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  • リベラルによる言論弾圧という悪夢

    今、アメリカの情勢について発言する人は、自分の発言が黒人差別・人種差別と見なされないかどうかよく考えた上で発言しないと、色んな人達からナチス・ヒトラー・人種差別主義者呼ばわりされかねない状況となっています。

    もちろん、黒人差別も人種差別も肯定する理由などどこにもない、憎むべき思想ではありますが、それに該当するかどうかについては極端な発言以外は微妙なところがどこかにあるはずです。その微妙な線引きが一気に移動して、これまでだったら差別と見なされないような内容でも即差別と見なされて謝罪を求められる事態となりました。

    過去数百年間における欧米諸国による黒人差別・黒人奴隷の問題からいうと当然だ、という考えも当然あり得ますが、その考え以外、全ては人種差別だと決めつけてしまうというのはもし将来反動が起きたときにどうなってしまうのかと不安に思ってしまいます。

    ここまで書いてきた数百文字ですら、もしかしたら人種差別扱いされるかも知れません。誰もがビクビクしながら発言する世の中はまともと言えるのでしょうか。

    ジョージオーウェルが書いた「1984」に存在していたディストピアでは、全体主義国家において言論・思想の自由が存在しない状況をイマジネーションとリアリティを織り交ぜて表現されていましたが、まさかこの21世紀の民主主義国家においてリベラルによる言論弾圧が行われるとは思ってもみませんでした。

    ただ、冷静に考えてみると、先述の「1984」でも社会主義・共産主義から全体主義・独裁主義国家が生まれていますので、もともと左の思想と言論弾圧は親和性が高いものです。ソ連や中国、あるいはクメールルージュを思えば分かりやすいでしょう。

    もちろん、極右においても言論や思想は弾圧されます。戦前・戦時中の日本もそうでしたし、それこそ本物のナチスドイツでも同じです。極右も極左も行き着く先は国家による国民の絶対的な管理です。戦前の日本で国家社会主義が極右に広がっていたことや、ナチスの名前そのものにも「国家社会主義と入っています。社会主義が究極的には思想・言論の自由を奪ってしまう、というのはある意味当然のことです。

    右も左も行き過ぎれば自由は存在しなくなります。まだまだ今の社会はディストピアにまではなっていませんが、中道がもはや存在感を示せていない今、向かっている先はその反対である、右か左の極地でしょう。

  • 泡沫候補のハードル

    2020年の東京都知事選挙は現職の小池百合子知事の圧勝で終わりました。

    大阪府民としては東京都知事に誰がなろうと、直接的に生活に影響があるわけではないのでどうでもういいと言えばどうでもいい話です。もちろん、ソウル市長選挙やパリ市長選挙よりは影響があるはずですので、関心が無いわけではありません。

    結果は誰が考えても予想通りといえば予想通りなのですが、自分が都民だったら厳しい選挙だったかなとも思います。

    かつて2016年のアメリカ大統領選挙は、ウンコ味のカレーとカレー味のウンコの究極の選択だと思いましたが、今回の都知事選は大量に並んだウンコの中から食べても一番被害が少なそうなモノを選ぶような選挙だったように思えます。言い方は無茶苦茶悪いですが。

    まあ、投票当日に無理矢理ギョウザの話題をツイートするような国政政党の党首とかもいるくらいですし、ギョウザも食べちゃえば最終的にはそうなるのですから許されるでしょう。

    しかし毎回、泡沫候補、特に供託金を没収されるレベルの人達の意欲と資金力には驚かされます。所詮は他人の金ですし、回り回って税金として民衆に還元されると考えればマシと言えばマシなのですが、泡沫候補が多すぎるのはそれはそれで問題のように思えます。公開討論会などで全員を対象にしないと問題でしょうし、だからといって絶対に当選しないレベルの人の無茶苦茶な主張を現職や対抗馬の比較的まともな主張と同じ度合いで情報提供されないといけない、というのはどう考えても社会的なリソースの無駄遣いです。

    地方議会レベルならまあ良いとは思うのですが。当選しやすいですし。一人しか当選しない首長選挙はもう少しハードルを上げてもいいんじゃないでしょうか。

    ハードルを上げるにしても、単に供託金の金額を上げるのは良くないでしょう。普通選挙の価値が薄れてしまいます。供託金を没収された人は次回の同一選挙は立候補できないという案はダメなんでしょうか。開かれた選挙という理念的にはどうなのかという問題はありますが、それなら供託金だってダメなはずです。

