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  • 聖火ランナー辞退はそれほど騒ぐべきでもない

    ここに来て、芸能人・著名人の聖火ランナー辞退のニュースをよく見かけるようになりました。聖火リレーが始まり具体的なスケジュールが確定したからか、スケジュールの都合が合わないという理由での辞退もあります。

    少し前の森喜朗氏の失言で辞退した人もいましたし、新型コロナウイルスの感染防止対策にならないために辞退する人もいますが、誰にとってもおそらく言わないけれど理由の一つになっているのは、聖火ランナーをしても得にならないことではないでしょうか。

    こういう仕事で多額のギャランティが出るとは思いませんが、少なくとも名誉なことでタレントとしてのイメージアップにつながるという理由で、本人もしくは事務所側が仕事を引き受けた面はあったと思います。

    そもそも聖火ランナーみたいな公的なイベントへの芸能人利用なんて、イベントとタレントの双方の知名度を生かしたビジネス上の付き合いです。

    公的なお堅いイベントに、人気のある芸能人や有名なスポーツ選手を呼ぶのは、その人物を通してイベントや主催者組織のことを知ってもらうこと、好感を持ってもらうためです。

    逆に芸能人側にしてみれば、そういう公的なイベントに参加することで芸能人としての格が上がります。大したギャランティが出なかったとしても、プロフィールには載せられるし、マスメディアでも取り上げられます。

    主催者は出演者の人気を利用するため、出演者は主催者のイメージを利用するための打算的な取引です。もちろんこれ自体は特に批判することでもありません。

    しかし、どちらかが何かをやらかせばこの関係は壊れます。

    イベントの主催者が、不祥事を起こしたタレントの出演を拒否したり、タレント側が自粛して辞退することは良くあります。具体例をアレコレ書いてしまうといろいろアレですが。

    逆に、イベントの方で不祥事や何らかの問題が起きたり、主催者の法人や代表が犯罪とかで捕まったりすると、同じようにこのつながりは無くなります。

    今回の五輪聖火ランナーの辞退も似たようなものです。辞退した人に対してあーだこーだ誹謗中傷するのもおかしいです。やらかしたのはイベント側の方ですので、タレント側が離れるのは変なことではありません。

    逆に、聖火ランナーをあえて行う人に対してあーだこーだ言うのも無理があります。偉い人の失言や感染対策などのマイナスイメージを覚悟した上で、五輪やスポーツのため(裏では公的なつながりのため)にタレントブランドを差し出して仕事をしているだけの話です。もちろん、純粋に聖火ランナーをしたいという人だっているはずです。

    政府が絡むイベントに対してアクションやリアクションを起こした人に、政治的な観点から非難をしていたら切りがありません。芸能人が辞退した枠に、本当に五輪のため、スポーツのためを思って走る一般人が入るのであれば、それで良いじゃないんですかね。

  • 誰が国民の首に「間接税増税or移民導入の二択」という鈴を付けるのか

    先日、さらっとした感じで、消費税15%への増税があるかもというようなニュースが流れていました。

    週刊ポストだけが報じているようですし、特に内閣も財務省も公的に言及しているわけでもない話ですので、特に話題とする必要も無いのかも知れません。

    15%反対派がリークして問題を大きくしようとしているのか、あるいは賛成派が観測気球としてリークして反応をうかがっているのか分かりませんが、現在の10%からするとかなりの増税になりますので、うかつに公的な立場にある人が発言したらとんでもないことになりそうです。

    かつてIMFが日本の消費税は2030年までに15%に上げる必要があるという報告書を出したことがありましたが、そもそも誰だって増税は嫌です。増税せずにやっていけるならそれに越したことはありません。

    先年の10%への増税も、数ヶ月後に新型コロナウイルスの問題が出てきたことを考えると、とんでもないタイミングで実行してしまったことになりますが、後から言ってもどうしようもありません。

    ただ、今後の日本社会は人口が減少していきます。それにつれて就労可能人口も減っていきます。年金受給年齢の引き上げと企業定年の廃止は、労働人口の減少傾向を考えると仕方の無いことです。

    労働人口が減れば所得税も減ります。地方自治体に入る住民税も所得割額の部分が減ります。そう考えると、所得税という直接税中心の財政は厳しくなります。人口構成が少子高齢化が加速していく以上は、消費税等の間接税に頼らざるを得なくなるのは火を見るより明らかです。

    消費税なら人口減少に耐えられるのか、という問題もありますが、所得税よりはマシというか、やりようによります。今のコロナ禍では難しいですが、外国からの観光客も消費税を支払います。

    もちろん、輸出品扱いされるような、免税店での購入時には消費税は課されませんが、飲食・宿泊・交通といった日本国内で完結する経済活動には消費税が課されて、外国人が持ち込んだお金が税金として政府・自治体に入ります。

    また、その外国人観光客が落としたお金が法人・個人の収入になって所得税・法人税にも回ります。

    人口減少による税収減少のペースと、外国人観光客がもたらす税額増収のペースのどっちが上回るのかが一番の焦点となりますが、人口減少による税収減をどこかで何かで補わないといけないのは間違いないです。

    最も、人口減少分を外国からの移民によって賄うのであれば消費税は増税する必要も無いかも知れません。移民によって労働人口が減少せずに済むのであれば、所得税もそんなに減らないことになります。

    移民を入れて所得税収を維持するか、観光客に頼って消費税で賄うかという二択になりますが、移民を入れない場合は、さらに少子高齢化による社会保障費の増大分もどこかから持ってくる必要があります。

    じゃあ移民を大量に入れれば解決するのかというと、移民が日本社会に入って経済を回してお金を生み出す側になるまでには時間も労力もかかります。やり方を間違えれば手厚い社会保障のフリーライダーを大量に生み出してしまって、かえって財政状況が悪化する可能性だってあり得ます。

