平繁無忙の何でも書くブログ

  • Googleが賭けるウェアラブル端末市場

    Googleがウェアラブル端末大手のFitbitを買収することを発表しました。

    Google、スマートウォッチのFitbitを買収
    https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1216384.html
    Googleは11月1日(米国時間)、スマートウォッチなどのウェアラブルデバイスを手掛ける米Fitbitの買収を発表した。買収総額は約21億ドル(約2,272億円)で、2020年中の買収完了を目指す。

    Fitbitはスマートウォッチというよりもフィットネストラッカーとして有名といえるでしょう。私は持っていませんが、ランニングなどする人は多分誰でも知っているレベルの会社です。

    一方のGoogleはスマートウォッチ分野では明らかにAppleの後塵を拝しています。これを逆転するのは並大抵のことではないですが、そのための買収でもあります。買収が成功する前提での話になりますが、このFitbitの技術、資産、ブランドを生かしてウェアラブル端末でApple Watchに挑むことになるでしょう。

    GoogleというかAndroid陣営にもこれまでもスマートウォッチはありましたが、WearOSと名前を変えた今でもあまり売れていません。SamsungのGearシリーズはありますが、そもそもAndroidは多くのメーカーがたくさんの機種を作っていて、一応はそれぞれ同じアプリが動く「Android」というフォーマットの元で動いているというのが利点でした。

    それぞれのメーカーがそれぞれのAndroid端末で接続することを前提としたスマートウォッチを出しても売れる数が少なくなるのは当然です。Androidの利点を生かせていないことになります。

    GoogleがこのFitbit買収により、いずれ出してくるであろうウェアラブル端末に求められるのは、どのAndroidスマホでも同じような利用体験が出来ることです。これがPixelシリーズでしか使えないのであればこれまでのAndroidウェアラブル端末同様、Apple Watchには勝てないでしょう。

    そもそも時計型である必要もありません。指輪やイヤホンや、あるいはかつて作っていたメガネ(Google Glass)などもありでしょう。メガネは盗撮などの批判を受けて撤退しましたが、いずれは多くのメーカーが参入してくるでしょうし、その点ではGoogleはかつての知見を生かせるはずです。

    一つ気がかりなのは、Googleという会社がこれまでいくつものサービスや製品を送り出しつつも、上手く行かないとすぐに止めたり名前を変えたりしていくことが多いことです。

    他の企業やサービスを買収してGoogleのエコシステムに組み込むも、類似サービスを既に抱えていて両立させたり統合したり、あるいは結局再度売却したりということも何度もありました。

    とりあえず新しいことをやってみてダメならまたやり直そう、という考え方はベンチャー企業らしいものですし、だからこそこれほど巨大なIT企業になったのだと思いますが、今、巨大になりすぎた状態でその思想のままスクラップアンドビルドを繰り返すと、単にGoogle(あるいは親会社のAlphabet)の利益を圧迫するだけではなく、利用者を振り回し社会にも大きな影響を与えてしまいます。モトローラ社の買収とその後の売却は分かりやすい例でしょう。

    それともう一つ、今回の買収劇を受けてGAFAの残り2社、AmazonとFacebookはどう反応するかです。どちらもスマホ市場に乗り出そうとして失敗あるいは計画倒れに終わりましたが、ライフログは貴重なビッグデータになり得るのでしょうから、新たにウェアラブル端末市場に乗り出してもおかしくないと思います。となると、ガーミンのフィットネス端末部門なんかは狙い目のような気もしますが・・・?

  • かつて「天」を祀っていた中国において、「天」を代行しようとする共産党政府

    古来、中国には「天」を祀る思想がありました。

    天とは空の彼方というだけではなく、自然の摂理であり上帝として万物を主宰する存在でもありました。人間からすれば天は畏れの対象であり、自らの行いを把握され、賞罰を与えてくる対象でもあります。天の意志をかしこみ、それにそれないように出処進退を行うために「礼」という概念が生まれ、それを思想としてだけではなく、形而下の儀式として体現したのが孔子による儒教です。

    知識人階級は「天」を畏れ、かしこみ、天に恥じないような生き方を模索し悩み慎ましく生きたのですが、もちろん世の中には知識人階級だけが存在するわけではありません。盗賊や犯罪者など明確な悪人だけではなく、生きるために「天」のことなど構っていられない人の方が圧倒的に多かったわけですし、春秋戦国時代にしろ、その後の楚漢抗争にしろ前漢にしろ後漢にしろ誰もが「天」を畏れていたわけではありません。

    そんな中でも、後漢時代前期の名臣といわれた楊震は「四知」のエピソードで二千年近く経った今の日本でも伝わる「天」の思想を残しています。

    かつて楊震の部下だった者がいました。楊震もその部下も出世してまた会うことになった際に、その部下だった者がお礼として人目を忍んで金品を持ってきたところ、楊震は拒絶します。その部下は、
    「私が会いに来たことは誰も知りませんし、こんな夜中に誰も見ていませんからどうぞお受け取りください」
    と言いましたが、楊震は
    「天知る、地知る、我知る、汝知る。なんで誰も知らないと言えようか」
    と言って改めてきっぱりと断りました。

