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  • 人類の発展の理由が衰退の原因にもなる

    成功した理由が失敗の原因にもなるというのは、企業の成長にも国家の盛衰にも適用しやすい真理です。

    企業で言えば儲かった商品やジャンルに固執しすぎてしまい、新製品や新ジャンルの開拓を出来ずに元の商品が売れなくなったら会社自体が傾いたとかはよくある話です。

    国家でも、戦争に強く領土を広げすぎたが故に、中央からの統制が効かず分裂してしまうとか、軍隊が力を持ちすぎて政府が要求に応じられなくなったために国家が崩壊するとか、歴史的にはいくつも存在します。

    個人レベルでも集団レベルでも似た事例はいくらでも語れるでしょうけれど、もっと大きな「人類」レベルでも同じではないかと思います。

    人類の進化、特に文明が成立するあたりでは人口がそれなりに密集と増加していることが必要でした。

    農業革命が起きて多くの人数を養えるようになり、それと同時に人口が増えたから農業における生産性が向上したとも言えます。それによって人口が増え、社会が出来て、さらに時間が経つと分業が成立します。初めのうちは平等であっても、次第に格差が広がり身分の上下が出来上がります。

    人口が集中して増加し、分業化が容易になることで文明が生まれ、国家が生まれ、人類が発展してきました。

    しかし、その人口の増加によって食糧危機もチラついてきました。さらに大半の国で貧富の格差が増大しすぎて不安定化し、また国家間の格差も広がっています。工業化があらゆる国で進んだことで、環境破壊も歯止めがかかりません。

    いわば人類が発展した理由が、人類が今後危機に陥る原因にもなりつつあります。

    さて、企業も国家も成功し続けるものがあれば失敗して衰退や消滅したものもありますが、地球上の人類はどうなるでしょうか。

    地球上で養える人口にはもしかしたらまだやりようによっては余裕があるのかも知れませんが、増え続けたらどこかで限界が来ます。人口が多すぎることが問題であれば、人口が減るか地球以外に進出するかの二択です。

    人口が減るとしたら今の日本のような自然減か、戦争・災害・伝染病などはっきりした原因のある減少かどちらかです。どちらにしても明るい未来とは言えません。

    その前に宇宙に飛び出して資源を獲得するか、移住先を見つければまだ人類は長生きできます。宇宙における惑星間飛行はなんとか見えるところに技術がありそうですが、他の恒星系への飛行となると素人には想像が付きません。もはやSFと大差ない願望のようになってしまいますが、人口が増え続けるなら他に選択肢はありません。

    今いる人間が寿命を迎える頃まではまだ地球上に存在し続けられると思いますが、地球のみの人類はいつまで続くでしょうか?

    あっさり、人口減に転じて地球だけで存在し続ける未来の方がまだ無理がないかも知れません。

  • 挨拶は括弧構造のプロトコル

    「行ってきます」と言って家を出て、戻ってきたら「ただいま」と言います。

    「いただきます」と言って食べ始め、食べ終わったら「ごちそうさま」と言います。

    出会ったら「こんにちは」と言って、別れるときには「さようなら」と言います。

    挨拶には始まりと終わりがあります。会話の中の挨拶は上に例示したようにセットになっています。会話だけではなく文章でも同様で、「拝啓」で始めて「敬具」で終わるように、頭語と結語が定式化されています。

    いわば、文章の括弧のようなものです。

    「 で始めたら 」で終わらせないといけません。

    行動の開始を宣言することと、終了を宣言することがルールとして決まっていると言えば、通信プロトコルみたいにコネクションの接続と切断の要求・応答のやり取りを思いつきます。

    まあそもそも「プロトコル」という言葉自体、情報通信の世界で使われる前に利用されていたのが、かつてヨーロッパでの外交儀礼や手順・慣習などをまとめたものとしてでした。

    挨拶はもちろん儀礼的なものです。それ自体は本題ではありません。拝啓や敬具が無かったからといって、手紙で伝える内容そのものが失われるわけではないですし、「いただきます」を言わなかったら目の前の柔らかいローストビーフがゴムみたいなすじ肉に変化したりもしません。

    中身と関係が無いとはいえ、挨拶の言葉が無ければ味気ないし、相手がいれば無礼に思われます。とどのつまりは自分に跳ね返ってくることです。

    挨拶が無いからといって相手にギャーギャー言うのはどうかと思いますが、始まりと最後を示すサインとして挨拶はあった方がいいです。

    中身と関係ない儀式・礼儀は無視する、という人がいるのは構わないですけれど、儀式・礼儀は別に意味が無いわけではありません。形だけのものであっても形があるなら意味はあります。その意味に価値を見いだすかが人それぞれなだけでしょう。

