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  • 2019年10月13日Jリーグルヴァンカップ準決勝第2戦コンサドーレ札幌対ガンバ大阪テレビ観戦の感想

    とてつもない台風が日本を襲った直後の試合であり、なかなか気持ちを切り替えることが難しいですが、今日の試合に勝つもしくは引き分けでガンバが決勝進出です。負けても2点以上とっての1点差負けであればアウェイゴールの差でやはり勝ち上がり。2−1での負けなら延長戦。1−0での負けなら敗退です。

    戦い方としてはアウェイゴールを意識するのは実際にどちらかが得点してからでいいでしょう。基本的には負けないように、ということであれば当たり前の話ですが通常通り戦えば良いだけです。2点差をつけて勝たないといけないという条件があるわけではありません。

    12日は台風が来ることが分かっていたため、11日のうちに札幌にガンバの選手達は移動していましたが、アウェイ遠征しているサポーターの人達はどうしたんでしょうか。新幹線も飛行機も厳しいですので、現地組のサポーターくらいしかいないか、前々日にチームと同じようなタイミングで移動したか。

    ガンバのスタメンはホームでの第1戦と全く同じ。控えも同じです。ヨングォン→菅沼に代わったこと以外は札幌との3連戦で同じメンバーということになります。結果と内容も考慮すると当然ですね。

    今年はそれまで通りの4バックでスタートして、調子が上がらずホームでの大阪ダービーで突然、選手を入れ替えての3−5−2に移行して勝ち、その後ほぼ負け無しが続いたものの再びチーム状態が悪くなっていったために4バックに戻してルヴァンカップ準々決勝を勝ち上がり、しかしリーグ戦の方は負けの方が多く、アウェイでの大阪ダービーの惨敗を受けて3バックへ回帰しての札幌との3連戦となりました。

    ちなみに同時刻で鳥取との試合があるガンバ大阪U-23のスタメンには、この夏に移籍してきた鈴木と高木が入っています。全く出番のない高木と、移籍当初に比べると出番が減った鈴木ですが、この移籍はクラブ側にも選手側にも成功とは言えないでしょう。まだシーズンは続くので今後も出番がないとは言えないですが。U-23の方は最近得点を増やしている白井に期待ですね。あとはコンチャでしょうか。コンチャの使い方についてはよく分からないのですが。

    今日は同じ時間帯キックオフのこの2試合を同時に見ます。もちろんメインはルヴァンカップの方ですが。

    トップチームは札幌ドームにてキックオフ。

    前半冒頭は結構攻められるケースが続きました。少なくとも得点しなければ敗退になる札幌が最初から攻めてくるのは当然ですが、続きざまのコーナーキックは防げました。

    その後は一進一退といったところ。守り切る結果にアドバンテージがあるガンバは、守ってカウンターでアデミウソンと宇佐美が決めればいい、というプランがあるようにも見えます。実際、この2人が好調なら2人だけでも得点できますし、2戦連続決勝点を決めている倉田もいますから、プランとしては非常に妥当なものだと思います。

    前半30分、菅沼のハンドから与えた福森のフリーキックはポストに当たり助かりました。

    ガンバは攻撃の精度が足りないかな、とか色々考えながら見ていたら、U-23の方で鳥取ゴール前でボールを失った、と思ったらオウンゴールで得点していました。

    え? とか思っていたら今度はトップチームの方で宇佐美が負傷退場していました。太ももを痛めていたのでリーグ戦に影響なければ良いのですが。

    これでアデミウソン・パトリックの2トップとなります。第1戦でも思いましたが、今はパトリックよりも渡邉千真の方が調子良いと思うんですけどね。前線でボールを収めての遅攻よりも縦パス一本という意図が強く出ているようです。

    36分にはアデミウソンが抜け出しましたがシュートは上に外れました。前半のビッグチャンスをアデミウソンが外すというのはこの3連戦全てで同じですね。

    と思っていたらU-23の方でクロスから頭で決められて失点。1−1になりました。ガンバの試合を2試合同時に見るということはあまりないのでややこしいですね。普段はガンバの試合とどこか別のチーム同士の試合を見ますが、その場合はほぼずっとガンバの試合を見ているのですが。

    そして攻められたり攻めたりしているうちに前半終了。ガンバは1−0でリードされるとそのままでは負けなのでまずは失点をしないことが重要ですし、札幌の方も失点すると2点取っても延長なのでどちらも前半は0−0というのは頭の中にあったでしょう。

    そしてU-23も同点のままハーフタイムへ。

    後半は2試合とも両チームともハーフタイムでの選手交代は無し。特に札幌対ガンバの方はカップ戦特有の、重苦しく我慢比べのような展開が続きます。

    後半は当たり前ですがさらに札幌が攻勢を強めます。東口と三浦を中心にしのいで、井手口からアデミウソンにつながったカウンターは決まらず。ガンバはカウンター時の精度がやはりまだ高くないのが、リーグ戦でも苦しんでいる理由の一つでしょう。より正確に言うと、前線のタレントのその日の調子に左右されすぎています。

    吹田での2試合に比べると札幌のポゼッション率が高くなっているはずですが、ガンバにとって危険なレベルまでは高まっていません。これは中盤で広範囲をカバー出来る井手口の存在が大きいです。夏に復帰してから井手口の使いどころをなかなか宮本監督が見つけられませんでしたが、この3試合での井手口のポジションや動きは安定して良いレベルにあります。

    0−0ならガンバの勝ち上がりですが、そこで失点すると札幌の勝ち上がりです。逆にガンバが先制すれば2点取られても延長には持ち込めます。0−0が続くのは本当に心臓に悪いですが、これこそカップ戦です。

    しかし75分に井手口が上がったところで奪われて、中盤を飛ばされて鈴木武蔵にボールが渡り、菅沼の股を抜く強烈なシュートを決められます。

    さあこれで立場が入れ替わりました。ガンバは絶対に得点が必要、札幌はこのままでOK、ということになります。こうなると前半途中で宇佐美が負傷退場したことが響いてきました。

    矢島に代えてスサエタを入れましたが、中盤のポジションもいじるようです。

    そんな中でU-23の方も失点しましたが、もはやそれどころではありません。ガンバは攻め続けますが得点できず、どうもまだスサエタと周囲が合いません。アデミウソンに代えて渡邉千真を入れます。