    国民皆保険制度や年金制度も少子高齢化がこのまま進めば、どこかで現状の水準は維持できなくなります。どこかで抜本的な改革が必要ですが、それだって言及しただけで政治家は政治生命を失いかねません。移民を大量に入れるなら保険や年金で元々の日本人との差が生まれることの問題もありますし、かといって差を無くすとそのサービス目当てでタダ乗りするために来る移民が殺到するでしょう。

    増税にしろ保険にしろ年金にしろ、変えようとすると大騒ぎになるのは目に見えています。民主主義国家では選挙のことを考えると手を付けられない、とも言えますが、強権政治の代表格であるロシアのプーチン大統領でさえ、年金制度の変更で反対運動が起きて支持率が下がっています。

    まあ、プーチンの場合は誰かをスケープゴートにしてしれっとやり過ごせるかも知れませんが、まともな選挙制度が存在している民主主義国家だと難しい問題です。

    ひたすら人口も経済規模も拡大していった戦後社会が曲がり角を迎えて、これからは何を選んで何を切り捨てるのかという選択の時代に入りつつあります。

    選択肢を増やして総取りしていけば良い時代は過ぎ去りました。20世紀後半の競争社会は厳しいものでしたが、これからの21世紀は選択していく社会となっていきます。選択されなかった側がどれだけサポートを受けられるか。それが少なすぎれば国内の分断が大きくなります。貧富の格差は積極的に狭める努力が必要であり、放置すれば勝手に広がります。それこそ、革命という名の究極の選択肢だって、数十年後にはまっとうな意見に成るかも知れません。

    今後の政治家・官僚・社会運動・有識者・企業といった国家を作っていく人たちは、どういう選択肢を取るでしょうか?

  • 今さらながらファミコンミニを購入した話

    発売から4年半も過ぎて購入しました。少し前に楽天ビックでのセール情報をちらっと見かけた時に、そう言えば発売時に欲しかったけど買わなかったなー、と思いだしたので衝動買いしてしまいました。

    届いて見るとパッケージも昔のデザインを再現しているんですね。

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    懐かしいです。オッサンホイホイですね。子どもだったのでRF端子に接続なんか当然出来ず、父親にやってもらいましたが今から思えばすごい仕組みのゲーム機ですね。

    収録ソフトはこんな感じ。本当に今さらの情報ですけれど。

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    バルーンファイトは家族でも友達でもひたすらハマって、ついにコントローラーが壊れた記憶があります。初期型のファミコンはABボタンが四角くてゴム製だったかな。形が違うんですよね。四角のボタンが四角の穴に引っかかってしまうのです。

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    懐かしいけれどアレがないコレがないという願望はどうしても出てきます。誰にだって欲しいソフトはたくさんあるでしょうし、開発陣だって揉めたかも知れません。

    まあこれでしばらくは楽しめそうです。今さらレビューを書こうとは思いませんが、発売時の品薄の中、意地でも購入しようとはしなかったので数年経っての体験というのも珍しいでしょうか。

    購入出来るネットショップをいくつも貼り付いてチェックするとか、あるいは転売ヤーによって釣り上げられたネットオークションで買うとかは信条としてはしないので、流行にがっつり遅れることはままあります。

    ただ、流行に乗っていくのもそれが目的でなければ疲れるでしょうし、こんなんでも良いかなとは思っています。

    とりあえずはこれで数年は楽しめるはずです。というかもはや反射神経が衰えたオッサンにとっては、魔界村とかクリア出来る気がしません。アトランティスの謎を攻略情報無しでクリアしようとしたら、生きている間には多分無理でしょう。久し振りのスーパーマリオブラザーズが1−3でゲームオーバーしたことに衝撃を受けました。

    ブラウン管テレビ以外につないだファミコンの画質には慣れないですが、大きな液晶画面につなぐとドットが強調されてかえって読みづらいですね。ブラウン管に合わせた作りなのでしょう。開発環境だってブラウン管なのですから当たり前ですが。

    そう思うと、今のゲームは中身の進歩・進化だけではなく、今の表示技術に合わせての作り込みも必要であって、小さな液晶・大きな液晶・有機ELあるいは4:3、16:9、21:9など様々なディスプレイも考えないといけないのは大変でしょうね。

  • ロシア:欧米=秦:韓魏趙燕斉楚?

    バイデン大統領の登場により、アメリカとEUの連携は復活しそうです。ただ、EUという組織と、ヨーロッパ各国とは異なる外交をすることがあります。

    それが顕著なのは対ロシア外交です。事実はどうあれ、ロシアと対立するウクライナにおける権益に息子が関わりのあるバイデン大統領が、ウクライナを見捨てることはないでしょうし、東方拡大によって巨大化してきたEUがウクライナ・ベラルーシなどへのロシアの影響力排除を指向するのも変わらないでしょう。

    その一方で、EU内で最も影響力のある大国であるドイツはそこまでロシアと対立するつもりはありません。

    ロシアとの天然ガスパイプラインが必要なドイツにとって、ロシアとの決定的な亀裂を作るわけにはいきません。原子力発電を止めたドイツは、供給量が不安定なクリーンエネルギーの穴埋めに、CO2排出量が比較的少ないガス発電は欠かせない発電方式です。

    フランスや北欧諸国はロシアにおける人権問題、特に野党指導者ナワリヌイ氏の拘束に対する非難を強めています。まあフィンランドやスウェーデンという隣国は、そもそもロシアと安全保障問題において、過去も現在も未来も対立する地政学上のポイントがあるので、擁護するわけがありません。あと、フランスも人権問題では譲ることは国是として難しいでしょう。

