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  • 約束手形の廃止は下請けの救済ではないのではないか

    政府、経済産業省が、2026年を目処に紙の約束手形を廃止する方針にするそうです。

    約束手形、26年までに利用廃止へ
    https://this.kiji.is/734703409023287296

    私自身はかつて仕事で、紙の小切手・約束手形の受け取りも振り出しも割引もやったことがありますが、今は使っている企業も非常に少ないでしょうね。新興企業ではまず使わないでしょうし、古くからある企業でも面倒さを考えると、どこも銀行振込を選択しているはずですので、経理畑で長年働いている人か、金融関係に勤めている人か、古い業界の零細企業などで働いている人くらいしか約束手形なんて見たこともないでしょう。

    政府の思惑としては約束手形が無くなることで、下請け企業が長期のサイト(振出日から支払期日までの日数)によって資金繰りに苦しむことを無くす、ということなんでしょうけれど、むしろかえって資金繰りに窮するところも出てくるんじゃないでしょうか?

    受け取った手形のサイトが長すぎることで資金が足りなくなる下請けは、そもそもそれを割り引いて現金化しているはずです。紙の約束手形が無くなれば、手形割引での資金繰りが出来なくなります。

    「約束手形が無くなれば大企業は下請けに、短いサイトで支払うはず!」

    と政府の役人が本気で思っていたら正気を疑います。そんな誠実さがある企業ならそもそも長いサイトの約束手形なんて切ってません。

    約束手形が無くなれば、下請けに対して厳しい対応をする大企業側は、

    ・為替手形を使って自己宛為替手形を代わりにする→下請け側は何も変わらない。
    ・約束手形の時の支払期日に小切手を振り出す→手形割引による資金融通が出来なくなってかえって下請け側が苦しむ
    ・電子記録債権になる→デジタル化に対応出来ない、例えば年配の人だけでやっているような零細企業が資金繰りに苦しむ
    ・元の最後の日に銀行振り込みする→振り込まれるまで下請け側は資金繰りに苦しむ

    支払債券をファクタリングするサービス・企業も今では豊富に存在しますが、これまで紙の約束手形を使っていた人・企業がそんな簡単に使えますかね。

    政府が本当に取り組むべきは多重下請け構造に手を入れることでしょうけれど、約束手形を無くすだけでは大して変わらないと思います。

    むしろ、約束手形関係の銀行業務に関する費用の削減の方が大きいんじゃないかと邪推してしまいます。

    年々、小切手・手形の交換高や枚数は減ってきています。交換所の数も減っていますが、それでも銀行にとっては長年取引のある企業の要求があれば手形を扱わねばなりません。銀行振込、特にネットバンキングであれば銀行側の人件費はほぼかかりませんが(もちろんシステムの費用はかかりますが)、手形や小切手は人の目と手での確認・手続きが必ず必要になります。長期のサイトの手形の保管も銀行にしてみたら直接利益を生まない業務かつ絶対に失敗が許されない業務でもあります。

    今後増えていくことがまずあり得ない手形や小切手に関しては銀行も扱いたくないんじゃないでしょうかね。将来的にはブロックチェーンを生かした非代替性トークン、スマートコントラクト、中央銀行発行のデジタル通貨が中心になるとしたら(そして政府や日銀が銀行をそっち方向に向かせたいなら)、アナログ的な業務が無くなるように持っていくのも無理からぬことでしょう。

    ただ、ノンバンクで手形割引を生業にしている業者は厳しくなるでしょうね。大手の業者なら電子債権も扱うでしょうけれど。

  • クラブのアイデンティティ変更の問題

    中国のプロサッカーでは今年2021年のシーズンから、チーム名称に企業名を入れないようにする規則を適用するそうです。

    焦点:「チーム名は魂」、中国サッカーファンが変更に猛反発
    https://jp.reuters.com/article/soccer-china-idJPKBN2A80S7

    日本のJリーグでは90年代の途中に、クラブ名称から親会社の名前が入らなくなりました。この件では当時の川淵三郎チェアマンと、ヴェルディ川崎の事実上のオーナーだった読売新聞の渡邉恒雄氏との激烈なやり取りがありましたが、上記の記事によると中国超級リーグの変更については、サポーター側が色々反対しているようです。

    Jリーグでは発足時の理念をある程度サポーターも理解していましたので、チーム名称に企業名が入らないということについては大きな反対は無かったと記憶しています。もちろん、読売ヴェルディのように全てのステークホルダーが納得したわけではないですし、今でも企業名が入るなら多額の金を突っ込みたい企業もいるでしょう。ただ、当面はJリーグにおいては変更はないと思います。企業名を入れることでの反発の方が、先述の中国の例とは逆に起こることは容易に予想できます。