    言葉でも文字でも、挨拶で開始を宣言して挨拶で終了を宣言します。その方が分かりやすいし、分かりやすいというメリットがあるのなら形だけ以上の意味や価値があるのではないでしょうか。

  • 情報伝達で生まれる感情がもたらすフィードバック

    情報の伝達には、
    ・正しく伝えること、
    ・正しく理解されること
    が必要です。

    これがコンピュータ同士であれば、当然ながら技術的な面だけで要件を整えれば済みますが、人間同士であればそれ以外の要素も入り込んできます。

    他人に何かを説明、伝達したときに、
    ・説明が不足したら、分からないし、独りよがりと言われる
    ・説明が過剰なら、それくらい分かる、馬鹿にしてる、かえって分かりにくくなる、興ざめと文句を言われる
    という、人間関係特有の問題が出てきます。

    説明の質と量が適正でないとアレコレ言われることになります。単なる文句ですが、再度の情報伝達が必要だったり、あるいは次回の伝達時にプレッシャーがかかることになります。

    情報を受け取った側が、その情報に関して、適切な受け取り方の出来る伝達でないと、人間関係に影響が出て、そしてその影響が情報伝達の質量に伝わるという、伝達される情報の中身に関係の無いフィードバックが発生します。

    これは一対一の場合であって、対面、電話、メールなどで起こりえます。

    その一方でSNSでは一対一よりも一対多の情報伝達が一般的です。

    その場合、例えば一人が情報をSNS上に書き込んだときに、適切に情報を受け取ることが出来る人、情報が過剰すぎてうっとうしい人、情報が少なすぎて理解出来ずイラつく人の3パターンに分かれます。

    しかもそれが一方的な情報伝達で済むならそれで終わりですが、SNSでは双方向のやり取りが可能なため、
    ・情報が過剰すぎてうっとうしい人からの苦情
    ・情報が少なすぎて理解出来ずイラつく人からの苦情
    も発信者に届きます。

    一対一の場合でも文句を言われるとキツいですが、一対多の場合はその分だけ多くのクレームが届きます。「多」の側の人は自分一人が苦情を言っているつもりですが、「一」の側は多数のフィードバックという名の苦情を受け取ることになります。

    受け取る側の「一」の人がこれによって疲れて嫌気が差すこともありますし、むしろ火が付いて過激になってしまうこともあり得ます。逆上して過激になってさらにそれが多くのクレームを呼び込むと泥沼化してしまいます。

    そんな泥沼化を防ぐには、正しく情報を伝えて正しく情報を受け取る仕組みを作ってしまえばいいのですが、5W1Hなどのルールで構造化してしまえば、分かりづらさや伝わりづらさは軽減できるでしょうけれど、そんなSNS流行るはずもないですね。

  • 仕事イコール金儲けと言うと角が立つ

    仕事をするのは色んな理由が人それぞれあります。ただ、ほとんどの人に共通するのはお金を得るためという理由でしょう。

    中には自分は仕事に金銭を求めていない、自己実現のためだとか、世のため人のためだとか言う人がいるのは確かですが、だからといって無収入で働き続ける人・働き続けられる人は本当にごくわずかです。

    好むと好まざるとに関わらず、働かなければ生きていけません。働く理由が金銭だろうと生きがいだろうと社会貢献だろうと、生きることと働くことは関係性が非常に強い概念です。

    働くことにとらわれすぎたり、無理して働きすぎたりするとそれはそれで過労死・ブラック企業・うつ病などの問題になってしまいますが、働くことや仕事についての重要性はたいていの人が同意できると思います。

    ところで、「仕事のため」と「金儲けのため」では結構イメージが異なります。どちらも金銭を得る行動の理由説明ですが、「仕事」=「金儲け」ではないということでしょうか。

    「金儲け」という言葉には、「必要以上に金を得る行動」のイメージがあるかも知れません。「他の人に行くはずのお金も貪欲に奪おうとする行動」と言った方が良いでしょうか。

    しかしそれなら「必要以上に仕事をすること」も同じでしょう。「他の人がするはずの仕事も貪欲に奪おうとする行動」と同じはずです。

    一部の人間が過労死するほどの時間外労働をするくらいなら、ワークシェアリングで一人の労働時間を二人で分け合った方が、健康にも良くて健康保険の利用が減り、失業保険・生活保護も減らせて、社会が結果的に安定するはずですが、なかなか社会はそうなっていきません。