    その一方で、ドイツは経済的つながりの強い中国に対して人権問題で及び腰であるのと同様に、ロシアに対してもパイプラインという弱点があります。

    かつてはトランプ大統領が原因となって米欧の連携弱体化が起きましたが、ドイツもその原因になりかねません。

    EU全体での行動については全会一致が原則ですので、ドイツが公式なり非公式なりに対ロシア問題で消極的な態度を取ると、ロシアにとってはヨーロッパ諸国はやりやすい相手になるでしょう。

    ロシアにしてみれば一番嫌なのは、アメリカとEUが対ロシア外交・安保で一体化して立ち向かってくることです。逆に言うと、アメリカ・EU・欧州各国がそれぞれバラバラな立場でロシアと対応してくるとやりやすい相手となります。

    まるで古代中国戦国時代の後半で、後に統一する秦とそれ以外の六国との合従連衡の関係性のようにも思えます。

    「合従」とは、秦以外の六ヶ国(韓・魏・趙・燕・斉・楚)が連合して、強大になりつつある秦に対抗しようという考え方で、
    「連衡」とは、秦が六ヶ国それぞれと一対一の関係を作り、どちらもそのまま国を維持しようとする考え方です。

    短期的には合従派が強大となり、六ヶ国が同盟することもありましたが、その後の歴史が示すように秦が各国を一つずつ撃破していって当時の中国を統一したという結果となりました。

    なぜ六ヶ国の連携を続けて強い秦に対抗しなかったのか? と思ってしまいがちですが、当時は当時でそもそも自国の維持が精一杯だったでしょうし、結局は後知恵です。同盟が常に一つにまとまっていられるというのはかなり難しいことです。20世紀後半の東西冷戦時代での西側諸国においても、ずっと良好な関係と言えたのは米英・日米関係くらいでしょうか。フランスは結構西側諸国の中でも独自路線というか、普通にアメリカと揉めたりもしてましたし。

    さて、ロシアは欧米諸国の連携の乱れを突いて各個撃破出来るでしょうか? 撃破と言っても直接的な全面戦争がこの時代に起きるとは思えませんが、戦争まで行きたくないと相手側に思わせて譲歩させたら勝ちです。

    EUとして結束しているならまだしも、各国が分裂してそれぞれで対抗しようとすると、合従連衡のようにロシアの影響力を跳ね返せないかも知れません。

    EU一番の大国であるドイツの牙が抜かれたらEUはガタガタになりかねませんが、アメリカがというかバイデン大統領がどこまで対ロシア連合を続けていけるかという4年間になるでしょう。

    六国合従を打破して中国を統一した秦(統一後は秦帝国)は、始皇帝死後に崩壊しました。ロシアがヨーロッパを統一するとは思えませんが、ロシアが今の強権体制を拡大していったとしても、東西冷戦崩壊の歴史と同様に、結局は維持できないでしょうね。

    ちなみに、プーチンが大統領に就任したのは49歳で、秦の始皇帝が亡くなったのも49歳でした。特に関係はありませんが。

  • 本の読み方と売り方

    読書人口の減少や出版不況・書店不況はかなり長い間続いています。

    昨年はコロナ禍の影響があったものの、鬼滅の刃に代表される(というかほぼそれ)コミックの大盛況により、前年度比プラスだった月が多くあったそうです。

    ただ、そうはいっても長期的な傾向は変わらず、鬼滅の刃のような社会現象になるレベルの大ヒット作品が毎年出てくるわけもないので、そうは苦境を脱せないでしょう。

    もちろん私も本は読むので、出版業界が衰退を食い止めてほしいですが、読書嫌い・読書しない層に対してのアピールにはまだまだ問題があるのではないかとも思います。

    本を読みたくないと拒絶している人に無理に進める必要はないでしょうし、学校の読書感想文のように義務付けたところでさらに嫌われるだけです。

    嫌いな人と好きな人以外にも、読書してみようかなと思っているけど、何から読んでいいか分からないとか、読んでみようとしてみてもなかなかページが進まないという人もいます。

    興味はあるけど踏み込めない人というのは、多分どんな趣味の分野にもいますが、そういう層にもちゃんとアプローチしていってこそ、ユーザー人口を増やしていけるのだと思います。

    現在の読書離れを嘆く意見や、本の楽しさや読書の重要性を訴えるコラムやらエッセイやらは、当然ながらそもそも読書好きの人たちから発せられるものです。

    また、書店や出版社が仕掛ける販売戦略も、どうしたって買ってくれる人をターゲットにしてしまいます。

    ただ、これまでも読書を当然としてきた人にフックする広告・営業ですと、これから読書を始めたい人に刺さったとしても、その後が続かないのではないでしょうか?

    いわばマニア・オタクだけを相手にしているようなものです。ニワカを置き去りにしているというか、ニワカからマニアに移行する道筋が出来ているかどうかと気になってしまいます。

    マニア・オタクだけを相手にしてニワカを無視した業界は衰退していきます。マニア層の自然減を補えるだけのニワカからマニアへの移行者数が存在しないと、その分野の人口は減っていくことになります。

    読書しても続かない人にとっての悩みを解決するような対策も必要でしょう。電子書籍はその一つの解決策のはずですが、長年の本好きを自認するようなマニア層はどうしても紙の本の良さを喧伝して電子書籍の問題点を指摘しがちです。

    だから読書嫌いが増えるんだよと言いたくもなりますが、それはともかく、例えば短い本・薄い本などで読了する楽しさを知ってもらうとか、何かの本を読んだ次に読む本を薦めるとか、個人やSNSレベルだけではなく、業界全体で取り組んだ方が良いんじゃないでしょうか。もちろん、もう既にやっているのかも知れませんが。

    また、出版社・書店にとっては認められないかも知れませんが、そもそもたくさんの数の本を読むことが本当にその人にとって良いとは限りません。

    多読が好きな人もいれば、ただ一冊の本を大切に何度も読む読書好きだっていてもいいでしょう。

    一生に残る一冊を見つけること、何度も繰り返し読める本を見つけることを目的とするのもいいのではないでしょうか。

    紙だろうと電子書籍だろうと、そういう心に決めた本があるのであれば、生き方なりなんなりに迷ったときでも立ち戻ってやり直せる場所になるはずです。それこそが読書の神髄なのではないでしょうか?

