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  • ラジオスターの悲劇を起こしたテレビスターの悲劇を起こしたYouTuberの悲劇は起きるのか?〜ちゃんとしすぎているテレビ番組の弱点〜

    少し前まではテレビの視聴率低下がニュースになり、スマホの利用やYouTubeなどネットコンテンツの視聴が増えたからかとか、テレビが面白くないからだとか制限が多いことか話題になることもあったのですが、今ではテレビの視聴率が低いこと自体騒がれなくなったような気がします。

    営業の現場では大変なのでしょうけれど、どこのテレビ局も潰れず、テレビ番組にはコマーシャルが流れている現状を見ると少なくとも東京キー局は問題なくやれているようにも見えてしまいます。

    そうは言ってもネットの影響が無いわけはなく、子どもの将来の夢アンケートでYouTuberがランクインしたことを考えるとテレビ局やスポンサーよりも一般視聴者の方が先に強い影響を受けているのかも知れません。

    テレビ番組の出演者や制作に関わっている人からすれば、YouTuberによる動画コンテンツを自分たちの番組を見比べたら映像作品としての巨大な差があると分かるはずですし、実際それは大きいと思います。コンテンツのアイデア・出演者・制作時間・セット・台本・演技力・トーク・編集・映像効果など比べるのもアレなくらいですが、今の時代、YouTubeは見るけどテレビは見ないという人がたくさんいます。

    なぜなんだろう、テレビ番組の方がちゃんとしているコンテンツなのに、という思いがテレビ関係者にはあるかも知れませんが、多分原因はそこにある気がします。

    テレビの放送が始まって60年以上経ち、文化として成熟してちゃんとしたテレビ番組が当たり前のように量産されています。ハチャメチャ感、ワチャワチャ感がなくなった、手作り感がないという感じでしょうか。

    YouTuberによる動画に比べると、ちゃんとしたセット、ちゃんとした台本、ちゃんとした演技やトーク、ちゃんとした編集された、ちゃんとした番組が放送されています。

    ちゃんとされすぎていることがかえって若い世代の共感を呼べないのかも知れません。

    逆に、年齢が上の人にしてみれば、不安定さのない「ちゃんとした」番組というのは内容にかかわらず見やすいものなのかも知れません。少子化による人口比率の変化だけではなくて、テレビ番組の制作がしっかりしていることがテレビ視聴者層の年代に影響しているのではないでしょうか。

    メチャクチャなことをすれば良いとはいいません。さすがにこの時代ではコンプライアンスを無視した番組は出来ませんし、そもそもYouTubeでもそんな内容を出せば非難されます。制作手法がパッケージ化されているのであれば、その方程式を崩した番組を作るのはもう難しいかも知れませんね。深夜番組ならともかくゴールデンタイムではもはやハチャメチャな番組は出来ないでしょう。

    昔、” Video Killed The Radio Star ” という歌がありました。邦題は「ラジオ・スターの悲劇」でしたが、ラジオスターを倒して天下を取ったテレビスターの悲劇が訪れようとしているわけです。

    さしずめ、 ” YouTube Killed The Video Star ” といった感があるテレビとYouTuberの関係ですが、天下を取りそうなYouTuberを倒す存在がいつかは現れ、 ” ??? Killed The YouTube Star ” ということになるのでしょうか?

  • ラグビーの選民思想的発想を残念に思う

    こんなニュースがありました。

    エディーHCがラグビー選手の品位を称賛、「メッシやロナウドが…」
    https://www.afpbb.com/articles/-/3250838?cx_part=top_topstory&cx_position=5
    ジョーンズHCは、「お互いを尊重し合う」文化をラグビーの特徴として挙げ、「この大会を見るだけでも、その実例がある。他のスポーツでは起こらないことが起こっている」と話した。
    「カナダの選手が(台風19号<アジア名:ハギビス、Hagibis>の影響でナミビアとの試合が中止になった後)片づけを手伝ったのは知っているだろう」「バルセロナ(FC Barcelona)やレアル・マドリード(Real Madrid)が台風の被害に遭ったとして、ロナウドやメッシが同じことをするところを想像できるだろうか」

    別にエディーHCはサッカーをことさら貶めるつもりはなくて、ラグビー選手のボランティア精神を賞賛したいのでしょうけれど、言い方が下手くそと言わざるを得ないでしょう。

    そのつもりは無くともネガティブキャンペーンみたいになってしまっていますし、そもそもサッカー選手にもボランティア精神に溢れる人、立派な人格を持った人はいるはずです。

    2001年に起きた、大阪の池田小学校での恐ろしい事件の後、来日していたイングランド代表のサッカー選手、リオ・ファーディナンドは私用での来日中に事件を知り、予定を変更して献花を捧げました。

    リオ・ファーディナンド、附属池田小事件を語る
    https://qoly.jp/2013/07/26/17782-20130726-rio-ferdinand-tweet
    当時リーズに所属していたファーディナンドは、チームメイトでもあるアラン・スミスとともに来日。翌年に迫ったワールドカップの偵察の意味合いも込め来日し、束の間の休息をここ日本で過ごした。
    6月10日、日本対フランスのコンフェデレーションズカップ決勝戦。横浜でこの試合を観戦していたファーディナンドは、試合前の黙祷で今回の事件を知る。
    そしてこの翌日、当初予定していた京都への観光をキャンセルし、急遽付属池田小学校へと足を運び、校門前に献花をしたという。この休暇にはファーディナンドの母親も同行していており、母親は京都観光を心から楽しみにしていたそうだが、ファーディナンドは「どうしてもあの小学校に行きたいんだ」と告げ、これに母親もこれに同調した。

    逆に、ウルグアイ代表選手やフランス人観戦客のように今回のラグビーW杯でかえって品位を落としてしまったラグビー選手・ファンもいます。

    ウルグアイ代表選手の暴行騒ぎ、主催者側が店に謝罪 ラグビーW杯
    https://www.afpbb.com/articles/-/3249938
    日本のメディアによると、ウルグアイの複数選手が飲み物をこぼしたり、壁や鏡を殴ったり、ぬいぐるみを引き裂いたりしたという。また、2選手が店員にタックルをしたとされている。

    ラグビーW杯で来日する世界のサポーター、礼儀の国・日本の勘所を学ぶ?
    https://www.afpbb.com/articles/-/3248083
    フランス人サポーターたちが地下鉄の車内で床に座り、クラウドサーフィング(群衆が頭上に乗せた人を下から支えて、サーフィンのように移動させる行為)に興じる動画がツイッター(Twitter)に投稿されると再生200万回を超えるほど拡散し、同時に日本のネットユーザーたちのひんしゅくを買った。来年開催される東京五輪の前兆ではないかと懸念する声も上がった。

    行っている、あるいは好きなスポーツによってその人の人格が規定されるわけではありません。あくまで好みの問題のはずです。こういったラグビー関係者による、サッカー(あるいは野球)と比べてラグビーは〜〜だから立派だ、という発言は今に始まったことではないですが、偏見を交えて言うなら、これこそラグビー関係者による選民思想的発想だと思います。

    良いことをするならラグビー関係者でなくてもいいわけですし、悪いことをしたならラグビー関係者でなくても悪い。

    物事の善悪の判断にラグビーか否かを持ってくると余計に問題がややこしくなりかねません。

    そもそも人間全てが聖人君子になり得るわけがなく、悪い人間よりは良い人間になった方が良いに決まっていますが、だからといってそれをスポーツに絡めて押しつけるとかえって反発されるでしょう。

    ラグビーが素晴らしいスポーツであることは今回のW杯で日本中に知れ渡りました。この後なすべきことはラグビーを日本のみならず世界中にもっと普及させることだと思います。そのためにラグビー関係者は何かを貶める形で誇らしげにするのではなく、謙虚さを謙虚に出すべきではないでしょうか。

  • 広告による無料デジタル教科書・無料タブレットが出てきたら?