    それはともかく、仕事と金儲けは近いようで異なるようです。また、前述の「自己実現」とか「生きがい」とか「社会貢献」なども重なる部分はあれど「仕事」とは別でしょう。

    仕事とは何かという考え方は、仕事と近いけれど違うモノを考えて、どこにも属していない部分が「仕事」の中心になるはずです。ベン図の論理積みたいなものでしょうか。

    ベン図ほどはっきりした境界があるわけではなく、ぼんやりとした「仕事じゃない方」の境界があって、さらにぼんやりとした「仕事」の境界線がある気がします。ぼんやりした部分が人による差異になるでしょうか。

    仕事とは何かという命題に対する答えなんて人それぞれというありきたりな結論になりそうですが、仕事とは言えないものからそぎ落としていった方が、本質には近づけそうな気がします。

  • ロングスローとマジカルラブリー

    蕎麦を食べていてふと思いましたが、年末のM1で優勝したマジカルラブリーは漫才ではないという論争は、蕎麦や寿司などの食べ方やメニューに文句を付けるのと似たようなものじゃないでしょうか?

    ちょっと前に書いたことがありますが、

    https://hrsgmb.com/n/n0de895efc606

    蕎麦も寿司も手軽に気楽に食べるものですので、アレコレ言うべきではないと個人的には思っています。こだわる人が勝手にこだわるには勝手だと思いますが、別にそば湯やそばがきに見向きもせず、蕎麦をつゆにドボンとつけて食べる人がいたっていいでしょう。寿司だってカリフォルニアロールやハンバーグ軍艦巻きだってありといえばありでしょう。

    漫才だって同じことです。二人以上の人間が舞台上でマイクの前で客を笑わせたら漫才なのではないでしょうか。もちろんしゃべくり漫才が漫才らしいことは認めますが、これは漫才じゃないとか言い出すと楽しんでいられません。見て笑って終わりで別に良いと思います。

    また、サッカーの高校選手権でロングスローを多用する戦術についても色々議論していますが、ロングスローだって別に禁止されていない以上は効果的ならそりゃやるでしょう。普通の投げ方だろうがハンドスプリングスローだろうが、得点につながる戦術に向いた選手がいるならやらない方がおかしいと思うのですが。

    ショートパスを細かくつないで相手ディフェンスを切り裂いて最後はゴラッソなシュートを決めても1点ですし、ロングスローをクリアミスしてオウンゴールになっても1点です。

    ロングスローが流行りすぎたら対策も出来上がってくるでしょう。サッカーの世界では新しい攻撃戦術によって得点が増え、それに対する新しい守備戦術が生まれて得点が減るというサイクルの繰り返しです。

    もちろん過渡期には極端な状況が出てくるでしょうけれど、相手に戦術があればそれへの対策を立てるか、相手の戦術が意味を無くすくらいの実力差を付けるかしかありません。

    今回のロングスロー戦術で言えば、

    ・相手のロングスローに対して、背の高い選手や競り合いに強い選手を増やして自陣ゴール前での危険を減らす。

    _こちら側のパス回し、ボールコントロールの精度を上げてそもそもボールがサイドラインを割らず、相手がスローイン出来ないくらい試合展開を作る。

    というのが対策になります。結局はサッカーの中で対抗していくしか無くて、批判的な意見の持ち主が批判的な意見をヤフーニュースのコメント欄に山ほど書き込んだところで意味はありません。

    どの問題でも共通するのは、在り方の範囲を極端に狭めてしまったら、楽しむものも楽しめないということです。間口は広く取った方が楽しめます。当事者(M1でマジカルラブリーに負けた他のコンビや、ロングスローで失点を重ねた相手チーム)が文句を言うのはまだ分かりますが、赤の他人はアレコレ言わない方が良いんじゃないですかね。単純に見て楽しみましょうよ。

  • トランプはどこに行く?

    以前、ParlerというSNSを試しに使ってみたというnoteを書きました。

    https://hrsgmb.com/n/naaedbceaf56e

    その頃は書き込みが正常に行えなかったり、不安定なところも見られましたが、しばらくすると結構安定してきました。ただ、ブラウザでアクセスすると

    こんな画面が表示されるようになりました。AdGuardが注意喚起で出しているものです。

    何かセキュリティ的に問題があるのではなく、多分ですが書き込まれている内容がいろいろ問題あるのだろうなということは容易に推測できます。何せ、Parlerの運営側が書き込みについては一切検閲・削除をしないという方針ですから。