    泡沫候補を事前に効果的にスクリーニングする仕組みが無い以上は、また次回の都知事選も同じようになるでしょうね。

  • 自民党の改憲における存在意義

    自民党が憲法改正とダーウィンの進化論を結びつけた主張を発信したことで批判を浴びています。

    引用の仕方がお粗末で、またそもそも憲法とは何の関係もない進化論を無理矢理持ち込んでいるのはみっともない限りですが、そもそも世間一般で進化論自体が誤解されているような気もします。

    今回の問題でソーカル事件も想起してしまいましたが、あれは物理学者が数学や物理学の用語を適当にちりばめた社会科学の論文を適当に作成して問題提起した事件ですので、そもそも進化論を理解していない自民党関係者が起こした今回の問題はまた別ですかね。どちらかというとボグダノフ事件の方が近いでしょうか。

    ソーカル事件
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    ボグダノフ事件
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    理系の用語・理論・概念などを文系の分野に安易に流用する、ということは学問の世界においてというよりも、コラムやエッセイやマスメディアなどの方がよく行われているかも知れません。いわゆる疑似科学みたいなものですが、よく知らない用語を連発しているような主張は胡散臭いと思っておいてそんはしないでしょう。

    ところで自民党が改憲を主張するのはそもそも党綱領に載っているように、自民党の存在意義でもあるからです。

    そうはいってもずっと改憲出来ていませんので、端から見ていると改憲することが存在意義というよりは、改憲を主張することが存在意義のようになってしまっています。改憲改憲と言い続けていれば改憲勢力と見なされますので、改憲を志向する有権者の支持はある程度集められます。その一方で、実際には改憲を実施できていないので、改憲が嫌な人にとっても投票することに罪悪感は覚えないという見方も出来ます。

    福本伸行の漫画「賭博黙示録カイジ」に出てくる利根川幸雄の台詞になぞらえると、

    「この自由民主党、こと憲法改正に限り虚偽は一切言わぬ 改憲する・・・・・・! 改憲するが・・・・・・今回まだその時と場所の指定まではしていない そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい つまり・・・・我々がその気になれば憲法改正は10年20年後ということも可能だろう・・・ということ・・・・!」

    とこんな感じでしょうか。

    今回の件で自民党は改憲に関して世間的に悪い評判が立ってしまったでしょうが、それほど気にしていないかも知れません。改憲しなくても自民党は存在できるのですから。

  • 差別が隠す別の差別

    今に始まったことではありませんが、人種差別や民族差別はほぼどこの国でも重要な問題とされています。ただ、それこそアメリカにおけるBLM運動を見るとおり、ほぼ解決もされていない問題でもあります。

    ヨーロッパでは中東や北アフリカから移民・難民が大量に入って来た、この10年くらいの間でさらに人種・民族・宗教の問題はクローズアップされてきましたが、一つの差別を解消するために他の差別が無視されてしまうことがあります。ヨーロッパに入ってきた、主にイスラム教徒を中心とする移民が、在来の西洋文化が取り組んできた女性差別解消の動きと真逆の文化を持っているという問題は無視されがちです。

    ダグラス・マレーの「西洋の自死」など、指摘する人も出てきましたが、イスラム系の移民が移り住んだ国で女性差別、特に性犯罪を犯しても人種・宗教差別と指摘されないように、警察の対応が甘かったりマスメディアが取り上げなかったり、という状況がありました。改善されてはいるようですが、差別を無くそうとするあまりに別の差別を生み出すのは皮肉というだけでは言葉が足りない悲劇です。

    これはいわばリベラル派が移民への過剰な配慮をするあまりに女性差別を放置してしまったという事例ですが、問題はリベラルだけではありません。

    コロナ対策を巡って中国と対立しているオーストラリアがインドと接近しているとの報道もあります。中国自体は西洋社会とは相容れない価値観を持っているのは確かですが、それはインドも実は同じです。

    中国では香港の支配を強める問題やウイグル・チベットなどでの弾圧で欧米から批判されますが、インドにおける強烈な差別制度はあまり取り上げられません。オーストラリア政府やあるいは日本政府がインドの人権問題を批判しないのは、敵の敵は味方ということで国家戦略を考えて自国の国益ベースで動く以上はしょうがないのですが、人種や民族の差別を日頃非難しているメディアなどがインドのカースト制度はほぼ言及しません。

