古代の中国を記した歴史書などでは、慎ましい善政とされた皇帝の治世に関して、民の賦役を減らし、帝自ら質素を旨とし、国の倉は満たされ、納められた銭を束ねる紐は腐る(ほど使用されなかった)と言った表現が用いられました。
華美や奢侈を戒めるのは良いことではありますが、国庫が満たされすぎてしまうのは、経済的には市場に出回るマネーが減るはずで、正直そういう治世ではデフレになっていたはずです。民に課される税も少なくしたといっても、そもそも市場に金が回っていないのだから、納税そのものが苦しいはずなんですよね。国家財政を動かす点で消極的だったと言えます。
こういう皇帝が名君とされたのは、あくまで後代の儒教的価値観における名君の在り方ということです。
まあ、そうは言っても苛斂誅求、大増税を繰り返すような暴君暗君に比べれば何をどう考えても遥かにマシなわけで、そこまでいかなくても、臣下の諌めも聞かず、外征を繰り返し、国庫を空にする皇帝は、前述のような控えめな皇帝と比較されると、国を傾ける原因となったと非難されます。
消極的な皇帝と、積極的な皇帝が連続した点で、比較しやすいのは前漢中頃です。
創始者の高祖劉邦の子であったものの影の薄い存在だったことが幸いして、呂后の専横とその後の政変を逃れ、皇帝に推戴された文帝は、大規模な工事をせず、減税も行い、目立った業績は後世に残りませんでした。
その後を継いだ子の景帝も前帝の治世を継承し、国力を蓄積していきましたが、他の劉氏一門の反発を招いて呉楚七国の乱に苦しめられました。
文帝と景帝の時代は、民衆を安撫した功績から、後に「文景の治」と讃えられる世とされました。
そして景帝の子の武帝が、前代・前々代とは打って変わって、
・匈奴遠征
・西域外交
・南越征服
・朝鮮征服
と東西南北全てで勢力を広げ、内政でも塩鉄専売制、均輸法、平準法の導入や、中央集権を進めました。
武帝の時代は紀元前において最も中華政権が繁栄を極めた時代でありました。治世は54年に及び、約1800年後の清朝の康熙帝・乾隆帝が現れるまで中国歴代皇帝で最長でした。
ただ、治世末期は乱によって自らの太子を死なせ、匈奴遠征させた将軍が匈奴に降伏する混乱の中で崩御し、その後の前漢は武帝時代の栄華もなく、文帝・景帝時代のような安定もない状態が繰り返され、最終的には王莽によって帝位を簒奪されて滅びました。
前漢の創始、安定、繁栄、衰退、滅亡という流れは、この後の多くの王朝でも繰り返され、最終的には袁世凱が清朝を終わらせて、皇帝制はなくなりました。しかし、まさにこの現代における中華人民共和国、共産党政権はこの事績をなぞっているかのように思えます。
前漢の皇帝と出来事を、1950年代以降の中国政権になぞらえてみましょう。

今の中華人民共和国は栄華を極めています。そしてその内部では、衰退が始まり修正が効かなくなっている状態でもあります。
上記の表で?????と表した箇所は、
・後継と見なされていた共産党幹部の更迭
・中国軍制服組の相次ぐ逮捕
がまさに当てはまるでしょう。
今後の中国もしばらくは世界的な影響力を広げ続けるでしょう。ただ、習近平の後あるいは習近平政権がレームダックになってしまったら、日本以上のペースで進む少子高齢化を抱える中国が、中興の時代を迎えられるとは思えません。まあ、それ以前に日本のほうが厳しい状態に陥らないとも限りませんが、政策を修正できない独裁政権よりは失敗する可能性は低いですよね。
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