  • 自動翻訳しやすい日本語の書き方が必要な時代が来る

    GoogleChromeやGmailを使っていると、英語で書かれたページやメールを表示したときにその画面上で日本語に翻訳することが可能です。

    ざっくりした大意を掴むだけなら、正確ではない自動翻訳で十分なのでしばしば利用するのですが、そんな楽をしているとますます英語が出来ないままになるのはまあ覚悟しています。

    ただ、自動翻訳に向いていないようなトピックの場合、大意を掴むのも大変な時もあります。例えばサッカーの記事であれば特有のサッカー用語が正しく日本人向けのサッカー用語に翻訳されることは稀です。多分どんな分野でも深い内容になってくると自動翻訳の精度はまだまだでしょう。

    特有の用語だけではなく、英語と日本語での言い回しが大きく異なるような場合も翻訳というのは難しいものです。逆に言うと、翻訳しやすい英語で書かれている文章は、当たり前ですが自動翻訳した日本語文章も非常に読みやすくなります。

    これは英語から日本語に訳す場合の話ですが、日本語を英語に訳す時も同様です。日本語も構造的に分かりやすい書き方をすれば、自動翻訳後の文章も相手方に分かりやすくなるはずです。

    日本語に達者な人同士でのコミュニケーションで用いられる日本語文章では、翻訳しやすさなどを考慮する必要は毛頭ありませんが、自動翻訳された文章を日本語利用者ではない人が読む前提があれば話は変わってきます。

    これから日本国の人口は減っていきます。他の言語に比べると日本語は、利用者の数と日本国民の数がほぼ同じという特徴があります。第二言語として利用出来る人も英語・フランス語・スペイン語などと比べるとはるかに少ないでしょう。実質、日本国人口の減少は日本語話者の減少と同義です。

    もちろん、日本語と同様に英語やマンダリンを使えるのであれば、将来的にもグローバル社会で問題なくやっていけるでしょうけれど、そうでない日本人にしてみれば日本語だけしか使えないディスアドバンテージは、年々増えていきます。

    そこで自動翻訳ですよ、となります。自動翻訳が進化しまくって分かりづらい日本語でも完璧に他言語に訳してくれるのが先か、日本語だけしか使えない人が死んでいっていなくなるのが先か分かりませんが、その途中では完璧ではない翻訳結果で相手に意思を伝える必要が出てきます。

    そうなると自動翻訳後の結果を類推しながら、翻訳しやすい・されやすい日本語で話したり書いたりすることもあり得ます。

    そういうときが来たらそれはそれでしょうがないのですが、問題は日本人が日本語を論理的に学ぶ機会というのがそれほど無いことです。義務教育期間で学ぶのは「国語」であって「日本語」ではなく、文法に割く時間は少なく文章読解が大前提の学習です。英語では文法ばかりしすぎることが長年批判の対象になってきて、ようやく最近、ヒアリングやスピーキングが重視されるようになりましたが、国語(日本語)の改革はあまり必要とされていないようです。

    日本人が日本語を構造的に組み立てて使用する、ということは必要とされてきませんでした。お互いに日本語を深く理解していて、行間も含めて言うこと書くことが相手にほぼ正確に伝わるからこそ、そのような状態が長く続いてきたわけですが、今後人口が減少して日本語から他言語に翻訳して伝える必要が出てきた場合は、そんなことも言っていられません。

    どのように日本語を書けば、話せば相手が理解しやすいか、翻訳しやすいかということは、今後の日本語教育と日本社会において重要になってくるのではないでしょうか。

  • FLEXISPOTのEG1という電動式スタンディングデスクを初めて使うレビュー

    ある日、到着していました。

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    その一週間くらい前に、FLEXISPOTさんから無償サンプル品の提供のお話をいただいて、送っていただいたものです。この春の新製品、EG1という型番のホワイトと、天板もホワイトで揃えていただきました。

    スタンディングデスク EG1 (電動昇降式)
    https://flexispot.jp/eg1.html

    メーカーホームページで他の製品と見比べれば分かりますが、アラーム機能、ロック機能、障害物検知機能がありません。とは言っても、電動で昇降することそのものは変わりません。非常にシンプルなリモコンですし、廉価なモデルらしさがありますが、とりあえず昇降デスクを試してみたい!という人にはいいんじゃないでしょうか。他メーカーよりも安いFLEXISPOTといっても最上位機種はそれなりのお値段がします。3万円くらいで手に入るというのは、電動式スタンディングデスク初心者にとっては財布に優しく良い商品だと思います。

    このFLEXISPOTの特徴としては、天板と脚部が別々に手に入ることでしょう。ブログやYouTubeでレビューを出している人は、たいてい純正の天板ではなく自分でホームセンターやネットで購入して、塗料やワックスやニスを塗って丁寧な仕上げをして載せていますが、そこまでのこだわりがない私は、純正品の天板を選びました。

    将来的に、もっと大きめの天板が欲しくなったら変えるでしょうけれど、とりあえずはこれでいいかな。

    スタンディングデスクは前々から欲しいなと思っていましたが、10万円くらいするものと勝手に思い込んでいましたので、この値段は知らない人には衝撃ではないでしょうか。

    スタンディングデスクの真似事として、普通の机に段ボール箱を載せて、その上にキーボード、ノートパソコンなどを載せて、超簡易的スタンディングデスクを試したこともありますが、面倒かつ不便ですので数回もせずに諦めます。多分似たようなことを試している人もいるでしょう。