    「天」とは全知全能の存在であるとも言えますし、人間の内部にある霊的かつ形而上的な存在であると言えるでしょう。人間に道徳を思い起こさせ、悪いことを止めさせ、善いことを勧める存在です。なお、宮城谷昌光氏の「三国志」はこのエピソードを描いて始まっています。

    日本でも今では言わなくなったかも知れませんが、「お天道様(おてんとさま)が見てる」という言い方で、親や目上の人が子らをしつけるのは普通にありました。

    時代は下り、今の中国では儒教も天も知ったこっちゃないような政治体制かつ社会情勢になっています。共産主義が他のあらゆる思想・宗教を押さえつけていた30数年間の後、改革開放路線によって共産主義経済すら捨て去ったことで、中国人のよって経つところがお金だけになってしまった感があります。

    金さえあれば何でも出来るという考えが、天安門事件後に急成長した中国社会を覆ってしまったことに、当の共産党も戸惑いというか、統治の妨げになるという判断をしているはずであり、礼儀や道徳心を民衆に取り戻させるために出してきたのがこんな政策です。

    道徳心を採点される――中国で広がる「信用スコア」の内実
    https://news.yahoo.co.jp/feature/1477
    あなたの道徳心を数値化したら、何点なのか。「信用スコア」――いま、中国で個人の信用を採点するシステムの導入が進んでいる。システムの運営は地方自治体が行い、その目的は秩序維持やマナーの向上にある。ルールを破らない、寄付をし、ボランティア活動に従事する。そうした「善い」行いを続ければ、スコアは上がり、さまざまな優遇が受けられる。

    孔子や楊震が聞いたら、それは違う、といいそうな政策ですが、中国共産党及び中国政府が求めるところは、民衆が自分本位な考えを少しでも改めて他人や社会にとって善いことをする習慣づけさせよう、ということです。

    そんなことを上から押しつけて点数を付けて人間を測定する時点で道徳的ではありませんが、そこまでしないと人々の倫理観の問題を解決出来ないと共産党政府が考えているのでしょうか。

    寄付やボランティアなどの善行や軽犯罪などの悪行を、政府が倫理的に判断してメリットやデメリットを与える、というのはまさに政府が「天」の役割を果たそうとしていると言えます。善いことをすれば善いことが返ってくる、悪いことをすれば悪いことが返ってくる、というのは分かりやすい善悪観、道徳観ですが、政府の目的はこれを利用して人民支配を強めることであり、それこそ行政だけではなく共産党にも従順な市民を作り出すのが最終的な目標であるのも分かりやすい話です。

    さらに進んで、あらゆる監視カメラによる顔の登録と、ネット上での個人特定によって、誰がいつどこで何をしているのかを共産党が全て把握することが出来るようになるでしょう。

    セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジは、世界の全ての情報をGoogle検索で見ることが出来るようにすることを目標としてGoogleを立ち上げましたが、そのGoogleを公式には排除している中国共産党政府が中国国内においてはそれを実現しそうであることは皮肉というよりほかありません。

    果たしてそれが本当に実現するのか、あるいは人民の反発から反乱を招いて監視システムどころか政府まで危うくなるのか。それこそ「天」のみぞ知るといったところでしょうか。

  • 差別主義者の術中にはまるヘイト批判

    事実は小説よりも奇なり、という言葉は既に使い古されすぎていてわざわざ使う気にもなれないのですが、ネット上の悪ノリが現実に悪影響を与えるケースを見ると、フィクション的な悪意を真に受けて反応してしまう現実社会はどうなのだろうと思ってしまいます。

    「OK」のサインは白人至上主義のシンボルになったので、一般の方はご注意下さい
    https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/09/ok-13.php
    反差別を掲げるユダヤ系団体、名誉毀損防止連盟(ADL)は、親指と人差し指で輪をつくる「OK」のサインを「ヘイト(憎悪)のシンボル」としてデータベースに追加した。
    (中略)
    「OKサイン」がヘイトのシンボルとなったきっかけは、ネット上の匿名掲示板「4Chan」でオルタナ右翼たちが悪ノリで始めたキャンペーンだった。
    彼らは2017年に同掲示板で「オペレーションO-KKK」を立ち上げた。リベラル派やメディアに、ドナルド・トランプ大統領もよく演説中に使うこのOKサインが白人至上主義の「秘密の合図」だと思い込ませたのだ。親指と人差し指で輪をつくって残り3本の指を立てると「ホワイト・パワー」を意味する「WP」の文字に見えるから、白人至上主義者を自称するジェスチャーだという訳だ。

    こんなことで騒ぐのか、とユダヤ人ではない私は思ってしまいますが、迫害の歴史を持つ当のユダヤ人にとっては重要なことなのかも知れません。しかし、悪意無くOKサインを出しただけで批判されるというのも可哀想な話です。

    昔からあるサインやジェスチャーが、ネット上の悪ノリや悪意によって普通に使えなくなってしまう、というのはもちろん最初に仕掛けた人間が悪いのですが、それに反応して使用者に非難を浴びせてしまうとしたら、いずれは何も出来なくなるのではないでしょうか。

