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  • 余剰労働力というセーフティネット

    日本の労働における生産性が先進国の中で非常に低いことがしばしばメディアに取り上げられます。

    ハンコ文化やFAX利用、根回しや会議の多さといったアナログ的な理由に加えて、せっかくITを導入してもExcel方眼紙や印刷が必要といったことから、効率的に利用出来ていないデジタル面での理由もあります。

    また、残業・サービス残業の多さとか、非正規雇用が増えてきたこと、逆に解雇規制のために労働力の削減が進まない職場もあるといった労働力の面での理由もあります。

    少子高齢化が進む日本において、移民が日常的に入って来て成り立ってきた国家に比べると、大量の移民による労働力の確保もなかなか難しいでしょう。今いる国民にとって移民を受け入れる精神的な抵抗感に加えて、言語や習慣などの外国文化との違いが移民側の障害にもなってしまいます。

    かといって少子化の改善策も進んでいないので、少子高齢化の傾向は今後も続きますから、社会における生産・サービスを維持するためには労働生産性を上げる必要が急務となっています。

    一人一人の生産性を上げるには、先に挙げたアナログ的またはデジタル的な理由を改善していくことが必要です。これは企業における古い文化・習慣を潰していくことに加えて、法律面でのサポートも必要でしょう。例えば、契約書を交わすにしても署名押印を紙にするのではなく、デジタル上で行う、すなわち電子証明書を利用することで印紙が不要になります。

    http://digitalstorage.jp/e-contract/cost-cut/

    こういった、アナログをデジタルで行うことによるメリットを法的根拠でサポートすることで、細かい話ですが一人一人の労働生産性は上がっていくでしょう。

    また、企業・法人レベルではすでに労働力不足が問題になっていて、労働力の安定的な確保がどの企業でも難しくなりつつあります。かといって、大量に抱えすぎてしまえば従業員一人あたりの売上・利益が減り、結果として労働生産性が落ちるというジレンマもあります。

    となると、企業・法人レベルで生産性を上げていくには、これもまたIT技術に頼ることになります。人手不足をIT利用でカバーして、少ない人数でも高い生産性を出すことで売上・利益を維持することが出来ればいいわけです。

    しかし、どの産業・職種でもIT利用で生産性を上げていけるわけではありません。特に労働集約型の職種、たとえば介護福祉施設や幼保園のようにサービス対象者に対するサービス提供者の割合が決められている場合は、従業員数が売上の上限を規定することになります。法律で決められていなくても、一人の従業員が提供できるサービスの範囲に限界がある場合には同じことです。例えば飲食店で従業員2人のお店が同時に100席のお客に対応出来るとは思えないでしょう。

    コンビニの24時間営業の問題でもそうですが、どの職場でも余剰労働力が無くなりつつあります。限られた労働力の中で限界まで売上を増やしているわけですが、余剰あるいは冗長性に欠けると、そこから更にイレギュラーなトラブルが起きた場合に全く対応しきれなくなってしまいます。

    先の例を挙げれば、従業員2人の飲食店でものすごいIT利用法によって同時に100席のサーブが出来たとします。しかし、そこで例えばそのITシステムにバグが見つかって使用できなくなるとか、通信障害が発生して使えなくなるとかトラブルが発生すると、途端にサービスの限界が狭まってしまうはずです。

    余剰は冗長性とほぼ同義であり、冗長性はいざという時に役立つものです。こういったネットワークでデータをやり取りするときでも、エラー訂正のための符号がデータの前後に自動的に付与されて、データの受け手で受信時に受信したデータが経路中で壊れていないかどうかのチェックを行って、問題なければ表示や保存をして、問題があれば再送を自動的に送り手にリクエストする仕組みが存在します。

    データの信頼性を確保するために冗長性が存在しているわけですが、IT技術の中にはありふれるほど冗長性が存在しています。では、労働力はどうか?

    余剰労働力が存在しなければ、何か起きたときに対応出来なくなります。これはマイナスのトラブルだけではなく、良い面、例えば急に売上が伸びたときに生産・サービス提供を増やせないということでもあります。

    雇用側としてはそんな安易に余剰労働力を抱えていられない、という理屈が当然存在すると思いますが、別にアリやハチのように働かないものを抱えることではなく、例えば残業がゼロになるくらいの人員を抱えておけば、いざという時に残業を増やすことで対応出来るということにもなると思います。もちろん、それでも安易な意見かも知れませんが。

    ちなみに、働きアリや働き蜂の中には一定の割合でサボる集団がいるそうです。

    働かないアリに意義がある
    https://www.kadokawa.co.jp/product/321601000213/

    働いている集団が働けなくなった時や大きく数を減らした時などに、これまでサボっていた集団から働くものが出てくるそうです。必ずしも究極的に効率性を高めることが自然ではないということにもなるのではないでしょうか。

    また、家庭における家事育児が女性側に偏っているということも問題視されますが、核家族化と少子化が要因でもあると思います。核家族ではない家庭であれば家事の負担は分散されますし、子どもが多ければ上の方の子が幼い子の面倒を見てくれます。その上、労働者の勤務・通勤時間は昔に比べると長くなっていますから、家事育児に割ける時間が減っているため、専業だろうと兼業だろうと主婦の負担が増えているのは間違いないでしょう。一家族における冗長性の欠如が、主婦の過重労働の原因でもあるはずです。核家族化・少子化はすぐには解決出来ない問題である以上、労働者の労働時間を減らすイコール労働者の家事に割ける時間を増やすことで家庭の問題もある程度解消できるのではないでしょうか。

    すなわち、余剰労働力による冗長性の確保は、企業の存続だけではなく家庭の存続にも関わる問題とも言えます。

  • リアル体験の増加・テレビ視聴の低下、集中力の続く時間

    個人的に映画はほぼ見ません。別に映画が嫌いというわけではなくてなんとなく見ない、というのもあるのですが、そもそも映画館での映画鑑賞だけではなく、テレビや動画配信サービスでも見ません。テレビドラマなども見ないので映画というフォーマットだけがダメというわけではないのですが、あまり気乗りがしないです。有名な作品であってもです。

    その一方、美術館や博物館で絵画や美術品、工芸品、歴史的な遺品を見るのは好きです。美術館の巡回展、特別展の情報は時々チェックして、前売り券を購入しておくこともあります。

    我ながら何でこんな傾向があるのかと考えてみましたが、美術鑑賞では自分のペースで見られますし、一つの品を見るにしても数分程度ですので飽きることはありません。自分自身、結構飽きっぽい人間だと思いますので、映画やテレビドラマのような、1時間〜2時間の集中が必要無いからかも知れません。

    しかし、好きなサッカー観戦であれば前後半合わせて2時間弱、ハーフタイムで途切れるとしても50分近くは集中して見られますし、好きなガンバ以外のチーム同士の試合でも見ます。たまに西京極で京都サンガの試合とか、あるいはかつては天皇杯1回戦などのアマチュアチーム同士の試合も見たりしてました。