    人権を大事にするはずのリベラル派はもちろん、中国嫌いの保守派が中国非難のネタにしている人権問題をインド国内における差別には適用せずにスルーするのもダブルスタンダードと言われてもしょうがないでしょう。

    結局は、政府もメディアも自分の立場を補強する主張しかしないというごく当たり前の結論になってしまうのですが、大きな問題の前には小さな問題(本当は小さくないですが)が無視されてしまう、という残酷な現実でもあります。

    これを突き詰めていくと、誰も何も言えなくなり、一番得をするのは非難を気にせず平然と差別する人や組織となってしまいます。安易にジャーナリズムをこういう論法で批判したくはないですが、情報を受け取る側の人間としてはこういう問題もあるという認識と覚悟はしておくべきでしょう。

  • 2020年7月4日J1リーグ第2節ガンバ大阪対セレッソ大阪DAZN観戦の感想

    コロナ禍によって多くの産業・文化などが休止や中止せざるを得ない中、Jリーグも例外ではなくJ1では第2節以降が延期となっていました。スケジュールも何もかも組み直しになっての再開初戦。J2とJ3では既に選手始まっていましたが、今日はJ1の再開です。

    ガンバ大阪は高尾ではなく菅沼が右CBに入る3バック。昨年末のフォーメーションですね。中盤は遠藤アンカーで矢島倉田がインサイドハーフ。藤春小野瀬がサイドで宇佐美・アデがFWです。ベンチにはルーキー山本悠樹が入りました。大型補強であった昌子は怪我が治らないまま欠場となりました。復帰はいつになるんですかね。

    セレッソは柿谷・ブルーノメンデスの二人が控えに回りましたが、途中から間違いなく入ってくるでしょう。

    試合をしていないのに吹田スタジアムの芝生が結構茶色というか土が見えているのですが、このスタジアムの限界なんですかね。もう少し芝生の生育が良くなってほしいものですが。

    リモート観戦・無観客での公式戦開催というのは誰も慣れていないでしょうけれど、シーズン中止も内心では少し覚悟していたことを思うと感慨深いものがあります。

    ファーストシュートは藤春のクロスからアデミウソンが頭で合わせました。

    ガンバは相手GKまでボールが戻ったら前からチェイシングしていきますが、交わされてセレッソのトップにボールを当てられると結構ポストプレーを許してしまっています。この辺は怖いところです。

    ガンバの攻撃は東口か三浦のロングフィードをFWが受けて攻めるくらいになってしまい、単調なため良い時間が続きません。中盤での優位はセレッソにあるように見えます。ただ、セレッソもアタッキングサードでのプレー精度に欠き、ガンバにとっても脅威とまではいきません。

    ただ、どちらもスローペースな感じというか、ずっとスタミナをセーブしているようなスピードやインテンシティのように思えます。多分、体が重いというかコンディションが通常のシーズンレベルまでは戻っていないのでしょう。ファウルも少ないですね。

    この試合2本目のシュートが19分のセレッソということを考えると、これまでの大阪ダービーではあり得ないくらい穏やかな前半です。

    敵陣で攻撃しているときに宇佐美が低めでパス回しに参加しているのはもったいないですね。パサー・クロッサーとしても優秀ですが、シュートを打てる位置にいないのは相手にとって楽でしょう。

    ガンバの中盤では倉田・矢島があまり攻撃に効果的に絡めていないようにも見えます。まず宇佐美・アデのどちらかが敵陣でボールを持てればそこからサイドに展開して攻めることは出来ていますが、2トップにボールが入らないと停滞してしまいます。それが最初からの狙いなのでしょう。20分過ぎから前に入れるボールが成功し始めて良いリズムになっています。

    宇佐美の初シュートは28分、相手に当たってポスト直撃となり惜しかったですね。やはりシュート打ってこその宇佐美です。

    32分にはセレッソのビッグチャンスというかあわやPKかというシーンもありましたがノーファウルでした。30分あたりからはセレッソのペース気味になったというか持つ時間はセレッソの方が長く、ガンバがまたFWのカウンターでの攻撃になっています。ガンバは低い位置でのパスミスがもったいないというか危険ですね。持たされて出す先がなく回していると引っかかって奪われるというシーンが続きます。セレッソもやはりアタッキングサードで効果的な攻撃が出来ていないのでガンバとしては何とかなっています。