    大げさな例ですが、例えば星条旗のバッジを右胸に付けるのを差別主義者がサイン化したら星条旗を禁止するのでしょうか。差別主義者同士が左手で握手することを習慣としたら、左手で握手する人間全てを差別主義者と見なすのでしょうか。

    結局これではヘイトを仕掛ける差別主義者が結局影響力があることを認めてしまうことになります。個人的にはこれもポリティカルコレクトネスの行き過ぎではないかと思うのですが、こういう批判自体も差別だと非難されるとしたら、世の中にはポリティカルコレクトネスを掲げて他者を非難する人と、ポリティカルコレクトネスをガン無視してヘイトクライムをしまくる差別主義者の2種類の人間しかいなくなってしまいます。

    そしてそれは差別主義者にとって望む世界でしょうし、大半の人にとっては悪夢のような世界のはずです。私には、批判すべき対象を間違っているような気がしてなりません。

  • 幕の内弁当を選ぶ私的理由

    年を取ってくると食べるものの嗜好が変わってきます。こってりしたものもたまには食べたくなるものの、そんなに量も要りません。それこそ若い頃は味が濃くて量が多ければ満足したものですが、中年になると量も味の濃さもそんなに求めなくなります。

    子どもの頃、若い頃はいわゆる「幕の内弁当」を喜んで食べることはありませんでした。それよりも肉・揚げ物が単純に多い方が嬉しいものです。多分大半の人にとっても同じではないでしょうか。

    最近になって、弁当を買うときにそういった揚げ物や肉がたくさん入った弁当よりも幕の内弁当のような複数の種類のおかずが少しずつ入った弁当でいいや、と思って選ぶことが増えてきました。

    カロリーや量の観点から言えば、幕の内弁当もトンカツ弁当も大差ないことが多いです。幕の内弁当にも揚げ物や肉が入っていますし、ご飯の量もそれなりにあります。それでも幕の内弁当につい手を伸ばしてしまう理由を自分なりに探ってみましたが、リスク分散という考えに思いつきました。

    先述の通り、若い頃はとにかく量重視なので選んだおかずが少々美味しくなくても大して気にせずそれなりの満足感を得られます。しかし年を取ると量重視ではない食べ方になるので、かえって美味しくないおかずに出会うとテンションが下がるだけではなく、全部食べきるのが難しくなります。

    例えばおかずのほとんどがトンカツであるトンカツ弁当で肝心のトンカツが好みの味ではなかった場合、食べきるのが大変です。しかし、幕の内弁当であれば入っている小さなトンカツが例えまずくても他のおかずがあります。

    つまり、幕の内弁当であれば何か一つのおかずが美味しくなくても、全てのおかずが美味しくない可能性はかなり低くなります。もちろん全部まずい可能性もありますが、それはさすがに可能性としては低いでしょうし、もしそんなものに出くわしたら犬に噛まれたと思って諦めましょう。

    幕の内弁当を選ぶ理由としてはこのような、おかずがまずい時のリスク分散的思考が絡んでいるのではないでしょうか? 本当にどうでもいい話ではありますが。

  • 富裕税・資産税は現代自由資本主義社会で可能なのか

    日本のみならず世界的に貧富の格差の拡大が問題になってきている中、富裕税を真剣に議論し始める時代になりつつあります。

    世の中のほぼ全ての税金はお金の移動が起きたときに発生します。所得税、消費税など代表的ですが、不動産取得税、自動車取得税、たばこ税、酒税などもそうですね。例外は固定資産税のように資産を所有しているだけで毎年課税されるものですが、富裕税はこの固定資産税を金融資産に対象を広げたものです。

    この富裕税、資産税に関しては最も進んだ自由資本主義国であるアメリカでも一部で必要性が問われ始めました。

    コラム:米で広がる富裕税支持、大統領選後の導入に現実味 – ロイター
    https://jp.reuters.com/article/us-tax-breakingviews-idJPKBN1WP0QV

    民主党が2020年の大統領選挙で勝てば(それ以前に民主党の指名選挙を富裕税支持者が勝つことが必要ですが)、議論は進み始めるでしょう。伝説的な投資家である、ウォーレン・バフェット氏のように以前から超富裕層に特別な課税をするべきと唱える人もいます。

    ウォーレン・バフェット、一部富裕層のみが優遇される課税システムを非難
    https://rollingstonejapan.com/articles/detail/30115

    しかし、当のバフェットも現状の富裕層優遇税制の恩恵も受けていますので、あまり真に受けることが出来ないですが、それでも何も言わずにただ儲け続けているだけの超富裕層よりはマシなのかも知れません。

    バフェット氏の「抜け穴」 節税と蓄財を可能に
    https://jp.wsj.com/articles/SB12553795185919473670004580577222829813604
    ウォーレン・バフェット氏は自分に対する税率が、秘書に対する税率よりも低いと好んで口にしている。
    (中略)
    バフェット氏も富の分配を主張する大衆に大受けなのはめでたいことである。彼らが分配しようとしている富がバフェット氏の富ではないということは極めて不思議である。