    ただ、サッカー観戦でもテレビやDAZN中継だと生観戦ほどの集中力は続かないような気がします。見ることは見るものの、一緒に何か他のことをしてたりもしています。今ならDAZN、数年前ならスカパー!オンデマンドで同時に他の試合も流して一緒に見ているので、ずっと1試合を画面上で見続けることはあまりないかも知れません。

    ということは、映画やドラマを見ないというよりも画面上で長時間見続けること自体が難しいわけで、リアルな体験・鑑賞であれば抵抗がないのかなとも思います。

    あるいは、画面上で見るのが長時間でなければ大丈夫なのかも知れません。ドラマ・映画との比較であれば、YouTubeでの動画視聴は確かに抵抗がないです。YouTubeの大半の動画は数分〜十数分です。YouTubeでなくてもテレビのバラエティ番組なんかは民放なら必ず途中でCMが入るので、集中力が続かなくても見やすいということになるのでしょうか。

    そうなるとこれは私個人だけの話しでもなくて、ドラマの視聴率が昔よりも悪く、バラエティ番組はものによればまだ20%台のものもある、という話と理屈が合ってきます。ドラマでもNHK朝の連続ドラマのように15分で終わるものは視聴率が良く、CM無しで45分続く大河ドラマは数字が低いという現象の説明になりそうです。民放ドラマは途中でCM入りますし。

    世間の人がYouTubeに慣れたから長時間のドラマ視聴が出来ないのか、あるいは長時間の集中力が保てない人が増えたからドラマを見ずにYouTubeを見るようになったのか、どちらが先の話なのか分かりませんが、こうなってくるとドラマを始めとするテレビ番組は、リアル体験に近いような要素を取り入れないと視聴率は稼げないのじゃないかなという気がします。音楽フェスなどのライブ・コンサート市場は右肩上がりで伸びているそうですし、プロ野球も観客動員は増えてますよね。テレビ視聴とリアル体験の区別を私だけでなく一般消費者も分けて対応しているのかも知れませんね。

  • アップル、マイクロソフト、グーグル各社のOS戦略

    先日行われたWWDCという開発者向けのカンファレンスイベントにおいて、開催したアップルがiPadで使用されるOSとしてiPadOSを発表しました。iPhone向けのiOSと大きな点では一緒の中身ですが、マルチタスク機能などのiPadでしか使用できない部分が異なります。

    アップルが「iOS 13」を発表、iPad向けは「iPadOS」に
    https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1188181.html

    特にホーム画面左側にウィジェットを表示したり、Macのサブディスプレイとして利用出来るようになるなど、Androidやサードパーティアプリで実現している機能をそのまんま搭載してきました。この辺はアップルの戦略として対応せざるを得なくなった感がありますが、戦略と言えばiPadOSのようにアップルが抱えているOSの種類が昔に比べるとかなり増えました。

    かつてはmacOSとiOSくらいでしたが、今ではそれらに加えて、Apple TVで動くtvOS、Apple Watchで動くwatchOS、そして今回分離したiPadOSがあります。これらの各OSを毎年ほぼ同じタイミングで発表して、ほぼ同じタイミングで正式公開するというのは製作者側の負担が半端ないだろうなと単なる1ユーザーとして他人事として心配してしまいますが、そもそも細分化による弊害と最適化による利益は相反する概念なのだと改めて認識します。

    各デバイス(パソコン、スマホ、タブレット、TV端末、スマートウォッチ)に最適化したOSによって、それぞれのデバイスを利用する際にきめ細かな機能、サポートを受けることが出来るようになる一方で、OSがそれぞれのデバイス独自の機能をサポートすることによってOS毎の差異が大きくなってしまい、開発の負担やバグの可能性が増えてしまいます。そしてそのデメリット部分が最終的には価格の形で消費者に跳ね返ってくることになります。

    アップルはシェアはともかく法人としての利益は非常に高い水準で保ち続けていますので、5種類のOSを抱えていても問題ないのでしょうね。むしろ垂直統合的にハードウェアとソフトウェアを開発しているメリットとして各デバイス間の連携を簡単に取れるため、OS細分化のデメリットは開発的には無いのかも知れません。

    一方で、アップルのライバルであるマイクロソフトとグーグルはOSの管理として違うアプローチを選んでいます。

    マイクロソフトはWindows10を公開した後、毎年2回の大型アップデートは無料で提供し続けています。今後のWindowsはずっとこの方針で行います。

    最後のWindowsとなる「Windows10」今後Microsoftはどこで利益を上げるのか
    https://nge.jp/2015/05/24/post-106018

    かつては、WindowsXP、Vista、7、8と新しいWindowsを使うためにはそれらが入った新しいPCか、パッケージ販売されているWindowsを買わなければいけなかったですが、マイクロソフトはその売り方を止めたということです。アップデートで新機能を追加し続けていく、という点ではmacOSと同じになります。

    マイクロソフトは販売が好調なSurfaceシリーズによってタブレット市場で大きなシェアを得ていますが、Windows10にはタブレットとしても使いやすくなっています。個人的にはiPadやAndroidタブレットに比べるとWindowsのタブレット使用はあまり使い勝手が良いとは思えないのですが、これは多分、判断の立脚点がどこにあるのか、という違いからなんだと思います。

    つまり、タブレットをスマホの延長線上(大きく見やすく)にあると思っている私は、iPadが使いやすいと思っていますし、タブレットをパソコンの延長線上(小さく持ちやすく)に見なす人にとっては、SurfaceなどのWindowsタブレットが使いやすいのだと思います。

    それはともかく、マイクロソフトはパソコンとタブレットのOSを共通化しています。それに加えて、WindowsPhoneスマホからも撤退してしまったので今のマイクロソフトが抱えているOSはWindows10しか存在しません。過去のサポートはまだありますし、正確にはWindowsServerもありますが、Windows7や8.1のサポートは数年後に終わり、WindowsServerもいずれは機能縮小していきそうな気もします。サーバー事業はクラウドプラットフォームのAzureに持っていきたいでしょうし。

    また、グーグルも抱えているOSはAndroidとChromeOS、そしてWear OSがあります。そもそもグーグルはOSが事業のメインではありませんが、OSとしてはAndroidがメインなのは間違いないです。既にChromeOSはChromebookに搭載されるPC分野において一定のシェアを確保しています。日本ではあまり見ないですが、アメリカでは教育現場で結構採用されているそうです。起動・終了が早く、HDD不要のため乱暴に扱っても大丈夫、怪しい余計なソフトをインストール出来ないといったところが、教員側にとっても楽でしょうね。ただ、ChromeOSで使用できるサードパーティアプリとしてはほぼAndroidアプリと同一になりつつありますので、iPhone用iOSとiPadOSとの関係に似ているかもしれません。

    また、Chromebookがそれなりに残れそうな一方でWear OSはChromeOSよりもさらに見かけません。iPhoneとApple Watchの連携度合いを見ると、グーグルがスマートウォッチの分野で存在感を出すには、例えばPixel Watchといった感じでグーグル純正のスマートウォッチが出るかどうか。それが出来なければ、普及しないサービスは容赦なく切り捨てるグーグルのことですからWear OS自体切り捨ててしまうんじゃないかなとも思います。

    マイクロソフトもグーグルも、抱えている最新OSは細分化されないように絞っていますが、アップルは拡大してきました。これらの戦略は果たして、吉と出るか凶と出るか?

