トリクルダウンで幸せにはなれない

安倍内閣の総括は今後いくらでもメディアや専門家から出てくるでしょうけれど、実際に低い失業率が続いたことはそれなりの評価を受けていいはずです。それが全て安倍内閣の政策によるものとは言えないかも知れませんが、初期の経済データはともかく、政権後期あたりは安倍内閣の施策が反映されている結果です。

GDP成長率が伸びないのは政策上の問題よりも、日本国家全体の構造上の問題も大きいはずで、内閣の一期二期レベルで改善は難しいでしょう。

政権初期のアベノミクスでは一部だけが景気上昇の恩恵を受けて、他の人には後から影響が出るようないわゆるトリクルダウンという考えがありました。実はアベノミクスはトリクルダウンではないとも言われていますが、どちらにせよ富める者がより豊かになっていく中で、その他の人も豊かになるという考えは、貧富の格差を拡大してしまいます。

富はさらに富を集めていきます。富をより多く持っている人の方が、富を集めやすいのは誰にでも想像がつくでしょう。トリクルダウンを支持する人は、わずかでも貧しい者にも富の恩恵が流れていくならいいじゃないか、という考えがあるでしょうけれど、個々にもう一つ別の問題があって、貧富の格差の増大は、不幸感を増してしまうということです。

さまざまな社会調査が研究により、幸福や不幸を感じるのは相対的な要素が大きいことが分かっています。

具体的には、自分も含めて周囲の人間全員が悲惨な境遇にいる人は、それほど自分のことを不幸とは思いません。しかし、自分のみの周りにものすごく幸せそうな人、裕福な人がいる場合は、自分のことを不幸に感じる場合が多くなります。

もっと具体的に言うと、発展途上国で政治も経済も不安定な国と中流の暮らしをしている人と、先進国で貧しい暮らしをしている人を全く別のところから客観的に見た場合、後者の方が普段の生活で利用しているサービスや製品は洗練されていて安全で豊かに見えるでしょう。

しかし、幸福感・不幸感を見比べると、後者の方が自分を不幸だと感じます。周りには自分よりもはるかに豊かで幸せそうに暮らしている人が目に入るからです。

先進国においてトリクルダウン理論が実効的なものか、あるいはアベノミクスはトリクルダウンだったのかは議論の余地があるのかも知れませんが、例えトリクルダウンが実現したとして、それで貧しい人の収入が多少増えたとしても、幸福感は増えないという残酷な結果を招きます。

富める者がさらに豊かになっていく姿を、先進国の貧しい人はメディアやSNS、あるいは街の中でいくらでも目にしてしまい、それに対して自分の貧しさを日々実感し続けることになるからです。

実質的な収入増が多少起きたとしても、富裕層がさらに儲けていく姿は精神衛生上に悪いということになります。

他の国には自分よりも貧しい人がいるから不幸に感じてはいけない、というのは個人の倫理観としては持っていてもいいのでしょうけれど、責任ある立場の人たちはそう言う訳にはいきません。

逆に言うと、富の再分配が適切に行われれば、先進国の貧しい人が持つ不幸感は減少するはずです。再分配の方法や度合いは難しいでしょうけれど、それが出来なければ政府の存在意義の何割かはそもそも無いも同然でしょう。

ただ、個人個人の心構えとしては、先にも書いたように豊かすぎる人をそもそも見なければ不幸も感じにくくなるです。

貧富の格差の増大を理由に政府批判をしているメディアが、テレビやら雑誌やらでセレブセレブといって持ち上げているのは矛盾していますし、またそのセレブのSNSをはるかに収入が低い人たちがフォローして盛り上がってしまいますが、結局その結果は富裕層を目にする機会を増やして不幸感をばらまいて強化しているようなものです。

自分のことを周りに比べて不幸だとか、恵まれていないとか思っている人は、そもそもメディアやSNSも見ないことです。例え見るにしても厳選して利用するしかないでしょう。

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