    一方、太平洋を挟んだ自由資本主義国である日本でも、ある意味で伝説的な投資家である村上世彰氏も資産税を提唱しています。

    [議論]村上世彰氏「格差解消へ家計・企業に資産課税を」:日経ビジネス電子版
    https://business.nikkei.com/atcl/forum/19/00024/093000035/

    ここに書かれているように、私自身も貧富の格差の拡大は社会の不安定さを招くと思っています。相対的に貧しい人が増えれば富裕層に対する反感が生まれ、国家や社会などの共同体に対する負担を富裕層に任せようとする感情が出てきます。すぐに暴動が頻発する社会になるとは思いませんが、ワーキングプアの存在は生活保護までの前段階になりかねません。大規模な不況がやってくれば失業保険、生活保護の支払が増え、あっという間に国家や自治体の財政に大ダメージを与えます。

    もちろん、不景気のダメージを一番受けるのは貧困層です。しかし大多数の富裕層にとって、その資産や収入をもたらしているのは大多数の非富裕層です。その非富裕層の経済状態が悪くなり、富裕層への風当たりも強くなっていくのは富裕層にとってもマイナスなはずです。

    社会の不安定化を防ぐために富裕層に対する特別な課税を行い、その分、別のところで免税や福祉にお金を回すのであれば、富裕税にも相応の意義があるはずです。

    実際に金融資産に対して課税するのは大変だと思います。収入に対する課税は支払った人間が申告することでたどることが出来ますが、昔から持っている銀行口座をもれなく調査しなければなりません。銀行などの金融機関を協力させるしかありませんが、理論上はマイナンバーの登録によって全ての口座を個人に紐付け(名寄せ)できるはずです。

    もちろん、海外に資産を移転させたり、銀行から引き出してタンス預金(さすがに耐火金庫にしまうと思いますが)されたらお手上げですが、それはそれで富裕層にとっても相応のリスクがあります。海外に持っていくと、自由に使いたいときに国内でその資産を使用できなくなりますし、タンス預金は盗難・強盗・紛失・火災などのリスクを抱えます。

    効率よく資産税を課税するには現金、特に高額紙幣を廃止しないと難しいでしょう。

    ケネス・S・ロゴフに「現金の呪い」という本があります。

    現金の呪いーー紙幣をいつ廃止するか?
    https://www.nikkeibp.co.jp/atclpubmkt/book/17/P55070/

    高額紙幣の廃止により、「レスキャッシュ」社会をもたらし、マイナス金利による効果的な金融政策が可能になり、ブラックマネーも減る、という筋立ての本ですが、資産税を実行するときにも有効な手立てではないかと思います。

    ただ、一番の障害は、富裕税を課される富裕層の支持をどうやって取り付けるかです。議論され始めたら猛烈な反対が起きるでしょうし、官僚や政治家へのロビー活動や、課税に対しての裁判での抵抗も起きるでしょう。社会を安定させるための必要なコストということを富裕層に理解させることが出来るかが鍵となりますが、日本で実施するには外国での前例があった方が国民性を考えるとやりやすいでしょうから、アメリカなり他の国で先行して実施してもらって成功してほしいところです

    今後の景気次第によっては、あまりそんな悠長なことを言っていられる状況では無くなるかも知れませんが。

  • 日本における広場〜皇居前広場から空白の数十年を経ての渋谷スクランブル交差点〜

    たいていの街、集落あるいは大きく言うと国家や文明において、「広場」という場は重要な役割を持っています。

    古代ギリシャの都市国家では広場のことを「アゴラ」と言い、単なる人が集まる場所だけではなく、市場として商売が行われたり、政治の議論を行ったり、古代ギリシャ特有の直接投票を行ったりしていました。

    その後の古今東西の文明でもたいてい、街の中心地には広場がありました。古代ギリシャ同様、商業活動や政治活動、宗教儀礼やあるいは軍事利用(閲兵式や戦争に勝利した後の凱旋式など)でも用いられました。

    大きな都市にも小さな街にもたいてい広場はつきものですが、国家として重要な広場、というものも存在します。

    有名なのはモスクワの赤の広場や北京の天安門広場、ニューヨークのタイムズスクエア、ロンドンのトラファルガー広場といったところでしょうか。観光地として有名ではないものもいれれば、おそらく世界中のどんな首都にもそれなりの広場があると思います。

    日本、東京でいうとどこになるでしょうか?