  • 日常から死が無くなるということ

    生きとし生けるものは必ず死にます。誰もが理解しているはずですが、いざその「死」を目の前にすると冷静でいられなくなります。もちろん、死を目の前にして冷静な方がおかしいのかも知れませんが、「死」は自分とは関係ないものだと思い始めると問題が発生します。

    「看取りの家」断念 多死社会の課題浮き彫りに
    https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201906/0012407843.shtml
    神戸市須磨区で余命が短い患者らに最期の場所を提供する施設「看取(みと)りの家」の開設計画が頓挫したことについて、地元では、反対していた住民から安堵(あんど)の声が上がる一方、「この問題を勝った負けたで終わらせたらだめ」「死を見据えて生きるきっかけにしなければ」などと複雑な思いも聞かれる。

    人間が生物として「死」に嫌悪感を抱くのは自然なことだと思いますが、だからといって日常に「死」が存在しないものと考えるのは無理があります。誰だっていつかは死にますし、毎日のようにニュースで誰かが死んだ報道を目にしています。

    以前、「南青山児相問題と原発問題」というnoteを投稿したことがありますが、その中で、

    公共施設を自宅のそばに作ることを許せるかどうか、というのは誰でも考えるべき問題です。
     この辺は人それぞれ許容範囲が異なると思います。ゴミ焼却場は駄目だけど児相はOKと言う人もいれば、自衛隊や米軍の基地もOKと言う人もいるでしょうし、もちろん何もかも駄目という人もいるでしょう。
     そういった公共性の高い施設・設備を自分がどれだけ使用するか、恩恵を受けるか、というプラス面での検討と、その施設によってどれだけ迷惑や損害を被るかというマイナス面での検討を行って、釣り合いが取れるところで判断することになります。

    と書きました。
    今回の神戸市の看取りの家も似たような問題ですが、自分がすぐに直接関わらない施設は自分の近くには来てほしくない、という意見を利己的と主張してしまえばそれまでです。

    そもそもなぜ、生物にとって必然である「死」を社会問題化するレベルで忌避してしまうのか、と考えるべきではないでしょうか。

    核家族化した現代日本社会では、身近な人の「死」を初めて経験するのは成人してからがほとんどです。もちろん、親や兄弟姉妹を若くして亡くしてしまう人もいると思いますが、医療が発達し交通事故死者数も減った現代ではかなり少なくなりました。

    成人してから「身近な人の死」に直面するということは、人格形成期において「死」に直面しないということでもあります。「人が死ぬということ」を自分に関係するレベルで考えたことが無く、かつ、考える必要も無いということです。

    核家族ではない家庭、すなわち、自分の親兄弟だけではなく祖父母、伯父伯母などが同じ屋根の下や近所に住んでいる環境ですと、自分の親が死ぬ前に祖父母などの死に直面します。親が死ぬ時期よりも祖父母が死ぬ時期の方が早いということは、成人よりも若い時期に「身近な人の死」に出くわすことになり、「人が死ぬということ」を考えるきっかけになります。そして、日常には「人の死」が存在するのだと心の中で顕在的にも潜在的にも認識するようになります。

    核家族ではない家庭に育った人の全てがそうなるとは断言するつもりはないですし、逆に核家族で育った人でも「死」を意識している人もいるでしょう。あくまで全般的な傾向としての話ですが、子どもの情操教育のためにペットを飼う(そして生き物の生と死について学ばせる)という人が結構いるのに、自宅の側に看取りの家やホスピスや火葬場が作られることは拒否する人も結構いるのは何故なのでしょうか。動物蔑視ではありませんが、ペットの死と人間の死を比べたときに本当に人生を生きる意味を考えさせてくれるのは後者のはずです。

    また、核家族化がこの原因だけとは思いません。宗教、主に仏教から日常が離れてしまったことも一つの原因かも知れません。仏教と関わるのは昔でもほぼ葬式・法事だけでしたが、今では葬式・法事ですらかなり参加することが減ってきています。少なくとも日本において仏教に関わることがあれば否応なしに「人が死ぬということ」を考える機会になりますが、宗教が単なる非日常的イベント化してしまうと、「死」を意識することも無くなるのは必然です。

    あと、近所づきあいが無くなったことも大きいでしょう。家族・親族の死だけではなく近所のお年寄りの死を経験することが無くなるわけですから。

    このように「死」を日常の中で経験することがどんどん減っていく現代社会において、神戸の看取りの家のような、死を迎える施設そのものを忌避してしまえば、「看取られない死」を迎えることになります。病院で苦しみ抜いた末に死ぬのではなく、緩やかに地域や家族の中で死を迎えるのが時代の流れになりつつあります。しかし、自宅での死が様々な事情で無理な人は、家族がすぐに来られないような場所にポツンと出来た施設で死ぬのが本当にその人にとって望まれる死の迎え方なのでしょうか。

    看取りの家を拒否した住民だけではなく、なぜこの場所に作るのかという説明をきちんと出来なかった事業者側にも責任があるのだと思いますが、おそらく今後、全国で似たような問題が出てくるはずです。その時に、「人が死ぬということ」を事業者側も住民側も考えた上で結論を出してほしいと思います。

  • MMTと通貨仮想化とベーシックインカム

    現代貨幣理論(略称:MMT)がメディアに取り上げられるが多くなりました。現在の日本がその実験場になっているのかどうかはともかく、言わんとすることは分からなくないです。

    現代貨幣理論
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%90%86%E8%AB%96

    とは言っても、「自国通貨を発行している政府は、過度なインフレにならない限り通貨の発行量(自国消費される赤字国債)を増大し続けられる」という理論は、直感的に理解出来る上に無理感が半端ないです。従来の経済理論から猛烈に批判を浴びるのは分かります。

    ただ、実際に今の日本で赤字を増やし続けているのに金利が全く上がらない理由を従来の経済理論が説明し切れていないところにもMMTが消えない原因にもなっているのでしょう。大量に発行された通貨は何故国民の手元に行きわたらないのか?