    44分のシュートも東口がキャッチ。どうもつないでいるところで中盤でのボールロストが気になります。と思っていたら前半終了間際に完全に崩されて失点しました。これで前半終了。痛い時間帯での失点です。

    後半は選手変わらずキックオフ。

    48分にはPA内で倉田がビッグチャンスを得ましたが打てず。51分のカウンターでの藤春もシュートもブロックされます。

    54分には遠藤に代えて井手口、矢島に代えてパトリックが入りました。宇佐美が中盤に入るフォーメーションとなります。宇佐美が中盤でボール回しに参加することで、相手ゴールに近いところでのパス回しに攻撃力が加わるはずです。

    56分には宇佐美→小野瀬→藤春→パトリックと非常に惜しいシーンが出てきました。

    と思っていたら62分にまた失点。どうも上手く行かないと思っていたら、66分に小野瀬のシュートを防いだセレッソのハンドによってPKを奪い、アデミウソンが決めて1点差に戻せました。

    69分に倉田に代えて小野が入ります。その後も攻めますが78分のパトリックのシュートは力なくキャッチされます。81分にはアデミウソン→渡邉千真、菅沼→山本が入り4−4−2になります。

    結局その後も攻め続け、チャンスはあれどロティーナ監督に上手くしのがれた感じで試合終了。ロティーナ相手に先に2失点すると厳しいですね。

    ホームでの大阪ダービー敗戦は久し振りな上、ダービー自体も連敗です。それらもダメと言えばダメですが、どうも宮本監督がフォーメーション、特に3バックと4バックの選択及び中盤の配置について確信を持てているように思えないのですよね。開幕2戦目なので探り探りの部分はあるのかも知れませんが、今シーズンは実質6ヶ月間の短期決戦ですので、早いことメインの形とオプションとを確立させないと波に乗れないまま沈みかねません。

    もやもやした結果の再開初戦、かつ大阪ダービーとなってしまったのが残念です。

  • ゲーミングデバイスがオフィスに普及する時代が来る?

    長年、MicrosoftのBasicOpticalMouseを使用してきましたが、このテレワーク期間中に軽いワイヤレスマウスもほしいなと思って買いました。ロジクールのG304です。

    https://gaming.logicool.co.jp/ja-jp/products/gaming-mice/g304-lightspeed-wireless-gaming-mouse.html

    Bluetooth接続のマウスと迷いましたが、どうせMac miniにしかつなげないので、USBハブにワイヤレスレシーバーをつなげれば簡単に使えるようになるタイプを選びました。

    元のマイクロソフトのマウスに比べると当然ながら重いですが、ケーブルの引っ張りが無いメリットもあるので、使い勝手は上に思えます。

    単三電池で動きますが、さらに軽くするために単四電池をスペーサーに入れて使っています。その分、電池の入れ替える頻度が高くなりますが、単四電池でも数週間は余裕で持ちます。

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    特に珍しい機能ではありませんが、DPI変更も出来ますので自宅のデュアルモニター環境での事務作業でも使い勝手が良くなります。

    オフィス用のデバイスというと、どうしても値段を安くしてそこそこの機能といった感じになってしまいます。一方でゲーミングデバイスはプレイヤーの思った通りに動かせる操作性やストレスを感じさせない快適さなどが求められますので、値段もオフィス用とはかなり差があります。

    パソコン自体の性能が優れていると使いやすいのは当たり前です。しかし、マウス、キーボード、ヘッドセットやモニターなどインターフェースに関わる部分はこだわる人はこだわるけれど、気にしない人は使い勝手が悪くてもそんなものかと思って知らずに我慢している分野だと思います。

    今回の在宅勤務・テレワークが一気に広がったことで、インターフェースの快適さを求める人も結構増えるのではないでしょうか?

    かつてコンピュータは企業で用いられて、そこから個人利用に変わっていきました。パソコンは仕事で使うもの、という認識から、ゲームやワープロ、メールやメッセンジャーなど個人でも楽しめるものという認識になりました。

    その代わり、インターフェースはパソコンにこだわりがない人はたいてい、パソコンを買ったときについてきたキーボードやマウスをそのまま使用しがちになりました。

    このコロナ禍によって出勤自粛になったビジネスパーソンの誰もが個人事業主、フリーのワーカーと変わらないくらい、自宅でもパソコンを使って仕事をする時間が増えました。

    それによってパソコンの性能だけではなく、インターフェース部分の不満に結構気付くこともあるのではないでしょうか?