    もはやパワープレーでもオウンゴールでもとにかく得点しないといけない状況ですが、どうも選手交代に一貫性がないというか、失点した時点で3人目まで代えても良かったと思うんですが。

    そして鳥取ではコンチャが来日初ゴールを決めて2−2に追いつきましたがどちらにせよもはや関係ありません。

    94分には菅野がCKからのヘディングを防ぎます。東口も上がってきました。CKが続きましたが最後のシュートが外れ、ガンバの準決勝敗退が決まりました。

    なんというか。もっとやりようがあったはず、という気持ちがしてなりません。それは選手個人のプレーでもそうですし、監督の采配にもあります。色々ともったいないところがあったはずですが、このタイトルについては語ってもしょうがないですし、切り替えてJ1残留に全力を注ぐだけです。

    守り切るプランがあるにしても守り切れなかった以上は得点を取るプランもなければいけませんし、得点できなかった問題と失点してしまった問題を解決しなければJ1残留もまた厳しくなりかねません。

    ルヴァンカップが無くなったので、今シーズンのガンバとしてはJ1残留だけが目標となりました。そしてリーグ戦の次節は川崎フロンターレです。スタメン、フォーメーションはこの札幌3連戦のままでいいでしょう。ヨングォンが戻ってくるのと、宇佐美の太ももの状態で替わるかも知れないくらいでしょう。もう今年は残り試合の戦い方はこれで行くしかないはずです。イジっている暇はありません。シーズンの総括はその後、果たしてどうなるか。J1残留は絶対必要として、クラブとしてまさかルヴァンカップベスト4を評価したりしませんよね? そんなものは天皇杯初戦で法政大に負けたマイナスを取り返すほどの価値はありません。価値が出るとしたら優勝したときのみです。

    しかし、そもそも今年はシーズン中の移籍、特に出ていく方が大量にあり、編成の方に問題があったことは間違いありません。一体、宮本監督の評価は誰が下すのか。誰に下す権利があるのか。名波体制を続けて結局今苦しんでいるジュビロ磐田が他人事には思えません。

    あと、コンサドーレ札幌の皆さん、初の決勝進出おめでとうございます。思えば2年前、ガンバとの準決勝をアウェイゴールで勝ち上がったセレッソ大阪は決勝でも勝って初タイトルを獲りました。なんとなくですが、今回もガンバに勝った札幌が優勝するんじゃないかと思っています。

  • キャッシュレス決済の先にあるカードレス決済、そしてその先にあるのは?

    政府が大々的に多額の費用をかけて用意したマイナンバーカードは、不用意にカード番号を他人に知らせないように、ということになっています。誰も好き好んで個人番号を晒したりするわけがないのですが、マイナンバーの取扱いについて慎重さを強調することによって、マイナンバーを使いうるサービスの提供者側にとっては使いづらい印象もあるのではないでしょうか。

    マイナンバーはもし流出したりしたら番号そのものを変更可能なので、もし万が一のことがあってもそれほど大きな問題にはならないはずなのですが、ハッキングなどのセキュリティ被害を想定し、またマイナンバー制度そのものに反対している人達への配慮・言い訳のためもあって、マイナンバーの取扱いがあまり便利の良いものではなくなっています。

    本当にこのマイナンバーシステムが本格的に使われていくのか、政府関係だけで終わるのではないかという疑念が尽きません。

    一方、数ヶ月前に鳴り物入りでサービスインされたAppleCardでは、そのチタン製(100%チタンではないらしいですが)のカードにはクレジットカード番号は記載されていません。クレジットカードの本体はiPhoneにあります。iPhoneでのカード機能を使えないリアル店舗でクレジットカードを利用するときに、物理カードを用いるというシステムになっています。

    クレジットカードの券面にカード番号が無くてもいい、と言われると確かにそうです。クレジットカードの黎明期ではカード番号そのものをお店が控えたり、エンボス(番号のでこぼこ)を複写式の伝票でガッチャンと写し取ったりしていました。しかし磁気部分やICチップでカード情報を読み取るようになったので、カード番号そのものは券面には不要です。無い方がセキュリティ的には好ましいはずです。

    券面にカード番号が無いクレジットカードを単体で利用するのは不便かも知れません。何か別の紙とかでその番号の控えが無いと、ウェブショッピングなどでは利用出来ないです。

    そもそも現代社会において、クレジットカードを店頭で使用する回数よりも、ウェブサイトでカード番号を入力して購入することの方が多いかも知れません。そしてその購入時に使用するデバイスはすでにパソコンからスマートフォンに移行しています。そのスマホ(iPhone)内部にクレジットカードがメインとして存在し、サブとして物理カードを準備する、というAppleの戦略は時代の流れに沿ったものと言えます。

    そして、リアル店舗の決済では既にカードレスが進んでいます。日本ならFeliCa、他の国でもNFC技術を用いた非接触決済が普及しつつありますし、QRコード決済も浸透しています。そのようなカードレス決済をスマホで行う場合、その支払の原資はクレジットカードや銀行口座からの引き落としとなります。事前のチャージや後払いで行われます。もはや店頭でクレジットカード番号そのものが必要なシチュエーションは存在しません。

    Appleが進めるクレジットカード改革は、iPhoneが前提ですが、そのiPhoneは指紋認証・顔認証でロックを外し支払を完了させますので、カード番号で特定するのではなく個人の生体認証がカード代わり・カード番号代わりになるわけです。

    その情報そのものを、決済に関わる会社(カード会社とは限りません)が所有するようになれば、そもそも端末すら要らないはずです。店頭のレジにある生体認証用のカメラに顔を向けたり指紋を読み取らせたりするだけで決済を完了させられます。

    さすがにそうなるには個人情報の取扱いに関して相当な管理が必要になるでしょうし、反対もかなり大きくなるでしょうけれど、カード決済→カードレス決済→デバイスレス決済という流れはいずれ起きることは間違いない気がします。

  • 旭日旗問題のあれこれ

    旭日旗の持ち込みに関して、韓国政府が関係悪化の一環として東京五輪で問題化しようとしています。

    その主張では旭日旗をナチスのハーケンクロイツと同一視していますが、これはさすがに無理があります。ナチスの旗ははじめから人種差別、ジェノサイドを想定した思想でした。旭日旗は異なります。日本のそれこそ明治維新前から民間で使われていたものです。大日本帝国そのものもただひたすら極悪な存在として批判する人がいますが、戦前の日本が公然と国際法を無視し始めたのは1920年代後半からです。特に満州某重大事件、満州事件あたりです。