    もともと日本では小学校・中学校での教育は無償とされてきました。そして最近では幼保無償化、高校の無償化(制限はありますが)が行われ、大学以外の教育課程での「授業料」は無料になりました。

    しかし、高校での教科書代は有償です。教科書無しで授業を受けるわけにはいかないのですから、教科書代は授業料と一緒に考えるべきだと思うのですが。小中学校では教科書代は当然無償です。これはかつて裁判で教科書代が無償なのか有償なのかということで争われたことがあり、その問題提起から国会で法律が制定されて教科書代は無料となりました。

    ただ、実際には副読本や給食費や制服代などお金は必要なので、学校でかかる費用が全て無料になったわけではないのですが、義務教育ではない高校ではさらに教科書代は有償ということになっています。

    この辺は今後どうなるか分かりませんが、税収と少子化のバランスによっては高校での教科書代も無償化を訴える政治家が出てきそうな気がします。

    それはともかく、これらの有償無償の教科書というのは全て紙に印刷されたいわゆる普通の昔ながらの形態の教科書です。デジタル教科書は無料ではありません。そもそも紙の教科書に置き換わるものではなく、紙の教科書と併用でだったら使って良いよ、というルールとなっています。

    この「デジタル教科書」の導入が大変なのは、必要なタブレットを誰が用意するのかという問題がある上に、そのタブレット上で使用するデジタル教科書自体の費用が税金ではなく生徒負担になっているところも大きいはずです。

    ただ単に紙の教科書のデータをデジタル化するだけなら、リフロー型にしろ固定型にしろ電子書籍化すればいいだけで、それを読むだけならタブレットの性能的には大したものである必要はないので安く準備することは出来なくはないでしょう。

    しかし、せっかくのタブレットですから双方向な学習、反転授業、音声読み上げ、あるいはITそのものの理解にも使えるようなタブレットを求めるとなると、スペックがギリギリのものだと使用時にストレスを覚え、あるいは動作不良を起こしてしまうかも知れません。そうなると「紙の教科書の方がいい! デジタルは糞!」という人が出てきてしまいますので、何のためにデジタル教科書やタブレットを導入したのか意味が分からなくなってしまいます。

    そうならないように、となると比較的高価なタブレットが必要になってしまいますが、最近はAppleが廉価版とも言うべき無印iPadを出しているので、性能的にはそれを使えば十分な気がします。それでも税込4万はしてしまうので紙の教科書とは比べものにならないほどの負担感が出てしまいますが。

    そして何とか手に入れたタブレットも数年たてば使い物にならなくなります。AndroidタブレットやWindowsタブレットに比べるとiPadの方がまだマシだとは思いますが、それでも10年は持ちません。経年劣化による故障よりもOSにおけるセキュリティのサポートがされなくなります。教育機関向けに機能制限した上でセキュリティをメーカー側がサポートし続けるような仕組みがあれば、もっと長い期間で使い続けられますから、学校や自治体レベルで費用負担して購入するということもあり得ると思いますが、現状は難しいでしょうね。

    そうなると費用負担が各家庭に重くのしかかりますが、
    「このタブレットやデジタル教科書自体の費用をこちらで持ちますから、その代わりに広告を表示させてくださいね」
    とかいう企業が出てきたりするんじゃないでしょうか。

    さすがにギャンブルやアダルトコンテンツの広告が載せられるわけはありませんが、教育関係の企業ですとか、あるいは子どもへの訴求力が高いゲーム・おもちゃ・お菓子といった企業であれば広告を出したいところもあるのではないでしょうか。

    もちろん、「学校で使うタブレットやデジタル教科書に広告を載せるなんて言語道断だ!」という反発は目に見えていますが、もし、デジタル教科書やタブレット利用による教育効果が高く、費用を負担できる家庭と出来ない家庭での教育格差が顕著に表れた場合、無料タブレット・無料デジタル教科書の利用を否定し続けることが出来るのでしょうか?

    デジタル教科書やタブレットを使っても大して効果が無いのであれば格差も出てこないでしょうが、そもそもじゃあ紙の教科書でいい、という話になってしまいます。本当に効果があるのであれば、親の経済状況がダイレクトに教育格差に反映することになります。買えない人・負担できない人に対してのサポートは最優先で考えるべきだと思いますが、そもそも何のためのデジタル教科書なんでしょうね。

  • 象徴天皇制における象徴とは

    本日令和元年10月22日、今上天皇の即位礼正殿の儀が行われました。そういう日に少し考えてもいいかなと思うのが象徴天皇制とは何かということです。

    昭和20年の敗戦及びその後の人間宣言と日本国憲法によって、戦前戦中に進んでいた天皇の神格化が終わり、天皇及び皇室は日本国民の象徴となりました。

    さて、「象徴」とはどういうことでしょうか?

    iOSアプリの精選版日本国語大辞典から引用してみます。

    しょう‐ちょうシャウ‥【象徴】
    〘名〙 (フランスsymbole の訳語)
    ①(━する) ことばに表わしにくい事象、心象などに対して、それを想起、連想させるような具体的な事物や感覚的なことばで置きかえて表わすこと。また、その表わしたもの。たとえば、十字架でキリスト教を、白で純潔を、ハトで平和を表わす類。比喩が感覚的に把握しやすい類似した具象と具象との関係をたとえで表わすのに対し、象徴は抽象的なものを具象でたとえる場合にいう。シンボル。
    *維氏美学(1883−84)〈中江兆民訳〉二
    「専ら宗教の説に依り、一種の象徴を定めて以て神の一徳を著はすことを求む」
    ②哲学で、因果関係によらずに、規約によってそれとは違ったものを表わす記号を一般的にさす。
    語誌明治期にはじめて用いられた訳語。「哲学字彙」(一八八一)には「Symbol 表号」とある。中江兆民が挙例の「維氏美学」で、フランス語 symbole に「象徴」を訳語としてあてたのが最初である。
    精選版 日本国語大辞典

    この「象徴天皇制」での意味合いでは①の方に当たります。

    天皇制を日本国民の象徴とするということは、言葉に表しにくい「日本とは何か」「日本国民とは何か」という問いに対して、具体的かつ感覚的に表すということになります。

    この意味において、天皇や皇室の在り方が日本を表徴すると憲法で規定されているわけです。

    現在の憲法によって象徴天皇制が規定された時点で、時の天皇は昭和天皇、皇太子は今の上皇陛下でした。

    昭和天皇がいわゆる東京裁判での戦争犯罪人からは除外された経緯については色んな人が色々と思うところがあるでしょうが、GHQとしては様々な点を考慮してそのような取扱いをしたと思います。そしてその後の昭和天皇は巡幸や儀礼的な行事に専念して象徴天皇を体現していったわけですが、在任期間の最初の三分の一は誰にとっても暗い時代でもあります。後半が控えめな活動でもあったことを考えると、目立たないようにされていたような印象もあります。

    昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御され、上皇陛下が即位しました。それまでにも高齢の昭和天皇に代わり、全国各地の行事に代理として出席されていましたが、即位後は平成時代を通じて様々な自然災害の被災者をお見舞いされることが多く、歴史上最も多く人と出会った天皇でもあります。

    そうした、災害に苦しむ人々を目の前にして、上皇后陛下と共に膝をついて親しく話される姿というのは、
    「これが日本国民の象徴たる天皇・皇后であるのではないか」
    というお気持ちが反映されていたのではないかとも思えます。

    そもそも、日本列島は火山列島でかつ大陸プレートの境目が重なっていることもあり、昔から地震が起きる地域です。また赤道付近で発生する台風の通り道かつ終着点になることも多く、日本が日本として存在する前から自然災害が頻発する地域です。

    日本に住む日本人が災害に苦しむのは今に始まったことではないのですが、その災害に苦しむ人に心を痛めて親しく見舞う、というのは日本国民の象徴たる天皇の行動としてはすんなりと理解出来るものでしょう。

    また個人的な側面でも民間から皇后(当時は皇太子妃)を迎えたことやテニスをして親しくなったりプロポーズしたりといったエピソードの数々は、戦後の日本を明るくする一面もあり、新しい日本人の象徴でもあったでしょう。

    また、子どもの結婚に関しても次男(現秋篠宮皇嗣殿下)の方が長男(今上天皇)よりも早かったことなどは、昔であればあり得なかった話です。これは民間のいわゆる「ええとこ」の家でも長男の結婚を優先する時代は昔はありましたが、今でもこだわる家は少なくなったことでしょう。

    今の皇后陛下についてもバリバリのキャリアウーマンだったことや海外在住経験・留学経験なども平成の時代の女性の象徴であったかも知れません。昭和後半に男女雇用機会均等法が施行され、女性の社会進出、総合職への就職が増えていった時代でした。

    子育て、後継ぎ、教育、学校、病気などどんな家庭にも起こりうる悩みが皇室にも存在します。そういった悩みは以前はそもそもおおっぴらにならないか、問題が起きないよう何らかの強権で押さえ込むかしていたはずです。難しい問題が皇室にもあるということは、保守的な人にとっては忌々しいことかも知れませんが、ある意味、天皇と皇室が国民の象徴であることを体現しているから発生しているとも言えます。

    日本国憲法が規定する象徴天皇制は、昭和から平成そして令和を通じて浸透し、当たり前のことになっています。日本国民の良いところも悪いところも、そして皇室制度の良いところも悪いところも包摂しています。

    今回の即位礼の後の祝賀パレードが台風被害が大きいということで延期となりましたが、これも日本という国がどういう国なのか、台風被害や延期されることも含めて、全てが日本の象徴であると思います。

  • Google・HUAWEI対立はアメリカが中国進出に失敗し続けていることの延長線上にある

    HUAWEIがリリースしたスマホの新機種、Mate30proに対して、GoogleがGooglePlayを始めとするAndroid関連サービスを利用できないようにしたというニュースがありました。

    ファーウェイ最新スマホ、グーグル・アプリ利用の抜け道ふさがれる
    https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-10-03/PYSX4IDWX2PV01

    Amazonタブレットなどではデフォルトでは同じくGooglePlayが利用できないですが、こちらは抜け穴が放置されているためインストールできます。あくまで正規手段ではないので何が起きてもGoogleもAmazonも責任を取らないだけで、両者とも利用者が増える分にはお目溢ししているのでしょうけれど、HUAWEIの場合は違います。こちらは国家間の貿易戦争に関わるので放置するわけにはいかないのでしょう。GoogleにとってはSamsung同様、HUAWEIもお得意様だったはずですが、中国政府にも色々やられているのでHUAWEIには容赦するつもりがないのでしょうね。Googleにしてみたら、中国国内で自由にビジネス出来ないのになぜ協力しないといけないのかという疑問もあるはずです。

    そしてこれによってHUAWEIはフラッグシップ機においてGoogleサービスが使えないハンデが出てきましたが、そもそもGoogle Playが使えなくても、ブラウザベースのサービスであればブラウザさえ最新のHTMLに準拠していれば問題無く使えるはずです。大半のサービスはスマホからブラウザでアクセスした時にはその画面に合わせて表示を変えますので、使い勝手もそれほど悪くないはずです(例えば、私自身はnoteの利用はスマホでもタブレットでもアプリではなくブラウザから常に利用しています)。

    アプリネイティブでないと使いづらい、あるいは使えないサービスであれば困りますが、そもそも欧米でリリースされている新しいサービス・ビジネス形態は大抵似たようなものが既に中国国内で普及しています。UberやLiftなどのライドシェアはDiDiがありますし、全ては調べていませんが代替手段は中国国内の企業で見つかるはずです。そういった企業が HUAWEIのプラットフォームにアプリを提供すれば解決です。

    おそらく、一番困難なのがゲームです。ほとんどがアプリネイティブでないと利用できないはずです。これには中国のユーザーも失望するかも知れませんが、遮断というのは双方にとって影響があることであって、ゲームアプリをリリースしている企業にとっても、巨大な市場である中国を無視するのはもったいない話です。ゲームメーカーがHUAWEIのユーザーを無視できなければ、そしてHUAWEIがそのプラットフォームに簡単に移植できる用意を整え、さらにはHUAWEIがアプリ開発側へユーザーが課金した中の支払いのパーセンテージを大きくしたら、それでも中国市場を無視できる企業はどれくらいあるでしょうか。ゲームのソフトハウスはアメリカ以外にも多数存在します。そしてその企業が上場していれば、みすみす中国市場を逃す経営陣を株主が許すでしょうか?

    https://hrsgmb.com/n/nc99c0cf5c71c

    https://hrsgmb.com/n/nbbe991eb7ea5

    以前、こういうnoteを書きましたが、書いた頃からあまり自体は変化していません。米中貿易戦争は報道されている限りでは特に進展が無く、むしろ追加関税の話くらいしかニュースになっていません。

    今回は、GoogleがHUAWEIから離れるという話でしたが、結局の所、アメリカ企業の中国進出への難しさは昔から大して変わっていません。

    https://hrsgmb.com/n/nfcab84a318ed

    アメリカも中国も独善的で非常に相性が悪い相手同士であり、争っている間に日本やヨーロッパなど他の国が動いて利益を得るということでも結局は19世紀〜20世紀初めの頃と変わっていないのかもしれません。今回であればロシアやインドも含まれますが。

  • 妥協出来ないのは政治的には弱さになりうる

    政治を別の言い方で表すなら「妥協」だと思っています。「妥協」という言葉は一般的に使用される場合、良くないイメージで使われることが多いですが、人と人との間での利益調整としての行われる政治では「妥協」が出来なければ「対立」するしかありません。それは国内であれば最終的には裁判で決着が付けられるはずですが、もし国際政治において妥協が成立しなければ対立することになり、最悪の場合は戦争ということになります。

    お互いに満足は出来ないけれど納得はできる「妥協」が成立することによって対立を回避できるわけであり、それこそが政治の神髄であるはずですが、譲れないところが多すぎると対立が増え、結果的に政治が成り立たないことになります。