    そこでゲーミングデバイスを使ってみると結構仕事にも使える、というかむしろオフィス用デバイスよりも当然ながら高性能のため使いやすい、ということを発見した人も結構いそうです。

    パソコンが企業から個人に利用が移動したように、今度はインターフェースデバイスが個人用ゲーム向けから企業に移動するのではないでしょうか。

    ちなみに、そもそものパソコン自体もオフィス向けよりもゲーミングPCの方が高性能です。デバイス同様、性能も値段も異なりますが。

  • 政治家に存在する、演説という能力と結果という責任

    政治家の一つの技能というか、重要な資質として説明する能力があります。もちろん説明が下手でも政治家として実力があり出世するような人もたくさんいますし、演説が得意絵も政治家として成功しない人もたくさんいますが、重要なポジションにいる人の演説や記者会見は必ず注目されます。

    2月末の休校要請を行った時の安倍総理の演説は不信感や不安を与えるだけでしたが、結果的に政策としては間違っておらず、むしろ完全に収束してないのにいま学校再開することに反発が出るくらいです。その後がアレがアレでアレすぎてアレでしたが。

    感染が急に拡大していったアメリカではトランプ大統領の反応や政策が不満や批判を集める一方で、世界的な大都市であるニューヨークでは自治体のトップが感動的な演説を行っていました。

    リーダーの技量が問われる「危機対応スピーチ」
    https://project.nikkeibp.co.jp/atclhco/012400039/041500016/

    スピーチが絶賛されたニューヨーク州のクオモ知事ですが、結果的にニューヨークは大変な自体になってしまいました。こういった医療崩壊と被害の大きさの責任追及はされないんでしょうかね。

    もちろん、知事に出来ることは限られますし、知事一人の責任にしてしまうのはアンフェアかも知れませんが、演説の上手さだけで評価するというのもアンフェアでしょう。

    今のところ、このコロナウイルス対策の不手際によって政権が崩壊した国というのは聞かないですが、それなりに落ち着いてきたらどの国でもその国なりに追求が始まるでしょうね。

    ただ、現実に現れた結果ではなくて、対応が妥当だったかということで判断される場合もあると思います。医療設備の充実度や高齢者の割合、人の出入りの多さ、国境の特殊性(海に囲まれているか陸に囲まれているかなど)、国民のライフスタイルなど、短期的な政策ではどうしようもない要因で感染者数や犠牲者数が変わっているはずですので、100%を現時点での政権に責任を負わせるのも難しいはずです。

    演説が得意でも政策で失敗しているケースもあれば、政策が失敗していなくても演説が下手くそなケースもあるでしょう。もちろん、演説も政策もダメダメなケースもありますが。

    どちらかと言えば、希望を与えれば現実が過酷でも生きていけますし、希望が無くても現実が悪くなければ生きていけます。

    演説が上手くて人の心をつかむことが出来れば、どんな過酷な状況でも組織を率いていけるという証明でもあります。

    おそらくフィクションのはずですが、三国志演義で曹操が、行軍中に水が無くなり兵の不満が高まる中で、向こうに着けば梅の木があるぞと兵たちに呼びかけて口の中に唾液を出させて乾きをしのいだり、軍糧の管理者を無実の罪で横領していたとして処刑して兵たちの不満を和らげたエピソードを思い起こしてしまいました。

    もちろん、この曹操みたいな明確な嘘や処罰などは行っていないにしても、ニューヨークの惨状を棚に上げて大統領候補に擬するような称賛を行うのもあまりに無責任ではないかと思います。

    「事件は会議室で起きてるんじゃない!」という名台詞になぞらえると、「被害は記者会見場で起きているんじゃない!」といったところでしょうか。

  • コンビニレジ袋有料化で変化は起きるか

    大手コンビニ3社が揃って7月1日からレジ袋を有料化しました。

    初日から有料になることで揉めたり暴れたりする客が出てくるだろうなと不謹慎ながら想像してしまいましたが、既にレジ袋が有料になっていることが多いスーパーマーケットとの違いとして、レジ周りのスペースが小さいことがあると思います。

    コンビニのレジ周りは結構スペースがあるはずですが、売上を増やすためにホットスナックやおでん台があり、まんじゅうやようかんなどの小さな甘いお菓子が置いてあったり、新刊のコミックが平積みされていたり、少なくとも買った客が自分でエコバッグに商品を詰めるだけのスペースはほぼありません。