    いっそのこと、紙幣を無くしてどこにお金があるか管理しやすい状況にしてしまえば解決するのでしょうか? ケネス・S・ロゴフの著作を持ち出すのは不適当かも知れませんが、お金の流れがおそらく大半の経済学者の頭の中と現実とで大きく異なっているのでしょう。

    現金の呪いーー紙幣をいつ廃止するか?
    https://www.nikkeibp.co.jp/atclpubmkt/book/17/P55070/

    キャッシュレス(あるいはレスキャッシュ)社会にすると、政府の通貨供給をダイレクトに個人の財布にもたらすことも可能です。今でも地域振興券でばらまいたことはありましたが、結局一時的なばらまきは一時的な経済効果しかもたらしません。

    また消費増税に伴う軽減税率の適用や、キャッシュレス決済に対するキャッシュバックなど面倒なことをするくらいなら、仮想通貨形態にした日本円をスマホやICカードで使えるようにして、MMTが許しそうなレベルでベーシックインカムとして全国民に支給してしまえばいいんじゃないですかね。国債を発行して民間銀行が購入してそれを日銀が購入してとかいう迂路をたどらず、政府が直接国民の懐に札束をぶち込んでくれたら消費も増えるでしょう。

    MMTが本当に正しいなら高インフレ状態にならない限り、ベーシックインカムは実現可能なはずです。同時に生活保護や社会保障や失業保険を減らした方がいいでしょうけれど、お金の配分の問題なので絶対に無くさないといけないわけでもないでしょう。

    ここまでの暴論を日本政府が実現させるとは思いませんが、「将来の年金では暮らせません」と公言するくらいなら国民全体でMMTに乗っかっちゃうのも手じゃないですかね。少なくとも議論くらいはして欲しいです。

    MMTもベーシックインカムも、否定する人の意見に感情が混じっているのがちょっと気になりますね。無軌道な赤字や働かなくても生きていけるという理屈に違和感を覚えるのはしょうがないですが、理論的に反論して、その上でさらにMMT側が理論を述べて、というのが理想的な光景だと思いますが、なんかあまりそんな感じになっていないような気がします。

    私のような経済学の素人にとっては、経済学内で結論出してから世の中に出してこいよ、と言いたいところですが、経済学の難しいところは、過去の事象から未来に適用できそうな理論を構築することだと思います。あえて言うなら、過去の理論が未来で通用するとは限らないとも言えます。MMT支持派は従来の経済理論が現代の最新の情勢には適用できない(古くさい)と言っていますし、MMT否定派はMMTは机上の空論に過ぎないと言っています。理論的に説明していると両派共に思っているようですが、双方共に根本的なところでMMTに対する賛成反対の感情に支配されているっぽく見えます。感情というか信奉しているものが違うといった方が近いかも知れません。お互いに和解して昇華した結論がもたらしてくれればいいんですけど。

  • 高年齢化するIT製品利用者のために

    年を取ると目が悪くなります。私個人は別にパソコンやスマホの文字や画像、アイコンが見づらいと感じることはありませんが、症状は少しずつ進んでいくでしょうから、パソコンやスマホのインターフェイスが変わらない限りはいずれ、目を細めて見ないといけなくなるでしょう。

    現時点で既に目が悪い人は現時点で対策を立てなければいけません。パソコンやITガジェットに詳しい人は色々対策を立てていると思いますが、個人的にはあまりアクセシビリティに関しての情報が出回っていない気がします。

    それは、パソコンで言えばWindowsを出しているマイクロソフトや、スマホで言えばiPhoneを出しているアップル、Androidを出しているグーグルが怠慢というわけではなくて、メディア業界があまり積極ではないか、もしくはあまり理解していないというのが原因かも知れません。

    Windowsでは

    パソコンを使いにくいと感じる世代の方の場合
    https://www.microsoft.com/ja-jp/enable/guides/tips.aspx
    ▼ 画面の文字やアイコンが小さすぎる
    ▼ 画面がぼやけて見えづらい
    ▼ カーソルやマウスポインタがどこにあるか見つけにくい
    ▼ マウスを操作するのが難しい
    ▼ 複数のキーを同時に押すのが難しい
    ▼ 違うキーを押してしまう
    ▼ 画面が薄暗かったり、まぶしすぎたりする

    こういう情報がマイクロソフトのホームページ内で公開されています。ただ、パソコンに不慣れな人はこのページにたどり着くことも難しいかも知れません。だったら紙媒体でパンフレットになっているようなものがあれば一番良いのですが、探してみるとこれもマイクロソフトのページにありました。

    Windowsのアクセシビリティガイドブック
    https://www.microsoft.com/ja-jp/enable/products/guidebook.aspx

    これをダウンロードして印刷したものを持っていれば結構便利なのではないでしょうか。ひょっとすると量販店などでサービスで年配の方向けに渡しているかも知れませんね。

    iPhoneですと

    アクセシビリティ
    https://www.apple.com/jp/accessibility/iphone/

    視覚・聴覚・身体機能・学習というカテゴリ別に説明されています。iPhoneでもWindowsガイドブックのようなものが無いかなと思ってざっと探してみましたが見つかりませんでした。ただ、iPhoneは書店に行けば使い方を説明している書籍が山ほどありますので、アクセシビリティについて説明が載っている本を買えば済むでしょう。

    Androidスマートフォンのアクセシビリティの設定はこちらです。

    Android ユーザー補助機能の概要
    https://support.google.com/accessibility/android/answer/6006564?hl=ja
    ユーザー補助機能の設定やアプリを使用して Android 端末をカスタマイズできます。
    注: この手順の一部は、Android 7.0 以降でのみ動作します。お使いの Android のバージョンをご確認ください。

    Androidの問題点は、使用している人が持っているAndroidバージョンに差異が大きいことでしょう。バージョンのフラグメンテーションといいますが、誰もが最新のAndroidを使用しているわけではないので、上記のような注意書きが必要となってきますし、またメーカー独自の設定やアプリが入っている場合にも使用感が変わってくる可能性もあります。

    Androidの場合もガイドブック的にまとまっているものはありませんが、GalaxyやXperiaなどのメジャーな製品についての解説本が出版されていますので、一部の機種であればそういう出版物を片手に設定することもできるでしょう。

    パソコンやスマートフォンを利用しての連絡やキャッシュレス決済、緊急速報などが整備されていく中で、ITに疎い人やデフォルトだと使いづらい人も使わざるを得ない社会になりつつあります。そういう人達にも使いやすくできる設定があるということを周知するのは、メーカー・キャリア・販売店に加えて、メディアや各種団体など協力していくべきでしょうし、そうすることで利用者が増えれば結果的には各企業も恩恵を受けるはずです。

    テクノロジーの進歩によって逆に不便を感じる人が増えたら本末転倒です。テクノロジーは困難を克服するためにあるのですから。

  • 2019年6月9日J3リーグ第11節ガンバ大阪U23対カマタマーレ讃岐観戦記

    今日もシーズンパスのおまけの無料チケットを使ってのU23観戦です。

    対戦相手のカマタマーレ讃岐とは来月天皇杯でも試合しますので、ガンバとしては讃岐のサッカーを見極めるいい機会でもあります。もちろんお互いに今日の出場選手が天皇杯でも出場するとは限りませんし、まるっきり戦い方やフォーメーションを変えてくる可能性もあるので、あまり今日の試合のメンバーや内容にこだわり過ぎてもいけないのですが。

