人類が文明を持つ前も、また、文明化した後もずっと、大半の人間が満足に栄養を取ることは困難でした。食料生産と人口増加はほぼ比例していたため、耕作地の増加や単位面積あたりの収穫量が増えても人口はさらに増えてしまい、結局、腹一杯食べられる人の数はずっと限られてきました。
しかし20世紀後半になると、少なくとも先進国では人口増加のスピードが落ちる一方で、経済成長によって食料の確保に困ることはなくなり、むしろ栄養の摂りすぎによる不健康な状態が社会問題となりました。
それまでは、ごく一部の権力者か富豪でないかぎり、消費エネルギーよりはるか多くの栄養を摂りすぎてしまうということなどありませんでしたが、20世紀後半には先進国住民の中に、ダイエットや、栄養を摂りすぎないことや、運動不足解消という目標が生まれました。
太りたくないならただ単に食べる量を減らせば良いだけの話なのですが、人間というのは身勝手なもので、食べるだけは食べたいしヘトヘトになるまでの運動はしたくないけれど太りたくない、という欲望が出てきます。
そのため、「脂肪の吸収を抑える」とか「糖の吸収を遅くする」といった謳い文句の健康食品・特定保健用食品・サプリメントなどなどがヒット商品となる時代となりました。昔の人、あるいは今でも栄養を満足に摂れない人からしたら贅沢な悩みであることは間違いありません。
健康な人というのは、昔ならしっかりと栄養を摂っている人でしたが、今では栄養をほどよく摂っていて運動もほどよくしている人のことを言います。昔と今では健康の定義がかわっているのです。
過度な栄養摂取につながらない飲食物をヘルシーとか健康的とか言いますが、昔なら無用の長物的な扱いを受けていたでしょう。
栄養を摂れないと生きるにも障害が出てくるような環境に住む人にとってみたら、「脂肪の吸収を抑える」とか「糖の吸収を遅くする」効果がある食べ物や飲み物なんて、むしろ邪魔者でしかありません。
そもそも薬は毒にもなるものです。分量によって少なければ薬に、多ければ毒にということもありますが、飲む人の身体の状況によっても変わってくるはずです。栄養不足の人が栄養吸収を抑える薬を服用してはいけないのと同様に、例えば血糖値を下げる効果があるお茶を、糖尿病の投薬治療中の人が飲んでしまうと血糖値が下がりすぎて命の危険があります。
それは極端な例ではありますが、栄養吸収を促進するものと妨げるものを自ら選んで摂取出来るのは、やはり科学が発達した現代でこそ可能なわざです。
現代の平均寿命(平均余命)が歴史上で最も長くなり、世界人口が増え続けているのは、医学の発展や衛生状態の改善、戦争や事故の減少など様々な理由がありますが、単純に栄養摂取に困らない時代になったことがかなり大きな要因を占めているものと思います。
だからこそ、ここまで発展した現代日本において餓死という悲劇が時々ニュースになるのはあまりに残酷な話であり、貧富の格差の是正が広がっている証拠です。ジニ係数を見ても格差の拡大は明らかです。
最近になって中国が習近平思想の一つとして「共同富裕」というスローガンを大々的に掲げています。それを実現するためのプロセスはかなりの無理がありますし、とても理想通りに実現するとは思えませんし、結局は半世紀前の毛沢東の二の舞になるのが目に見えています。
日本でそんな強権を実行する政治家は今のところはいませんが、さらに格差が広がって社会が不安定になれば、強引な無茶をするポピュリストの政治家が独裁権力を掴む可能性が無いとは言えないと思います。
コメントを残す