    むしろ今回の超級リーグでの反対運動は、ヴィッセル神戸のオーナーが楽天の三木谷社長に代わった後、チームカラーが変更になった時の反発が近いかも知れません。あの時は、クラブの経営がどうしようもなくなり、ホワイトナイトの如く買収して資金投下して救ってくれた三木谷氏に感謝しつつも、三木谷氏が好きなクリムゾンレッドにチームカラーを変更したことで、サポーターにとっては複雑だったでしょう。批判しすぎてやっぱり止めた、と三木谷氏に言われればクラブが潰れることもあり得る以上、我慢や納得して変更を受け入れる以外の選択肢が事実上無かったわけです。

    あるいは、先年のFC町田ゼルビアの名称変更騒ぎも似ているでしょうか。こちらも、サイバーエージェントが買収して1年後に、藤田社長がクラブ名をFC町田トウキョウに変更し、エンブレムも変更するということでサポーターからの大きな反発を招きました。結局すぐに撤回・保留したことで収まりましたが、ヴィッセル神戸の時と異なりSNS時代であることもあって一気にTwitterなどで大騒ぎになりました。

    神戸にしろ町田にしろ、運営会社が変わり、オーナーの意向やマーケティングなどのために手を入れようとするもので、リーグレベルの変更ではありませんでした。

    リーグレベルの変更でちょっとした話題になったのは、昨年秋、JリーグがこれからのJリーグチームのユニフォームには、背番号・選手名のフォントを全クラブで共通化すると発表した件ですね。

    こちらは私の個人的には視認性の向上のためなら賛成、としたnoteを書いたのですが、

    https://hrsgmb.com/n/ned9ff06cfa28

    先日、レプリカユニフォームの生産・発送が大幅に遅延していることでチェアマンらの謝罪がありました。

    2021Jリーグオフィシャルネーム&ナンバー付ユニフォームをご購入いただいている皆さまへのお詫びとご報告
    https://www.jleague.jp/news/article/19335/

    よりによって一部クラブやサポーターらの反発を押し切って導入した件でやらかしてしまったわけですが、ただでさえコロナ禍で入場料収入を稼げないクラブにとっては、貴重な収入源であるグッズ販売でサポーターに迷惑をかけるというのはたまったものではないでしょうね。

    日本のJリーグでのクラブ名称などの変更は、これら以外にも大小様々ありましたが、リーグ・クラブ・企業・サポーターらが不満はあれど折り合いを付けてやってきました。一方で、中国超級リーグでの今回の名称変更問題はどのように落ち着くでしょうか。

    しかし、この超級リーグの一件では、企業側・クラブ側でのアクションがざっくり検索しても見当たりません。

    日本よりも強権的な政治体制である中国ですから、中国サッカー協会の方針に対して、どこの企業も反対出来ずに受け入れざるを得なかったのかも知れません。表立って反発したところで、クラブ側はどうしようもないのでしょう。

    中国に限らず、Jリーグだって先に書いた川渕・ナベツネ抗争の時も、ヴェルディが反発して脱退して新リーグを立ち上げようとしても何も出来ず、ともすればFIFAからペナルティを食らう可能性を考えれば、クラブ側は協会・リーグの意向に究極的には逆らえません。マリノス・フリューゲルスの合併のようにクラブ・企業側が強行したこともありましたが、2チームが0チームになるか1チームになるかの二択を提示されたら後者を選択するしかありません。

    ともかく、最終的には逆らってもどうしようもないのは超級リーグでも同じでしょう。ファンらもブーブー言いながら結局は受け入れるしかないでしょうね。

  • カルト化するリベラルによる文化盗用批判

    人種差別・民族差別と並んでよく取り上げられる問題として、文化盗用があります。

    正直、自分自身がちゃんと文化東洋とはどういうあたりが問題なのか理解出来ていない気がしますが、自分の所属している文化とは異なる文化を上辺だけなぞって中途半端でいい加減な利用をする、ということなんでしょうかね。

    「これは文化盗用だ!」
    と糾弾する事例に出くわしても、いまいち何で問題視するのかが分かりづらいのですが、他文化・異文化を尊重しろ、という非難なんでしょう。

    もしかすると、日本人的感性では文化盗用という概念は理解しづらいのかも知れません。全てではありませんが、そもそも日本文化は色々なところから集まって出来たものでもあります。

    ユーラシア大陸の東端の海に浮かぶ島国には、大陸から際限なく影響がもたらされてきました。日本独自の文化ももちろん存在しますが、よそから来た文化に影響され、触発されて生み出され、洗練されてまた他文化を取り込んで発展してきたものです。

    そう考えると、そもそも文化なんていくつもの文化が混ざり合って変化し続けるものであり、特定の文化圏に属する人が他の文化に影響されること自体を否定するというのはどだい無理な話です。