    ちなみに、今回のレビューについては、私自身が初めての電動式スタンディングデスクの利用ということで、他の製品との比較は出来ません。あくまで、中年の中肉中背、170cmの身長と、まあまあな体重を持つオッサンにとってのレビューです。私の在宅勤務の頻度は、出勤と半々くらいです。毎日ずっと自宅で仕事している人は、昇降の高さを記憶できる機能がある上位製品を購入した方が良いでしょうね。

    この度、組み立てる前に色々な方のレビューも拝見しましたが、どのレビューにもほぼ共通しているのが、「重い」ということ。私に届いた2個口の内、脚部が入っている方は21kgでした。天板の方は重さの記載はありませんでした。

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    とりあえず開封。まずは脚を組み立てます。イスのキャスターが床を傷つけないようにマットを敷いていますので、その上に並べていきます。

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    また、前の机を隣に置いて、ネジや工具類の置き場にします。

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    日本語の説明書が付いているので安心です。

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    脚部の組み立て一応終わり。それから天板開封。純正品の天板なので、一部は既に穴が空いています。

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    逆さにして脚を取り付けます。

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    天板と脚部がくっついたらひっくり返します。中年のオッサンに限らず、ギックリ腰には注意しましょう。

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    ひっくり返したらプラグをつないで動作確認。

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    ここまで上がります。一番低いところでも、前まで使っていた机よりも高いので、高さを変えられないイスを使っていると使いづらくなるかも知れません。この辺は、事前にスペック表をちゃんと見てイメージが必要ですね。

    前の机ではMac miniをカゴに入れて机の下に磁石付きフックで天板裏面の金属フレームにぶら下げていました。四角いカゴの四方にフックが綺麗にハマるサイズの金属フレームがあったので良かったのですが、今回のEG1の金属部分には上手くカゴを留められなかったので、とりあえず机の上にMac miniとSSDとHDDを両面テープで貼り付けています。これで昇降の際に動くこともありません。

    後は前の机と同じように、クランプ式のモニターアームを取り付け、クランプ式のUSBハブも取り付け、USBケーブルのホルダーも取り付けると、机の上は完了です。

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    モニターアームの台座にあるのはダイソーで買ったスピーカーです。これも両面テープで留めているので昇降させても落ちることはありません。

    後ろや下のケーブルがとんでもないことになっていますが、綺麗にする気力も体力もないので今日はこのままにします。

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    以前にnoteで、地震対策にモニターアームが有効だと書いたことがありますが、昇降デスクでもモニターアームで固定した方が良いと思います。

    https://hrsgmb.com/n/ncdf13883f530

    このEG1は昇降してもあまり揺れませんが、高く設定しているときに地震で倒れたらまずアウトです。飲み物も置いてみましたが、細長いグラスなどでなければ大丈夫でしょう。

    実際に使ってみると、高くしたときにキーボードを使用すると揺れます。マウス操作・トラックパッド操作では揺れません。キーを打つにしても数回のキータッチなら大丈夫ですが、こんな文章を打ち込んでいるとモニターが揺れます。もちろん机ごとグラングラン揺れるような感じではありません。キーボードや打つ力、モニターアームの特徴によっても差が出てくると思います。

    座っているときにはヒジだけイスの肘掛けに載せて、前腕の中途から机に載せてマウスやキーボードを操作するタイプなのですが、立ちながらだとヒジが自然と曲がって肘掛け無しで手を支えることが出来ます。立ってキーボードを使う経験がほぼ無いので、まだ無駄に力が入っている感じはしますが、慣れれば数十分は継続して仕事も出来そうです。

    もともと、120cmx60cmのサンワサプライのデスクを使っていましたので、今回の電動式スタンディングデスクも天板は同じサイズを選びました。

    団地間だと一畳は1.44平方メートルですので、120x60サイズが2つ並ぶとちょうど一畳と同じ面積になります。

    新しい机と前からある机を真横に並べると、240x60というインパクト十分な広さ(というか長さ)になりますが、もはや飲食店のカウンターです。長いのも良いかもしれませんが、途中で支柱があるのでスムーズに移動出来ません。そもそもこんな使い方する人いないでしょう。家族ゲームか。

    L字に並べると、短い部分が60cmx60cmになりますので、L字っぽくありませんが、とりあえずはこれでやってみましょう。

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    年に数回しか使わない、10年選手のbrother複合機の存在感が半端ありません。プリンタと壁の間に見える黒いのはnasneです。有線LANハブは磁石で古い机の方の金属フレームに付けています。

    机が二つになったことで、団地間の一畳に匹敵する広大なデスクスペースを手に入れることが出来ました。

    パソコンのメモリの概念を説明する際に、机の広さを例えることがありますが、メモリが多いとPCの負荷に余裕が出るように、机が広いと仕事や作業にも余裕が出ますね。

    私は元々あった机も使いますので、今回のEG1に付ける天板はそれほど大きなサイズではありませんが、机一つで広大なスペースが欲しい人は、大きなサイズの天板を用意するべきですし、その天板を昇降させるなら、脚部だけ変えるFLEXISPOTは願ったり叶ったりではないでしょうか。

  • 「綸言汗の如し」という格言はSNS時代にこそ重要

    以前、こちらのnoteで

    https://hrsgmb.com/n/nd9ee0c17dbdf

    夏までにも一波乱ありそうな気もします。

    と書きましたが、まさかすぐに3月中に波乱があるとは中々の五輪になりますね。

    元々は去年3月の話であって、あくまで身内の中での冗談として書かれただけですぐに撤回したものを、今になって暴露されたというのは、内部で何らかの闘争なり抗争なりあったのかも知れませんが、少なくとも運営側が「みんなで一致団結して頑張ろー!」という状況でないことが改めて明らかになっただけです。