    欧州の危機はイギリスからドイツへ広がる
    https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13100_1.php
    通常であれば、与党・保守党は党首が決めたことに従うはずだ。しかし、もはやイギリスの政党は機能していない。
    保守党内部から多くの造反者が出て、野党と結託し、合意なき離脱の阻止法案を通してしまった。
    (中略)
    難民の受け入れに反対する右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進し、今やほとんどの選挙で第2党の地位につけてくる。長年2大政党の一翼を担ってきた社会民主党(SPD)は、存続の危機に立たされている。従来からの政治勢力で連立政府を組もうとしても、もはや2党では多数が形成できず、3党以上にならざるを得ない。取り沙汰されている政権連立は、ほとんど挙国一致政権の感すらある。近い将来「ドイツのための選択肢」が第1党になる可能性も十分ある。

    こちらの記事には今、混迷の真っ只中にあるイギリス政治、そして混迷が始まりそうなドイツ政治における状況がリポートされていますが、ヨーロッパ各国の議会の特徴としてほとんどが連立による政権運営がなされていることです。

    政党というのは意見・思想・目的が同じ者が集まってそれを実現させるために集った組織です。いわば数が多いことがある程度の正しさ・要求の必然性の担保になっているわけですが、同じ目的で集まったはずの人達でも一から十までまるっきり同じ脳みそを持っているわけではありません。一番重要な目的では一致していても、それ以外の問題では必ずしも同じ意見を持っているとは限りません。

    そもそも人それぞれ意見が違うのは当たり前です。それでも一つの組織に集まっているのは目的を果たすためですが、対立する部分はある程度お互いに大目に見合うことでしか組織は維持できません。特に大きな政党であればなおさら対立を防ぐために妥協の繰り返しになるはずです。

    妥協が出来ない場合、大きな政党は維持できず、意見が比較的「かなり」近い人達だけが集まる少数政党が乱立することになります。政党は目的実現だけでなく利益分配による求心力もありますから必ずしも意見の違いだけで人数が決まるわけではありませんが、利益分配を行えるような政党はどの国でも一つ二つくらいでしょう。イギリスやアメリカの二大政党制は分かりやすい例だと思います。

    少数政党が多い議会では政権運営のために連立政権を組むことになります。しかし、そもそも意見が異なるから別の政党を組織しているわけですから、政権運営における権力行使の限界は単独政党による政権よりも早く訪れます。

    連立政権の政権寿命が短いからといって、必ずしも悪い結果になるとは限りません。特定の方向の政治が必要なときにはその方向性が近い政党同士による連立政権を行い、その施策が実行された後に連立が解消して、今度はまた別の施策のために連立が組まれて実現する、ということを繰り返すのであれば政治上の停滞は起きず、特定の政党による政権運営がずっと続くことによる弊害を防ぐこともあります。

    しかし、連立を組んでも目的を達成する前に瓦解したり、そもそも多数派を構成する連立政権が組めなかったりすると、政治そのものがストップしてしまうことになります。こうなると一党独裁の方がマシか、という事態になってしまいます。先進国の中でもイタリアではいまこんな感じになっています。

    いわば大同小異が出来るかどうかが政治上の安定を生めるかどうかの分水嶺になります。他人に妥協出来ない人ばかりでは集うことが出来ません。日本含めアジアでは比較的大政党による政権運営が多い気がします。少数政党の連立によらないことで政治上は安定しますが、国民の意思がすぐに反映されづらいという見方も出来ると思います。これはアジアの歴史的に権威主義的な考えたが人々の中でも強めにあることから説明できそうですが、断言できるかどうかは分かりません。

    一方で、ヨーロッパで少数政党が乱立しがちなのはもともと個人主義的なところが強いかも知れませんが、これもアジアと同じくレッテル貼りするのはあまり良くないかも知れませんね。

    それはともかく、意見が違うことを理由に妥協が出来ず、組織が少数化してしまうと、結局は自分たちの力を弱めてしまいます。

    最近良くあるニュースで、現在は社会的地位が高い人物が若い頃に行った人種差別的行為を数十年ぶりに掘り起こしてきて非難されるということがあります。

    バイデン氏に攻撃が集中 米大統領選・民主党テレビ討論2日目
    https://www.bbc.com/japanese/48797957
    立候補者たちの中で唯一の黒人女性であるカマラ・ハリス上院議員(カリフォルニア州)は、バイデン氏が人種差別を肯定する上院議員たちと数十年前に取り組んだ仕事を、自慢していると批判。
    バイデン氏に顔を向け、「あなたが人種差別主義者だとは思わないし、共通点を見つける大事さを訴えていることには共感する」と述べた後に、こう続けた。
    「でも、これは個人的なことでもあるが、この国で人種差別によって名声や職を得た2人の上院議員たちを、あなたが評価するのを聞いて、実はとても傷ついた」

    アングル:カナダのトルドー首相陣営、「人種差別」報道対応の一部始終
    https://jp.reuters.com/article/insight-canada-trudeau-idJPKBN1WJ0D3
    9月18日。ハリファックス空港に向かうトルドー・カナダ首相の選対陣営に、米タイム誌の記者から暴露記事の知らせが入った。首相の再選を揺るがしかねない1枚の写真が数時間後、同誌の紙面を飾る。トルドー氏が29歳だった2001年、「アラビアンナイト」パーティーで顔を茶色く塗り、人種差別的な仮装をした写真だ。

    ダメなことはダメというのは分かりますが、その非難によって得をするのはリベラル陣営ではなく保守陣営の方でしょう。

    時代によって判断が分かれるのではなく普遍的な問題だ、ということでそのような非難が成立しているのですが、例えばその行為を後に反省して立派な人間になったのであればそれは認めるべきなのではないでしょうか。

    かつての過ちを反省の有無にかかわらず一様に断罪して再チャレンジも認めないというのは、結局のところリベラルを体現する人物を減らしてしまいます。イエスキリストは「今まで一度も罪を犯していない者だけが石を投げなさい」といったはずですが、他人を批判して自らを権威付けようとする人は罪を犯していないのでしょう。

    内部対立が激しくなればそれこそリベラルから見たら悪魔の権化にも思えるトランプ大統領のような人間をのさばらせてしまう結果になり、自業自得な結果になるのではないかと危惧してしまいます。

    人種差別といえば、もう一つ意識せざるを得ないニュースがありました。

    米ハーバード大、入学者選考のアジア系差別訴訟で勝訴
    https://www.afpbb.com/articles/-/3247521
    ハーバード大はアファーマティブ・アクション(差別是正措置)に基づき数十年前から人種的マイノリティーの入学を後押ししており、その一環で入学者選考における判断基準に志願者の人種を取り入れてきたが、原告側はこれを批判。ドナルド・トランプ(Donald Trump)政権も原告の主張に支持を表明していた。
     大学側はアジア系学生への差別を否定する一方、個人の属性を含め、学業の優秀さ以外の幅広い選考基準を用いることの正当性を主張。人種は選考過程で考慮される多くの要因の一つにすぎないとしている。また、大学側は昨年10月、3週間にわたり陪審なしで行われた裁判で、アジア系学生の比率は2010年以降大幅に増加していると説明していた。

    アメリカというか世界的に見ても名門大学であるハーバード大学で、アジア系アメリカ人の合格が制限されているのは違法だとして訴えられていた裁判が、連邦裁判所で適切だという判断が下りました。これはまだ連邦地方裁での判決です。こういう問題は間違いなく最高裁まで行くでしょう。現在のアメリカ連邦最高裁判事はトランプ大統領就任後に入れ替わりがあったので保守派が多くなっていますが、裁判自体に時間がかかり、民主党大統領の時代になればどうなるか分からないでしょう。

    しかし、先年日本で東京医科大学による入学者差別は男女差別の観点からかなり激しい批判がありました。それは事実だし行われるべき差別ではありませんでしたが、今回のハーバード大学の件と合わせて考えると、男女差別は許されないけれど人種差別はある程度認められる、ということになってしまいます。

    人種の多様性を維持するために入学定員の割合をある程度固めることが許されるということと、女性の比率が大きくなりすぎないように男性受験者の得点に下駄を履かせることに違いがあるのでしょうか。

    人種差別も許されないことであったはずですが、男女差別よりはマシだと思われているのでしょうか。

    これはアメリカの事例だから、という理屈もあるでしょうが、将来的に日本も移民が増え、色々なルーツを持つ日本人が増えた場合、同じような問題が起こりえます。その時に、日本の大学や裁判所が下す決断はどういうものになるでしょうか?

