現代の若者を中心に、「コスパ」や「タイパ」という言葉が日常的に使われるようになりました。コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを重視する考え方は従来は企業戦略、商品開発などに用いられがちでしたが、現代では人の生き方に関して限られた時間とお金を効率的に使いたいという合理的な発想から利用されています。しかし、この効率至上主義の裏側には、見過ごされがちな重要な概念があります。それが「冗長性」です。
冗長性とは、一見すると無駄に見える余分な要素や余裕のことを指します。元々の意味ではネガティブな意味合いが強いのですが、インフラやサーバの世界では、システムの一部が故障しても全体が機能し続けるために、バックアップや予備の仕組みを用意することが当然であり、冗長性があることは望ましいものとされています。これは単なる無駄ではなく、予期せぬトラブルに対する保険であり、システム全体の安定性を支える重要な要素です。冗長性がないシステムの方がヤバイのです。
自然界にも冗長性の原理は存在します。働きアリの約二割の個体が何もせずにいることが知られています。一見すると怠け者、いや怠けアリ?も、実は重要な役割を担っているそうで、働き続けている個体が疲弊したときや、予期せぬ事態が発生したときに、この予備の労働力が活躍することで、コロニー全体の存続が保たれています。普段はサボっていて白眼視されている窓際族が、危機的状況で活躍するんですよ!
さて、この「冗長性が必要」という考え方は、個人個人の生き方にも当てはまるのではないでしょうか。コスパやタイパを極限まで追求し、すべてを効率化した生活は、確かに短期的には最適に見えるかもしれません。しかし、そのような生き方は、まるで綱渡りをしているようなものです。少しでも予定が狂ったり、想定外の出来事が起きたりすると、たちまち崩れてしまう危険性をはらんでいます。
例えば、仕事で必要な知識や技術はもちろんあります。その知識等をコスパ良く、タイパ良くギリギリ必要な分だけ習得していた場合、何らかの理由や原因があってその仕事を辞めることになったとき、別の仕事に必要な知識技術には不足が出てくるでしょう。全く余裕が無いのですから。
余裕のない生活では、病気になったとき、人間関係でトラブルが起きたとき、あるいは社会情勢が変化したときに、対応する余地がありません。ギリギリの状態で回している人生は、一つの歯車が狂っただけで全体が機能不全に陥ってしまうのです。
一方で、適度な冗長性を持った生き方は、予期せぬ変化に対する柔軟性を生み出します。冗長性という、一見すれば無駄、無意味な余分によって得られた知識や経験や技能は、自分の人生に何かあった時に役立つことがあります。人間関係においても、すぐに役立たないように見える付き合いが、思わぬところで人生を豊かにしてくれることがあります。
一切、乗ったレールから外れることなく、無駄なく完璧に必要十分なだけの人生を歩み続ける自信があって、それをそのまま実現できるのであればそれでも良いのですが、そんなことが出来るのは100万人に一人もいないでしょう。
効率だけを追求する生き方は、確かにスマートに見えるかもしれません。しかし、一見無駄に見える冗長性という名の余裕を持つことで、人は予測不可能な未来に対して、より強靭で柔軟な姿勢で臨むことができるはずです。
この意図的な「人生冗長性」は、以前に読んだ書籍ですが、ナシーム・ニコラス・タレブの名著「反脆弱性」にも通じるんじゃないでしょうか。
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