    これまた以前noteに、

    https://hrsgmb.com/n/nc8223acc6b43

    こういうことも書きましたが、自分をネタにする自虐ならともかく、赤の他人をイジるのは非常に難しいものです。今回のネタも単純に面白くないとか言われていますが、ネタの系譜的には昔のフジテレビのバラエティがやりそうです。

    そういえば、「王シュレット事件」もフジテレビでしたが、他人をネタにするのは本当に難しいのです。面白い、面白くないという基準とはまた別に、どこまでイジって良いかという基準もクリアしないといけないのですから。

    凄い業績を誇る、偉大なクリエイティブなディレクターであったとしても、クリエイティブディレクターという役職に就いてしまうと、クリエイティブではなくなるのでしょうか。

    ・偉い人が言っているから、これは失言ではない
    ・偉い人が失言したけど、過去の偉業に免じて許そう
    ・偉い人や昔凄かった人でもダメなものはダメ

    人それぞれ、対応は上記3つのどれかになるでしょう。物事の是非はその物事だけで考えるべきか、過去や未来も考慮すべきかという観点で変わることになります。

    ただ、偉い人はどうしたって注目されます。クローズドな状況下での発言すら気を抜くことが出来ないのです。

    「綸言汗の如し」という言葉があります。元々は、皇帝が一度口にした言葉は、訂正も撤回も出来ないから、軽率に発言してはいけない、という戒めです。

    はるか昔、古代の周の時代の成王がまだ若く、さらに幼い弟と遊んでいるときに、桐の葉を与えながら土地を与えよう、というおままごとみたいなことをした時、臣下がその弟に土地を与えて侯に封じるように奏上しました。

    当然、成王は「ただの戯れだ」と言いましたが、臣下は
    「王の言葉に戯れはなく、王の言葉は記録され実行され唄いあげられるのです」
    と答え、弟の唐叔虞は晋の地に報じられました。後に、晋の文公(重耳)を排出する晋の国がこうして生まれたとされています。

    事実はどうあれ、トップの言葉は戯れでもおろそかにはされず、それによる影響大なのだから、冗談や戯れ言だからという言い訳は通用しないということです。

    偉い人でなくたって、言ったらアカンことは言ったらアカンのです。デジタルで発言したらオープンな場でなくとも永久に残るのですから、尚更気をつけるしかありません。

    多分、ここが一番過去との大きな違いになっています。100年前の人も、50年前の人も、今以上に失言はあったでしょうけれど、クローズドな場での自筆のメモでなければ、後に決定的な証拠は残りませんが、今の時代はあらゆる発言・投稿がデジタルで永久に残ります。

    ウェブ2.0時代、SNS時代の前に大立者になった人が、SNS時代になってからやらかすというのは、この歴史的な変化に対応出来ないからでしょう。多分、似たような暴露話は今後も溢れかえるでしょうね。

  • 最高権力者を選べないというか、そもそもそんな人は日本には存在しない

    民主主義における選挙というのは、優れた人、有能な人、ポジションに適した人を選ぶための手段ではありません。選ばれた人がそういった資質を持っているかどうかは、選ぶ前には誰にも分からないのです。

    前任者・現職にいる人なら判断出来るという人もいるかも知れませんが、大半の選挙は現職一人に対する信任投票ではなく、多数から一人を選ぶルールで行われます。その場合、現職以外の人が、現職よりももっと優れている可能性は排除できません。

    選挙によって良い結果が生まれるとも限らないというのは、何度か投票の経験があれば誰にだって自覚できるでしょう。

    各人がそれぞれ、色んな政治家を思い浮かべることができるでしょうけれど、そもそも立候補者という限られた選択肢の中で、あらゆる政治上の問題に的確に対応出来る人間なんているわけがありません。有権者が行うのはいつも究極の選択です。

    たくさん並んでいる、ウ○コ味のカレーとカレー味のウ○コの中から一番マシか、こいつでダメだったらしょうがないかと思う人に投票するしかありません。もちろん、中にはウ○コ味のウ○コだっているわけですが。

    選挙は、もっとも優れた人を選ぶのではなく、あくまで、選んだ事実に関して責任を出来るだけ広く共有するための手段です。

    人が人を選ぶというのは難しいものです。選んだ後に成功するかどうかは実際にやってみないと分かりません。もちろん、資質ある人を選ぼうとするのは当然ですが、選ばれた人が上手くやるか失敗するかについての責任は、選ばれた人以外には選んだ人にしか存在しません。責任があるから、出来るだけ上手くやれそうな人を考えて選ぶのです。

    みんなで責任を持って実行者を選びましょうというのが民主的選挙ですが、民主主義的選挙がない場合は、実行者を選ぶのは権力・財力・軍事力を持っている人です。

    独裁国家であれば独裁者に全てを決める権限があります。だからこそ、国家が上手く行かなくなったときに独裁者が糾弾されて良くて追放悪くて銃殺されることになります。

    お前はこっち、お前はあっち、とトップが顎で指図して決めていく国はいくつか存在していますが、少なくとも日本はそうではなさそうです。民主的選挙が存在していることもその一つの理由ですが、そもそも日本では最高権力者がはっきりしていません。

    最高の「権威」としては、天皇が憲法上でも地位が保証され、首相・国会・外交などで権威的な象徴として存在しています。

    一方で、権力の方は日本の完全無欠のトップは誰かとはっきり言える人はいないでしょう。総理大臣は行政上のトップであり、議会制民主主義ですので国会に対しても大きな権力を握っていますし、三権分立の中で行政が司法に対しても牽制する(その逆ももちろんあります)ことも出来ますが、総理大臣が最高権力者だとすんなりは受け入れることは出来ないでしょう。

