マスクをする自主性・マスクをしない自主性

ついにと言えばついになのですが、日本政府がマスク着用に関して屋内でも個人の判断でという方針を発表しました。そもそも諸外国のように日本では法的制約をかけていなかったので、マスクを着用しないことを理由だけで逮捕されることもなかったのですが、これでマスクを外して生活することが通常になってくるでしょう。

その分、どうしても新型コロナ及び季節性インフルエンザや風邪などの症状を覚える人も増えるはずです。それはどうしたってトレードオフになるのでしようがありません。

このマスクを巡っては、日本政府の対応が外国より遅れているとか、日本人は同調圧力がどうのこうの、日本人は個性がない・自主的に考えることが出来ないと批判する人はいます。言わんとすることは分からなくはありませんが、外国でマスクを外しているから日本も外すべき、というりくつはそもそも自主性があると言えるのでしょうか?

自分の生命と安全を判断する基準を文化も慣習も制度も法律も異なる外国に置いていることは、果たして適切でしょうか?

今回、日本政府が屋内でもマスクをするしないは個人の判断に任せると認めましたが、じゃあこれまでは任せていなかったのかというとそうでもなくて、マスクをするしないを屋内の施設・店舗などが判断する基準を政府方針として定めたと言えます。

これから、マスクをしている人を非難するような声が挙がれば、それはそれで本末転倒ですけれど、さすがにそんなバカはいないと信じておきたいです。

さて、政府がマスク不要と言ってもどこでもマスクを着用し続ける人は、自主性があるのでしょうか、ないのでしょうか?

マスク批判派はそういう人に対して、自分で判断出来ないコロナ脳とかマスク脳とか言うでしょうけれど、そもそも自分で判断しているからマスクをしているはずです。

お上(政府)が言うことを遵守して、マスクの着脱について政府方針に一喜一憂する人が自主性のある人か?
外国政府の方針を正しいものとアプリオリに考えて、日本政府が根源的に間違っていると考える人が自主性のある人か?

自分で判断していない点で言えば大差ないんじゃないですかね。

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