  • 日本人の経済学賞・女性受賞はいつか? そして日本国籍を持たない日本在住者が受賞したら?

    今年のノーベル賞受賞者が一通り発表されました。化学賞に吉野彰氏が選ばれ、これで日本出身者の受賞は28人目となりました。特に2000年以降は受賞が相次ぎ、日本人(あるいは日本出身者)が受賞していない年の方が珍しいくらいです。

    吉野彰氏にノーベル化学賞 : 日本出身のノーベル賞受賞者一覧
    https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00564/

    ただ、一通り眺めてみると二つの足りない点が見つかります。

    一つは、経済学賞の受賞がないこと。もう一つは女性の受賞者がいないこと。

    前者の方は経済学そのものが欧米の影響が非常に強いこともあるのでしょう。歴代受賞者の中で非欧米の受賞者はインド人1名、インド出身1名のみです。当然ながらインドも旧植民地としてイギリスの影響を受けている国です。

    ノーベル経済学賞 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    https://ja.wikipedia.org/wiki/ノーベル経済学賞

    それ以外にも「日本人が経済学賞を取れない理由」とかで検索すると、色んな人やメディアが色んな理由を書いていますので、多分そのどれもがある程度当たっているのだと思います。いずれは日本人受賞者が現れるとは思いますが・・・。

    後者の女性受賞者については、そもそも世界的に見ても少ないです。

    女性のノーベル賞受賞者 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    https://ja.wikipedia.org/wiki/女性のノーベル賞受賞者
    2019年現在、ノーベル賞の受賞者のうち、男性が866人、女性が53人、団体が24団体である。

    非常に政治的な理由で与えられることが多い平和賞が一番多く、それを省いてしまうと3分の2になってしまいます。

    文学賞や平和賞のように女性科学者が今よりももっと少なかった時代でも受賞できたという側面がありますが、それでも割合的には男性優位と言えるでしょう。

    また、経済学賞と同様、やはり欧米の受賞者が多いですがこれもまた同じく、文学賞・平和賞以外の学問が欧米で発展していることが大きいと思います。

    キュリー夫人(物理学賞と化学賞を受賞)から始まった、女性のノーベル賞受賞者の歴史ですが、日本人がそこに加わるのはいつになるでしょうか。

    欧米の受賞者が多いと書きましたが、理由の一つは欧米文化圏が学問の発達が著しいことやそもそもスウェーデン・ノルウェーが選んでいるから、というのもありますが、それ以外にも、そもそも世界中から欧米の大学や研究所に優れた人物が集まるから、というのもあると思います。南部陽一郎氏のように、研究している先の国籍を取得しているケースも多いはずです。特にアメリカは移民で成り立っている国でもあります。外国生まれの優れた頭脳を受け入れて国家の発展に生かすことを最も上手くやっている国です。

    日本も昔に比べると日本で働く、あるいは研究する日本以外の出身国がある人が増えてきました。もし、そういった日本国籍を持たない人がノーベル賞を受賞した場合、日本の受賞者一覧に入るのでしょうか? その際にマスメディアはどのように扱うでしょうか?

    少し前のnoteにも書きましたが、

    https://hrsgmb.com/n/nc247891079cc

    学問の分野も法律上の国籍で云々語るのはあまり適さないでしょう。研究者が優れた研究成果を出すのであれば、その国での国籍を持っていなくても優遇・報奨されてしかるべきでしょうし、共同体への貢献をもたらすような制度や仕組みがあるかないかが、ノーベル賞のみならず国家の発展をもたらすか否かを分けるのではないでしょうか。

  • 国連分担金の肩代わりとそのための増税というのはあり得るのでしょうか

    国連が資金不足のため職員の賃金支払いが出来ない恐れがあるとグテレス事務総長が訴えるというニュースがありました。

    「来月の給与払えません」=国連事務総長、分担金滞納の加盟国に訴え
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2019100900662&g=int
    国連のグテレス事務総長は8日、総会第5委員会(行政・予算)で加盟国(193カ国)の一部が分担金を滞納していることに言及し、「今月、過去10年間で最も深刻な赤字に陥る見通しで、11月の人件費をまかなえない恐れがある」と訴えた。
    (中略)
    国連の報道官によると、これまでに129カ国が総額約20億ドル(約2100億円)の支払いを済ませている。

    国際連合は世界中の国が資金と人材を分担して出し合って成立している組織です。国家の組織であればその国内で徴収された税金で運営されます。脱税はどこの国でも悩みどころですが、税金の徴収にはどこの国でも強制力を発揮することが出来ます。しかし、国際組織である国連では強制的に徴収できない、各国からの分担金で運営せざるを得ません。

    各国の分担金の金額はそれぞれの国力・経済力などで割合が決められています。アメリカ合衆国がもちろん分担金の割合はトップになります。

    2017~2019年国連通常予算分担率・分担金
    https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jp_un/yosan.html

    当然ながら、G20級の国々が支払う金額の総額が大半を占めますが、それでもそれ以外の国々の割合も16%あります。本来、全ての国がきちんと分担金を支払っていれば国連が資金不足に陥ることなどありません。

    しかし、ここ数年は毎年のように危機が叫ばれています。

    国連分担金 | 衆議院議員 河野太郎公式サイト
    https://www.taro.org/2019/01/国連分担金.php
    国連では、分担金の滞納が大きな問題になりつつあり、2018年9月には、なんと加盟国193か国のうち52か国が通常予算分担金の支払いを滞納しているありさまでした。
    分担金を2年分滞納してしまうと総会での投票権が停止されます。

    さて、上記の河野大臣のブログにもありますが、国連に参加している国にとって、分担金を払わないことによる総会投票権停止が分担金支払いの防止になるはずです。

    国連分担金を払わず議決権を失う(パプアニューギニア)
    https://pic.or.jp/pi_news/2365/

    2年半前の記事ですが、このパプアニューギニアのように実際に支払わずに投票権を失うケースも現実に存在します。

    トランプ大統領になってからのアメリカのように、自己の外交政策を認めさせようと意図的に支払を遅らせるケースもありますが、大半の未払い国は支払いたくても支払えない状況の方が多いでしょう。

    去年の記事ですが、

    国連「かつてない現金不足」 分担金81カ国が未払い
    https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33475830X20C18A7000000/
    26日時点で加盟国193カ国のうち、最大の資金拠出国である米国を含む81カ国が分担金を払っていない。米国以外ではスーダンやアンゴラ、ケニアといったアフリカ諸国や、イランやシリアなど中東諸国、北朝鮮などが未払いとなっている。

    とありますので、アメリカ以外は統治機構が破綻している国、経済制裁を受けている国が並んでいます。

    さて、ここで二つ、思考実験というか仮定の想像をしてみようと思います。

    まず一つ目として、他国が国連分担金の肩代わりをすることは許されるのか?