    さて、そんなParlerのヤバさの一端をになっているトランプ大統領とその支持者たちが、アメリカ合衆国の歴史に悪い意味で永遠に残る出来事をやらかしました。亡くなった人もいるので茶化すつもりもありませんが、法と秩序を掲げてBLM運動のデモを批判していた人たちが、法と秩序を掲げながら立法議会に乱入して暴動を起こすというのは悲劇でもあり喜劇でもあります。

    一応は、あと数日でトランプ大統領の任期が終了するのですが、まだすんなり政権移行出来るかどうかは怪しいものです。一部メディアでは敗北宣言と出ていましたが、選挙に負けたともバイデン大統領を認めるとも言っていないのですから早計です。

    トランプ政権も辞任者が出て、この後数日ならどうしようも無いのかも知れません。頼みのペンス副大統領も選挙結果を覆す試みには加わらなかったようですし。

    その一方で、トランプ大統領の任期満了前解任を実現する、合衆国憲法修正25条の発動も無さそうです。そもそも共和党の内部でもまだトランプ寄りの議員も結構いるようですし。

    これまで何度も書いてきましたが、トランプのヤバさが問題というよりも、トランプを支持する人がまだたくさんいることの方が問題でしょう。遠く離れた日本の東京でもトランプ支持を訴え、大統領選挙不正を糾弾するデモが起きるくらいですし。

    議会を否定するトランプ大統領を支持している共和党議員は今後どうやって活動していくのか、個人的には謎なのですが、反リベラル・米国第一主義を声高に主張していればそれなりにやっていけるのかも知れません。地方議会におけるお山の大将のような地方議員のようですが、連邦議会でもそういう議員が増えるとしたら確かに議会制民主主義の危機なのかも知れません。

    ともかく、結局トランプ大統領はTwitterやFacebookなど、これまでの自分の支持の源泉だった各種SNSを使えなくなりました。現職としてはあと数日であっても、4年後も戦うとか選挙結果に対する裁判は続けるとか言っている以上は、何らかの形で世間へのアプローチする武器は必要なはずです。それがParlerになるのか、新しく個人的に何かメディアを立ち上げるのか、それこそ忘れかけられているMastodonになるのか。

    個人的にはParlerでもいろいろやらかして、Parlerですら見放して検閲やアカウント凍結などの処分を食らうになってほしいという願望もありますが、そういう投稿を受けて現実世界で罪の無い人に被害を及ぼすアホが実際にいますので、大人しく晩年を過ごしてもらうのが世界にとっては一番良いとは思います。

    2021/01/09 19:48追記
    書いた後にParlerに対する動きがありました。一部メディアに載っていましたが、ParlerのモバイルアプリがAppleのApp StoreとGoogleのGoogle Playから削除されたそうです。

    まあそりゃそうだろ、という対応ですが、Parlerやトランプ支持の保守層はどうするんでしょうね。いっそのことトランプ大統領がTikTokで動画アップすれば?

  • 演繹的思い込みによる間違いと、帰納的経験則に基づく科学的合理主義

    人間は思い込みで動くこともあれば経験則で動くこともあります。

    思い込みは、自分の頭の中にある何らかの理論や理屈を、その場の状況に演繹的に当てはめてしまいます。それが本当にその場面に適したものかどうかを精査することなく、いわば適当に理屈を流用してしまうために、場合によってはとんでもない失敗を招くことになります。

    一方で、経験則というのはこれまでの過去の経験から導き出した理論・理屈を帰納的に頭の中で作り上げて、似たような状況に出くわしたときに引っ張り出して行動の源にします。

    思い込みと経験則は全く異なるアプローチから生まれて実行されるものですが、「思い込み」と「経験則」の使い方を間違った例として、1990年代前半に気運が高まった二大政党制とそのための小選挙区制が、個人的には格好のものかなと思いました。

    議会制民主主義の模範としてイギリスやアメリカを持ち出し、その両国での二大政党制を理想として持ち上げ、そのために小選挙区制を導入すべきだという人は結構いて、反対もありましたが結局は半ば強引に導入されました。

    その結果として二大政党制は一時的に成立しましたが、今の政治情勢は多分、あの時二大政党制を持ち上げていた人たちが満足できるものではないはずです。結局は自民党の一強になってしまいました。

    小選挙区制→二大政党制→自民党一強体制の打破という理屈だったはずですが、そもそもが間違った思い込みだったのでしょう。

    第一、二大政党制がまともに長期間機能していたのがイギリスとアメリカだけで、その他の世界の国々はみんな政治制度が間違っているということになってしまいます。さらに言うと現在のイギリスはもはや二大政党制とは言えませんし、まだ二大政党制が成立しているアメリカ合衆国の現在を、理想の政治情勢だと言う人など存在しません。