    表現、特に芸術分野においては他文化からの影響を排除したらほぼ全てが消滅します。

    まあ、確かに偏見や誹謗や嘲笑のために異文化をネタにするような人もいますが、それはそもそも文化盗用として以前にネタの使い方に問題があるので、そういう批判をすれば良いのだと思いますが、そうでもないんでしょうか。

    文化は混じり合わないと発展しないものです。インスピレーションやセレンディピティというものは、異なるものを結びつけてこそ起こり得ます。他文化を拝借する程度ならゴチャゴチャ言わんでいいやん、と思うのですが。

    リベラル派の人が文化盗用云々と言って誰かを血祭りに上げていると、表現規制に容易につながりますが、それはそもそもリベラル的よりも保守的な考えでしょう。左右が一直線になっているというよりも、円グラフの最初と最後がくっついているようなイメージでしょうか。極左と極右は考え方が似ています。

    行き過ぎた国家社会主義と、共産的な社会主義が共に強烈な国家・政府主導の社会を志向するようなものでしょうか。

    自分たちだけの考えが正しいと考えてしまうのは、極端な思想の集団にあるのは当たり前ですが、他者を受け入れない純粋さは危険です。

    少なくとも西欧は数百年前に魔女狩りや異端、カトリックとプロテスタントの宗教戦争などでそのヤバさを経験しているはずなのですけれどね。

  • 個人的海外サッカー視聴状況

    Jリーグファン、ガンバ大阪サポーターなので当然ながら観るサッカーはJリーグが圧倒的に多くなります。昨年まではJ1でガンバ大阪、J3でガンバ大阪U23の試合があったので、J1とJ3のどちらも楽しめました。ガンバの2チームの試合が無い日はJ2も観ていましたので、結局のところJ1からJ3まで楽しんでいたのですが、それ以外にも今ではアマチュア最高峰のJFLがYouTubeライブで観戦できますし、さらにその下の関西サッカーリーグも一部の試合はYouTube配信をちょくちょく観ていました。

    国内のサッカーはかなりの試合数を年間通じて観ていますが、その一方であまり海外のサッカーは観ていませんでした。我ながらなぜか、あまり積極的に観る気がしないというか、なんとなく食わず嫌いのようになってしまっています。

    Jリーグに比べると強豪が強すぎるというはっきりしたチーム関係のためかも知れません。強いチームが順当に勝つのを観るのもなあという気もします。もちろん、戦術に詳しい知識があれば楽しめるのでしょうけれど、レベルが高いため私のようなポンコツサッカーファンにはかえって楽しめないのかも知れません。

    例えばバルサが下位チームに対して前半15分で2点リードしたらまあ波乱は起きないでしょうし、ドキドキ感はありません。

    ただ、一番大きいのは選手が身近な存在ではないからかなと思います。

    日本で言えば、J1に限らずJ2でもJ3でも元ガンバ所属の選手は各チームにたくさんいます。元ガンバでなくても、かつてJ1でプレーしていたのなら名前や顔を知っているケースも多いので、JFLや地域リーグでプレーしている選手を見つけると遠い存在には思えません。

    「おー、あの選手が今はここでプレーしているのか」

    という感想は、JFLでもよく出てきます。それが海外のサッカーでは感覚的に無いから観る気があまり湧いてこない可能性はあります。

    そうは言っても現在では欧州にも日本人選手は数多く所属していますので、身近にはなってはいますが、間が悪いというか、ガンバから欧州に渡った選手がDAZNであまり観られません。ファンウィジョも頑張っているみたいですが、フランスリーグは全試合が対象ではないので運によります。

    かつて90年代には、三浦知良ついで中田英寿がプレーしていたセリエAのダイジェストをフジテレビが毎週放送していて、熱心に観ていた記憶があります。

    かつてのスカパー!時代には、Jリーグを観るための国内サッカーセットと欧州サッカーセットで分かれていました。全部見ることが出来るセットもありましたが、高かったですし夜中に観るのも大変だったので選びませんでしたが、DAZNは1つのプランしかないので、Jリーグを観るのもプレミアリーグを観るのも費用的には同じです。

    とりあえずは、Jリーグが始まるまでは少しずつ欧州サッカーも観ていこうかなと思います。選手を覚え始めたところで、開幕したJリーグのみに集中する未来が目に見えていますが。

  • イジり笑いは高等技術

    誰かや何かを揶揄して笑いを取るというのは、よく「イジり」と言われます。

    簡単に笑いに出来るので、結構誰でも手を出してしまいますが、個人的には「イジり」って結構なお笑いの高等技術なんじゃないかなと思います。

    イジられる側の特徴や欠点、短所などをネタにして盛り上がるわけですから、そのイジられる対象とイジる対象には関係性が必要です。

    その辺を勘違いして、イジる側が単なる悪口を言ってしまっているだけになることもあります。特に日本社会の上下関係、先輩後輩、年上年下などの属性を重視する人間関係では、上側の人が下側の人をイジることも多く、ともすれば強圧的、一方的な発言となってしまって楽しい笑いにはならないことも多いです。