    もちろん、1910年の韓国併合も右と左で賛否両論ありますが、少なくとも当時の欧米中心の国際社会では問題視はされていませんでした。第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約、ワシントン条約、不戦条約など多国間条約が10年代から20年代に立て続けに成立して、国際社会における国際法が進歩していきました。その中でイギリス・フランス・アメリカ中心の体制に日本が食い込もうとして国際法を無視し始めた、という流れがあるのです。

    戦前戦中の日本が行ったことを全て肯定するつもりはありません。むしろ否定すべきところの方が多いのは間違いないです。だからといって戦前の日本をずっとさかのぼって否定するのもおかしいでしょう。

    さて、その一方で旭日旗をスタジアムで掲げる人に言いたいことがあるのですが、そもそもなぜスポーツ観戦で旭日旗を掲げるのでしょうか?

    日の丸ではだめなのでしょうか?

    日本の国旗は日の丸です。すでに国旗国歌法ではっきりと規定されています。日本人を、日本代表を応援するなら日の丸を掲げるべきです。海上自衛隊出身など旭日旗に関わりがある選手が出てるならともかく、そうでないのなら、あえて、わざわざ旭日旗をスタジアムで出す必要性はないはずです。

    旭日旗を何が何でも持ち込もうとする人は、スポーツの応援を隠れ蓑にして、自らの政治的主張を押し通したいだけのように思えます。

    しかし、この旭日旗の問題に限ったことではありませんが、あまりに意見が二極化されすぎてしまっている気がします。はっきり言うと、揉めている奴らはどちらも間違っている、という考えが出てこないのが不思議です。

    自分の立場をどっちかに片寄らせた上でそのポジションから一歩たりとも動かず、ひたすら向こう側を非難し続けるのは議論とは言いませんし、建設的でもありません。これも左右両側に言えることではありますが。

  • 2019年10月9日ルヴァンカップ準決勝第1戦ガンバ大阪対コンサドーレ札幌試合観戦の感想

    奇しくもリーグ戦とルヴァンカップ合わせてガンバ対札幌が3連戦となりました。そしてその初戦、先日行われたリーグ戦ではガンバがまさかの5−0で快勝を収めました。しかも後半だけで5得点というのはなかなか無い話ですが、双方ともに意外な結果だったと思います。ガンバはその前の大阪ダービーでショッキングな完敗を食らったこともあり、3バックに戻して挑んだ試合でした。一方札幌は試合前練習でチャナティップが怪我で急遽メンバー外となった影響もあったかもしれません。

    さてこのルヴァンカップでは代表戦ウィークの最中に行われるため、代表選手を欠いた状態で戦うことになりますが、幸か不幸か東口が代表から漏れ続けていることもあり、この準決勝ではCBのキム・ヨングォンのみスタメンから抜け菅沼が入ります。一方札幌はク・ソンユンとチャナティップがいないメンバー構成となりました。ガンバの菅沼はFC東京との準々決勝第2戦で自陣でボールを奪われて失点した汚名返上の機会でもあります。

    天候は晴れ。少し涼しいくらいのコンディションの中、始まりました。

    前半は全体的にはガンバペースで進みました。前半序盤のビッグチャンスをアデミウソンが外してしまったのはリーグ戦でPKを外したのと同じですね。支配しつつも決め切れないガンバでしたが、守備に関しては概ね問題なく対応していました。特に、札幌のトップに当てるボールには三浦を始め3バックが上手く処理出来ていました。ピンチになったのは低い位置でのパスミスと、中盤でのパスが引っかかって相手に渡ってしまってカウンターを食らった時くらいでした。

    どちらも交代しないまま始まった後半でも、ボールを持ちながらもガンバはチャンスを決められないまま時間が過ぎていきます。しかし攻めて続けている中で、福田がエリア内でこぼれ球をトラップしたところに相手の手が当たってPKゲット!今回は宇佐美がアデミウソンに譲らず蹴り、菅野に読まれたものの決まって先制に成功します。

    さあこのままアウェイゴールを与えずにクローズしなければなりませんでしたが、先制後に、あまりよくなかった宇佐美よりも先にアデミウソンが交代したのは少し驚きでした。日曜のための温存なら分かるのですが。さらに代わって入るのが好調の渡邉千真ではなくパトリックなのも驚きでした。それから福田に代えて藤春、宇佐美に代えてスサエタを入れたところでセットプレーから痛恨の失点。

    どうも今年はセットプレーの守備に課題が残り続けている気がします。これで1−1となりました。札幌としては良い展開、逆にガンバとしてはアウェイゴールを与える引き分けはキツいと思うところでさらに攻められ、東口のパンチングでしのぐシーンがあるくらいの展開になってしまいます。最悪このまま引き分けでもしょうがないかとも思い始めたところで、終了間際に頼れるナンバー10、倉田のゴールが決まってかろうじて2-1で勝利となりました。

    さて、ガンバ大阪としては試合内容的には物足りない結果でしたが、試合展開的には勝てて良かったという結果でした。1点目を取るのが遅かったのが苦戦の理由でしたが、この先発メンバーはいじる必要が無いはずです。アウェイでも同じでいいです。というか、今年の残り試合全てこの先発メンバーでいいと思います。

    もう一つの準決勝は川崎がホームで鹿島に3-1で勝ちました。2点差が付いたのが少し意外。ガンバと川崎が決勝に進めば2007年の再現です。そしてそうなるとその前の週のリーグ戦も川崎相手なので、今月のガンバは公式戦5試合で札幌と川崎としか戦わないことになります。

    しかし、第2戦の日曜は東日本に大型台風が直撃するけど札幌でも鹿島でも試合できるんでしょうかね。

    ともかく、ガンバにとっては3年振りのルヴァンカップ決勝進出まであと90分です。

  • 誤審問題再び三度。少しでも減らすようにすべきだと思うのですが。

    鳥栖対FC東京戦での後半アディショナルタイムでのハンド見逃しオフサイド見逃しゴールが話題になりました。

    「審判による二つの重大な間違い」 鳥栖の“疑惑のゴール”、海外メディアは“誤審”指摘
    https://www.football-zone.net/archives/221801