    しかしなぜか今日のU23は試合開始前の段階で入場者が明らかに先週よりも多かったです。先週はその前日にホーム鹿島戦があったから2日連続観戦を避けた人が多かったのか、天皇杯でも戦う讃岐を見ておきたかったのか。少年サッカー関係の何かあったかも。
    そもそも讃岐サポーターも多い。

    その讃岐には我那覇和樹がいます。そして監督はアトランタ世代の上村健一。J3やJFLあたりには90年代、2000年代にJリーグで活躍していた選手が監督、コーチや最年長のベテランとして所属しているので、メンバー表を見るだけでも懐かしく感じますね。

    対するガンバ大阪U23のメンバーは、控えを入れるとほぼ先週の試合と同じ。スタメンと控えが若干入れ替わりありましたが、山口が控えに復帰しました。キーパーは林が入ります。天皇杯でも林が出る可能性は高いと思いますのでいい経験になるはず。今日は前節以上にユース所属が多く、先発6人がユースとかなんか色々まあすごい。先発平均年齢18.91歳、控え込みなら18.67歳とかほぼユースですな。

    前半の概要を箇条書きでまとめてみると、
    ・1失点目、あの位置にきたロビングボールをDFはバウンドさせてはいけない。我那覇が上手かったのもありますが。
    ・そして全然スプリントしない我那覇のポジショニングがエグい。讃岐ボールの時は松田と離れてガンバボールの時は松田のパス出しを妨害しやすいところにいるし。
    ・ガンバ左サイドをパスワークやドリブルで再三突破されるのが続いたところで結局2失点目。前節もだけど相手の攻撃の出方を受け止めて対策をどうしようかというのを試合始まってから選手達にさせてるのかな。
    ・ガンバの攻撃も約束事はあるんだろうけれど、一番効果的なのが最前線の高木にボールを渡して高木が何とかしてシュート打つというパターン。結局そうやって前半の内に1点を取り返したのは良かったですが。

    そして後半の概要と感想。
    ・2662人と先週の倍以上の客入りでした。毎試合これくらい入ってくれると嬉しいです。
    ・途中交代出場山口がかなり効いてて、フィジカルコンタクトも強くなった。
    ・攻守共に良くなっていた感じがしますが、どちらかというと攻撃がかなり良くなったおかげで相手の攻撃の圧力が減って守備負担が減った感じがします。
    ・後半の内容なら2点取って逆転してないともったいない。2点目が遅かったですね。
    ・高木は相手に囲まれてる方がシュートが枠に行くのかな。裏抜けして後は流し込む、というパターンで入らないはもったいない。今日も2点取れたはず。しかしだいぶ頼もしくなりましたね。

    内容で言えば前後半のトータルでもガンバの優勢だったからなおさら勝って欲しかったです。
    逆に讃岐は2点先行したのに終わってみれば何とか引き分けに持ち込んだ感じでしょうか。
    後半終わり間際のイケイケタイムは前節もありましたが楽しかったですね。

  • 「平成」時代という時代の区切りは不適当か?

    令和になって一月以上経ってからこんなことを書くのはあまりに機を逸している感もありますが、安易に流行に乗らない俺かっこいい感もありますので相殺しておきましょう。

    それはともかく、「平成」は30年と4ヶ月弱で終わりましたが、一つの時代として区切る分には適切な長さだと思います。

    そもそも「世」という漢字は原義としては30年のことを表します。
    「十」→「廿」→「世」とみていけば分かりやすいですよね。もともと30を表す漢字です。

    漢字源によると、意味の一つ目に30年のことだと出てきます。
    語義
    一(名)
    ❶よ。
    ㋐三十年。
    ㋑父から子へ、後を継ぐまでの期間。一代。
    ㋒人の一生。「畢世ヒッセイ」「終世」
    ㋓新たに樹立された王朝の時代。朝代。「盛世」
    ㋔世の中。天下。社会。「治世」「俗世」
    ㋕一年。一歳。年次。
    ㋖跡継ぎ。「後世(=世継ぎ)」
    ㋗{仏}真如の世界に対し、虚妄な、現実の世界。

    とあります。

    また、「革命」や「変革」などで使われる「革」という字にも30年という意味があります。
    これまた漢字源には、

    なりたち 説文〘指事〙獣の皮で、毛を取り去って、もとのようすを革更(=変更)したもの。(中略)三十(=「廿」と「十」)から構成される。三十年を一世として、世の中の道はあらたまる。「𦥑」が音である。

    とあります。「世」は「十」を横に三つ並べた形で、「革」は「十」を横に二つ並べてその下に一つくっつけた形ということになります。どちらも結局は30年を表します。

    「世」と「革」という二つの字の元々の意味を考えると、世の中は30年が一世代として見ることが出来て、およそ30年経てば色んなことが変わる、ということになります。

    もちろん、30年も経たずに変わることもありますし、40年50年と変化無く続くものもあるでしょう。しかし、人間の一生を考えると、次世代が生まれて代替わりとなるのも長期的にはざっくり30年で一世代と考えて差し支えないはずです。

    例えば、この店は5世代にわたって続いている、という場合、今が5代目になったばかりなら4世代x30年プラスアルファの120年〜130年くらいとあたりを付けることが出来ます。

    三十年という区切りが一世代として妥当であることは、前述のように漢字の成り立ちから言って適切です。元号は人為的に適当に区切っただけだという意見を言う人もいますが、そもそも一年という区切りも人間が地球の公転周期をもとに勝手に区切っているだけですし、西暦の「世紀」も同様です。20世紀あるいは21世紀という区切りだと100年毎ですので、その中に多くの変化が盛り込まれすぎとも言えます。30年という今回の「平成」の区切りは人間の感覚的にも分かりやすいのではないでしょうか。

  • 仮想通貨は通貨ではない。「暗号資産」への名称変更は進むか

    ビットコインが最近また値上がりしているそうです。

    ビットコイン100万円台の回復目前
    https://crypto.watch.impress.co.jp/docs/news/1181154.html
    仮想通貨の代表格であるBitcoinの価格は、2017年7月以降に急騰し、同年12月18日には1BTC=240万円台の最高値を記録した。その後、2018年1月と同年11月に急落し、同年12月15日には35万5000円台という同年最安値をつけた。2018年はBitcoinだけではなく、仮想通貨市場全体が下落基調で取引低迷という局面だったため、仮想通貨の取引で利益を出すことが難しかったと言える。
    なお、2019年の仮想通貨市場は全体的に回復傾向にある。2019年5月31日の深夜1時には1BTC=99万円台まで回復し、本稿執筆時点の同日8時は90万円台での荒い値動きとなっている。

    一昨年のピーク時に比べるとまだ半分程度の値段ですが、まだ上がっていくかも知れません。もちろん下がるかも知れませんが、ビットコインを始めとする、いわゆる「仮想通貨」が通貨として利用しづらいのはまさにこの点にあります。すなわち、価値の上下の動き(ボラティリティ)が激しすぎるという点です。