    イジメ問題も、「イジり」と「イジメ」の境界線を理解していない、あるいはそのフリをして誰かを傷つけているのを見過ごす周囲の問題という一面があります。学校のクラスでイジメがあっても、「じゃれているだけだと思った」という教師側の主張がちょくちょくあります。本当にそうなのかも知れませんし、虐める側も実際に虐めるつもりではないのかも知れませんが、イジられている方がイジメだと思ったら、それは「イジり」ではなくなります。

    イジりネタは難しいのです。プロの芸人でも必ず成功するわけではないでしょう。微妙な空気やイジられた側が起こった場合はテレビで放送しませんし、あくまで上手く行って成功したイジり笑いだけがお茶の間に届けられています。

    それを見て、
    「ヨシ、自分も誰かをイジって笑いを取ろう!」
    と意気込んで素人がやると失敗しかねません。本当に成立するには、しゃべりやネタの面白さに加えて、イジられる側の寛容性とイジる側の愛情が必要です。また、その笑いを聞く側にもイジる人とイジられる人の関係性を理解して、本気で悪口を言っているのではないという了解のもとに、ようやく笑いが生まれます。

    先般の、森喜朗氏の女性がいる会議は長いという話も、一種の女性イジりだったかも知れません。今の時代では「女性とは〜〜」という切り口は立場のある人が公的に話すと、例え褒めていてもダメなものだと思います。

    いっそのこと個人名を挙げて、誰それがいると会議が長くなる、という発言だったら女性差別と言うよりは個人イジり扱いになっていたかも知れませんが、それはそれで結局はイジメだと非難されていたでしょう。

    もちろん昔からイジりネタというのはありました。それに対して内心では傷つきながらも周囲の空気や力関係のために感情を押し殺したイジられる側が、最近でははっきりと反対、対抗するようになってきて、イジり笑いが実は難しいという状況になってきた一面もあると思います。

    少し前からよく見かける、「誰も傷つけない笑い」というのは、イジり笑いの難しさ、間口の狭さに対して生まれたものなのかも知れませんね。

  • 明暗は分かれていないけれど方向性が異なるSoftBankと楽天

    SoftBankは一般的なイメージとして何の会社?と聞かれたら、今のところはまだ携帯電話事業のイメージが大きいでしょうか。

    ただ、すでにやっていることとしては、もはやビジョンファンドに代表されるような投資事業がメインとみていいでしょう。投資会社が携帯電話事業もやっているような格好です。

    元はソフトウェア販売や出版事業から始まりましたが、投資事業として手を出している業種を含めるととてつもない多角化企業になっています。業種だけではなく、事業を展開している国を考えると多国籍企業でもあります。

    楽天も業種としては様々なサービスを行っていますが、多くは日本国内の事業です。また、基本的にはウェブ上だけかウェブを介して利用出来るサービスがメインであり、楽天グループは個人向けウェブ関連の総合商社のようになっています。世界進出を狙っての英語公用化をしましたが、SoftBankだったら海外進出は外国企業を買収して済ませるでしょう。

    携帯電話事業においても事業に乗り出すアプローチは大きく異なりました。Vodafoneを買収したSoftBankと、MVNOから始めてMNOに脱皮した楽天モバイルと見事に対照的です。

    もちろん楽天だって買収していないわけではなく、カード事業、証券会社、銀行事業なんかは買収して名前を変えてグループに加えています。一から立ち上げるのが許認可などで面倒な金融サービスだからかも知れませんけれど。

    楽天はあくまで、本体の楽天市場などネットショッピング事業での利用を増やすことが、他のグループ会社の事業運営も含めて究極の目的です。もちろんそれぞれの事業・子会社ごと単体での売上利益も重要でしょうけれど、トータルでの利益が生まれるなら多少の赤字は容認されるでしょう。まさに今の楽天モバイルは巨大な赤字を流してでも、楽天経済圏の新規ユーザー獲得、楽天モバイル経由での楽天各サービスの利用を増やすために維持しようとしています。

    SoftBankというか、孫正義さんはもはや日本国内の事業にはあまり興味が無いように、部外者からは見えることがあります。100%国外というわけでもないでしょうけれど、規模の大きな投資や、大化けするようなベンチャー出資などを考えればアメリカやアジア市場になるでしょうね。シードやアーリーではなく、レイターステージでの出資が多いのでなおさらです。