    当然ながら他国が国連の口座に直接振り込むわけではありませんが、何らかの名目を付けて有償か無償の援助を行い、そのお金の全部または一部を国連分担金に回すとしたら、その国と援助してくれた国との関係は対等なものとはならないでしょう。

    さらに例えば、
    「援助してやった金で総会決議に加われるのだからウチの国に関する議決で味方しろ」
    と要求した場合、まず拒めないのではないでしょうか。総会だけではなく、様々な委員会や国連内の下部組織においても片務的な協力関係が出来上がってもおかしくありません。

    国連総会は一国一票だからこそ小国の利害も比較的尊重されますが、これを認めると経済的に余裕がある国が票を買い取ることが出来るようになります。そんなケースがあったとしても、国連としてはその分担金を受け入れるでしょうか。

    そして、二つ目の想像として、そのように他国の分担金を肩代わりする費用を捻出するために、増税することを国民が承認するでしょうか?

    自国の対外的発言力・影響力を何が何でも強めたいと思うような人は賛成するかも知れません。あるいは、国際協調を大事と考える人は国連が資金不足から機能停止に陥ることを心配して賛成するかも知れません。前者は「国家の威信のため」、後者は「国際協調のため」に自国が負担をするのもやむを得ないと考え、増税に賛成するとしたら、その割合はどれくらいになるでしょうか? 国家のため・国際社会のためという理由による増税を拒める人はどれくらいいるでしょうか?

    ここまで考えてきたのはあくまで想像であり、実際にはそんなことも起きず、破綻しない程度には国連に分担金が納められ、何とかやっていけるのでしょうけれど、「そんなこと起きるわけがない」と高をくくるよりは、「もしかしたら・・・」と心構えしておいても損は無いでしょう。

  • AppleよりもMicrosoftの方が新しい時代に乗っているのかも

    かつて、Windowsで巨大な売上利益を出していたMicrosoftと、Microsoftの金儲け姿勢を批判していたLinuxコミュニティとでは、ソフトウェアに対する考え方が大きく違っていました。当時はネット上でもそれ以外でも結構激しくやりあっていたなあ、という記憶があるのですが、月日は流れ、今のWindowsではLinuxで利用するサービス・機能も比較的簡単に利用できるようになっています。

    「Microsoft Loves Linux」から考える2020年のWindowsとLinux (1/2)
    https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1910/04/news059.html

    かつての確執からすると隔世の感がありますね。そもそも最近のMicrosoftは、直接的な個人向けリセールを重視していないような気がします。

    Windowsがインストールされているパソコン自体が先が見えているようなデバイスに思われているかもしれません。パソコンではなくスマホで十分な人が増えていますし。Windowsをプリインストールするパソコンと、パッケージ販売されているWindowsをインストールする自作パソコンが、Windows販売の両輪でしたが、自作パソコンがかつてほどの熱気はなく、メーカー製パソコンも個人で買う人が減りつつある中で、Microsoftは稼ぎどころをシフトしています。

    一つは、Office365です。もはやOfficeのパッケージ版を購入する人もかなり減ったのではないでしょうか。かつて必要な人はOfficeをバンドルしているパソコンを買うか、パッケージで 購入してインストールしていました。そしてバージョンアップも費用が必要でしたが、現在のOffice365ではサブスクリプション化によって初期費用が抑えられ、最新バージョンを常に使えるようになりました。

    もう一つがAzureです。このクラウドコンピューティングサービスも大きな収益の柱になっています。AmazonのAWS、GoogleのGCPなどもありますが、MicrosoftのAzureではWindowsの仮想マシンも簡単に作れたりします。料金や細かいサービスでは色々と違いがありますが、素人の私にはよく分からないのでとりあえず割愛しておきます。

    さて、このようにOffice365とAzureに軸足を移し始めているMicrosoftは、Windowsを売ることに固執するつもりはないのかも知れません。OfficeもAzureも使用するデバイスはWindowsPCではなくてもいいわけですから。Windowsを買ってくれた方がいいのは良いのでしょうけれど、Windowsでしか使えないサービスとして顧客の囲い込みは少なくとも考えていないのは確かです。

    なにせ先日、ついにAndroid搭載スマートフォン(Microsoftは電話じゃないと強調していますが)を発表したくらいですから。かつてはWindowsブランドでのスマートフォンも出していて、Nokiaのスマホ事業を買収して何とかしようとしていたくらいです。結局、iPhoneとAndroidの争いには食い込むことが出来ずに知らない間にひっそりと終了していましたが、ここでSurfaceブランドで、さらに2画面スマホでAndroid搭載デバイスをぶちかましてきました。

    Microsoftが2画面Android端末「Surface Duo」を投入するワケ
    https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1910/06/news011.html

    同じく発表したそれ以外のSurfaceはパソコンとしてWindowsを搭載していますが、今のWindowsはAndroidスマホとの親和性は高くなっています。パソコン分野ではAppleのmacOSやGoogleのChromeOSに比べるとまだまだWindowsのシェアは圧倒的ですが、上述のようにPC不要の人が増えている中で、デバイスは何でも良いからMicrosoftのサービスを使ってくれたら良いという考えに移行しているのでしょう。

    いわば、自社プラットフォームに利用者を囲い込むのではなく、複数の企業・プラットフォーム間で緩い連合を組んで利用者を増やして収益を上げていくという考え方なのだと思います。Googleほど無料サービスにこだわってはいないけれど、昔に比べればGoogle寄りの考え方と言えるでしょう。ある意味、時代の流れに沿っているとも言えます。

    一方で、Appleは自社プラットフォームやコンテンツにおける顧客の囲い込みを続けています。別にiPhoneやMacで他社サービスが使えないわけではありませんが、音楽配信、動画配信、電子書籍、ゲームといったウェブ経由のサービスに加えて、iPhone・iPad・Mac・Apple Watch・AirPodsといったハード間の密接な連携もあります。Apple製品・サービスを使っている人はさらにApple製品・サービスを使った方が便利ですよ、という商売です(かくてApple信者が生まれます)。当たり前と言えば当たり前な商売なのですが、これをなし得る中核はiPhoneブランドです。iPhoneが世間的に使われなくなると一気に成り立たなくなるビジネスですが、今のところは成功し続けています。

    Microsoft・Google・Amazon・Samsung・HUAWEI・Netflixといった企業群とそれぞれの分野で戦い続けていることを考えると、Appleの商売範囲が非常に幅広く、維持するための労力は相当なものだろうなと思います。

    びっちり閉じているわけではありませんが、比較的閉じられた自社プラットフォームに囲い込むAppleと、上記の企業群による緩やかな連合による比較的開かれたプラットフォーム群のどちらが最終的な勝利を収めるのでしょうかね。

