少しお金を払えばバックネット裏からも見られる、もっと払えば左右スタンドからも可能、たくさん払えばピッチャー目線やバッター目線で見られるとか。サッカーでしたら俯瞰的に見たい人もいれば、ゴール裏の熱狂を感じたい人もいるでしょう。

     そもそも、スポーツ観戦だけではないですよね。歌手のライブ映像も無料では遠いところから、お金を払ったらアリーナ席からの映像を見られる、といった区別も出来ます。

     現行のテレビ番組でいうと、ニュース番組やバラエティ番組ではあまり需要はないでしょう。ドラマではむしろ作り手側がこの場面はこの角度で見てほしいという思いがあるでしょうからマルチアングルは適していないきがします。ライブ同様、歌番組ならアリかも知れませんね。ただ、上述のように放送波には向いていない仕組みですから、放送波は標準の内容で、ネット配信はマルチアングル、というのなら可能ですね。放送法の点で可能なのかどうか分かりませんが。

     さらに、このマルチアングル中継にVR技術が重なると、まさに目の前にスタジアムが、ライブ会場があるように体験できます。そうなると放送波ではお手上げですね。ネット配信+VRカメラに軍配が上がります。リッチなコンテンツはネット配信で、リッチではないコンテンツは放送波で、という棲み分けになるのかも知れません。

     モノ消費からコト消費へ、とか言われていますが、コト消費の中身も消費者による厳しい選別が行われて、どんどん変わっていく時代が来るのではないでしょうか。

  • アンタッチャブルな介入が呼ぶ弊害

    ※特定の組織・団体・チームを批判する内容ではありません※

     チームスポーツにおける選手選考は監督の専権事項であるはずです。しかし、ちょくちょく監督以外の立場の人によって選手起用に対する口出しがあります。

     監督以外の人間が監督の頭越しに、あるいは監督に命令として選手起用や戦術を無理強いしてしまうと、大きな問題が起きてしまいます。

    監督にしてみれば、
    ・自分が選ばない選手や戦術を使ったのだから負けても仕方が無い。

    他の選手にしてみれば、
    ・本来起用されない選手や戦術でゲームを戦うのだから負けても仕方が無い。

    そして、無理矢理選んでもらった、本来起用されない選手にしても、
    ・自分の実力が足りないのは分かっているが、監督や他の選手のサポートが得られないのだから負けても仕方が無い。

    という三者三様の最悪な責任転嫁が発生します。もちろんその原因はその三者ではなく、無理な選手起用を要求したアンタッチャブルな存在です。得てして、そういう不可侵な人ほど、自分の思い通りにいかないことに納得がいかず、さらに介入して悪影響を及ぼし結果がどんどん悪くなる、という悪循環を招くことは容易に想像できるでしょう。

     ただ、こういうアンタッチャブルな立場の人は、それなりに自分の理想があってその理想を実現するためには手段を選ばず、そしてお金も費やすことも多々ありますから、チーム成績がどうしようもなくなるほど悪くはなりません。かといって良い結果にも結びつきませんから、良くも悪くも中途半端な成績になります。壊滅的な成績になれば、いろいろと批判も立つし、悪しき介入自体にも目が向けられるかも知れませんから、かえってチームがまとまる可能性がありますが、中途半端な状態が続いたらずっと介入は続くでしょう。残念ながら、アンタッチャブルな存在自体がいなくならない限り、多分ずっとそのままです。

     さらに大きな問題としては、そういったアンタッチャブルな存在がいなくなったら、そもそもそのチーム自体の存続が危ぶまれるようなことになりがちなことです。だからこそ、でかい口を叩いて介入できるというわけですが。

     そういったチームがスムーズに健全化したケースってあるんでしょうか。いったん潰れかかってほとんど別組織として生まれ変わらない限りは無理なんじゃないですかね。

     最後に、大事なことなのでもう一度書きます。

    ※特定の組織・団体・チームを批判する内容ではありません※

  • 「日本的な」サッカーとは何か

     先日のアジアカップラウンド16でのサウジアラビア戦における日本代表の戦い方については、絶賛する人はまあいないでしょう。消極的に評価する人がいる一方で、非難する向きも結構あるようです。

    「新しいファンを獲得するスタイルでない」 英記者が森保Jの“非日本的”戦術を疑問視

     今大会のサウジアラビアはボール保持率が高い一方で攻めきれない弱点があり、かつ高さが無いためセットプレーに難があるという特徴がありました。森保監督はまさにその相手の長所と短所を見極めた上での戦い方を選択して、特に後半は早い段階で明確に守り勝つコンセプトをチームに指示したように思えます。個人的にはこれはこれでアリだと思いますし、そもそもアジアカップは理想の戦い方を実験する場所では無いと思っています。ただ、毎試合このサッカーだと選手の疲労度が半端ないですし、そもそも韓国・イランあたりには通用しないと思います。