    ガンバサポーターとして、これと同じような誤審をかつてガンバが食らったのを思い出しました。

    公式記録 2005Jリーグ ディビジョン1 第3節第2日
    https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=8437

    上記の2005年のホーム川崎戦で終了間際に同じようにハンドとオフサイドを見逃されて川崎のゴールが認められて、同点にされました。その時の主審はその後も色々と物議を醸すジャッジで有名になってしまった家本氏。

    しかし、ガンバはその直後に山口智による勝ち越しゴールが決まり勝利しました。そしてその年、初のリーグ優勝を成し遂げました。確かに、このガンバの試合は第3節であり、今回のFC東京が食らったジャッジは第28節なので重要度は大きく違います。これでFC東京が首位から陥落しましたが、そもそも同点でも2位だったので問題は1点目の方でしょう。もしこれで優勝できなかったとしても、誤審されたから優勝できなかったというのは違う気がします。そもそも誤審はどこでもいつでも起きうるものです。

    Jリーグとしては今年ここまで誤審問題が大きくなっている中でその誤審を少しでも減らすようVARの導入が前倒しで来年から決めました。しかし、今年途中からでも出来ないものでしょうか。VARあるいはゴールラインテクノロジーのような、単にお金がかかるだけではなく設備を準備して専門の人員も配置しないといけないものはすぐには難しいでしょう。ただ、今年途中からVARが出来ないなら追加副審をゴール脇に置くのはだめなのでしょうか。

    追加副審であれば特殊な設備が必要なわけではありません。人件費だけで済みます。お金がかかるのでJ1くらいでしか出来ないかも知れませんが、今年5月の時点では誤審対策で追加副審を導入する方向で進んでいたはずです。

    J1誤審問題で追加副審導入へ 山本雄大主審らに公式戦割り当て停止措置
    https://www.sanspo.com/soccer/news/20190520/jle19052020190007-n1.html
    喫緊の対応策として、両ゴール付近に1人ずつ追加副審を配置することが話し合われており、8月からの導入が検討されている。

    しかし、その後の報道ではシーズン中に取り入れるのは不公平、という理由で沙汰止みになったみたいです。

    J横浜-浦和の不適切対応問題 協会が審判団を処分
    https://www.nikkansports.com/soccer/news/201907170000655.html
    8月からの導入を検討していた追加副審については「シーズン途中に取り入れると公平性、公正性を保てない」などの意見を元に、現在は白紙となっていることを明らかにした。

    確かに、追加副審導入前に誤審で損をしたクラブと、導入後に誤審が是正されて得するクラブが出てきたら不公平かも知れませんが、導入前に誤審で損をしたクラブが再び誤審で損をしたら、そのクラブの反発はとてつもないものになるでしょう。

    誤審による損失が全てのクラブに均等に起きるとは限りません。確率的には ” 均等ではない ” 可能性の方が圧倒的に高いはずです。土壇場の最終節で、優勝争いや残留争いがかかる試合の後半アディショナルタイムで誤審が起きたらどうなるのでしょうか。追加副審を導入すれば誤審が起きないわけではありませんが、起きる確率は減ります。費用をかけるだけで解決するのであれば、シーズン中だろうと不公平だろうと、誤審の確率を減らす方策を取るのがリーグの運営主体として当たり前のことだと思うのですが、Jリーグはそうは考えていないのが残念です。

  • 「表現の不自由展」から「鑑賞の不自由展」へ、それと「表現の自由」について

    様々なことがあって結局8月3日に展示中止になった、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展」ですが、本日10月8日に再開となったそうです。

    この問題に関しては以前、

    https://hrsgmb.com/n/n7bc485f7429f

    こちらのnoteで取り上げたことがありましたが、この度、展示再開されたことは個人的には納得しています。あくまで展示された上で批判されるべきだと思っています。ただ、今回の再開に関しては

    「表現の不自由展・その後」10月8日(火)の入場方法に関するご案内
    https://aichitriennale.jp/news/2019/004307.html
    ・入場は、入替制でのご案内となります。
    ・各回の鑑賞時間は40分間または60分間となります。
    ・各回の定員は30名です。(定員の数は変更になる場合があります)

    このような制限が付けられています。展示作品や関係者に対して良からぬこと、はっきり言うとテロ行為を行うことがないように、鑑賞者に対しての制限が加えられたわけですが、そのために気軽に見に行けるものではなくなりました。これが展示作品の製作者の意図するものであるのか分かりませんが、渋々納得しているのかも知れません。もしこれで満足するくらいならそもそも始めからニッチな会場で展示すべきだったとは思いますが。

    結局、鑑賞が不自由になったわけですが「表現の自由」という権利が人類普遍の権利なのか、それとも新しく生まれた権利なのかは結構議論のしどころだと思います。

    人類普遍の権利ということであれば、いつの時代でもどこにおいても同じ解釈が成り立たねばなりません。状況によって異なる結論や解釈が成り立ってはならないということでもあります。

    つい先日、ネオナチの政治家がホロコーストを否定する権利、則ちホロコーストに関する表現の自由を求めて欧州人権裁判所に訴えていましたが棄却されました

    ホロコースト否定、表現の自由でない=欧州人権裁が判断
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2019100500451&g=int
     この政治家はドイツの地方議会議員だった極右政党、ドイツ国家民主党のメンバー。2010年の議会演説で「いわゆるホロコーストは政治的・商業的な目的のために利用されている」と述べ、12年に有罪となった。
     これについて人権裁は「犠牲者を見下し、確立された歴史的事実に反するホロコースト否定」の発言と指摘。「ユダヤ人と彼らが受けた迫害を中傷するために意図的に虚偽の発言を行った」として、「(欧州人権条約で保障された)言論の自由の保護を受けることはできない」と判断した。

    ドイツではホロコースト否定は刑事上の罪に問われます。そのために有罪になっていましたが、欧州人権裁が改めて「表現の自由」には制限があることを認めた形になります。これはまさしくリベラルの勝利ではありますが、日本の「表現の不自由展」に対する税金支援打ち切りに対する非難とある意味矛盾します。