  • 帝国主義的領土拡張の限界の理由は人的リソースの枯渇にあるのではないか

    国家が帝国主義的野心を発揮して領土を広げても維持できるかどうかは分かりません。むしろ、それを維持する方が大変なことの方が多いかも知れません。

    それはかつての大日本帝国であったことですし、今のアメリカ合衆国(強い影響力を及ぼす地域を領土と見なした場合)や中華人民共和国、ロシア共和国も同じでしょう。

    ロシアに関しては攻め込まれる不安を消すために、ロシア帝国・ソビエト連邦・ロシア共和国とこの数百年間に渡り領土を拡張し続けました。特にソ連時代は東欧圏に巨大な共産圏を作り上げましたがアメリカとの軍拡競争に敗れ、対米経済格差も広がり続けて冷戦構造を維持できませんでした。ソ連崩壊後は直接的に領土を広げたのは2014年のクリミア半島のみであって、それ以外の地域はウクライナ東部、チェチェン、アブアジア、南オセチア、沿ドニエストルなどでは直轄領を増やそうとはせず、未承認国家などの形で不安定化させるに留まってます。ある意味、直轄領化しない方がロシアの利益になるという見方をしている証でもあります。

    アメリカは直轄領自体は19世紀末のハワイ王国を占領してハワイ州にしたのが最後でしたが、20世紀から21世紀にかけて、自分たちの思想と経済の影響を及ぼせる国や地域を広げ続けました。そのために日本だけでなく世界中に基地を設け、多くの軍隊を駐留させています。冷戦後は唯一の超大国となりました。1980年代における経済力における日本の挑戦は退けたが、21世紀になってから成長し続ける中国の挑戦を受けています。また21世紀になってから公然とアメリカに挑戦するテロリズムにも苦しめられています。同盟国や自分たちを守り自由資本主義を広げることで得られる利益と、そのために同盟関係や在外基地を維持する費用のバランスが悪くなってきているという認識がアメリカ内で生まれたのでしょう。世界中に広がった米軍基地・在外米軍を縮小して内に閉じこもろうとするトランプ大統領が生まれたのは、その流れを見ると歴史的必然でもあります。

    現在の中華人民共和国は、ロシアとの国境問題は一応ソ連時代に解決しましたが、それ以外は日本、フィリピン、ベトナム、インドといった周辺諸国と領土問題を抱え、さらに国内ではあるもののチベット・内蒙古・ウイグルにおいて弾圧しているとの批判を受けています。日本人の一般的価値観からすると、内蒙古からウイグル族の地域からチベットに至るまで、その辺は中国の領土では無いような気がするかも知れませんが、これはそれなりに理屈があります。偉大なるチンギスハーンが打ち立てたモンゴル帝国はユーラシア大陸において巨大な地域を支配していましたが、そのモンゴル帝国はチンギスハーン死後に分裂しました。そして17世紀から20世紀まで中国の地域を清帝国が支配していましたが、この清は満州地域を発祥とする女真族が建国したものです。その太祖ヌルハチが支配下にあったモンゴル族からハーンの称号を受け継いだことで、モンゴル帝国の後継者としての立場を得ることが出来ました。そこから、内蒙古やウイグルやチベットのような、それまで数百年間モンゴルの支配を受けたり受けなかったりしていた地域に対して清帝国が影響を持つようになり、最盛期には今の中国以上の地域を支配していました。その清帝国から中華民国を経て中華人民共和国として現在の中国が存在しているわけですが、清帝国の最大領土が中国の支配すべき領土であるという主張になるわけです。無茶と言えば無茶ですが、それくらいの主張は世界中の国がしていますので中国だけが無茶を言っているわけでもありません。問題はその領土を維持するために少数民族を弾圧しているところにあります。逆に言うと、弾圧しないと維持できない領土を抱えてしまっているのです。

    大日本帝国は明治維新以降、富国強兵・殖産興業のスローガンの元に、日本国内の発展と植民地獲得をし続けました。台湾・朝鮮半島・南樺太と獲得を進め、第一次世界大戦中から中国大陸への進出を公然と行いました。太平洋戦争中は、南方資源の獲得のために東南アジアや南洋(一部はドイツから奪い委任統治を既にしていましたが)にも進出しました。それによって海洋面積も含めると、現在の日本列島の数十倍の地域を支配していましたが、ご存じのように敗戦によって19世紀後半以降に得た領土全てを失いました。

    結局のところ、巨大化によって得られた地域から上がる利益、資源があるにしても、長期的に見るとマイナス面の方が大きいのではないでしょうか。19世紀ならともかく、この21世紀では巨大化して核心的地域ではない領土を増やしても、その巨大化自体が周辺諸国やその地域そのものからの反発を招き、少なくとも経済制裁は食らいます。新規の支配地域における反発を押さえ込むのに苦しみます。

    ただ、アメリカは今のところ維持できています。中国も苦しみながらも何とか維持できていますが、大日本帝国やソビエト連邦は維持できませんでした。どこに差があるのかと思いますが、一つには拡大前の領土(日本で言えば現在の領土)における経済力・国力が限界点なのではないかと思います。

    植民地の獲得によって国が富む面はあるものの、植民地を維持するために必要なコスト・リソースは本国の負担になります。これは単なるお金や資源だけでは無く人的リソースも含みます。どうしたって本国と植民地が同じ国であっても差別的扱いが出てきてしまい、植民地における人的育成が追いつかず、本国からの人的リソースの持ち出しに依存すれば、いずれは巨大化した領土全体を維持できなくなってしまうのではないでしょうか。

    アメリカは世界中から移民を集めることで人的リソースの枯渇問題が起きていません。中国は本国地域にとてつもない人口を抱えています。それに比べるとソ連や戦前の日本では人的リソースの限界が早く訪れてしまったのではないでしょうか。そうだとすると、移民を制限しようとし始めたアメリカ合衆国の限界が近付いているのかも知れません。また人口は巨大ですが少子高齢化が間違いなく訪れる中国も厳しい未来が待っているのは間違いないでしょう。

  • 日本人と国民とラグビー代表と

    ラグビー日本代表の快進撃が続いています。誠に嬉しい限りですが、さて、このラグビーでは国家代表の選手の資格には国籍が入っていません。居住年数の制限はありますが、当該国籍を持つ選手が一人もいない代表チームも理論上は編成可能だそうです。

    サッカーの日本代表や、各種スポーツのオリンピック代表選手などを基準に考えると理解するのが難しいですが、在地主義ということで国籍ではなく居住地を資格要件にしているとのことです。

    国家代表という概念が他のスポーツと異なるわけですが、日本国籍を持っていない選手達が血眼になって日本代表の勝利に貢献しようとする姿は見ているだけでただ感動を覚えます。

    そしてこれは、日本に限らず将来の国家、国民の姿かも知れません。法的には今後も国民を意味づける理由のままであると思いますが、概念的には国籍以外の要素が、国民とは何かという資格・条件になっていくかも知れません。

    現代の国家は国民を国籍で決めています。当たり前ですがこれは国民国家であればどこでも同じです。

    ちなみに日本国は国籍付与を血統主義に基づいて実施しているので、両親のどちらかが日本人であることが条件となります。帰化することによって日本国籍の取得は可能ですが、帰化の条件が比較的厳しいものになっています。

    国籍については国によって付与条件が緩かったり厳しかったりしますが、EUのように超国家的存在においてまたぐのが不便な国境が存在しなくなり、国籍があまり意味を持たなくなると、「〜〜国民」とはなんなのでしょうか?