    そうなると一人の客が自分の買った商品を自分で袋に詰めている間、店員は他の客をさばくことが出来ません。店員も後ろの客も待つことになってしまい、客はいらつき店員も無駄な時間が出来、お客一人あたりをさばく時間が延びれば店舗における売上と人件費の比率が悪くなります。

    エコバッグを持たない人がレジ袋を買うことで売上が上がる面もあるでしょうけれど、店舗の経営上は効率が悪くなるのは間違いないと思うのですが、そういう見方はあまり見かけないですね。テストケースなどでそういった問題は起きないと分かっているかも知れませんが。

    私はコンビニのオーナーでも店長でも店員でもないのでどうでもいいと言えばどうでも良い話なのですが、むしろ一人のコンビに利用者として怖いのは、レジの列で待っている人間が待ちきれずに文句を言ったり割り込んだり暴れたりすることです。

    すでにスーパーやドラッグストアなどでは一般的になってきているので、社会的コンセンサスも広がっているとは思いますが、これまで無料だったものが有料になると戸惑う人が出てくるのは分かります。ただそれを理不尽だとか自分が損をするとか考えると問題が大きくなります。

    そもそも、物が無料なわけがない。通販の送料とトラックドライバーの労働環境が一緒に議論されるように、レジ袋も有料化によってゴミ問題やコンビニ経営とまとめて議論すべき問題かも知れません。

    ともかく、エコバッグを素早くカバンやポケットから取り出してささっと商品を詰めてレジ前から離れるまでの時間短縮を図らないと、後ろから舌打ちでもされかねません。みんなノンビリゆっくり買い物するならいいんですけどね。セルフレジも少しずつ増えていますが、セルフレジを利用する人はそもそもイラついたりしないでしょう。

    よくあるエコバックに一つ不満というか気になるところがあります。コンビニ弁当などの平べったくて縦置きはダメな物を入れるのに適したエコバッグがなかなかないことです。

    正確に言うと、持ち運び、特にポケットにも入るレベルで小さく折りたためるエコバッグで、平べったい食べ物を崩さずに持ち運べるものがあるといいですね。検索するといくつかは見つかりますので、買おうかどうか思案中。

    そもそも、いつものコンビニのレジ袋でもバランスを崩すと弁当が傾いて中身がグチャグチャになるので、それほど神経質にならなくても良いのかもしれません。

    レジ袋有料化に合わせて、持ち手も付いているようなコンビニ弁当が出てくるかも知れません。袋に入れなくても弁当だけで簡単に持ち歩けるような。

    匂いをまき散らすから嫌がられますかね。

  • コロナ禍とヴィーガンと闇肉

    動物が可哀想、という理由での肉食禁止には反対だと何度かnoteに書いたことがあります。

    https://hrsgmb.com/n/n04f05fd1a0fa

    https://hrsgmb.com/n/n0b5062ed83f7

    他の合理的な理由があるのなら議論の余地はあると思っていますが、今回の新型コロナウイルスあるいは以前のSARSなどの問題を受けて、そもそも動物を食べるから感染するのだという理屈を出している人がいるそうです。

    さすがにそれは極論過ぎるというか、自分の肉食忌避という思想をコロナ禍に乗じて流布しているだけのように思えるのですが、そもそも肉食というよりも認可されていない動物の肉を食べたことが原因(諸説はありますが)なのだから、家畜の肉は逆に安全と考えてしまうのではないでしょうか。

    受精から屠殺まで人間が管理している家畜が、未知のウイルスを人間に感染させる可能性は非常に低いはずです。もちろん、鳥インフルエンザや豚コレラ、牛がかかる口蹄疫など衛生上の問題は存在します。100%安全な肉などありませんが、それは植物由来の食べ物も同じことです。

    むしろ、ヴィーガンの肉食忌避思想を突き詰めて肉食禁止を法制化してしまうと、どうしても肉がほしい人はどうするでしょうか?

    大人しく宗旨替えして人工肉だけで我慢するでしょうか?

    むしろ、数少ない野生動物の肉を求めたり、闇の畜産業者から肉を購入するようになるのではないでしょうか。

    野生肉(今流行りのジビエとはまるっきり異なるはずです)・闇畜産肉を違法に扱う業者が、衛生面を重要視して適切な管理体制を取った上で、闇肉を求める一般人に売るでしょうか?