    今話題のClubhouseだって、かつてFacebookがInstagramを買収したように、利益が上がらない段階でどこかに買収されるかも知れませんが、SoftBank(ビジョンファンド)が名乗りを上げる可能性もあると思います。

    これが楽天だったら似たサービスを後追いで始めて数年後に撤退するのがパターンなんですが。

  • 洋の東西のコインとマスクと水戸黄門

    今さらながらではありますが、西洋古代史に関する本を読んでいて気が付いたことが一つあって、ギリシャやローマ時代の古銭ってたいてい人の顔が描かれています。だいたいはそのコインを作らせた君主の顔です。

    逆に日本や中国の古銭は中央に方形の穴が空いているので、当然ながら人の顔なんてありません。東洋では共通文字だった漢字が表意文字であり、少ない文字数で多くの意味を込められることもあってか、漢字四文字を穴の上下左右に配置するだけで多くの情報を載せられます。

    穴のあるコインのメリットとしては、単純に金属原料をその分節約できますし、穴に紐や棒を通して持ち運びや計算をしやすくなります。しかも強度はそれほど落ちません。

    じゃあなんで穴の無いコインなんて作るのかと思ってウェブで検索すると、どうやら中国などのコインは鋳造で作るので最初から穴を空けて作られるが、西洋のコインは鍛造で作るので穴を空けることは実質不可能、ということらしいです。

    へーそうなんや、とは思いましたが、いやそれでも東西の交流はいわゆるシルクロードなり、あるいは船なりで結構昔からありました。中国で作られたコインがローマで使えたわけではないにしても、途中の貿易では中継地点で使われていたはずです。全てが物々交換のみで成り立っていたわけではありません。

    情報だって行き来していたはずですが、ヨーロッパや中東で穴あきコインを作ろうとはしなかったんでしょうか? もしかするとコインに君主などの顔が入っていることが重要な社会になっていたのかも知れません。

    逆、つまり西洋の君主の顔入りコインの情報も中国社会に届いていたはずですが、コインを作らせた皇帝の肖像が入ったコインもありません。

    鋳造と鍛造の違いという技術的理由だけでもない気がしますが、東洋の王権制国家においては君主のご尊顔というのは畏れ多い対象であって、庶民が使うコインに刻むわけにはいかなかったのでしょうか。

    人の顔に関する考え方自体がそもそも東洋と西洋では違う気がします。日本人はSNSでもYouTubeでも顔を出さない人の割合が、西洋の人よりは少ないのではないかと思います。Vチューバーやアニメアイコンなんかその分かりやすい例です。

    もちろん外国でも顔を出さない人はいると思いますが、自分の顔が公開されることに忌避感は持っていないでしょう。

    これが逆に、東アジア諸国ではマスク着用に対してさほど拒否運動が起きていないことと、欧米諸国でマスク義務化に大きな反対が起き続けていることにもつながっていると思います。

    水戸黄門の時代劇で
    「ここにおわすお方をどなたと心得る! ここにおわすは先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ! 頭が高い、控えおろう!」
    という有名な台詞は、偉い人の顔を直接見てはいけないというルールを象徴しています。

    人の顔を直接見ることが失礼なシチュエーションが存在することを思えば、マスクをしている人の顔が半分見えなくてもコミュニケーションが成り立つ社会であるのは当然かも知れません。

    表情が豊かな欧米社会ではマスクで顔を隠す人に対して無意識的に無条件で不安を抱いてしまうというのは分からないでもありません。だからと言ってマスク反対デモを密集して行うのは理解出来ませんが。

  • 逆張り・天邪鬼の社会的存在意義

    世の中にはたまに、多くの人の意見にあえて逆らって逆の言動を行う、いわゆる逆張りを狙う人がいます。

    本来は投資・相場で使われる用語で、買いが優勢なときに売り、売りが優勢なときに買うことを逆張りといい、逆張り投資家のことを「コントラリアン」と言います。天邪鬼(あまのじゃく)も似たようなものでしょうか。

    例えば、ずっと値上がりしている株があるとして、いつまでも上がり続けるわけがない、どこかで下がるから価格が高い内に空売りして下がったときに儲けることを狙おうとするのが、分かりやすい逆張りです。

    転じて、世の趨勢に逆らう、大多数の見解とは逆を行く人のこと時代と逆張り・コントラリアンと称するようになりました。

    さて、こういったトレンドの逆を行き、トレンドそのものや追随する人を批判する立場のコントラリアンは、時には世の中から激しい拒否反応を受けることがあります。

    世の大勢が安易な考えに流されているのであれば、それはもちろん貴重な反対意見であるのですが、倫理や道徳、法律や秩序の逆を行くような逆張りは当然ながら非難されやすくなります。