    「表現の自由」はそれ自体に一切の権利があるわけではなく、表現内容によって認めるべき、認めるべきではない、という判断があるのだとしたら、その判断は同時代的に権力者に行われるしかありません。それは大半の民主主義国であれば司法・行政・立法の判断となりますし、さらにそれらを認めている国民の判断にもなります。結局「表現の自由」には時代性や地域性を考慮しない普遍的特性は存在しないことになります。

    ナチスドイツの賞賛、及びユダヤ人への非難は「表現の自由」としては認めず、昭和天皇の写真を燃やすことは「表現の自由」であるとするーーとなると、その判断は認められる時代や地域があったりなかったりすることになります。果たして現代日本社会で認められるべきかどうか。「表現の自由」が人類普遍の権利ではないのであれば国民で議論するしかありません。

    もちろん、昭和天皇を芸術作品に使用してはいけないというわけではありませんが、これが昭和天皇ではなくヒトラーの肖像であればここまで問題が大きくならなかったと思います。昭和天皇とヒトラーには責任の度合いが異なります。それはまさしく東京裁判とニュルンベルク裁判の違いでありますが、保守・右寄りの思想の人は建前上は法的根拠から、本音で言えば戦争そのものを断罪したことから東京裁判を否定します。しかしその曖昧な法的根拠のはずの東京裁判が昭和天皇を戦争責任から守ったということは理解しておくべきでしょう。

    「表現の自由」には制限があるということはリベラルも保守も右も左も理解しているはずです。そしてその制限による思想的限界は議論によって克服もしくは昇華されるべきものであり、対立を招いては結局芸術にも自由にもマイナスでしかありません。

  • 通信手段の即時性への進化と既読スルー問題

    電子メールが一般に普及する前、個人間の通信手段は手紙か電話でした。

    当たり前ですが手紙は郵便で送るので、応答に何日もかかります。受け取るのは基本的に一日一回です。文通なんてものは郵送自体にも日数がかかる上、書く内容もささっと書けるものではないでしょうし、そうなるとさらに時間がかかります。

    電話はすぐにかけることが出来ます。しかし相手が電話に出られる状況でないといけません。相手の都合を無視して強引に応答を求める通信手段です。即時応答が必要な通信とも言えます。留守番電話の登場によって電話に出られない相手にも伝えることは出来るようになりましたが、着信そのものは相手にとっては面倒なタイミングがあることには変わりありません。それこそ夜中に電話するのは非常識でした。特に一家に一台のみ電話機がある時代には相手の家の都合を考慮する必要がありました。

    そしてパソコンが一般に普及し、インターネット以前のパソコン通信時代も含めて、電子メールが通信手段として出てきました。このメールであれば、連絡をしたい側が連絡したいときに送信して、その連絡を受け取る側は受け取りたいときに受け取ることが出来ます。これによって、日中いつでも連絡を送受信出来るようになりました。正確には送信と受信の間にタイムラグがあるので、即時応答が必ずしも出来るわけではありませんが、時間帯を気にする必要が無くなりました。

    ちなみに、かつて、電子メールには48時間ルールというものがありました。メールを受信してから48時間以内には返信すべき、というルールと言うよりはマナーと言うべきものですが、今は意識している人はいないでしょう。しかし、後にも書きますがLINEの既読スルーと比べれば牧歌的とさえ言えますね。

    だからといって、重要なメールをもらって一週間も放置していたらさすがにダメですが、読んですぐに返信しないと行けない、というわけでもありません。メールは受信者が読んだかどうか、送信者には分からないようになっています(メールを開いたときに送信者側に通知が行くシステムもありますが普及はしませんでしたね)。

    パソコン時代において、電子メールを読むには

    ・パソコンの電源ボタンを押す。
    ・OSが起動して安定するまで待つ。
    ・メールソフトを起動する。
    ・受信ボタンを押してサーバからメールを読み込むのを待つ。
    ・メールを一つずつ開封して読む。

    というプロセスと時間が必要でした。

    しかし、携帯電話・PHSが出てきて、その端末で瞬時にメールをやり取りするようになりました。スマートフォンになってからはパソコンと同等のメール送受信機能を持つようになり、パソコンが事実上不要にもなりました。

    便利にはなりましたが、この変化によって、送信側は受信者がすぐに読んでくれるものだという無意識的期待を潜在的に持ってしまうようになりました。こちらがメール(LINEなども含みます)を送った瞬間に、相手も読んですぐに返信をくれるはずだ、と思ってしまうようになったのです。

    特にLINEなどでは自分が送ったメッセージを相手が開封して読んだかどうかが分かります。いわゆる既読スルーのように、読んだのに返事しないのはどういうことだとマイナスの感情を持ってしまうやっかいな事態が生まれました。

    一方、受信する側も、真夜中にメール通知が来たらうっとうしいです。お休みモードなどで通知を気にしなくていいようにすることは出来ますが、GmailやLINEのバッジの未読数が増えていくのは人によってはプレッシャーでしょう。

    結局、メール受信端末のウェアラブル化(まさに「携帯」電話によって実現しました)によって即時応答を求められるようになってしまいました。相手の都合を考えない電話と変わらない煩わしさが復活したわけです。

    さて、この通知の煩わしさから人間が解放される日はくるのでしょうか。

    AIの進化によって、送信側がどれだけ切迫しているのか内容によって切り分け、また受信側が返事可能な状況かを判断して通知度合い(すぐに気付くような大げさなものから、あえてアプリを開かないと分からないものまで)を変えて知らせてくれる仕組みなんかが出来るのか。

    それよりは、送信する側は相手のことを思い遣り、受信する側も相手が急いでいるならすぐに返事してあげる、といった人間側が変わる方が簡単な気もしますが、人間は常に怠惰に流れますし、技術は常に進歩していくものですから、今からでは思いも寄らないようなシステムが出来上がって、それに全乗っかりするしかないような気もします。

  • 審判が批判される最大の根本的要因は視力が進歩しないこと

    おそらくほとんどのスポーツにおいて、審判が批判の的になることがあるはずです。そしてそれは誤審として大きな論議を呼び、ビデオやデジタル技術を用いる判定方法を使うべきかどうかの議論も巻き起こします。

    しかし、根本的な問題として、なぜ誤審や誤審とおぼしきジャッジが増えたように思えるのかというと、審判の「見る」能力の進歩がパワーやスピードの進歩に比べて遅いからという理由があるはずです。