    サッカーの代表戦などで騒ぎになったり、あるいはハロウィンでの喧噪などで有名になってしまった渋谷駅前のスクランブル交差点がそれに当たるのではないかと密かに思っています。

    もちろん交差点なのでそこで商売出来るわけもなく、ただ人が通り過ぎるための交差点なのですが、周辺の建物前の歩道を含めて「広場」としての役割を今の日本で果たしている代表的な場所ではないでしょうか。

    もちろん、マスメディアによって作られている感を感じる部分はありますが、その作られている感に耐えうる広場というのはそう多くもないでしょう。言い換えると、マスメディアもソーシャルメディアも含めて「メディア映え」する場所なのが、この渋谷スクランブル交差点だと思います。

    じゃあ、この渋谷のスクランブル交差点が日本を代表する広場になる前に、その地位にあった場所はどこかというと長らくなくて、数十年さかのぼった上での皇居前広場が当たるのではないかと思います。歴史の教科書とかで終戦時に土下座している人達がいたあの場所です。それ後にもメーデーでも多数の人達が集まりました。

    昭和中期から平成前期まで特徴的な広場が東京・日本に存在しなかったということは、中央集権から地方分権が出来ていた証になるかも知れません。ラジオ・テレビの普及と一緒に、各地方でテレビ局・ラジオ局が生まれて東京キー局の影響を受けつつも、各地方での独自の番組もあって地方の独自性は維持されてきました。

    しかし、既存のマスメディアの影響が減るのと同時に、インターネットの影響力が増してきたのが平静の中頃です。その頃に渋谷のスクランブル交差点にサッカー代表戦後に人々が集まって騒ぐようになったのですが、インターネットに地方の独自性はありません。もちろん出すことは可能ですが、テレビの東京キー局よりもはるかに強力な画一的強制力を持っています。稚内と東京と石垣島に住む人達が全く同じ情報(例えばYouTubeの動画)を同じタイミングで見ることが出来ます。

    インターネットによる画一性の影響が出るのと、日本に「広場」が復活するのがほぼ同じタイミングだったのは偶然でしょうか?

    今の渋谷スクランブル交差点と皇居前広場では性質も利用のされ方も異なります。皇居前広場がどうしても戦争の暗いイメージを引きずらざるを得ないことと、渋谷スクランブル交差点がバカ騒ぎしたい人ばかり集まってバカ騒ぎすることの差は大きく感じられます。

    どちらが良いとか悪いとかいうのではなく、日本人にとっての広場に求められる役割が数十年の時を超えて大幅に変わったということでしょう。今後、渋谷の交差点の役割が変化するるのでしょうか? あるいはさらに新しい「広場」が現れるのでしょうか? もしくはまた日本の代表的「広場」の消滅を迎えるのでしょうか?

  • 国民の分断を招いてしまった東京オリンピックと、それにならってほしくない大阪万博

    東京にオリンピック招致が実際に決まったときには東京のみならず日本中が歓喜に沸いたはずですが、今となってはむしろお互いに罵り合って国民が分断してしまっているような気がします。

    最初は新国立競技場のデザインで揉め、ロゴマークで揉め、築地市場の移転で揉め、そして最近ではマラソン・競歩の札幌開催で揉めています。

    こんなに数多くの揉め事が出てきてしまっては、東京オリンピックで明るい未来を描くどころか、その度ごとにリアルでもネットでも非難しあい、揚げ足取りや人格攻撃にまで発展してしまって、とてもじゃないですが国民統合の旗印には使えそうにありません。

    開催まで一年を切ったところですが無事開催され、運営され、閉会まで持っていけるのか。そしてオリンピック後にはパラリンピックもあります。さらに残された施設をレガシーとしてどのように次世代に残していくのか。選手村や豊洲市場だけではなく、国立競技場にも問題があることは以前のnoteにも書きました。

    https://hrsgmb.com/n/n17027e4e7eb8

    2020年の東京オリンピックが終われば次は2025年の大阪万博が控えています。1964年の東京オリンピックの後、1970年に大阪万博が行われたのと奇しくも似ていますが、この辺は東京都と大阪府・市だけではなくて政府や中央官庁の関与も大きいのでしょうね。

    それはともかく、ここまで何度も揉めてきた東京オリンピックを見ていると、大阪万博も色々と揉め事が出てきてしまうのではないかと危惧してしまいます。

    万博会場はもともと大阪市としてもオリンピック招致失敗で持て余していた夢洲ですので、その辺は処理法が見つかった!と喜んで良いことかもしれません。その後の利用としても現在検討中のIRカジノ構想が決定すれば引き続き使い道として困ることは無さそうです。

    むしろ交通アクセスの方が問題です。夢洲は陸の孤島どころか大阪湾を埋め立てた土地なのでリアル孤島になりかねない場所です。道路がつながっているだけで電車での移動が出来ず、JR・地下鉄・京阪などの路線の延伸がなければ、バスを大量に準備して梅田や難波や桜島駅、コスモスクエア駅、あるいは伊丹空港や関西空港などとのピストン輸送になってしまいます。当然ながらバスと電車では輸送量に大きな開きがあります。しかもバスは一般道路を通るので渋滞に巻き込まれることもあります。そうなると楽しさよりも辛さが思い出に残る万博体験になりかねません。

    開催までの残り時間を考えるとあまり猶予もないと思いますが、未だに決まっていません。跡地としてIRを設置することが決まればそれこそアクセス改善のためにどこかが延伸すると思いますが、間に合うのは中央線プランのみらしいので、大阪府の万博構想にも中央線しか延伸案は書かれていません。

    「2025日本万国博覧会」基本構想案 (概要)
    https://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/shoryu/hakurankai/pdf/001_06_00.pdf