    さらに言うと、かつての日本でも二大政党制が存在した時代はありました。1920年代から30年代にかけての数年間でしたが、そこでの激しい政争が国民からの信頼を失い、二度のクーデターを経てデモクラシーが崩壊しました。

    過去にしろ現在にしろ現状を見逃さずに経験則を組み立てたら、二大政党制をとにかく導入すべきだという理屈にはならなかったはずです。政治はその国の歴史や思想、文化などによって規定されるものであって、外国の制度を無理矢理導入するだけでは理想には近付かないでしょう。

    今のイギリスが二大政党制では無くなったのは、EU加盟とその前からの移民の大量流入により人口構成や文化も変わってしまい、二大政党制の歴史を抱えている人間の割合が減ったからでもあると思います。EU加盟によってイギリスは栄光ある孤立と呼ばれた島国から、二大政党制ではない大陸各国と同じ欧州国家に変わったのでしょう。

    西洋のかつての成功と繁栄は、科学的合理主義によるものでした。

    しかし今の西側諸国を見ると、科学的合理主義に基づかない考え方にも影響されています。自由や人権ももちろん大切なものですが、それらと科学的合理主義がバッティングした場合にあまりにも前者を優先しすぎてきたのかも知れません。

    国民の分断に悩む、二大政党制国家であるアメリカ合衆国では一応はバイデン大統領の誕生になりそうですが、トランプ陣営の無茶は続きます。

    トランプ大統領とその支持者の考えの多くが、反トランプ側よりも科学的合理主義に基づかないことについては疑う余地はありません。

    しかし、トランプを支持するなんてあり得ないと思っている反トランプ陣営は、国民の半分近くが今回もトランプに票を投じたことをどのように受け止めているのでしょうか。

    わずかの差でしかバイデンが勝てなかったことを無視してしまえば、結局はあれほど非難していた国民の分断は今後も続くでしょう。

    「なぜトランプに投票したのか」

    という疑問を解消できなければ、4年後にトランプ本人か、彼に近い思想を持った新候補者がまた、国民の半分近くの票を得て民主党候補と激戦することは間違いありません。

    バイデンが勝ったことでアメリカが科学的合理主義に基づく繁栄のサイクルに戻るかどうかはまだわからないのです。

  • トリクルダウンで幸せにはなれない

    安倍内閣の総括は今後いくらでもメディアや専門家から出てくるでしょうけれど、実際に低い失業率が続いたことはそれなりの評価を受けていいはずです。それが全て安倍内閣の政策によるものとは言えないかも知れませんが、初期の経済データはともかく、政権後期あたりは安倍内閣の施策が反映されている結果です。

    GDP成長率が伸びないのは政策上の問題よりも、日本国家全体の構造上の問題も大きいはずで、内閣の一期二期レベルで改善は難しいでしょう。

    政権初期のアベノミクスでは一部だけが景気上昇の恩恵を受けて、他の人には後から影響が出るようないわゆるトリクルダウンという考えがありました。実はアベノミクスはトリクルダウンではないとも言われていますが、どちらにせよ富める者がより豊かになっていく中で、その他の人も豊かになるという考えは、貧富の格差を拡大してしまいます。

    富はさらに富を集めていきます。富をより多く持っている人の方が、富を集めやすいのは誰にでも想像がつくでしょう。トリクルダウンを支持する人は、わずかでも貧しい者にも富の恩恵が流れていくならいいじゃないか、という考えがあるでしょうけれど、個々にもう一つ別の問題があって、貧富の格差の増大は、不幸感を増してしまうということです。

    さまざまな社会調査が研究により、幸福や不幸を感じるのは相対的な要素が大きいことが分かっています。

    具体的には、自分も含めて周囲の人間全員が悲惨な境遇にいる人は、それほど自分のことを不幸とは思いません。しかし、自分のみの周りにものすごく幸せそうな人、裕福な人がいる場合は、自分のことを不幸に感じる場合が多くなります。

    もっと具体的に言うと、発展途上国で政治も経済も不安定な国と中流の暮らしをしている人と、先進国で貧しい暮らしをしている人を全く別のところから客観的に見た場合、後者の方が普段の生活で利用しているサービスや製品は洗練されていて安全で豊かに見えるでしょう。

    しかし、幸福感・不幸感を見比べると、後者の方が自分を不幸だと感じます。周りには自分よりもはるかに豊かで幸せそうに暮らしている人が目に入るからです。

    先進国においてトリクルダウン理論が実効的なものか、あるいはアベノミクスはトリクルダウンだったのかは議論の余地があるのかも知れませんが、例えトリクルダウンが実現したとして、それで貧しい人の収入が多少増えたとしても、幸福感は増えないという残酷な結果を招きます。

