
正論は当たり前ですが説得力があります。しかし、万人に対してそうかというわけでもありません。正論を受け入れない人に対して受け入れさせるためには、何らかのアクションが必要となります。そのアクションは議論で済めば問題ないですが、議論でも受け入れられなかった場合はどうすべきでしょうか?
分かりやすい例は、アメリカやNATOなど、西側諸国が人権や平和、停戦などを求めて強制力を発揮するケースです。つまりは軍事力をもって相手に自分の意見を強制的に認めさせるわけですが、そのことの是非はともかく、最終的には物理的な力(パワー)によることになります。
そこまではいかなくても、正論を掲げるだけで世の中の人全てが従ってくれるわけではありません。それは環境変動に対する様々な議論を見ても分かるでしょう。正論は強いですがその一方で脆いものです。否定する人に対して理論的に説明しても納得まで持っていけるとは限りません。そもそも、理論的な説明が不足しているから正論を認めないのではなく、感情的あるいは自己の立場的に認めないケースであれば、論理的正しさは正論を受け入れさせる力たり得ません。そうなると、結局は強制力で押さえつけることになってしまいます。
正論を受け入れさせるためには、相手側の立場や感情も理解した上で搦め手からも攻める必要があります。
正論は強いということは誰もが分かっていますが、正論は強いことが分かっているからこそ、その強さに耐えられない人は正論そのものを感情的に潰そうとします。
「なぜ正論を受け入れないのか」という疑念ではなく、「どうすれば正論を受け入れさせられるか」という方法を考えるべきです。
個人的には、正論を掲げている側にも多少は問題があるというか、相手の間違いを指摘してドヤ顔をする人もいるし、「君のために間違いを指摘してあげたんだぞ」と恩に着せる人もいます。
もちろん間違えた方が悪いのですが、正論を盾に自分の正しさと相手の間違いを指摘することに情熱を燃やすあまりに、指摘された方に嫌な顔をされてしまっては元も子もありません。
自分の主張を相手に理解してもらい、そして自分の味方を増やす、ということを目的にしているのであれば、自分が相手より上に立つような説得の方法は目的を達する助けにはならないでしょう。おそらく逆の結果を招きます。関係が感情的にこじれてしまったら、こちらが論理を丁寧に構築した正論をぶつけてももはや聞いてくれることもありません。
多くの国で起きている、保守的な思想とリベラル的な思想の分裂による対立も、相手への理解よりも自己主張を優先していることが大きな原因であるような気がします。