    戦後の大半の時期で、自民党総裁が首相であったので、自民党内で総裁選を勝った人が権力者とは言えますが、その総裁選だってかつてのキングメーカー、田中角栄や竹下登の影響が大きかったことは誰だって知っています。

    憲法上は主権在民であって、国民・有権者が国会議員を選ぶことで主権を握っているということになります。これも先の選挙の理屈よろしく、国民全体で権力を薄く広く分け合っているわけで、個人として最高権力者が存在しているわけではありません。

    がっつり決まった純然たる意思決定者・最高権力者が存在しないのは日本の伝統かも知れません。

    かつて戦前・戦中において最高権力者は誰かと問われると、おそらくは昭和天皇なのでしょうけれど、じゃあその昭和天皇が国家の全てを掌握していたかというとそうでもありません。

    満州某重大事件の対応を巡り、時の田中義一首相の弁解に対して叱責して内閣総辞職を招いた後は、明治天皇以来の立憲君主として政治的関与は慎重になりました。それによって戦争責任を究極的には回避できたわけですが、その代わりと言っては何ですが、東京裁判においてA級戦犯が戦争の責任を取らされました。

    ではそれらA級戦犯らが最高権力者だったのかというとそれも難しい話です。開戦時における東條英機について権力はもちろんありましたが、東條に限らず戦前のデモクラシー崩壊後の首相選出は重臣会議の奏薦で決められていました。

    結局、誰か一人が権力を一手に握る状態は日本では普通ではありません。かつて一度も無かったわけではありませんが、それが当たり前とは言えません。結局、複数人で密室でトップを選ぶか、選挙を通じて薄く広く責任を分け合う(実質誰も責任を取らない)形かの二択でした。

    人が人を選ぶというのは難しいものです。選んだ後の結果責任は選ばれた人だけが背負うのはアンフェアでしょう。選んだ人にも責任は及びます。

    だからこそ、選挙で選ばれる政治家は国民の民度を表すのであり、密室で選ばれた限定的な権力者は会議参加者の資質を超えることはありません。

    最高権力者を選ぶ伝統以前に、最高権力者自体が存在しない伝統がある国である以上、トップに求められる資質は実行力よりは調整力になるのは当然でしょうね。

    調整型の首相はこれまで幾人もいましたし、それこそ五輪組織委員長だって調整力が必要だからこの人でないとダメだ、という論理が出てくるのも日本ならではなのかも知れません。

  • ワクチン接種における人命オプション方程式

    先進国ではワクチンに懐疑的な人たちが反ワクチン運動を広げています。逆に途上国では、医療従事者や高齢者に優先的に接種されるところを、政治家やその家族が不当に権力を行使して、先に接種して国民やマスメディアに批判されている状況があります。

    教育レベル、科学に関する理解のレベルなどを考えると、先進国と途上国での反応が逆なんじゃないかと思ってしまいますが、不思議なものです。医療体制を考えると途上国の方がたいていは被害が大きいはずなのですが、ワクチン接種の副反応による被害が軽く見られているのか、それとも、単に人の命の価値が先進国と途上国で差があるのか。

    非道なことに、例えば航空機事故などで亡くなった人の補償として、遺族に渡される金額は、先進国の航空会社と途上国の航空会社では、大きな差があります。その国の物価や経済状況が反映しているとは言え、世界共通の「命の値段」は存在していません。

    人の価値を天秤にかけるという点では、ワクチン接種を思考実験のトロッコ問題と同じ向きと考えることもあります。

    多数を助けるために少数を犠牲にするか、多数の犠牲を覚悟で少数を助けるかという点では確かに同じです。

    ただ、多数が絶対に犠牲になるとは限りません。そこがややこしいところです。スウェーデンが失敗した自然な集団免疫戦略とか、あるいは徹底した厳しい管理で国民の行動を制限するとかで、ワクチンがなくてもいずれは収束することは想像できます。新型コロナウイルスによって全員が犠牲になると言うことは考えにくいです。

    その一方で、ワクチン接種にはどうしても副反応そしてその犠牲は防げません。必ず少数の犠牲は出てきます。

    確実ではない多数の犠牲と、確実な少数の犠牲という非対称性があるわけです。

    トロッコ問題というよりも、金融のオプション取引やデリバティブ取引のようです。それらは一般的にマイナス(もしくはプラス)については取引が成立した時点で金額が決まっています。損失が一定限度に留まる一方で、利益は際限ないという非対称性が存在するわけです。

    そうなれば、ワクチン接種によるメリット・デメリットの比較に関して、デリバティブ取引のオプションプレミアムの価格を導き出せるブラックーショールズ方程式(ノーベル経済学賞を受賞)のようなものが存在するでしょうか?

    そんな方程式があったとしても、人の命を計算するという倫理的な問題が出てきますのでそう簡単には使えないでしょう。倫理よりもむしろ一番の問題は、ブラックーショールズ方程式でノーベル賞を受賞したショールズらを集めて華々しく投資を行っていたロングタームキャピタルマネジメントというヘッジファンドが、アジア通貨危機で華々しく散っていったように、現実問題のごくごくまれにしか起きないブラックスワンには対処出来ないことでしょうか。

    そしてまさに今の新型コロナウイルス問題は、ブラックスワンそのものでしょう。

    ワクチン接種のメリットとリスクと、副反応で失われる人命の価値の間に、適切な方程式は存在するか、存在してもそれを運用できるか、運用しても成功するか。

    約100年前のスペイン風邪から、今回の新型コロナウイルスまでの間の100年間は、人命が軽視される大戦争も、イデオロギーによる虐殺も、テクノロジーのとてつもない発展もありました。今はもちろんコロナ対応が最重要ですが、また次の感染症が起きたときに、何らかの方程式を用いて人類は適切な対応が出来るでしょうか?