    富める者がさらに豊かになっていく姿を、先進国の貧しい人はメディアやSNS、あるいは街の中でいくらでも目にしてしまい、それに対して自分の貧しさを日々実感し続けることになるからです。

    実質的な収入増が多少起きたとしても、富裕層がさらに儲けていく姿は精神衛生上に悪いということになります。

    他の国には自分よりも貧しい人がいるから不幸に感じてはいけない、というのは個人の倫理観としては持っていてもいいのでしょうけれど、責任ある立場の人たちはそう言う訳にはいきません。

    逆に言うと、富の再分配が適切に行われれば、先進国の貧しい人が持つ不幸感は減少するはずです。再分配の方法や度合いは難しいでしょうけれど、それが出来なければ政府の存在意義の何割かはそもそも無いも同然でしょう。

    ただ、個人個人の心構えとしては、先にも書いたように豊かすぎる人をそもそも見なければ不幸も感じにくくなるです。

    貧富の格差の増大を理由に政府批判をしているメディアが、テレビやら雑誌やらでセレブセレブといって持ち上げているのは矛盾していますし、またそのセレブのSNSをはるかに収入が低い人たちがフォローして盛り上がってしまいますが、結局その結果は富裕層を目にする機会を増やして不幸感をばらまいて強化しているようなものです。

    自分のことを周りに比べて不幸だとか、恵まれていないとか思っている人は、そもそもメディアやSNSも見ないことです。例え見るにしても厳選して利用するしかないでしょう。

  • Rakuten Hand追加レビュー

    Rakuten Handをしばらく使っています。追加レビューと言うほどの内容はありませんが、それまでに使っていたRakuten miniとの違いも使うにつれて出てきました。

    Rakutenのこの2機種はどちらもFeliCa搭載ですので、電子マネーが使えます。電子マネーを使うときにはカードリーダーにかざす必要がありますが、Handを使うときにちょっと違和感というか取扱いの難しさがあります。

    Handの方は背面のFeliCa搭載場所が真ん中のため、読み取り時のカードリーダーへの置き方が難しい場合があります。お店によってはリーダーをレジにピッタリ寄せるように置いてあり、Rakuten Handの中心にあるFeliCaをリーダーに載せられないことがありました。miniの方は本体自体が非常に小さく、カードリーダーそのものに丸々載せられるのでそんなことはありませんでした。

    また、モバイルSuicaを使って電車に乗るときにも改札機のリーダー部分に乗せるとき、ポケットからRakuten Handを出してかざすのがちょっと持ちづらさも感じます。

    今年の春まで、FeliCa部分が本体の上の方にあるiPhoneを使っていましたので、電子マネー使用時の持ちやすさ、かざしやすさは差を感じてしまいます。本体中央にFeliCaがあるスマホに慣れていないだけでもあるのですが。

    あとこれは、Rakuten miniも同じでしたが、電子マネー使用時にリーダーにかざしても読み込まれず、いちいちGooglePayアプリを立ち上げないとダメなことがたまにあります。

    iPhoneではボタンを押して読み取り状態にしてから利用するので、読み取りエラーというのはが無かったですが。

    GooglePayはiPhoneのApple Payとは異なり、ボタンを押さずに読み取れるのでその点は便利なのですが、エラーが出たときにいちいちロック解除→GooglePayアプリ立ち上げ→再読み取りをしないといけないのは面倒ですね。

    そもそも私自身がFeliCa搭載Androidスマホを利用したのが、このRakuten2機種が初めてなので、このRakutenシリーズの機種上の問題なのか、GooglePayにありがちな問題なのかが分かりません。

    今のところ改札機で読み取れなかったことはありませんので、コンビニなどの店舗利用時に前もってGooglePayアプリを立ち上げておけばOKです。ちょっと面倒ではありますが。

    Rakuten miniと比べてのRakuten Handの性能としては申し分ありません。元のminiがそもそも性能的にはエントリーレベルだったので、スナドラ720Gを積んでいるHandが快適に思えるのは当たり前でしょう。

    ただ、使い始めた時点から分かっていたことですが、ラウンドエッジになっている側面部分は持ち方が難しいです。本体裏を掌に載せて握り混むようにすると、画面端に触れて反応することが多々あります。