    しかしIRの誘致都市が決定するのはもっと先なので、本当に延伸させるなら決まる前に事業開始せざるを得ず、もし誘致に失敗すれば延伸区間をまた持て余してしまうことになります。

    そうなるとIRで大阪を外したことや、無謀な中央線延伸になってしまったことでまた東京オリンピックのようにリアルでもネットでも非難合戦に発展してしまうでしょう。

    そうならないためにも大阪にとってはIRも万博も地下鉄延伸も上手くいってほしいですが、どうなることやら。

    万博招致決定とIR誘致については大阪府(正確には大阪維新の会)と政府(正確には首相官邸)との間で前もって話をつけている出来レースだと思っていますが、もし出来レースでなければそれはそれでヤバそうです。

  • 関電幹部たちの金品受領問題の醜悪さ

    関西電力の多くの幹部による、取引先や元助役との癒着が疑われる金品の受け取り問題が起こりました。報道が進むにつれてこの問題の根深さや電力業界の闇を感じずにはいられませんが、こういうことがあることによって結局まともな人も損をするというのが、なおさらこの問題を起こした関西電力・自治体・取引先への憤懣を増幅させます。

    金品を渡して脅してきた取引先社長と、地元で力を持っている元助役によって無理矢理受け取らざるを得なくなったものであり、収賄には当たらず法律的にも問題ない。そして我々は苦しみながらお金や物品をもらい続けて会社としての対応は取らずに個人で全て管理して悩み続けてきたので辞める必要は無い(キリッ)。

    【関電金品受領問題】「返却できず個人で保管」 関電社長、苦しい弁明に終始
    https://www.sankei.com/west/news/190927/wst1909270027-n1.html

    という理屈をどうやら本気で言っていたときには驚きもしましたが、その後も色々と問題が見つかり批判も非難も浴び続けたことで、ようやくトップは辞めることになりました。すぐではありませんが。

    関電不正でトップ辞任 政府の責任で全容解明を
    https://mainichi.jp/articles/20191010/ddm/005/070/132000c
    関西電力の幹部が福井県高浜町元助役から多額の金品を受け取った問題で、八木誠会長が引責辞任した。岩根茂樹社長も第三者委員会の調査が年内に終わり次第、辞任する。

    しかし、原発関連だけではなく太陽光発電でもとかいう報道もありました。

    「まだまだ氷山の一角ちゃうか」嘆くOB。関電「原発マネー」問題、深まる闇と出回る告発文
    https://www.businessinsider.jp/post-200284
    八木会長はじめ今回の金品授受に関わった役員たちの辞任は発表されたが、太陽光発電など原発以外の部門でも幹部による不透明な金品の受領が報じられ、徹底した調査を求める声が高まっている。

    関電と取引している他の業者もそういうことをして仕事をもらっているのかと疑われかねません。関電と取引しているといえば、これまでならむしろその業者への信頼の証とも言えたはずです。しかしむしろ不正の証とまではいかずとも、「ウチの会社は関西電力と取引している!」と大声で言えないようになってしまいました。

    さらにいうと、このような不正が原発関連だけでは無く太陽光発電でもあったかもしれない、ということは、火力発電所や水力発電所の新設や整備などでもあったのではないかと勘ぐってしまいます。

    私個人は以前のnoteにも書きましたが、いざという時のために原発は少し残しておくべきだと思っています。

    https://hrsgmb.com/n/n1f1cd1e5968b

    しかし、だからといって現状の電力会社をこのまま残す必要は無いかも知れません。まるっきり別組織の電力会社やあるいは株式会社でなくても良いのかもしれません。もちろん、インフラの敷設、整備、保全などは相当な人員や経験、知識が必要なはずです。だからこそ電力会社は安易な商業原理に基づいた過当競争に晒されて経営危機に陥らないように、各地域ごとの独占事業を許されてきました。電力小売りが認められた点などは改革はありましたが、発送電そのものは東京電力や関西電力などがその地域で独占しています。経営規模やメンテナンスのノウハウなど、他者が参入を許されても安易に参入できる会社などあるはずもない分野ではありますが、このままでそれら独占電力会社が正常化出来るとも思えません。

    東京電力や関西電力という肩書きの会社でないと発電所や送電線を維持できないというわけでもないはずです。すぐに新しい会社を作ることなど出来ないと思いますが、もし代わりに電力を提供できる企業が存在しているのなら、こういった問題が起きたときに電力会社に与えるペナルティを相当に重く出来るはずです。ペナルティのため経営を維持できないというほどの重さのペナルティを与えるくらいにしておかなければ、あまたの不正は水面下で行われ続けて、たまに少しだけ表に出て騒ぎになる、というサイクルは今後も変わらないでしょう。

  • パワハラなどのハラスメントは残すべき慣習ではない

    神戸での教員間イジメとか、あるいはスポーツのチーム内、部活動や会社組織など日本中のあらゆるところでパワーハラスメントの問題が顕在化しています。

    しかし、そもそもこのパワハラ問題は「パワハラ」という名前がつけられる前から存在していたはずです。それも現代社会特有の問題ではなく、おそらくは古くから日本社会にある問題です。ただ単に昔は問題視されていなかっただけの話です。