  • 素人がSPAC(特別買収目的会社)を批判してみる

    アメリカの株式市場ではSPACが大流行りです。特別買収目的会社のことですが、「何かの企業」を買収することを目的として資金を集めて上場してさらに資金を集めてそのお金で未上場の将来有望な企業を買収するための会社です。

    そもそも将来有望な企業自体が独力で上場した方が良いんじゃないの?と思ってしまいますが、上場に当たっては審査が厳しく時間もかかりますし、必ずしも上場で資金調達が上手くいくとも限りません。SPACに買収される場合は、上場企業が買収するので審査も未上場から上場するときほど厳しくなく、またある程度の資金調達が確実に出来ます。

    買収された企業が存続会社として残りますので、実質的にはIPOの抜け道みたいなものです。元々は似たような仕組み(ブラインドプール)で裏口上場した企業の被害が80年代に続出したために認められていませんでしたが、90年代に投資家保護や不正防止の仕組みを整えたことで認められるようになりました。

    投資家保護といってもIPOとはやはり差がありますので、その分の危険性は存在します。SPACに限らず新規上場企業の株価が上下しがちですが、投資家が自己責任の下でSPACに投資する分には問題ないというのが規制当局の見方なんでしょう。一応、アメリカ証券取引委員会(SEC)はSPACに関して何度も警告を出していますけれど。

    ただ、リーマン・ショックにしろドッドコムバブル崩壊にしろ、相場の熱狂下では許されていた資金調達手法やザル審査のIPOも、いざ熱狂が冷めて大暴落を迎えてしまうと、
    「あれは異常だった」
    「許されないことだ」
    「なぜあんなことが認められていたのか」
    とか後知恵であれやこれや非難が巻き起こるものです。危険な債券をまとめたらトリプルA格付けになったサブプライムローンとか、何もしていないドッドコム企業の株価が暴騰していたこととか、時代が変わっても人間は変わらないものだと認識させられます。

    SPACやローン担保証券(CLO)もそのうち非難の対象になるでしょう。欧米から日本の株式市場や企業のコンプライアンスやガバナンスに対してしばしば苦言を呈されますが、痛い目にあったアメリカがまた同じようなネタで相場が盛り上がっているのを見ると日本と大差ないじゃないか、と言いたくなってしまいます。

    日本は隠れて不正をするけれど、アメリカは堂々と不正をしていると言えます。そう言えば、アメリカ政治ではロビー活動という公に認められた賄賂も存在します。公な賄賂というのもおかしな言葉ですが、圧力団体や営利団体が議員に資金を提供して自分たちに有利な法律を作ってもらう(あるいは規制を外してもらう)ということを、アメリカでは衆人環視の元で行い、日本では密室の料亭で密かに行います。

    悪いことだと分かっているから隠れてやる日本と、全てを金で解決する資本主義の権化のアメリカとどっちがマシなんでしょうね。どっちもダメだといったらそれで話が終わりますのでそれは無しにしましょう。

    ただ、アメリカのCLOやSPACには日本の機関投資家も多額の投資をぶち込んでいますので、いざ破裂したときには日本経済にも大きな悪影響が出てしまいます。例え日本がマシだったとしてもアメリカのやらかしのダメージが日本も到達するのが確実なので、アメリカのことをとても見下している場合ではないですね。

  • 梅と桃と大阪城

    大阪城公園に入ると、大阪城ホール付近に卒業式っぽい若者達が。「tsuji」と書かれた紙袋をみんな持っているので、辻調理師専門学校の卒業式でしょうか。昨年の今頃は卒業式も軒並み中止になっていましたが、大阪では緊急事態宣言も解除されて、緊張感がある中でも日常も少しだけ戻っています。首都圏の卒業式はどうなっているんでしょうね。

    さて、城ホールの付近を抜けてから外周コースを右に曲がると、程なくして大阪城公園の桃園に着きます。

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    今のところは咲き始めで、木全体がつぼみばかりのものも多く、これからですね。

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    橋を渡って今度は梅林へ。

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    さすがにシーズンを過ぎてしまったところで、九分九厘散ってしまっていました。

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    もう少しすれば、大阪城のあちこちで桜が咲きほこり、梅も桃も話題から消えてしまうでしょうけれど。

    一見して分かる観光客も増えました。特におそらくは中国韓国からの旅行客であろう集団もいて、この点でもコロナ禍前の普通が少しずつ戻ってきているようです。

    大阪城(大坂城)は誰もが知るように、豊臣秀吉が建てたお城です。その後、滅亡した豊臣家に替わって徳川家の直轄地、天領となりました。

    豊臣家が持っていた期間はおよそ30年だった一方で、徳川家所有の期間は250年に及びます。それでも、大坂城イコール豊臣秀吉、豊臣家というイメージは強いです。建てた人のインパクトが、長く持っていた家よりも強かったわけです。

    その一方で江戸城と言えば徳川家康、徳川家のものであって、最初に建てた太田道灌の城だとイメージする人は少ない、というかまずいません。太田道灌が建てたものと、その後に家康が入った時に大改修したものとでは、大幅に異なっているのでそういうイメージが付いたのかも知れませんが、大坂城だって相当変わっています。

    豊臣家の頃の大坂城は、天守は黒漆塗りで黒さが目立ったはずです。その後の徳川時代の大坂城では石垣も堀も作り直し、天守の壁も白くなりました。さらに天守は17世紀半ばに火災で崩れ落ち、以降昭和まで大坂城に天守はありませんでした。今の天守は大阪市民の寄付で建てられたものです。もはや建っている場所以外は変わっているのですが、それでも大坂城は豊臣秀吉です。

    秀吉と家康のイメージの差なのか分かりませんが、全国各地の有名な城のイメージを調査してみると何か傾向とか出てくるんですかね。面倒なので私はやりませんが。