    本体にバンドタイプのスマホホルダーを付ければ、指で本体を支えられるので端を持たなくても済むのですが、その場合は皮のスマホカバーを外さないといけません。

    細くて軽いのは非常に良いスマホなのですが、持ちやすさではiPhone12 miniの方がかなり上でしょうね。iPhoneがtypeCポートを搭載して、指紋認証もあれば買っていましたが、AppleがtypeCどころから有線接続ポート自体を廃止する意向があるという噂がたびたび立つくらいですから、そのようなiPhoneは実現しなさそうです。

    まあそれ以前にRakuten Handみたいな2万円機種をiPhoneと比較することの方が無理筋ではありますが。

  • 「similar」「same」、「似せる」「偽」、「近い」「違い」、「学ぶ」「真似」

    昔、予備校時代に受けた英語の講義で今でも覚えていることがあります。

    「similar」という単語は、「似ている」とか「同じような」という意味ですが、「似ている」ということは「同じではない」ということであり、何か二つを比較しているのであればその二つは別のものでもある、という教えでした。つまりは「similar」と「same」は異なります。

    最も、「similar」も「same」も語源は同じらしいので、ある意味こじつけに近いようなものではあるのですが、それでも強く印象に残って何年経っても覚えています。

    日本語では「似せる」と「偽(にせ)」が言葉としては似ています。

    音では同じこの二つの言葉は、語源も「形だけ似せたもの」が「にせ」になったらしいので、「similar」「same」と同様に語源的には近いものがあります。「似ている」ということは「本物ではない」ということになります。「similar」「same」の関係性と同じですね。

    あえて「similar」「same」に無理矢理に日本語を絡めようとするなら、「近い」と「違い」でしょうか。

    近いものは違いがあるというとなんだかちょっと哲学的っぽくなりますが、近いということは同じではないことを同時に意味します。これも「似せる」と「偽」とほぼ同じ関係性ですね。

    後は「学ぶ(まなぶ)」と「真似(まね)」の語源も同じらしいです。「まなぶ」は「まねぶ」であり、師から教えられたものを「真似(まね)」ることが「学ぶ(まなぶ)」ことになります。

    芸事で言われる「守破離」の第一段階ですね。真似ることから始めて、その教えを破り離れてこそ、新しいものを作り出せるという思想ですが、知らないこと・覚えていないことはそもそも破ったり離れたりすることが出来ません。

    何の予備知識も無い状態で新しく優れたものを生み出せる人なんていないでしょう。まずは目標に近いもの、似ているものから真似て覚えていって、そこから違いを生み出して新しいものを作っていくのが学ぶということなんだと思います。

  • いいツッコミとアーリークロス

    明石家さんまを始めとする多くのお笑い芸人が、テレビを見ているとボケに対するツッコミは間やタイミングが重要であって、言葉はなんでもいいからとにかくツッコめばいい、ということをよく見かけます。

    ボケに対して気の利いた上手い台詞でツッコむと面白いのは確かですが、時宜を失うと面白みが当然減ります。ボケがあってのツッコミですから、ボケの面白さを消してしまってはその一連の下り自体が台無しになるのでしょう。

    逆に、ボケに対して平凡な言葉でも良いタイミングでツッコむことが出来れば大きな笑いになります。ボケの時点で笑いが成立していれば、最後の一押しを適切な間でツッコむことで、観客・視聴者に笑いが発生するのです。

    もちろん今ではボケもツッコミも様々なパターンがあって、どこで笑いを発生させるかという間も様々なパターンがあるのだと思いますが、やはり間が悪いと思われると笑いは起きません。

    サッカーを見ているときにも、今できているこのスペースにボールが入ればビッグチャンス、というところで、ボールホルダーがその通りにプレーする場合と、キープに時間をかけてしまってチャンスが潰れる場合があります。

    素人が外から見ているのと、中にいる選手とでは状況判断も異なるとは思いますが、相手の守備が整う前にボールを入れて攻め込む、というのは確実にチャンスになるでしょう。

    アーリークロスなんかもそうですが、ボール一つもズレないように正確なキックに時間をかけるよりも、少々アバウトでもいいからタイミング良くボールが入った方がゴールにつながります。

    そのパスを受ける側の選手が、ピンポイントのパスでなくてもある程度の範囲にパスが来れば収められる能力があるのなら、より得点の可能性は高くなります。

    逆に攻め込む良いタイミングを逸してしまうと、守備側の態勢が整ってしまい遅攻を仕掛けることになりますが、前線のスペースを消されてよっぽど良いパスを連続でつなげないとゴールは奪えなくなります。