     対するサウジアラビアは一時期の低迷を脱したかのようで、17年のW杯最終予選では、日本にとっては消化試合ながらホームで完勝して出場権を獲得しました。本大会でも94年大会以来の勝利を収めています。その時の監督を変えずにこのアジアカップに臨んでいますので、この大会に賭けていることは間違いないです。

     一方、日本はW杯後に西野監督から森保監督に交代して、A代表はこれまでテストマッチのみですので、監督・チームとしての成熟度はサウジに一日の長があります。そもそも過去のアジアサッカーの歴史から言って、サウジアラビアは日本から見て格下の存在でもありません。

     試合展開としては、前半最初は攻められるもののしのいだところであっさりとCKから先制できたので、日本としては別に無理をして攻撃的なサッカーを展開する必要が無くなりました。0-0のままだったり、あるいは失点するなりすればまた違ったでしょうけど、試合中にスタイルを変更する必要が無かったので守り続けた、という感じに思えます。もちろん、カウンターで追加点を取れれば良かったのですが、たらればの話しをし始めたらサウジの方が後悔は深いでしょう。

     アジアカップでのサウジアラビア戦では、2000年レバノン大会決勝でも望月のゴールで1-0で勝ったときも攻められっぱなしでした。あるいは1996年アトランタ五輪アジア最終予選準決勝でも2-1で勝ちましたがものすごい攻勢をしのぎきりました。

     「中東のチームとの対戦」イコール「日本が攻めて相手がカウンター」という図式を頭から外して観戦するべきだと思います。そもそもイランやイラクは伝統的に守備より攻撃のチームですし。

     最初の問題に戻りますが、そもそも「日本的な」サッカーというのはどんなサッカーでしょうか。ショートパスをつないでドリブルも織り交ぜてポゼッション率が高くシュートもガンガン放ち得点を取りまくり、かといって重厚な守備によって軽率な失点をしないようなサッカーでしょうか。それは理想であって目標では無いような気がします。ポゼッション率が高いサッカーが本当に日本的なのか。攻撃重視のサッカーが日本的なのか。

     南アW杯での岡田監督による大会直前での方針変更でのサッカーは日本的ではなかったのか。ロシアW杯での大会直前での監督交代による西野監督のサッカーは日本的だったのか。何が日本的なサッカーなのか、選手・指導者・ファン・その他関係者の間でコンセンサスがあるのでしょうか。そのコンセンサスがあったとして、そのサッカーは本当に日本に向いているのでしょうか。チーム一丸となって長い時間我慢強く「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」のは日本的ではないのでしょうか。あるいは守りを捨てて「特攻」するのが日本的なのでしょうか。どちらも極端な話になってしまいますが、果たして本当に「日本的な」サッカーとは何でしょうか。

     日本サッカーのバルサ化を唱える人は山ほどいます。日本サッカーのメキシコ代表化を主張する人も根強いです。どちらも身長が高くないのに確立してあるサッカーに憧れているのだと思いますが、日本人とスペイン人、日本人とメキシコ人の間の共通点ってむしろ身長が高くないことぐらいなんじゃないでしょうか。テクニックや筋肉の質やスピードやメンタルやいろいろな面が違っているのなら、バルサ化もメキシコ代表化も無理でしょう。

     イビチャ・オシムが「日本サッカーの日本化」を唱えて日本代表監督になってから12年以上経ちますが、本当に日本化されてきているのでしょうか。未だに、各自が自分の好みのサッカーを主張しているだけのような気がしてなりません。

  • アジアカップとその後のW杯の成績との関係性

     UAEで開催されているサッカーアジアカップで、森保監督率いる日本代表は無事、グループリーグを3連勝で突破しました。オフト監督の時代からずっとアジアカップのグループリーグは負け無しらしいので、この結果は当然のものとは言えますが、結果も内容も結構批判されていますね。個人的にはアジアカップで簡単に勝てると思う方がアジアを舐めているのではないかという気がしないでも無いですが。

     さてそんな大会中に水を差すような話しかも知れませんが、そもそも日本代表がアジアカップで優勝した後(2年後もしくは3年後)のW杯では成績が良くない、ということはあまりメディアには出ないですね。例外はトルシエ監督の時のみです。

     具体的に言うと、
    92年(オフト)アジアカップ優勝→93年(オフト)W杯予選敗退
    96年(加茂)アジアカップベスト8→98年(岡田)W杯初出場
    00年(トルシエ)アジアカップ優勝→02年(トルシエ)W杯ベスト16
    04年(ジーコ)アジアカップ優勝→06年(ジーコ)W杯GL敗退
    07年(オシム)アジアカップ4位→10年(岡田)W杯ベスト16
    11年(ザッケローニ)アジアカップ優勝→14年(ザッケローニ)W杯GL敗退
    15年(アギーレ)アジアカップベスト8→18年(西野)W杯ベスト16
     という結果になっています。ここから分かる点は2つ、アジアカップ優勝後のW杯では良くない結果になっているのと、アジアカップで優勝できなかった後に監督が交代後、W杯では好成績を収めている、ということです。