    身体能力を向上させるトレーニングは長足の進歩を遂げました。これによってほとんどのスポーツでプレーにおけるスピードが速くなりました。例えばサッカーであれば、筋力の向上によってシュートしたボールのスピードは昔より明らかに速くなっています。筋力だけではなくボールそのものもサプライヤーの技術向上によっているところもありますが、皮革で作られていたボールを使っていた時代と今とではシュートが手に当たったか体に当たったかを見極める審判の苦労は格段に増しています。

    だからこそのビデオ判定(VAR)なのです。

    筋力はトレーニングで容易に増やせますが、視力(特に動体視力)を向上させるトレーニングもあるにはありますが、判定に寄与するところまでは行っていないですし、そもそも審判が動体視力を鍛えるための費用は誰も出してくれません。アマチュアとしてボランティアレベルの報酬しかもらっていない審判にしてみたら、自腹を切ってそんな動体視力トレーニングなど受けてられないでしょう。

    審判の視力を補うためのデジタル技術を用いた判定方法であれば、採用すべきだと思います。テニスなんかは既に採用していますよね。

    テニスも100年前と今とではボールスピードが全く異なるはずです。しかしルールはほぼ同じですから、審判のジャッジに必要な動体視力は現時点での人間の視力では不可能でしょう。

    ビデオ判定に対しては機械の介入が嫌だ、という意見の他に、試合時間が長くなってしまう、という反対意見もあります。これは確かにそうです。となれば、審判に特殊なVRメガネのようなものを装着させて、それを使えば微妙な判定のところが大きく表示されるとかゆっくり再生されるとかするようになれば、試合時間には影響しないかも知れません。しかしそんな技術はまだまだ先ですね。当面は、誤審覚悟で人間のジャッジのみにするか、ビデオ判定に時間をかけて誤審を減らすか(ゼロにはならないでしょう)の二択しかなさそうです。

  • ファンレスノートPCを求めてiPadを活用

    少し前のニュースではありますが、Appleが現行の12インチMacBookを事実上終了させるようです。

    12インチMacBook、販売終了。華々しい登場から4年、生き延びたMacBook Airの影で
    https://japanese.engadget.com/2019/07/09/12-macbook-4-macbook-air/?guccounter=1&guce_referrer=aHR0cHM6Ly93d3cuZ29vZ2xlLmNvbS8&guce_referrer_sig=AQAAAF8Nty4g3O7gS5zh-NPjIEY2Yw3OmagS5NHXcMlIYAKQw24A5lpJRvqQn1vbImBemyqcil75uBpokYzrkR0h-wReYhfw5vYTkqxJbHucd05rC91tJ9LubVuo18ToKVk9nN9X6ndwS9QvsijE42x1GPf_PyPGm_zBO33poK6wpQoF

    私個人が持っているMacBookはこれなのですが、MacBookの中で唯一、重量が1Kgを切っていることと、ファンレス構造のため無音で使用できる点を気に入っていました。キーボードのピッチもフルサイズありましたので、テキストベースでの使用であれば非常に快適なマシンだったので残念です。

    最近はCPUなどのファンの音が不快に感じるようになってきました。昔はパソコンはうるさくて当たり前、と思っていましたが、ファンレスPCを日常的に使うようになるとやはり静かさは正義と思ってしまいます。

    デスクトップマシンですと筐体も大きいので、熱がこもる可能性も減って相対的にファンの音も静かなレベルの回転数に収まるのですが、ノートパソコンですとテキスト入力だけでもOS自体の処理のためにファンが回ってしまうことがあります。何もしていないのにうるさいというのはやっぱり理不尽です。

    現行のMacBookAirは処理能力と私が行う処理を考えると、ファンがうるさくなるケースはあまりないかも知れませんが、その代わり1.25Kgはもはや重すぎます。登場当初の軽くて薄い印象はもはやありません。

    Windowsですとファンレスノートはいくつかありますが、Macでは唯一の選択肢だった12インチMacBookがラインナップから消される以上、iPad+外付けキーボードということにならざるを得ません。もちろんSurface Goなども選択肢には入りますがiPhoneとの連携を考えるとiPadの方がいいかなとも思います。

    今回新しくリリースされたiOS13ではiPadOSとしてiPad独自の機能も追加され、タブレットPC的に使用できる機能も増えました。Appleとしては軽量MacBookは切り捨てて、そういう用途の人はiPad買ってくれ、ということなのでしょうね。

    さて、そこでiPadをノートPCみたいに使用するにあたり、キーボードが重要になります。iPadPro、iPadAir、そして新商品のiPad第7世代では純正のSmartKeyboardが使用できます。私が所有しているiPadが第6世代のため使えないので、使い勝手が分からないのですが、Appleのショッピングページでは、端が浮いて使いづらい、と言ったことが書かれていますし、わざわざ純正キーボードのためにiPadを買い換えるというのももったいない気がします。

    ですので今あるiPadに、SmartKeyboard以外のキーボードを組み合わせてみます。既に購入しているBluetoothキーボードがあるのですが、いくつか試すもどれもキーの取りこぼしや余計なキー判定が入ったりして気持ちよくタイピング出来ませんでした。

    また、こういったモバイル向けのキーボードは小さなサイズにキーを詰め込むため、キーピッチが狭くなっていたりキー配置が変則的になっていたりして、タッチタイプが非常に難しくなります。

    モバイルキーボードだけではなく、10インチよりも小さいようなモバイルPCでも同様ですが、12インチMacBookはそんなことなかったんですよね。Appleが諦めたのは本当にもったいない気がします。

    さてそれはともかく、iPadにつなげるキーボードはどうしようか、と探している中で、

    そもそも普段、自室で使用しているMacminiにつないでいる純正キーボードを持ち歩けばいいじゃないか!