    権威主義的な日本あるいはアジアだからパワハラが起きる、というわけでもありません。そもそもは欧米で問題視されたから日本でも注目されるようになった経緯もあります。しかしここまでパワハラが現代でも残り続けているのは、社会にパワハラを許容してしまう部分があるからだと思います。

    ここまでパワハラと書いていますが、これはパワハラだけではなくセクハラやモラハラやあらゆるハラスメントを包括して考えるべき問題でしょうし、根っこの理由は多分同じでしょう。何らかの形で立場的に優位に立っている人間が低い立場にいる人に対して理不尽で身勝手で脅迫的かつ反論反対を許さない強制的行為、と位置づければ全てのハラスメントを含めることが出来ます。そしてそれが許容される範囲が時代を経るごとに狭まっているのだと思います。

    昔からあることだからといって無くすべきではないと考える理由はありません。伝統や習慣は残るべくして残るものであり、残すべきではないものは残すべきではありません。

    女性差別や身分差別、人種差別、民族差別、あるいは職業差別などは今も完全に消えて無くなってはいないでしょうけれど、かつてよりはいずれも減っているはずです。差別を受けている人にしてみたらまだまだでしょうけれど、歴史を通じて少しずつ改善することが出来ています。

    悪習は絶つべきですし絶つことが出来るものです。中国の纏足なんかはその代表的な例でしょう。パワハラ・セクハラなどのハラスメントも少しずつでも改善出来るはずです。

    今、こんなに色々なハラスメントが騒ぎになっているのは本当に問題ですし、色々な組織や人に失望しきりですし、日本社会自体に諦念が広がりかねませんが、この状況はハラスメントを無くすチャンスでもあります。ここが踏ん張りどころです。

    日本社会というものは、そういうハラスメントが横行しても当然の社会だと安易に結論付けてはいけないようにしなければなりません。

    じゃあどうやってパワハラなどを無くせるのか、減らせるのかと言われると具体的な方策など思い浮かばないのですが、無くす・減らすという対策以前に、誰もが「これはハラスメントだ」という認識を持つことの方が先でしょうね。

  • 正倉院展を見に行ってきました

    奈良公園にある奈良国立博物館に正倉院展を見に行ってきました。

    毎年秋に奈良国立博物館にて正倉院展が行われていますが、隣の大阪に住んでいながら見に行くのは今回が初めてです。今回は天皇陛下御即位記念と銘打たれて令和初の正倉院展となりました。

    一昨日の土曜から開催されていますので、昨日一昨日の土日の来場者はかなりのものだったと思います。月曜なので土日よりはマシかなと思って来たのですがそれでも混雑しています。

    ただ、前もってオンラインでチケットを購入していたので当日券売り場に並ぶ必要もなく、また入場待機列に並んでから10分も経たずに入れたので良かったです。

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    さて、今回の正倉院展での目玉としては、チケットにも描かれている鳥毛立女屏風でしょうか。いま入力してみて分かりましたが、ATOKだと「とりげりつ」まで打ち込めば推測変換で出てきますね。ATOKすごい。

    それはともかく、この鳥毛立女屏風は教科書か図録などで見た記憶があります。その他にも色々な宝物や文書があって楽しめました。いままで来なかったのももったいなかったかな、とも思いました。

    さて、鑑賞を終えてグッズコーナーでは個人的には惹かれるものがなかったのでそのまま博物館を出たところで、テントを張って「正倉院展記念弁当」なる物が売られていました。

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    商魂たくましいと言ってしまえばそれまでですが、お昼も過ぎていたので購入して食べてみました。中身の写真はありませんが、十六穀米以外は現代風の調理だと思うんですよね。天ぷらとかあったし。ただ、大豆肉(素肉というらしいです)があってなんか奈良っぽいという印象を与える弁当でした。

    思えば精進料理などではなまぐささを忌んで、獣肉・魚肉は膳に上がりません。その代わりに大豆などで作られた代用食がありました。いまは欧米を中心に肉食を嫌い、牛や豚などからではなく完全に人工的に作られた人工肉が大はやりで、メーカーは株式上場を控えているようなところもあります。化学的にあれこれ工夫した人工肉でなくても大豆ベースで作ればもっと楽だと思うんですが、肉特有の肉っぽさというか感触が物足りないんですかね。

    さて、その後は駅に向かうまで奈良公園の鹿の間を通り、隣の興福寺の五重塔のそばを通って帰りました。しかし奈良も外国人観光客が多かったですね。

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  • 2019年10月27日J3リーグ第28節ガンバ大阪U23対セレッソ大阪U23試合観戦の感想

    ちょうどトップチームの試合がない土日ということもあってか、入場時には行列が出来ていて結果的には2,000人以上の客入りとなったセカンドチーム同士の大阪ダービーですが、9月のトップチームの方での惨敗を少しでも振り払うためにも勝って欲しいところです。