    大多数から見れば異質な、排除すべき異分子に思えるかも知れませんが、行き過ぎを防止するバランサーと考えておけば寛容にもなれるでしょうけれど、たいていは「なぜみんなと同じ意見にならない」と理解出来ません。

    反射的に逆張り意見を言う人もある程度は必要です。

    現代は多様性の世界とはよく言うものの、なかなかそうはいきません。多様性を否定しがちな保守的な言論はもちろんのこと、多様性を擁護する立場のはずのリベラル側だって大差は無いかも知れません。

    言葉遊びのようですが、
    「多様性を否定する意見は一切認めない」
    という一文には矛盾が存在します。

    0と1しか認めない二元論は分かりやすいものですが、たいていの事象はその間に存在します。多様性を100%認めないわけではないけれど、どっちかというと嫌いかも、というレベルの意見すら認めないのであれば、やはり多様性を認めるリベラルとは言えないでしょう。

    多様性こそ至高かつ唯一無二と決めつけてしまえば行き着く先はカルト化しかありません。それこそ最も嫌うべき考えのはずですが。

    むしろ無理矢理強制した多様性には個性がありません。確率論的にバラツキを無くすには人為的介入が必要です。相対化が行き過ぎると自由が無くなるのです。

    しかし、だからと言って天邪鬼や逆張り人間を好きでいてくれと要求するのも難しい話です。そもそもみんなの意見に逆らうのですから嫌われて当然でもあります。

    中国の唐王朝初期に活躍した魏徴という人がいます。名君と呼ばれた唐の太宗に仕え、諫言をし続けて支えた人物で、いわば太宗に反対するのが仕事でした。

    普通は諫言されると君主は嫌な気分になります。太宗は内心はともかく対応としては魏徴を尊重し、彼の諫言が正しいと判断すれば受け入れて行動を改め、その一方で唯々諾々と受け入れるのではなく、諫言を検討した上で、自分が正しければその諫言は退けて行動しました。

    だからこそ、貞観政要などが後世の中国だけではなく朝鮮や日本にも伝わり長く名君として模範となりました。

    絶対的な生殺与奪を握る君主に反対意見を言うのは勇気が必要です。歴史上、厳しい諫言を奉った臣下は君主に疎まれ、退けられ、時には左遷、流刑そして処刑も行われてきました。

    今の世の中はそんな存在はいませんが、ネット経由で「名も無い大多数」という、時には炎上を作り上げる暴君にもなり得る存在はいます。そんな存在に対する逆張りは、現代の直諫に当たるかも知れません。

    諫言してもTwitterが炎上する程度で済むなら、やはり今の世の中は昔よりはマシなんでしょうね。

  • 個人や小さな企業が提供するサービスへの依存の怖さ

    先日、とあるGoogleChromeの拡張機能がGoogleにマルウェア扱いされて削除されました。

    Chrome向け拡張機能「The Great Suspender」がマルウェア化しているという指摘 – GIGAZINE
    https://gigazine.net/news/20210121-the-great-suspender/

    マルウェア化した「The Great Suspender」がChromeウェブストアから消滅、拡張機能削除時に巻き添えで消えたタブを復旧させる方法はコレ – GIGAZINE
    https://gigazine.net/news/20210205-the-great-suspender-get-tabs-back/

    所有権が開発者から別の人物に譲渡され、その後に追加されたコードに色々怪しい機能があったことでマルウェアと見なされたわけですが、こういったことは以前にもありました。

    ここまで怪しいわけではないかも知れませんが、かつて日本語入力アプリのsimejiも、元の開発者から百度(Baidu)に買収された後に不審なデータ送信の問題がありました。

    個人レベルあるいは小さな企業レベルで開発されたアプリやウェブサービスが人気になってくると、当然ですが大企業による買収のターゲットになります。

    Skype、Android、YouTube、Instagramなどそんな例は山ほどありますが、大企業が買収した後に従来のユーザーの思ってもみない変更をされてしまうこともよくあります。

    そんなことなら最初から、そういうサービスを大企業がパクって提供しているサービスの方を使った方が余計な心配が要らない、といってしまうと、それはそれで小規模開発者が絶滅してしまいます。

    ユーザーからしたら愛用するサービスが買収されて、機能改悪だけならまだしもさらに情報の怪しい窃取がされてしまうリスクはたまったものではありません。

    逆から見れば、買収する側はもちろんそれが狙いです。サービスを開発するのに必要な費用と多数のユーザーを獲得する営業費用の合計よりも、買収費用が下回るのなら買収した時点で費用を回収することになります。

    買収される側ももちろんユーザーを多数抱えていることが高値での売却の条件になります。言い方は悪いですがユーザーを売るからこそ大金持ちになれます。

    小企業を大企業が買収することによる、ユーザー側のメリットも本来ならあります。大企業の豊富なリソースを生かしてのメンテナンス性・機能性向上や、他のサービスとの連携することでさらにユーザー体験が豊かになるなど、可能性が広がるはずです。