    今の時代、低温・冷凍すればネット通販で販売できるでしょう。乾燥・燻製にすれば世界中に誰でも売ることが出来ます。未知のウイルスが世界中に広がるかも知れません。

    まあ、それも肉食禁止に慣れるまでの過渡期の間だけ、ということもあり得なくはないですが、それでも危険なことは変わりません。

    過ぎたるは及ばざるがごとしとはよく言ったもので、コロナ禍とヴィーガン思想、肉食忌避の問題は分けて考えるべきでしょうね。こじつけた議論にはこじつけた反論が容易だということです。

  • 無理が通れば道理が引っ込む=無理な批判をすれば道理に合わない結果がもたらされる?

    野党・反安倍勢力の人達は、安倍首相を時には独裁者と批判し、また時には官僚の言いなりとも批判します。またポピュリストだと批判する一方で、身内への利益誘導を行う古いタイプの政治家とも批判しています。

    私にはそれらがどうも全く逆の概念であり、なんで一人の人物の批判として混在できるのか分からないのですが、批判する側の人達はどのように自分の心の中で折り合いを付けているのでしょうか?

    身内にだけ利益を誘導するけれど大衆迎合的にばら撒く、官僚の言いなりになる独裁者とかいう新生物なのでしょうか。

    揚げ足を取るようなことを書いてしまいましたが、野党側の批判がどうも一貫性がないように思えます。だからこそこんなに長く安倍政権が続いたのだと思います。そうではない、野党の批判は正しい、野党は頑張っている、というのであれば、それでも憲政史上最長の在職日数の首相となったのはなぜなのでしょうか? 野党側に問題が無ければ、選挙に勝ち続けている与党側にその原因があるはずです。もしかすると、安倍晋三という政治家は日本憲政史上最高の政治家なのでしょうか? 佐藤栄作も、桂太郎も、伊藤博文、吉田茂も安倍晋三には及ばない程度の政治家だったのでしょうか?

    長ければ良い、ということにはならないかも知れませんが、短いよりはマシでしょう。安倍政権批判が的を射てないからこそ、かえって手助けすることになり、過去最長の首相在任日数となったことを認めないと、また次の選挙で負けるのではないかと思います。

    個人的には自民党総裁の4期目は無理じゃないかと思っていましたが、結局野党が失策を重ね続けたら安倍四選を実現させることになります。

    とにかく批判すればいい、という状態が、逆に一般人からみると批判のピントがボケているように思えてしまい、結果的に選挙で安倍政権が勝ち続けてしまう、といったところでしょうか。

    こういうところは、ポリコレが行き過ぎているような西洋社会で極右勢力の躍進するのと同じ理屈ではないかと思います。ポリコレの内容に異議を唱えると、「人種差別主義者」「ナチス」「ファシスト」といった非難が浴びせられて社会的地位を失う社会になってしまったことで、一般人が疑問に思っていることを表に出せず、秘密投票で行われる選挙の時にポリコレ批判を行う極右政党に票が集まってしまうのと同じ構図ではないでしょうか。

    これはアメリカでも4年前にトランプが大統領選挙に当選したのと似ている問題でもあります。そして今、アメリカでの黒人差別に端を発する大混乱において、やはりトランプ批判はメディア上に存在していますが、暴動に関して否定的な見解を述べただけで人種差別主義者扱いされる状況を見るに、やっぱり今年の大統領選挙もトランプが勝ってしまうのではないかと思わざるを得ません。

  • FossilのE-ink搭載スマートウォッチを買ってみた

    4月に楽天モバイルにMNPするのと合わせて、iPhoneからRakutenMiniに乗り換えたことで、当然ながらApple Watchも使えなくなりました。昨年秋に戯れに購入したAndroidでも使える、UMIDIGI社製の安いスマートウォッチを2ヶ月間使ってきましたが、性能がApple Watchより劣るのはしょうがないというか、そもそもの売値が十分の一以下なので当然なのですが、外に出たときに視認性が悪いのが困っていました。

    Apple Watchは有機ELのパネルなので明るささえ調整すれば、明るい太陽光の元でもちゃんと見ることが出来ますが、この2ヶ月間使ったスマートウォッチはIPS液晶画面のため、太陽光では非常に見づらいです。明るさを最大にしてやっと何とか読める程度でした。屋内の蛍光灯の下であれば明るさを低くしてもちゃんと見えましたが、この点は不便でした。

