
大阪城公園に入ると、大阪城ホール付近に卒業式っぽい若者達が。「tsuji」と書かれた紙袋をみんな持っているので、辻調理師専門学校の卒業式でしょうか。昨年の今頃は卒業式も軒並み中止になっていましたが、大阪では緊急事態宣言も解除されて、緊張感がある中でも日常も少しだけ戻っています。首都圏の卒業式はどうなっているんでしょうね。
さて、城ホールの付近を抜けてから外周コースを右に曲がると、程なくして大阪城公園の桃園に着きます。

今のところは咲き始めで、木全体がつぼみばかりのものも多く、これからですね。



橋を渡って今度は梅林へ。

さすがにシーズンを過ぎてしまったところで、九分九厘散ってしまっていました。



もう少しすれば、大阪城のあちこちで桜が咲きほこり、梅も桃も話題から消えてしまうでしょうけれど。
一見して分かる観光客も増えました。特におそらくは中国韓国からの旅行客であろう集団もいて、この点でもコロナ禍前の普通が少しずつ戻ってきているようです。
大阪城(大坂城)は誰もが知るように、豊臣秀吉が建てたお城です。その後、滅亡した豊臣家に替わって徳川家の直轄地、天領となりました。
豊臣家が持っていた期間はおよそ30年だった一方で、徳川家所有の期間は250年に及びます。それでも、大坂城イコール豊臣秀吉、豊臣家というイメージは強いです。建てた人のインパクトが、長く持っていた家よりも強かったわけです。
その一方で江戸城と言えば徳川家康、徳川家のものであって、最初に建てた太田道灌の城だとイメージする人は少ない、というかまずいません。太田道灌が建てたものと、その後に家康が入った時に大改修したものとでは、大幅に異なっているのでそういうイメージが付いたのかも知れませんが、大坂城だって相当変わっています。
豊臣家の頃の大坂城は、天守は黒漆塗りで黒さが目立ったはずです。その後の徳川時代の大坂城では石垣も堀も作り直し、天守の壁も白くなりました。さらに天守は17世紀半ばに火災で崩れ落ち、以降昭和まで大坂城に天守はありませんでした。今の天守は大阪市民の寄付で建てられたものです。もはや建っている場所以外は変わっているのですが、それでも大坂城は豊臣秀吉です。
秀吉と家康のイメージの差なのか分かりませんが、全国各地の有名な城のイメージを調査してみると何か傾向とか出てくるんですかね。面倒なので私はやりませんが。
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