    日本らしい暮らし、日本人らしい生き方をしている? ベッドで寝起きして、パンやパスタを食べ、洋式便所で用を足し、洋服を着て洋装の靴を履いて、教会で結婚式を挙げたりして生活しているけれど私たちは日本人であることは自他共に認めるはずです。

    逆に、日本国籍を持たず、アジア系の顔立ちでもない人が和服を着て下駄を履いて布団で寝起きして和食を食べて和式便所で用を足していても、日本人とすぐには認められないでしょう。

    日本では国家の領域と国民の大多数を占める民族の居住領域がほぼ同じという点で世界的には希有な国家なのですが、日本以外の国ではその二つが異なるのは当たり前です。その場合、国民を規定する要素が国籍以外にはまず存在しません。

    日本人とはなにか。その人の外的な要素(国籍や衣食住)で決まるわけではなく、日本という共同体に所属して利害を共にすることを認めて貢献しようとする気持ちがあるかどうか、という内的な要素に規定されるとしたら、今のラグビー代表まさにそれを体現する存在だと思います。

    見方を変えると、国家という共同体に魅力が無ければ、国籍保持者や居住者が逃げ出すか、居住していても貢献意識が無くなり国家を維持するだけの国力が無くなるということにもなります。

    19世紀に生まれた、政府・領土・国民を規定する国民国家という概念は、強大な影響を世界にもたらしました。国民国家化の進展度合いが国力増強の度合いに比例し、立ち後れた国家は進んだ国家に植民地支配され、最終的には国民国家同士の2度の世界大戦とその後の冷戦を経過し今に至ります。

    世界大戦も冷戦も近代国家同士の戦いでした。国民国家化が総力戦をもたらしたわけですが、物理的な戦争以外にも経済、文化など社会全体も国家単位で発展することになりました。代表的なのは大企業ですが、20世紀後半から21世紀にかけて、いち早く大企業が多国籍企業として国境を越える存在となりました。そして一部の巨大企業はタックスヘイブンを利用して国家への納税もほぼしなくなります。商業分野において国家が意味をなさなくなりつつあります。

    そしてスポーツでも例えばヨーロッパのトップクラスでは代表戦よりもチャンピオンズリーグの方が人気が高く、国家単位のリーグを超越したスーパーリーグ構想はこの20年間何度も生まれています。

    ノーベル賞受賞者でも南部陽一郎氏のように日本で生まれ育った後に研究者として移住して結果的にはアメリカ国籍を取得したケースもあります。日本人としての受賞と言って良いのか受賞時にも少し話題になったと思いますが、学問の分野も国境があまり意味をなさない世界でしょう。

    国家が国民にもたらすものが多ければ国民は国家に貢献します。国籍に関わりなくてももたらされる貢献は、戦前戦中の上からの国家主義的な要求によるものではなく、共同体への帰属意識から発露するものであり、そうなれば21世紀的国家概念の誕生でもあります。

  • FC町田ゼルビアの名前を変える問題には全てのJリーグファン・サポーターが持論を持っているでしょうね

    当該のサポーターではなくとも、FC町田ゼルビアの名称問題については誰もが色々な思いがあるはずです。

    私自身は生まれも育ちも今の住所も関西で、首都圏に住んだことがないので東京都町田市における地域的なアイデンティティをなかなか理解出来ないのですが、友人によれば町田は東京ではなく町田というアイデンティティがあるということも聞きました。

    ただあくまで完全な部外者で、なんとなく思っていることをただ書いていきますがそもそも今回の問題はちゃんと、まずは藤田社長が説明しているサポーターミーティングを見た上で、そして藤田社長のブログを読んだ上で色々と考えた方が良いのかなと思います。

    FC町田ゼルビア・サポーターミーティング
    https://youtu.be/v_6pjhHzRFM

    https://youtu.be/v_6pjhHzRFM

    渋谷ではたらく社長のアメブロ
    https://ameblo.jp/shibuya/entry-12534920753.html

    一通り見た上での部外者としての感想ですが、部外者としてだけでも色々と出てきます。

    まず、町田市のみのポテンシャルに限界を感じているなら、そもそも町田ゼルビアの経営権をなぜ取得したのかという疑問もありますし、町田でダメならいっそのこと完全に移転してしまうということも多分色んな理由でやらないんでしょうけれど、ものすごく中途半端な気がします。別に移転するべきというつもりはありません。23区内にあるクラブに出資してJ入りを目指すという選択肢もあったはずです。

    「町田から東京へ」というのもただ単に東京に繋がりがあるクラブであればどこでもいい感がして何というかアレですね。気持ちの良いものではないです。

    「FC東京町田」という名前は良くて、「FC東京町田ゼルビア」は長くてダメ、というのも、ん? と思います。FCを外すのはダメなんでしょうか。「東京町田ゼルビア」でも良いはずです。プロ野球では「東北楽天ゴールデンイーグルス」があります。そもそもかつてサイバーエージェントが経営参画していた「東京ヴェルディ1969」も口に出したら長いです。

    どうせ長い名前は省略されます。「東北楽天ゴールデンイーグルス」は「楽天」か「楽天イーグルス」です。「東京ヴェルディ1969」は昔からずっと「ヴェルディ」です。「FC町田トウキョウ」はどうでしょうか? どうせ「町田」になるんじゃないでしょうか。「東京」と呼ぶ人はいないでしょう。

    また、「ゼルビア」が覚えづらいというのもあくまで藤田社長の個人の感想のはずです。ネット企業なんですからそれこそネットで広くアンケートでも採ればいいのに。第一、サイバーエージェントがやっているAmebaブログとAbemaTVの方が一般人には覚えづらいのではないですかね。

    ゼルビアよりも覚えづらいかも知れない、ヴィッセル、フロンターレ、グランパス、サンフレッチェなどは定着していると思いますが、どうなんでしょうね。「ゼルビア」を外すことと、「東京」を付けること前提になっているように思えました。

    まあ、本当に強引で傲慢な経営者であれば、説明も弁解も保留もせずにさっさと変えていたでしょう。今回のサポーターミーティングを受けて、一旦この名称変更を保留にしたのは良かったと思います。

    上場企業として出資するのだから色々としないといけないことがあるのは理解出来ますが、サッカークラブに出資するということを正確に理解出来ていないようにも思えてなりません。

    はっきり言ってサッカー、特に現在のJリーグクラブに出資して毎年多額のスポンサー料を払って、それ以上のリターンを企業として稼ぐことは非常に難しいです。費用対効果を非常に測りづらい広告宣伝効果があるくらいでしょう。楽天みたいにバルセロナクラスのクラブのスポンサーに無理してなった方が儲かる可能性はまだ高いでしょう。

    それでも多くのクラブに対して数多くのスポンサーになっている企業の存在は、サポーターとしては非常にありがたいものです。だからこそ、なお、サイバーエージェントと藤田社長が今回、何を目的にゼルビアを傘下に収めたのかがいまいち見えてこない印象がありました。

    Jリーグに対してあまり知識も経験もない人が言っているんなら仕方ないかなとも思えるけれど、ヴェルディのスポンサーを何年かやっててこのようなことになったのは残念に思います。

    ただ、先述しましたがサポーターの疑問、意見に対して真摯に対応しようとしているのは分かりました。この点では誠実な人なんだろうとは思えましたので、クラブにとっても企業にとっても、そしてサポーターにとっても良い結果になることを願います。