    というアイデアを思いつきました。多分、同じことを考えている人が多いのでしょう。Amazonで純正MagicKeyboardを持ち運ぶためのケースがいくつも見つかりました。

    とりあえずこれを買ってみました。

    Fintie Apple Magicキーボードケース キーボードカバー MLA22LL/A専用 PUレザー スタンド機能 軽量 iPad/iPad Air/iPad Pro/iPad mini/iPhone/iMacに対応(ブラック)
    https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01K780TN2/

    フタを開くとiPadやiPhoneを設置できるスタンドになりますので、タブレットPC的に使うことは出来そうです。Bluetooth接続なのでその点は劣りますが、キーボード自体に不満を覚えることはないはずです。何せデスクトップでも使っているキーボードですから。

    今時のモバイル向けキーボードは、複数のデバイスとのペアリングを記憶しておいて、適宜切り替えることでいちいちBluetoothペアリングをする必要がない製品が多いですが、MagicKeyboardは当然ながらそんな機能は存在しません。ペアリング状態にするのは電源断→電源入をしてiPadのBluetooth設定に出てきますので接続出来ますが、Macの方で使うときにはまた同じ作業が必要になりますので、あまり頻繁に持ち運ぶと不便ですね。

    なので今考えているのは、同じMagicKeyboardをもう一個購入するかどうかです。そこまで外出先で外付けキーボードが必要なことが今のところはそんなにないので悩みどころです。

  • エキセントリックなCEOが引っ張る赤字ベンチャー企業をどう扱うか

    アメリカを始めとして世界中で賃貸契約に革新的なサービスをもたらしているという触れ込みで巨大化しているウィーワークのCEOが色々なところから圧力をかけられて辞任ということになったようです。

    ウィーワークCEO辞任、IPO控え収益性や企業統治に疑念
    https://jp.reuters.com/article/wework-neumann-idJPKBN1W92LX

    日本のメディアではあまり取り上げられていないようですが、ウォールストリートジャーナルなんかではここ最近は毎日のように何らかの記事が上がっていました。どうやら巨額の出資者であるソフトバンクグループの辞任要求があったみたいです。

    辞任したニューマンがこれまでやってきた奇矯な行動からすればしょうがないのかなとも思いますが、彼を失ったウィーワークが果たして成長し続けられるのか。

    問題は確かにありましたが。そういうエキセントリックなところがある人間だからこそ、既存ビジネスの隙間や矛盾を突いたベンチャー企業を立ち上げて大きくすることが出来たはずです。普通の人は「そんなビジネス無理だろ」「儲からないだろう」「失敗したらどうするんだ」と思ってチャレンジしないビジネスに、エキセントリックな人だからこそ果敢に挑戦することが出来るはずです。言い方を変えると、無難な行動しかしない人は無難なビジネスしか出来ません。

    もちろん例外はあるでしょうし、エキセントリックな行動をする上にビジネスの才能も無い人間の方が圧倒的に多いのでしょうけれど、百に一つ、万に一つの少ない可能性を実現させることが出来るのは、無難なCEOではないと思います。

    IT企業にはなかなかすごい個性を持った創業者がたくさんいます。かつてのビル・ゲイツや、Oracleのラリー・エリソン、Facebookのマーク・ザッカーバーグ、Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、テスラのイーロン・マスクなど、口を開く度にニュースになるような人間だらけです。もちろん、ごく普通の常識を持った経営者もたくさんいるのでしょうけれど、とてつもない成功を収める人はとてつもない個性を持っているといってもそれほど的外れではないでしょう。

    今後のウィーワークが果たして成功できるのか。赤字の削減とIPOの成功、それまでの手持ち資金の確保といった難題が続きますが、ソフトバンクはどこまで付き合えるでしょうか。

    さて、その一方で、巨額の赤字がありながらも株式を上場できる仕組み自体にも疑問を覚えます。今回のウィーワークのCEO辞任は、このままではIPOできず出資の回収が出来ないという判断をしたから、ソフトバンクがかなりの圧力をかけたのだと思いますが、そもそも赤字を垂れ流し続けながら巨大化する企業が株式公開していいものなのでしょうか。

    もちろん、経営や投資やビジネスとかの分野においてとてつもなく頭の良いお偉いさん方が決めていることですから、赤字が続いていても上場できる仕組みそのものには良いところもあるのでしょうけれど、株式会社はその経営を継続することが必要条件という大前提があるはずです。お金は企業にとっては血液のようなものです。血液を大量に流し続けている人間が「いや、私は健康ですよ」と言っても誰も信用しないでしょう。ちょっとした不注意などで怪我をして血が出た、というレベルならともかく、ずっと血が出続けていたら周りにいる人間は誰もが「病院に行け」と言うでしょう。

    そんな企業が上場するのもどうかと思いますが、その企業の株式を買う人がいるからこそ作られた仕組みであるとも言えるかも知れません。今、赤字なのは急速にビジネスを大きくしてシェアを確保して競合を排除し、それによって将来の巨額の利益を得るためなのだ、という理屈があまりにも横行してしまっている気がします。物事は予定通りにはいきません。今の赤字が未来の黒字を保証するわけではありません。将来大成功するかどうかは誰にも分かりません。巨額の資本を持つベンチャーキャピタルであれば、複数のベンチャー企業に分散投資できるでしょうし、IPO時やその直前ではなくもっと早い段階での出資が出来るので利益も大きくなりますが、一般の個人投資家では公開後にしか買えませんので利益の幅は小さくなります。

    株式投資はギャンブルではない、とはよく言われますが、赤字企業のIPOやその直後に購入するのは限りなくギャンブルに近いのではないでしょうか。

  • 独裁者と共和国の不幸な親和性

    独裁者・独裁政権と聞いてどんな人物や国家が思い浮かぶでしょうか。

    プーチンのロシア?
    金正恩の北朝鮮?
    習近平の中国?
    エルドアンのトルコ?
    あるいはドゥテルテのフィリピン?

    一番最初に思い浮かぶ国はそれほど多彩でもないでしょう。そして今、私が挙げた5つの国家には全て共通点があります。

    いずれも「共和国」を名乗っていることです。

    ロシア共和国
    朝鮮民主主義人民共和国
    中華人民共和国
    トルコ共和国
    フィリピン共和国

    いずれも、自称「民主的」手続きを経て国家元首が選ばれているから「共和国」を名乗っているわけです。この中でもトルコとフィリピンはまだ比較的、公正な選挙が実施されているようですが、ロシアでは野党の指導者が暗殺されますし、中国では国家主席は共産党幹部の中で決められます。北朝鮮に至っては既に金日成・金正日・金正恩と三代にわたって世襲されています。

    王制の国が独裁者を生み出すのは歴史的にみればそれほど特殊なことではないでしょう。過去にはヨーロッパでもアジアでも国王が独裁政治を行った事例はいくらでも見つかります。今でも、現にサウジアラビアなどの中東では珍しくありません。しかし、首長を大衆から選出するはずの共和国でなぜ独裁者が生まれるのでしょうか?