    もともとはウェブ上の決済手段として、従来のカード決済やネットバンキングよりも遙かに安い手数料、簡単な手続き、ブロックチェーン技術による信頼性(改ざんの不可能性)を持つサービスが本来の特徴でしたが、ブームになった原因はビットコインを求める人が多くなれば高値で転売出来るのではないか、という投機熱です。投機を目的としているので、モノを買うための決済手段として使用する人がいないことになります。値上がりを待ち続けるか、値上がりしたら換金するかのどちらかですから。

    ビットコイン、再値上がりでも変わらぬ事実-誰も買い物に使わない
    https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-05-31/PSCY0P6TTDT901
    仮想通貨の代表格であるビットコインは再び値上がりして話題を集めているが、変わらぬ問題を抱えている。投機的な取引を除き、ほとんど誰にも利用されていないという事実だ。

    投機として購入されることにより、ビットコインなどの仮想通貨が値上がりし続け、そしてバブルの常として急速に値下がりすることが、かえって通貨の代用手段として使いづらいという欠点をもたらしました。

    ただ、そもそもビットコインは総量が最初から決められています。現在は10分ごとに12.5BTCずつ発行(発掘)されていますが、2100万BTCが発行されるまで、ビットコインの発行速度は4年ごとに半減するということになっています。最初のうちはたくさん発行されて、少しずつ発行が減っていく、という仕組みになっています。

    一方で、各国で採用されている管理通貨制度では発行される紙幣・貨幣の総量は決められていません。経済が発展・成長する限りその通貨の総量は増え続けるはずです。

    この点においてビットコインなどの総量が決められている仮想通貨は決済手段としての通貨たり得ないことは明らかです。人口もモノも増えていくと、モノの価値とビットコインの価値の釣り合いが取れなくなります。

    むしろビットコインなどの仮想通貨は、金やプラチナなどの貴金属・資源としての性質の方が近いと言えます。
    金(Gold)も地球上に存在する総量は限られています。無限に金が増えていくことはあり得ません。人工的に金を生み出す技術が出てくるのはまだ相当先でしょうし、その技術が出たときには金の価値はゼロに近くなるでしょうからここでは考えないものとします。

    地球に存在する金の総量は限られていますが、現在でも発掘は進められています。しかし世界経済の発展スピードと同じペースとは限りません。金の価値は経済状況や他の通貨の価値変動によって上下します。資産運用する中で、ドル(米国株や米国債)を買うこともあれば、ドルを売って金を買うこともあります。

    一方で、金を決済に直接使用することはまずありません。0.1グラムの金を吉野家に持っていって牛丼並1杯を食べられるわけではありません。金を吉野家の隣にある銀行か貴金属買い取り店に持っていって日本円に換金することによってはじめて吉野家で牛丼を食べることが出来ます。

    金やプラチナの資産価値を支えるのは、
    ・総量がだいたい決まっている
    ・急激に流通量が増えない
    ・ほぼどこの国でも価値がある
    ・換金できる
    ・同額の通貨よりも保管が容易
    ・分割して利用(譲渡や換金)できる
    という利点です。

    そして、これらの利点は仮想通貨にも共通します。
    決済手段として利用しづらいという点も同じですね。

    そういった理由で仮想通貨は通貨と呼ぶのはどうかな、と思っていたら、先日、

    仮想通貨を「暗号資産」と改称 改正資金決済法が成立 | 共同通信
    https://this.kiji.is/507003106371322977
    仮想通貨の呼称を巡っては、暗号資産を意味する「クリプト・アセット」という呼称が国際的に広く使われていることや、通貨という表現を用いることで円やドルなど各国の中央銀行が発行する通貨との混同を招く可能性があるとの指摘が寄せられていた。

    こういうニュースがありました。
    まさに我が意を得たりといった感じだったのですが、そもそも仮想通貨という日本語の名称自体に問題があったということかも知れません。

    今後、どれだけ「暗号資産」という名称が一般的に利用されるかどうか分かりませんが、金融庁とかが証券会社などに通達とか出すんでしょうかね。

  • 2020年のアメリカ合衆国大統領選挙で民主党候補者が勝つためには

    ウォールストリートジャーナル日本版にて興味深い記事がありました。
    端的に言うと、民主党が大統領選でトランプに勝つには、先鋭的な主張を下げて大同小異のような政策でまとめて対決すべき、という内容です。

    【寄稿】民主党が大統領選敗北を避けるには
    https://jp.wsj.com/articles/SB12761140512734763954004585336311066249750

    有料記事ですので抜粋にとどめますが、

    ・大統領の弾劾を求めてはならない。
    ・グリーン・ニューディールは放棄せよ。
    ・国民皆保険は見直しを。
    ・移民改革を支持せよ。
    ・アイデンティティー政治を拒絶せよ。
    ・税制を公平にせよ。
    ・無償提供の約束をやめよ。
    ・妊娠中絶については反対側の意見も尊重せよ。

    という項目毎に主張がなされていて、おそらく民主党支持者から見たら気が遠くなるような内容でしょう。

    しかし、現状のままトランプと対決しても間違いなく負けます。そもそも現職大統領の2期目の選挙は圧倒的に有利な結果に終わる歴史が続いています。92年のジョージ・ブッシュ(父)大統領がビル・クリントンに負けたのが最後で、その後はクリントン、ブッシュ(子)、オバマと波風無く2期目を担当してきました。

    現在、民主党は大統領選への候補者指名選挙の準備段階ですが、既に立候補を表明している人間が20人以上出てきています。実際に指名選挙に突入するのは4,5名になるでしょうけれど、候補者のほとんどが良く言えば特徴的な、悪く言えば無茶な政策・公約を掲げてアピールを始めています。そのうちの誰かが最終的に勝ってトランプとの対決に挑むにしても、そこまでで脱落した候補者の公約を全て受け入れることはありません。指名選挙中に批判していたはずですから。逆に候補選で負けた候補者やその支持層が、自分たちの主張を受け入れられなかったとしても、トランプを負かすために涙をのんで民主党候補者を応援できるかどうか。上記リンクの記事ではここを重要視しています。自分の主張だけを真実の正義として振りかざして、少ない支持者達だけで戦っていては永遠に共和党に勝てないでしょう。どこまで民主党内で妥協できるかが鍵になるはずです。

    民主党が一つにまとまり、ある程度の妥協が出来るような中身でトランプと対決する状況になれば、トランプに振り回され疲弊した一部の共和党支持者も民主党候補に流れてくるでしょう。そうなれば逆にトランプの主張が先鋭化してトランプ支持層が減り、民主党候補が地滑り的勝利をつかむことが出来るかも知れません。

    その妥協の中身ですが、先の項目それぞれを私なりに日本人的な見方をしてみるとこんな感じでしょうか。

    ・大統領の弾劾を求めてはならない。
    →現職大統領の弾劾は相当の証拠が無いと不可能です。ニクソンの時は明白な証拠があり弾劾を避けられなかったために辞任となり、クリントンの時は弾劾裁判にかけられて何とかしのいだという歴史がありますが、今回のトランプに対する弾劾の証拠はあまりに少ないでしょう。そもそも大統領選挙に負けた民主党が弾劾を仕掛けるというイメージが拭えない限り、国民の半分以上は支持しないのではないでしょうか。逆に、次の選挙でトランプが負けたらその後にトランプのロシア疑惑・司法妨害疑惑はかえって捜査が進むはずです。