    常にいつでもアーリークロスが良いということではありませんが、攻めるタイミングを逃すと良い結果に結びつけるのは難しいことは確かです。

    お笑いとサッカーを無理に比較しているようになってしまいましたが、要はタイミングが良ければ、適当な言葉の「ツッコミ」でも、ピンポイントじゃない「パス」でもいい。時宜を得る才能があれば他の技術が劣っていても活躍できるのではないでしょうか。

  • 中国はハードランディングを迎えるか

    読売新聞が元日の朝刊で、中国政府の千人計画に日本人研究者も数十人含まれていたという記事を一面に載せていました。

    このタイミングで分かったというより、2021年は中国の野望に日米が対抗する年になるぞという読売新聞としてのメッセージなのでしょう。

    立場や思想によって捉え方や考え方は人それぞれだと思いますが、少なくとも私からは中国政府、中国共産党、そして習近平国家主席の世界の覇権に対する野望は明らかだと思います。

    2020年中には返還されて久しい香港への中央からの締め付けが厳しくなり、国際間の問題にもなりました。香港を出る人をイギリスやアメリカが助けることは出来ても、香港内における弾圧には他国は内政干渉にならないレベルでは出来ることに限界があります。

    アメリカの低下と中国の台頭が今後も続くと思われますが、どこまでも続いて覇権が逆転するとは思っていません。

    持続的な発展が出来るかどうか結構微妙でしょう。経済力だけではなく、全てを含めた総合的に見ての話です。アメリカは様々な混乱や問題を抱えていますが、自由主義に基づく成長はどの分野でもあるでしょう。

    中国はいずれ人口が減少に転じますし、移民を入れて国家を発展させるという考えはありません。またアメリカやヨーロッパとも関係がこじれ始めています。非欧米経済圏の国力は今後も上昇し続けますが、その経済圏の中で中国が主導的立場に君臨すると、当然ながら反発も生まれるはずです。

    ロシアはあくまでも打算的に中国と付き合っているだけで、超長距離の国境線を抱える緊張感を孕んだ関係です。

    さらに将来は中国を抜いて人口世界一になるインドも、半世紀以上国境問題を中国と抱えています。経済的な付き合いは途切れないでしょうけれど、米欧との関係を見据えながらの中国との付き合いになります。

    東南アジアでも軍事的脅威と経済的恩恵を天秤にかけながら、親中と反中がどこの国でも揺れ動きながら続くでしょう。

    直接的な緊張が存在しないアフリカ、中南米だけが中国よりになり続ける可能性があるわけですが、それも欧米(それと日本)が発展途上国への援助を減らした隙を付いているだけに過ぎません。

    中国の歴代王朝が行っていた朝貢貿易のようなものです。中国が持ち出す側になることで名目上の中心的存在であることを認められています。利で釣った国は利で釣り続けるしかありませんが、その利が無くなれば離れていきます。

    朝貢貿易は宗主国側の大きな赤字になります。赤字に耐えうる国力があればいいですが、その余裕が無くなれば、朝貢貿易を無くすか国民から搾取するかしかありません。

    かつて異民族を懐柔するための赤字貿易を続けていけなくなると、異民族が貿易を求めて繰り返し侵入した歴史もありました。かといって搾取すれば国民の民心が政府から離れます。

    いずれは中国は激しいハードランディングを迎えるのではないかと思っていますが、ただこれだけ言っていると、永久に実現しない中国崩壊論者と同じですね。

    しかし、今の構図は過去を見返すと、70年代のオイルショックを乗り越えて80年代にアメリカの覇権に挑んで敗れた日本と、00年代のリーマンショックを乗り越えて10年代にアメリカの覇権に挑んで経済戦争中の中国という構図のようにも思えます。

    かつての日本が敗れた80年代の経済戦争はバブル崩壊という強烈なダメージを日本経済に与えました。その後の30年間の絶望的な低成長は、政府や日銀の対応の失敗によるハードランディングに思えましたが、実はソフトランディングだったかもしれません。

    日本とアメリカは経済では対立しても政治や軍事面では対立はありません。政治的に対立したのも最近では鳩山内閣や安倍内閣のオバマ大統領の1期目の時くらいでしょうか。

    しかし中国は、経済面、政治面、軍事面でアメリカと対抗している関係上、生やさしい結果に終わるとは思えません。

    構図としてはあるいは、国際法を遵守して先進国に追いつけ追い越せで頑張り、追いついたら臆面もなく国際法を破って先進国の覇権に挑んだ戦前の日本とも重なります。

    そうなると、枢軸国側が中国・ロシア・ISあたりになるでしょうか?

    あくまでこんな妄想をしても何も変わりませんが、中国崩壊論が消えて米中逆転論が目につくようになると、こんな天邪鬼もやってみたくもなりますね。