    共和国ではトップ(ほとんどは大統領を名乗ります)を国民全体の投票で選出すること(あるいは建前)になっています。そのため、国民全体の利益を代表する人物が選ばれることになるわけですが、少なくとも国民全体の過半数から支持を得て就任したトップを批判することが難しくなります。

    もちろん、この辺を共和政における民主政治が正当に実施されているような国であれば当然ながら大統領であっても国民やマスコミは容赦なく批判します。アメリカやフランスがその代表例です。イギリス国王とその政府に逆らって成立した国家であるアメリカ合衆国、ルイ16世の処刑とナポレオンの追放など国王・皇帝を排除して再建されたフランス共和国といった歴史を経ずに共和政を取り入れた共和国では、トップを批判する文化が育っていないのではないでしょうか。

    共和国ではない国でももちろんトップを批判する文化が育っていないケースは多いでしょうけれど、例えば日本やイギリスのような立憲君主制の国では首相は権力では最上位にいますが権威としては最上位ではありません。もし万が一、国王や天皇と首相が対立するようなことがあった場合、首相側が勝てる保証はありませんから、独裁を振るうのは難しくなります。立憲君主制でなく、国王が実権を握っている場合でも今度は逆に国民の投票によって成立している権力ではありません。国民の支持を母体にしていない権力ですから振るえる範囲も限られることになります。

    一方、共和国では国王も皇帝も天皇も存在しません。大統領が権力と権威の最上位に位置します。そのトップが批判されることもありませんので、やりたい放題が可能になります。そして残念なことに対抗相手が不在でさらに批判もされない最高権力者はやりたい放題をしてしまいます。共和国の大統領はその権力の源は国民の支持です。そのため大統領には白紙委任状が与えられたという理屈を展開することが可能となってしまいます。

    繰り返しますが、共和国だからといっても必ず独裁者がいるわけではありません。アメリカ合衆国大統領は強大な権力者のように思われますが、そもそもアメリカ合衆国そのものが強大な国家であるから大統領が大きく見えるだけです。国内において大統領が実行できる権限は結構限られています。国内政治に関しては本来は連邦議会と行政機構が行うものであり、さらには連邦国家ですので州政府の権限も強く、オバマ前大統領のオバマケアも2期8年かかってようやく成立しました。アメリカ大統領は外交と軍事のために存在するとも言えます。

    フランスも何せ三権分立で有名なモンテスキューを生み出した国家です。内政は基本的に首相とその内閣が実行するもので、大統領は大まかなプランと外交・軍事と名誉職的なところがあります。

    アメリカやフランスのように他の存在と権限が分割された大統領であれば国民を苦しめ他国を損なうような独裁政治など行えません。権力も権威も集中する国家元首が存在する共和国が独裁政治との不幸な親和性があるということです。

    だからといって、これから新しく王制を作り出す国家など出てこないでしょう。国家元首を縛る憲法を作り、それを遵守できるかどうかが、独裁国家あるいは新しくできる独立国家の行く先を決めることになります。

  • ふるさと納税は本当に行うべきだったのか

    ふるさと納税を巡る、総務省と泉佐野市の攻防は裁判では後者の勝利となりました。

    私は以前、

    https://hrsgmb.com/n/n5da798e04c16

    このnoteで泉佐野市の方が分が悪いと書いたのですが、裁判の結果的には間違っていました。おそらく考え方も間違っていたのでしょうけれど、総務省の反撃はあるのでしょうか。

    先のnoteにも書きましたが、そもそもの「ふるさと納税」では地場産品を購入してくれる納税者に見返りとして事実上の減税措置を与え、その地場産品を提供する自治体に税金が納められるという理念だったはずです。しかし現実は、ただひたすら顧客獲得競争になってしまいました。ふるさとに関係なく、納税者が得をする(と思う)商品を安く提供している自治体に税金が集まるという消耗戦になりました。レッドオーシャンもいいところです。

    本来、自治体毎の税収格差を少しでも是正するためであり、従来の地方交付税交付金などではなく、地場産品の売り込みに努力をした自治体が報われる仕組みとして考え出された仕組みのはずでした。

    結局、一番楽して大もうけしているのは自治体に取り入っているコンサルなどの企業ではないでしょうか。

    このように元々の理念を実現出来ない制度・法律であれば、大幅に縮小するかいったん取り止めにしてもいいくらいなのではないかとも思ってしまいます。

    そんなザル法を作った総務省がそもそも悪いのですが、そのザル法を本来の趣旨に沿うように改正したら文句を言うのも筋違いな気がします。

    本音で言えば、地場産品だけで多額のふるさと納税を受け取れる自治体なんてほとんどありません。

    第一、地場産品といっても例えば讃岐うどんや仙台の牛タンだって大半は輸入原料です。オーストラリア産の牛タンを輸入して調理して出しても仙台の名産品になります。輸入小麦から作られる讃岐うどんも名産品です。

    全国各地ほとんどのお土産として売られているような和菓子なんかは砂糖・小麦・大豆で作られていて結局は大半は輸入しています。それでも加工することで各地の名産品になっているわけです。

    そもそもの地場産品というのはどこまで地場産であればいいのでしょうか。

    例としてはかなり異なりますが、AppleのiPhoneは原料を世界各地から、また構成される小さな部品は日本を始めとしてこれも世界各地から集めてきて、組み立ては中国で行い、アメリカでやっているのはデザイン・設計のみです。そしてAppleブランドで売り出すので、アメリカ製品という認識が消費者には生まれます。

    長崎のチャンポンなんて、入っている具材全てが長崎産だと思っている人なんてそもそもいないでしょう。でもチャンポンは紛れもなく長崎名物です。

    原材料が必ずしもその地域のものでなくてもいいわけです。ではどこから産地として認められるのか。明確な指針を出すのは無理でしょうし、どんな指針を出しても不利益を被る人達から批判されるのは目に見えています。

    結局のところ、「ふるさと納税」という概念自体が無理があったのかも知れません。自治体毎の税収格差の是正を図るには、別の方策を考えた方がいいのではないでしょうか。