2025年のノーベル平和賞は、南米ベネズエラの野党指導者マチャド氏に授与されました。
そして年が明け、マチャド氏を危険視し弾圧していたマドゥロ大統領がアメリカ軍によって拘束され、ベネズエラの独裁体制はアメリカの武力の元、崩壊しました。
今後のベネズエラがどのようになるかは分かりませんが、マチャド氏にとってはトランプ大統領は母国を救った英雄でもあるのでしょう。彼が熱望してやまないノーベル平和賞を譲渡すると発表し、平和賞のメダルを贈呈したことを発表しました。
当然ながらノーベル賞委員会は譲渡については認めていません。しかし、このことはノーベル平和賞の意義とは何なのかということを考えさせられます。
持っていても現実には平和にならないし、独裁政府から狙われる理由にもなります。いっそのこと、それを欲しい人に譲る代わりに、何らかの見返りを得た方が、現実の平和に近づけるかも知れないとすると、譲渡するほうが賢明かも知れません。
ノーベル平和賞は非常に政治的意図があけすけに見え透いているとよく批判されていました。そもそも「平和」の概念が非常に政治的である以上、それは賞の本質でもあるのでそれをもって平和賞なんか意味がないという理屈も無理があると思いますが、その一方で平和賞を受賞したらなにか世界が変わるのか、という疑問もあります。
1990年受賞のゴルバチョフ氏は、改革により最終的にはソ連の解体、強権的な共産主義体制を終了させたことで西側では称賛されましたが、国内的には非常に不人気になり、ロシア人にとっての英雄の地位はエリツィン、さらに後のプーチンに奪われました。
1991年受賞のアウンサンスーチー氏は、軟禁中ながら民主化の象徴として世界的に注目され、軍事政権による監視はあれど処刑できなくなるメリットを得られました。その一方で後年ロヒンギャ弾圧を巡って平和賞剥奪運動まで起きるほど名声が失墜しました。
2010年受賞の劉暁波氏は、中国共産党政府による非人道的な独裁体制を告発する民主活動家でしたが、当局によるさらなる弾圧を招き、また「孔子平和賞」という謎な賞を設けて西側諸国に対抗する枢軸を結成させました。
ノーベル平和賞を受賞したことで、世界がその人の望むように変わることはありません。賞そのものと同じように、平和的な、言い換えると非実力的な影響力しか無いのです。
マチャド氏にとっての現実を変えたのは、世界一の軍隊とそれを指揮する強権ならぬ狂犬的大統領でした。ベネズエラの独裁体制を破壊したのはノーベル賞委員会ではなく、トランプ率いるアメリカ軍であったことは厳然たる事実です。見方を変えれば、ノーベル賞を譲渡すれば独裁者を打破できるとしたら、現実主義者なら誰だって譲渡するでしょう。それが良いか悪いかは人によって判断が分かれるでしょう。
そもそも、ノーベル平和賞は、2,30年経った「過去の人」や「過去の事件」を元にして、対象者を先行すべきではないでしょうか。
現実の政治家や団体、事件や戦争などについて、歴史的な評価が冷静に下せるようになるには2,30年はかかります。それまでは評価時点でも政治的影響力がまだ残っているからです。
物理学賞や化学賞などでは、学問的価値が定まってから受賞者を決めるため、すでに死去しているケースも多いくらいです。平和賞だけ「今起きている事象」を対象にするからこそ、こういう問題が起きるのだと思います。
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