     細かく見ていきましょう。

     オフト監督の時はあの「ドーハの悲劇」にてW杯初出場の夢が絶たれました。
     加茂監督の時は準々決勝でミラン・マチャラ率いるクウェートのカウンター・ロングボール戦術に惨敗しましたが、W杯予選中の監督交代後に岡田監督の下でW杯初出場を果たしました。
     トルシエ監督の時が例外になるのですが、アジアカップでは優勝(内容も伴っていました)し、自国開催のW杯では初のベスト16入りとなりました。
     ジーコ監督の時は大アウェーの雰囲気の中で優勝しましたが、続くドイツW杯では初戦のショッキングな逆転負けもありGL敗退でした。
     オシム監督の時から開催年の間隔が変わりましたが、三位決定戦でも負けて4位に終わりました。その後、病気のために監督交代となり、後を受けた岡田監督の下でベスト16に進みました。
     ザッケローニ監督の時には決勝Tは接戦続きでしたら優勝したものの、やはりW杯ではGL敗退でした。
     アギーレ監督はアジアカップベスト8に終わり、96年以来の低成績でした。八百長疑惑もあり解任となった後、ハリルホジッチ監督になりましたが直前で西野監督に代わり、W杯では三度ベスト16入りとなりました。

     アジアカップで優勝できなかった後、監督が替わった理由は三者三様(加茂→成績不振、オシム→病気、アギーレ→八百長疑惑)でしたが、その後に良い結果が待っているというのは皮肉と言っていいでしょう。
     そして、アジアカップで優勝すると、当然ながらW杯も期待されます。過去最強の日本代表ではないか、とも言われましたが、ジーコ・ザッケローニともに失敗しました。

     アジアカップは日本代表として重要な公式戦です。W杯ほどではありませんが、4年ごとの大きな目標でもあります。しかしアジアカップの成績がW杯の成績と比例していない、という大いなる皮肉あるいは矛盾に潜む理由や原因を、もうちょっと取り上げてもいいんじゃないでしょうかね。

  • 横綱の出処進退について

     横綱稀勢の里が引退というニュースが出てきましたが、横綱審議委員会って何してたんでしょうね。「横綱にふさわしい成績を残したから」という理由で横綱に昇進させたのなら、「横綱にふさわしくない成績を残したから」という理由で横綱を辞めさせなきゃいけないと思うんですが。

     そもそもの横綱昇進時の成績が微妙というか、二場所連続優勝ではなかったですから優勝に準ずる成績という解釈の仕方によって左右される部分が微妙なままでの昇進だったことも問題ではないかと思います。昇進直後の場所で優勝したんだからいいじゃないか、という意見も当然あるでしょうけど、その後がその後なのでね。

     かつて、マラソンでオリンピック出場選手を選ぶときに日本陸連と選手の間で揉めたこともありましたが、具体的な数字を条件でかっちりと前もって提示しておかないと問題が起きるのは当たり前だと思うんですが。

     横綱には勝ち星や優勝という結果だけではなく、内容も必要だというのは確かにそうなんだと思います。心技体全てが充実していないと駄目だというのも分かります。事件を起こした双羽黒や相撲を休んでモンゴルでサッカーしてた朝青龍を否定するのもしょうがないでしょう。ただ、一番肝心な相撲で勝てない、横綱と前頭の一戦で横綱が応援される、金星を与えても波乱と言われない、という状況で横審が横綱を議論しないというのは何だかなあと思います。誰だったか、「横綱は嫌われるくらい強くなければならない」という言葉を聞いたことがありますが、まさしくその通りだと思います。少なくとも「お願い、勝って!」と応援される横綱は横綱らしくないのではないでしょうか。

     横審にしてみれば、久々の日本人横綱で期待するファンも多い稀勢の里を横審が無理矢理辞めさせた、という汚名は負いたくないのかも知れませんが、横綱に必要な条件以外の理由で横綱にいさせ続けるという歪みは、必ずどこかで問題として出てくると思います。そもそも日本人と外国人とで横綱昇進条件が異なればこの時代では大問題になるはずですが。そう言えば小錦も人種差別だと言っていましたね。曖昧な昇進条件が残っている限り、実際とは関係無く、日本人に甘く外国人に厳しいという見方をされてしまう危険性があります。相撲がスポーツなのか宗教行事なのかというのも曖昧なところですが、せめて数字で判断できる部分はかっちり数字のみで判断するようにしてしまった方がいいんじゃないでしょうか。昇進基準も横綱を辞めてもらう基準もこのままだったらまたそのうち同じ問題が起きると思います。

     稀勢の里自身を批判するつもりはないですし、単純に被害者とまでもいうつもりもないですが、その周りにたくさん、いろいろな肩書きで相撲協会に関わっている人達は何もしないんですかね。昇進させるときは恩着せがましく、辞めるときは本人の意思で、というのも一種の無責任だと思いますがどうなんでしょうか。大相撲はそういうもんだと言われたらそうですかと言うしかないですが。