    しかし、個人情報の取り扱いが今はデメリットの方が大きいかも知れないです。

    ある程度以上の普及や売上があるサービス・アプリを買収する際には、必ず、ユーザーにその後の利用を可否を求める法律でも作るしかないでしょうか。それだと買収する側のメリットが減り、売値が下がってしまう可能性があり、活発なアプリ開発の制限をしてしまいかねないことになります。

    ただ、そもそも最近では、大企業が勃興してきた新しいサービスを買収しまくって、結果的にGAFAなどの一部の企業がウェブ経由の消費者サービスを独占する、という社会問題が既に大きくなっています。そう考えると、買収に対しての多少の制限はしてしかるべきでしょうか。

    そういう規制で売る側・買う側・消費者の三方よしとなればいいのですが。

  • 信奉されないどころか陰謀論者の餌食になるビル・ゲイツ

    Apple信者やスティーブ・ジョブズを崇拝している人は良く見かけますが、MicrosoftやWindowsやビル・ゲイツを信奉している人はあまりいないですよね。

    ジョブズもゲイツも共に偉大な人物ですし、彼らが創業したAppleとMicrosoftは二社とも20世紀末から21世紀にかけて世界中に巨大な影響を及ぼし続けている会社だと思うのですが。

    ジョブズは既に亡くなって久しいので、直接的な影響力というのはかなり無くなったようにも思えます。Appleの製品ラインナップの増加やネーミングの混迷を見るに、ジョブズが求めたシンプルさは結構消えつつあるのかな、とも思ってしまいます。多くの製品のデザインを担っていたジョナサン・アイブもAppleを離れましたし。

    ゲイツは今も存命ですが、ジョブズの亡くなった時期よりももっと早くに、Microsoftの直接的な経営からは退いていました。後を継いだスティーブ・バルマー、その後のサティア・ナデラがMicrosoftの代名詞的存在とは言えず、未だにMicrosoftやWindowsで思いつく人物がビル・ゲイツになると思います。

    ゲイツはもはや技術者や経営者ではなく、慈善団体の運営者なのですが、その慈善事業の一環である、感染症対策やワクチン普及による影響力から、世界中の人類にナノマシンを埋め込んで操作して世界を支配しようとしている、というクソみたいな陰謀論のターゲットにもなってしまいました。

    陰謀論は信じる人の為に存在するので、論理的に論破しても意味がありません。ゲイツにしてみたら否定してもかえって怪しいと言われるというどうしようもない状況になっていますが、今回の新型コロナウイルスもゲイツが仕掛けたと言われたらやりきれないでしょう。

    そもそもコロナ禍の中でも社会や経済が落ち込みつつも決定的な破綻をしていない一つの理由は、パソコンとインターネットが企業にも個人にも普及してテレワークが可能な人が増えたからです。その点では、大規模な感染症に対抗する手段に大きな貢献をしたと言えるはずなのですが、むしろコロナ禍でパソコンやネットでの売上を上げて金儲けするためにコロナウイルスをばらまいた張本人と呼ばれる始末です。

    Microsoft時代に散々、利用者からボロクソに言われていたでしょうから、批判にもそれなりに耐性はあるのでしょうけれど。

    スマホやタブレットの普及に大きな貢献をしたスティーブ・ジョブズは陰謀論のターゲットにはなりませんね。もう故人であることも理由の一つでしょうけれど、陰謀論者がみんなスマホ使っているからだったりして。

  • 淘汰と生存の狭間のClubhouse

    目先の利く人はとっくにやっていて、流行に乗り遅れたくない人が話題にしてマウントを取ろうとする段階に入ってきたClubhouseですが、iPhoneを持っていない私も招待をもらってAndroid経由のSMS認証で、iPadでの利用が出来るようになりました。

    ただ、よく分からないのでとりあえずフォローは招待してくれた人のみにして、たまにチラ見しているだけの状態です。音声だけのチャットルームの使い方というか、何のために必要なんだろうというのはずっと疑問に思っているのですが、Twitterとかを眺めていると、みんなで同じサッカー中継を見ながらClubhouseを使う、というやり方があるようです。

    なるほどそれなら面白いかも、と思いました。これはプロの実況・解説者がやれば結構バズるネタかも知れません。

    ただ、それにしたってそもそもClubhouseでないと出来ないことなのか、というとまた違ってきます。

    音声配信・私的ラジオ配信アプリは既に複数存在しています。RadiotalkやSpoonなどはそこそこ利用者がいます。

    今回のClubhouse騒ぎは、イーロン・マスクやらアメリカの実業家・セレブのようなインフルエンサーが加わってきて、日本国内でも目敏さで生きているような人たちがそれに乗っかってきてブームっぽいものが形成された流れですので、サービスそのものの質が評価されたからとも言えないと思います。