    ・グリーン・ニューディールは放棄せよ。
    →脱原発が火力発電の増加を招くという不都合な真実が存在することは認めなくてはなりません。クリーンエネルギーはまだまだ発展途上で、発電量も安定性も足りません。例え先進国が一致団結して脱原発&脱火力発電を達成したとしても、発展途上国が石炭・石油で大量の二酸化炭素を排出して、経済効率性で先進国を圧倒してしまえば先進国の発言力は低下し、結果的に更に火力発電を止められなくなるという悪循環が待っています。

    ・国民皆保険は見直しを。
    →数十年前から国民皆保険制度が整備されている日本で生まれ育った者として、オバマケアに対するアメリカを二分する議論はなかなか理解しづらいものがありますが、荷馬車でフロンティアを開いてきた歴史観を持つアメリカ人には連邦政府は小さくなくてはならない、という強烈な観念があります。一方で、大国になったアメリカに夢を持って移住してきた人達からしたら、現状の社会福祉制度があまりに貧弱に思えるはずで、大きな分断を招いています。オバマケアによる予算の圧迫は当然ながら存在するわけで、ドラスティックな改革で大きな混乱を招くよりは、少しずつ皆保険に近づけていく方がトランプ支持層の票を奪えるはずです。

    ・移民改革を支持せよ。
    →トランプの移民問題意識は大きな誤解もあり(不法移民の大半は国境経由ではなく空港経由の合法的に移動してくることとか)、国境の壁建設で防げるのは少ないはずですが、移民に問題が無いわけではありません。聖域都市と呼ばれるリベラルの牙城でも移民が増えれば、かえってその他の都市では移民に対する忌避感・警戒感が増してしまう可能性があります。EUではないのですから、国境における移民の合法的な管理は必要なはずです。

    ・アイデンティティー政治を拒絶せよ。
    →ここ数年で世界的にリベラルが退潮している理由の一つがまさにここにあります。様々な主張がそれぞれの団体などにあるのは当然ですが、その主張を唯一の正義として信奉している限り、支持者は少数派に留まります。ある程度大きな枠組みでくくり、その中での反対意見を認めないと多数派にはなり得ないでしょう。

    ・税制を公平にせよ。
    →富裕層や大企業を槍玉にあげるのはリベラルの常ですが、結局それらをライバル支持に追いやる結果になります。

    ・無償提供の約束をやめよ。
    →いわゆる生活保護や社会福祉に多額の費用をかけるのは、国民皆保険の項目と同じようにアメリカの伝統と異なります。移民によって経済が発展するというのであれば、福祉費用をかけなくても生活には困らないはず、という保守側の主張を手助けしてしまう結果になってしまいます。

    ・妊娠中絶については反対側の意見も尊重せよ。
    →これもアメリカを二分する議論ですが、感情的になりやすい議論でもあります。中絶支持層でも早期の中絶、後期の中絶に関しては差がありますし、それは中絶反対派も同じです。これも一気に進めるのではなく、反対派からも支持される可能性がある、早期の中絶や犯罪被害者の中絶などに限定したところから始めるなど、少しずつ前進していくしかないでしょう。アメリカ合衆国という国はキリスト教の国です。リベラル派は意識していなくても、国家の歴史には重みがあり、それは容易に消せないものです。

    リベラルに限ったことではないはずですが、自分の意見が唯一の正義として行動すると政治の世界では上手く行きません。個人的倫理を政治に持ち込むと支持が減るという、奇妙だけれど妥当な現実を受け入れて、どこまで大同小異的な民主党候補者を立てることが出来るかが、トランプに勝つポイントになるはずです。

  • 大麻解禁の必要性はあるか?

    大麻解禁派の主張の一つに、外国では解禁されているのでそれに日本も合わせるべきだというものがありますが、「そもそもその外国ってどこやねん!」と突っ込みたくなります。

    大麻の利用や所持が合法な国と違法な国で比べれば圧倒的に多いのは違法な国です。最近になって、カナダやアメリカ(一部の州のみ)で解禁されたことで「合法化は世界的な流れ!」と言いたがる人もいます。

    大麻(マリファナ)の効用や副作用についても良い悪い含めて大量の言説が溢れていて何が正しくて何が間違っているのかも分からない状態になっています。

    私の個人的なイメージ・意見で言うと、医療用大麻に関してのみ、厳格な基準と手続きに基づいて解禁されるべきだと思っています。

    親族でガンにかかって無くなった者がいますが、ガンが進行して治療の見込みが無くなり、後はただ時間が過ぎていくという状態になりますと、ガンによる痛みに苦しむだけの生活になります。もちろん痛み止めの薬が処方されますが、モルヒネを投与されていました。

    モルヒネが効けばいいのですが、効かないときもあります。医学に詳しくはありませんが、モルヒネが効かない場合やその他の病気の治療や鎮痛・鎮静に役立つのであれば、医療用大麻は認められても良いのではないかと思っています。ただし、厳重な管理や手続きを経て処方されるべき薬だとも思います。現在でも紛失や流出した場合にニュースになるような薬がありますが、それらと同様に扱われるべきでしょう。

    ここまで書いた中で分かるように、私は嗜好用大麻の解禁には反対です。そもそもなぜ解禁しなければならないのかとも思います。依存性や副作用がタバコよりも少ないという人もいますが、タバコ自体が世界的に禁止される流れなのですからタバコと比較してもあまり意味がありません。この辺も効用と副作用について大麻解禁派と規制派の意見がぶつかり合っていて、どっちが正しいのかも分かりませんが、嗜好目的での大麻の利用をあえて解禁する必要は無いと思います。

    本当に害が少ないとも思えません。
    以下のリンク先の記事が私の解釈・判断に一番近いと思っています。

    「大麻合法化しようぜ」に感じる“胡散臭さ”の正体 医療大麻の論点とは (1/5)
    https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1905/30/news023.html

    「大麻先進国」みたいな扱いを受けている国としてオランダが挙げられますが、そのオランダの首相が、大麻解禁されたカナダを訪れてこんなことを言ったそうです。

    大麻先進国から忠告? オランダ首相、カナダ高校生に「絶対手を出すな」
    https://www.afpbb.com/articles/-/3194832
    【10月26日 AFP】嗜好(しこう)用大麻が先週解禁されたばかりのカナダを訪問しているオランダのマルク・ルッテ(Mark Rutte)首相は25日、地元の高校生たちに「今日購入できる大麻はずっと強烈だ」「特に若者には健康に良くない」と語り、麻薬全般について「絶対に手を出すな」と忠告した。