    ガンバの方は前節、守備の要であり今のチームでは唯一のプロCBであり主将でもある松田が退場したことで、この試合では出場停止となりました。代わりに土日に試合のないトップから菅沼か青山がさすがに入るのかな、と思っていましたが結局は當麻・大野の高2コンビを起用しました。また、得点源でもある唐山がU17代表でいないことも残念ではありますが、最近得点が増えてきた白井や芝本、あるいは16歳になった中村仁郎に期待したいところです。

    ちなみに、U23の試合でもスタジアム内の飲食店は一部が開いていて、J1の試合だといつでも行列が出来ている店でもすぐに買えるのはJ3ならではですね。

    そのJ3でのU23チームの参戦について、来年どうなるのか情報がまだまだ出てきていないのですが、先日こんな記事がありました。

    若手育成へエリートリーグ J20年から導入へ
    https://www.nikkansports.com/soccer/news/201910180000123.html
    また若手育成のために創設するリーグ戦の名称が「Jリーグ エリートリーグ」に決定。導入時期を21年から20年に変更し、現時点で11クラブが参加を希望していることが確認された。

    これ以外の情報が最近は出ておらず、同じ日刊スポーツの9月の記事では

    J若手育成でU21リーグ案 全クラブから参加募る
    https://www.nikkansports.com/soccer/news/201909120000013.html
    Jリーグ実行委員会が11日、都内で行われた。若手育成のため21年から「U-21リーグ」を創設する案が検討され、J1~3の全クラブから参加を募った。
    21歳以上も出場可能で、全国を4ブロックに分ける形などが議論された。来季から導入予定の施策では、21歳以下の選手を起用して一定の出場時間をクリアすれば奨励金が出る制度も新設する。

    こんなことが書いてありました。ミソは「全クラブ」というところで、今U23チームを出しているFC東京・G大阪・C大阪も含まれるということです。となるとU23チームがエリートリーグに異動することになると考えた方が良さそうですが、メディアに出てくる情報が少ないのでまだよく分からないですね。

    さて、こんな風に今日の試合自体の感想になかなか入らないというか、あんまり書く気がしないというか、それは結果を見れば分かるのですが、

    https://soccer.yahoo.co.jp/jleague/game/score/2019102716

    ラスト10分の守りに問題を抱えているような試合展開ではありますが、そもそも前半16分、エリア内でのがっつりハンドを主審に見逃してもらっていますから、前半からあんまり試合自体良くなかったですね。

    後半は始まったところから良い感じで攻め続けていて、その中で中村のゴールが決まりましたからそこまでは良い展開でした。ちなみにこの中村のゴールも主審が自身で判断できず、ラインズマンに確認しにいってようやくゴールとなりましたから、前半のハンド見逃しも含めてどうかな、とは思うジャッジでした。

    その後もガンバがチャンスをつかみますが追加点を奪えなかったことが敗因といえば敗因でしょうね。GKの谷は良いセービングを見せていたのですが、不運な同点ゴールと見事な直接FKで逆転負けしたのは悔しいでしょう。

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    スタメン11人中6人がユース年代ですからエクスキューズになるかも知れませんが、それはセレッソも似たようなもので、一番怖いはずのOAの澤上が交代してからの逆転負けなので、OAやら年齢による敗戦とは言えないでしょう。

    U23の方はなかなか勝ちに恵まれない状態に陥っていますが、何とかあまり順位を下げずにシーズンを終えたいですね。

  • とりあえず動いてみることが出来ない人間が自省を込めて語る「とりあえず動いてみる」ことの大切さ

    人によってこれほど難易度の差があることもあまりないのではないか、と思いますが、「とりあえず動いてみる」ことが出来る人と出来ない人はかなり度合いの差が激しいのではないかと思います。

    私自身は「出来ない人」の部類に入ります。

    何かの問題に直面した時や、考えを実行に移す時にすぐに動ける人を見ると感心というか羨ましくも思います。逆に自分がそういう場面では色々と考えてしまい、すぐに動くことが出来ません。

    もちろん、すぐに動く人がいつどんな時でも正しいとは限りませんので、どちらの立場も一長一短なのだと思いますが、人は自分に無いものに憧れるものです。

    そうはいっても、すぐに動く人を見ると
    「もう少し考えてからの方がいいんじゃないか」
    「もしダメだったらどうするのか」
    「他の人の意見も聞いてみたら」
    とか内心では思ってしまいます。単純な憧れだけではなくて、自分ならこうするのに、という思いも入り混じった複雑な感情が出てきているのだと思います。

    ただ、動かなければ変わりません。動かないことによるメリットとデメリット、すぐに動くことによるメリットとデメリットを比べると、おそらく動くことのメリットが一番大きいはずです。そうでなければそもそも人類は進歩してこなかったはずです。

    https://hrsgmb.com/n/nf994bf94cba0

    以前に書いたこのnoteで取り上げた、人類史上に残る偉大な発明は、誰かが動いた結果です。
    「〜〜なんて無理だ」
    という考えしかなければ何も生まれなかったはずです。

    維持するには動かない方がいいケースもありますが、何かを生むには動くしかありません。そんなことを考えると、やっぱりすぐに動ける人が羨ましいなあと思いますが、すぐに動ける人はそもそもこんなことを考えて動かないんですよね。この時点からもう大きな差がある気がしてしまいます。