    これは安いスマートウォッチだからというよりも、液晶の弱点でもあります。どうしても画面表示の仕組み的に、バックライトで発光する液晶は太陽光では視認しづらいものです。だからこそApple Watchではバックライトではなく自ら発光する有機ELを採用しているのですが、個人的なApple Watchの不満点としてはバッテリ持ちが悪いというところがありました。

    消費電力の少ない画面と言えば電子ペーパーです。そこで、Kindleなど電子書籍端末でよく使用されているE-ink液晶のスマートウォッチってないのかなと探して見つけたのがこちらです。

    COLLIDER ブラックシリコン ハイブリッドスマートウォッチHR
    https://www.fossil.com/ja-jp/products/collider-%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%83%E3%83%81hr-/FTW7010.html

    まだ数日ですが、外での視認性は抜群です。通知もちゃんと読めます。表示内容が全く異なりますが、Apple Watchよりも見やすいです。E-inkは紙と同様の見やすさですからやはり良いですね。

    ちなみに夜中真っ暗な状態ではどうなるかというと、風防を2回叩くと青いランプが点灯して中央を照らしてくれます。まあ暗いところで頻繁に見るものではないですね。

    E-inkということで圧倒的なのが消費電力の少なさです。最大2週間付けっぱなしもできるそうです。日常的には風呂に入っているとき、顔を洗っているときに外して充電していれば、使いたいときにバッテリ切れを起こすことはないでしょう。

    スマートウォッチとしての機能は多分、最低限だと思います。スマートウォッチ上で何でもしたい人は向いていないでしょうけれど、RakutenMiniのような、カバンにしまう必要がなくずっと持ち続けても問題ないようなスマホと併用するのであれば、バイブ通知が来たらスマホを見る、という使い方が出来ます。多分、今の私にとっては必要十分なスマートウォッチだと思われます。

  • 正義を掲げる卑怯者

    自分が正しいと思っている人ほど手の付けようがないものはありません。正確に言うと、自分が正しいから他人が間違っているのでそれをただすために攻撃する、という人です。正義を持ち出して他人を攻撃する人にろくな奴はいないと言いたいところですが、これはこれで自己矛盾してしまうので批判が難しいところです。

    ただ、正義があれば暴力を振るっていいという考えには問題があるといわざるを得ません。目的のためには手段を選ばずという考えも同様です。

    正義をかなぐり捨てた悪人の方が素直ではありますが、もちろん悪人になれと言うわけにはいきません。ただ、悪人的要素もある方がマシかも知れません。昔読んだ星新一のエッセイに、テレビ時代劇の必殺仕置人で、「金ももらわずに成敗などしていると自分が正義だと錯覚してしまう」というシーンがあった、と書いてあるくだりがありました。表に出せない大金をもらうことで、悪人が悪人を殺しているのであり正義が悪人を成敗しているのではない、と考えて精神の均衡を保つことが出来るということでしょうけれど、世の中には悪人を懲らしめる自分は正義を具現化していると考えてしまう陥穽がそこかしこに存在しています。この油断、あるいは甘い誘いは誰もが陥りやすい罠です。

    自分が悪いと見なした人物をSNS上で誹謗中傷するのも同じ理屈なのかも知れません。相手が悪いのだから何を言っても良い、というのは、結局は目的のためには手段を選ばずと考えるテロリストと同じです。

    絶対的な正義などこの世には全く存在しない、とまで断言するつもりはありませんが、ほとんど全ての正義は相対的なものでしょう。誰が正義と規定するかと言えば、正義を掲げている人自身です。自分で正義の枠組みを作ってその枠から外れる人を悪として攻撃するならこんな簡単なことはありません。

    他の人も批判している、という言い訳もありますが、たいていは自分と近い考えの人たちだけを取り上げて見ているため、悪い意味でのフィードバック・ループが続いてひたすら過激化していきます。これはどんな思想でも同じでしょうけれど。

    SNS、あるいはインターネットが無かった頃は、こういった自分に近い考えの人を見つけるのが難しいため、過激な思想を持つ仲間を増やすことが困難でしたが、今の時代は非常に容易です。

    世の中の全ての人、あるいは全ての事象を良い悪いだけの二分化するのはそもそも無理な話です。ある程度の共通理解はあるかも知れませんが、絶対的な正義と悪の二分論は対立しか生みません。

    批判は諸刃の剣です。批判すること、批判する者がまた批判に晒されることもあります。

    「人を呪わば穴二つ」という言葉は誰にも起こりうることであり、自分への戒めとしないといけません。