    これから、Clubhouseが音声配信メディアの王者となるのか、競合サービスが打ち負かすのか、あるいは音声配信サービス自体が下火になるのか、いずれかの未来になるでしょう。複数乱立状態がずっと続くとは思えません。せいぜい2,3のサービスに集約されるはずです。

    新しい業界の勃興期において業者が乱立するのは歴史的にはよくあることです。19世紀に印刷・通信・鉄道の発達が新聞という新しいメディアを生み出したとき、新聞社は大量に出来ましたが今の日本では全国紙と地方紙で棲み分けが安定しています。鉄道だって全国に私鉄が作られてから国鉄が合併したり、私鉄同士の合併である程度にまとまっていきました。

    テレビ・ラジオは電波管理という参入障壁が高かったため、吸収合併劇がほぼありませんでしたが、90年代になってパソコン・インターネットの爆発的な普及は、パソコンメーカー・パソコンパーツメーカー・インターネットプロバイダーを大量に生み出し、大量に淘汰されていきました。

    携帯電話・PHS事業だってかつてはたくさん携帯会社がありましたが、今ではdocomo・au・SoftBankにようやく楽天モバイルが入ってきたくらいです。

    勃興・普及の時期から安定期に入ると、倒産・合併などを経て勝手に淘汰されて残るものが限られます。

    新規参入の障壁が低いものならなおさらです。

    動画配信サービスだって、Ustreamのような老舗も消えてしまいました。ニコ動もどうなるでしょうね。

    たいていのウェブサービス・アプリは、技術的にはすぐに真似ることが可能なものです。違いを生み出すのは、そのサービスで得られる体験に関する目の付け所です。

    そして先にユーザーを獲得できれば後から金はついてきます。InstagramがFacebookに買収されたとき、ユーザーはいても売上ゼロの状態でした。

    逆に最初からマネタイズを実現している配車サービスなんかは、システム自体はそれほど難しくないですので、ある程度の資本があれば実現出来ます。Uber、Lift、DiDiなど複数が激しい生存競争に陥っています。

    Clubhouseも当然、何らかの形で収入を得るように有料機能や広告を追加するでしょうけれど、マネタイズを焦って早めたりユーザー体験を損なう形で導入してしまうと、急速に熱気も冷めるんじゃないでしょうか。

  • ついに私権の制限をする日本

    コロナ特措法とも呼ばれる、改正特別措置法と改正感染症法が先日、国会で成立してすぐに施行されることになりました。

    内容やら成立の経緯やらについては賛否両論ありますが、ともかく遂に日本においても諸外国と同様に、新型コロナウイルス関連での私権の制限が具体的に行われることになります。

    日本人の食生活が云々とか、日本国民の民度がどうこうとか、日本を特別視する意見があったものの、二度目の緊急事態宣言という状況に至ってはそんなこと言っていられないということなのでしょう。

    政府や内閣の対応や、国会議員の会食好き問題については誰だって不満があるでしょうけれど、諸外国に比べて対応が遅いとか少ないとか言っていた人達にとっては待望の私権制限です。ビシバシ処罰する外国が羨ましくてしょうがなかったのでしょうし、ここのところは喜びで絶頂していることでしょう。

    会食を平気でしている議員同様に、今回の改正法に抵触する事例が国会議員やそれなりの大物においても出てきたときに、罰則を本当に適用できるのかな、という疑念も持ってしまいます。

    マスクをしないといけないところでマスクをしないと決めている人も同様かも知れません。他人の指示に従わないことに価値を置く人は、法律が出来ても変わらないでしょう。もし変わるのなら、むしろそれはそれで私権制限の正当性を擁護することになってしまいますので問題です。

    入院拒否するような人は、法律が出来ようが罰金を食らおうが懲役刑(今回はありませんが)を科されようが何が何でも自分を貫いてほしいものです。ただ、自分を貫けば自己責任という、現代日本社会では超巨大な影響力のあるブーメランが戻ってきますので、それも覚悟の上でしないといけませんが。

    ちなみにウォールストリートジャーナルで読みましたが、アメリカでは反マスク運動と反ワクチン運動が共闘しているそうです。なんというか地獄で悪魔に出会うような話です。ちがうか。喫茶店で自分の右隣のテーブルでマルチ商法の勧誘が始まって、左隣で新興宗教の勧誘が行われているような状況でしょうか。

    どちらにせよ、反コロナワクチンは日本でも起こり得ます。その時に反マスク派の人たちと
    「新型コロナはただの風邪だから何もしなくていい!」
    という合意に至るのはあり得るでしょう。そうなったときに、どう対応していけばいいでしょうね。