    高校生という若い世代だから使ってはダメだ、という意味ではありません。ずっと使うな,といっています。そもそもオランダでは嗜好目的での大麻利用が合法なのではなく、ちょっとした利用が大目に見られているだけの話です。本来は禁止されています。日本でいうなら身内だけで行う賭け麻雀みたいなものでしょうか。

    大麻は身体に悪いというのはオランダでも当たり前のことなのでしょう。

    日本でもこんなニュースがありました。

    米でもらったチョコに大麻 「知らずに」差し入れて書類送検
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190529/k10011933811000.html
    ことし3月、東京・荒川区で開かれた社交ダンスのイベントに参加していた50代から80代の男女7人が、手足のしびれや呼吸困難の症状を訴えました。
    その後の調べで、7人の体内から大麻の成分が検出され、いずれも会場にあったチョコレート菓子を食べたことが分かったため、警視庁が菓子を持ち込んだ70代の男性の参加者から事情を聴くなどして調べていました。

    知らずに食べた大麻の成分によって明らかに身体に害があるのであれば、とても嗜好目的での大麻を解禁していいとは思えません。大麻が含まれている食品を間違って食べた場合、大人でもこんな状態になるのであれば、もし身体の小さな子どもが間違って食べた場合にどうなるのか。

    タバコだってそのまま食べたりすれば大人だろうと子どもだろうと大変なことになります。マリファナよりニコチンの方が危険かも知れません。しかし、それならタバコも大麻も禁止してしまった方が合理的ではないでしょうか。タバコより大麻の方が害が少ない、という主張は嗜好用大麻解禁の流れは作れないと思います。

  • スポーツのテレビ放送の終わりの始まり

    日本代表が久し振りに招待されたコパアメリカでは日本国内でのテレビ中継がありません。

    【セルジオ越後】コパ・アメリカを放送しない民放とNHKに「失敗したな」って思わせたら勝ち!
    https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=59055
    だって国内の親善試合は民放で放送するのに、コパ・アメリカは民放でもNHKでも放送しないんだ。試合時間が午前8時という通勤・通学の時間帯に重なったのもあるかもしれないが、あまりネームバリューのない五輪の選手たちでは、数字は取れないってことかな?

    個人的には選手選考ではなく単に時間帯の問題だとは思いますが、ただ今のデジタル放送ではサブチャンネルで放送する選択肢もありますから、単純に時間帯だけの問題でもないでしょう。おそらくは放映権料と見込まれる視聴率(民放ならそこから得られるCM収入)を検討して割に合わないと、テレビ局側が判断したのだと思います。

    アメリカ大陸で行われる試合の場合、時差によって日本での中継時間帯がどうしても午前中になってしまいます。土日ならともかく平日では・・・ということでしょうけれど、その「見込みが無い」コパアメリカをDAZNが独占放送することになりました。

    日本代表戦も「DAZN」で! コパ・アメリカ2019全試合独占ライブ配信決定
    https://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20190522/939854.html
    スポーツ・チャンネル「DAZN(ダゾーン)」は22日、日本時間6月15日より開催される南米王者決定戦、コパ・アメリカ2019の日本戦を含めた全試合を独占ライブ配信すると発表した。サッカー日本代表が出場する一大会の全試合をデジタルプラットフォームで配信するのは国内で史上初となる。

    DAZNはどんどんコンテンツ内容を充実させていっていますが、本当に経営的に大丈夫なのかな、と心配してしまうくらい、値上げもせずに放送される量を増やしていき続けています。

    今の時代はネットで簡単にニュース・速報を見ることが出来ますので、テレビでのスポーツ中継も基本的には生中継でないと、先に結果を見てしまって興ざめするケースが出てきます。

    サッカーはファンの主張が強いからかどうか分かりませんが、ディレイ放送や録画放送はほぼありません。バレーボールやフィギュアスケートではゴールデンタイムにディレイ放送や録画放送が行われていますが、そのうちDAZNが生中継での時間帯の放映権を獲得するのではないでしょうか。

    テレビはどうしても視聴率が取れる時間帯での放送にこだわるでしょうけれど、そうなるとコアなファンはDAZNで生中継観戦、ライトなファンはテレビでゴールデンタイムに録画放送を観戦するような、二極化の状態になってしまいます。

    そうなると、ゴールデンタイムの直前の時間帯に放送されるニュースでは、既に出ているそのスポーツの結果を報道できないことになります。

    こうなるとテレビの意味や価値が問われかねません。紙媒体のメディア(特にニュース)をテレビが圧倒できた原因の一つが速報性だったはずですが、その速報性を自ら捨ててしまったらテレビは何が出来るでしょうか。単に利用者が無料で閲覧できるだけのことになるのであれば、YouTubeのようなCM込みのウェブメディアで済むことになります。

    ドラマやバラエティ番組ならともかく、テレビがスポーツ中継を生放送で実施せず、ニュースでも結果を伝えないとしたら、テレビにおけるスポーツ中継・スポーツ報道の存在意義が問われることになります。

    今回の、コパアメリカのテレビ中継無しという事例は、スポーツのテレビ放送の終わりの始まりになるかも知れません。

    と、ここまで書いていたら、こんなニュースがありました。

    天心ダウン場面がCM突入で映らず非難、苦情殺到のフジRIZIN生放送不手際はなぜ起きたのか?(THE PAGE)
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190603-00010000-wordleafs-fight

    民放テレビ局であればCMはどこかで必ず入れないといけないですし、ラウンド間よりはラウンド中の方がそのCM中の視聴率は高いのは間違いないでしょう。そういう算段での「治療中にもCMを入れる」というルール決めだったのでしょうけれど、さすがに60秒ではなく15秒にするべきだったんでしょうね。格闘技にしろ球技にしろ、CMを入れやすいのは休憩のタイミングです。しかしそれは視聴者にとっても休憩にもってこいのタイミングですから、競技中よりもCMの方が視聴率が落ちるという、民放としては存在自体に立脚する根源的な問題があります。

    だからこそ、こういったCMまたぎの苦肉の策が生まれたわけですが、多用することでかえってテレビ離れを招くという、薬物濫用の副作用のような悪循環に陥る罠が待っていました。

    不愉快な「CMまたぎ」が今も流行 それでも止めない民放テレビ局の見識
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190528-00562384-shincho-ent

    テレビの「CMまたぎ」がなくなる日 “減らして効果を上げる”奇策とは (1/4)
    https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1902/21/news015.html

    しかし、ドラマやバラエティ番組のような、あらかじめ筋立てが決まっている番組であればCMまたぎも可能ですが、スポーツ中継ではいつ決定的場面が訪れるか分かりません。競技中のCMまたぎをそれでもあえて行うと、今回のRIZINの悲劇が待っているわけです。

    それでも民放でスポーツ中継を行うのなら、選挙や災害の時のようなL字型のテロップの箇所にCMを流すしかないでしょう。放送法的にOKなのか知りませんが。それがダメなら、少なくとも民放テレビ局でのスポーツ生中継は遠からず絶滅すると思います。