健康に気をつける、あるいは健康的に生きる、ということは難しいことです。少なくとも、現代人にとっては悩みの種の一つでしょう。
徹底して健康的な生活を営むように努力する人もいれば、暴飲暴食喫煙何でもござれといった破滅的な暮らしをする人もいますし、ほとんどの人はほどほどに健康的かつ不健康的な生活を悩みながら送っていると思います。その中でも、より健康的な生き方をしている人から見たら、不健康な暮らしをしている人の行動が命を縮める危険な行動のように見えるでしょうし、逆に不健康よりな生活をしている人から見たら、健康に気をつけている人の行動が無駄に思えるのではないでしょうか。
この健康・不健康を巡る思想的分断が何故起きるのかというと、当然のことですが人それぞれ寿命が異なるからです。何をどうしたら長生きできるのか早死にしてしまうのかが確実には分かっていないのです。言い換えると、健康的な生活がもたらす未来の効用(インセンティブ)が少なすぎる、ということです。
毎日タバコを100本吸っていても100歳まで生きる人もいれば、ものすごく健康に気をつけていても若くして亡くなることもあります。もちろん、多くの人で長期的な調査をすれば、健康的な生活と不健康な生活による死亡年齢の差が出てくるのだとは思いますが、個人レベルで保証されるデータではありません。今、白米に替えて雑穀米を食べたら寿命が3日延びる、という明白な神の啓示をもらえるわけではありませんし、科学的データがあるわけでもありません。好きなもの・食べたいものを自由に食べられないことによる精神的なストレスによってかえって寿命が縮むかも知れません。
無論、健康がもたらすメリットとしては長寿だけではありません。痩せたらモテるかも知れませんし、太っていると息切れしたり頑丈なベッドが必要になったりというメリット・デメリットが健康・不健康には確かに存在します。しかしそれらのメリット・デメリットは別にいいや、と考えてしまったら、後は健康的な生活をするインセンティブや義務感は存在しなくなります。
逆に言うと、健康的な生き方を政府や各種団体が世間に勧めようとするならば、健康・不健康による将来のメリット(長寿)・デメリット(短命)ではなく、現在におけるメリット・デメリットを取り上げてアピールするべきです。現世利益を重視すべきです。遠い将来の体の不調ではなく、現時点に近い将来の不利益を取り上げることによって、アピールされる側(国民・一般大衆)にとっても切実さが増すのではないでしょうか。
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