インターネットが普及した90年代後半以降、知識・情報というものを手に入れるためのコストが急激にかつ右肩下がりで安くなっていっています。
単なる、本を読んだだけで手に入れられるような知識は現代ではたいていゼロ円で得られるようになりました。
その一方で、実際に経験してみないと身につかない情報というものの価値は、前述の知識に比べるとまだある程度の価値は維持しているように思えます。
だからこそ、この、「note.mu」というウェブサービスで有料記事・有料マガジンが売られていて、買う人のお金によって「note.mu」が維持されているのだと思います。
単にネットを漁って得られる知識であれば誰もお金は支払いません。お金を払わないといけない、その記事でないと得られない情報だからこそお金を払う人がいるわけです。
しかし、インターネットがもたらした情報革命は、「情報は知られたがっている」という擬人的な比喩で表されるように、情報の無制限の拡散そのものでもありました。
インターネット普及以前の、情報を得るための障害が多かった時代との違いとして、情報を格段に得やすくなり、情報を得ることが目的ではなく得た情報でどうするか、ということにフォーカスを当てて人類は活動できるようになりました。
そうなってくると、noteという、無料でも公開出来るけれど有料コンテンツの利用者がいないと成り立たないウェブサービス上でこんなこと書いていいのか分かりませんが、課金というハードルを設けて知識や経験を一部に囲い込むのは、人類の将来的な発展を考えると本当に正しいのだろうか、という疑問を持ってしまいます。
誰にでもチャンスあり? 自作ソフトを海外企業に買われたエンジニアの体験談が好評
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1202363.html
この記事を読んで改めて考えた疑問なのですが、ちなみに記事内の元のブログの直接のURLはこちらです。
趣味で作ったソフトウェアが海外企業に買われるまでの話(knqyf263’s blog)
http://knqyf263.hatenablog.com/entry/2019/08/20/120713
こういった経験を積極的に公開するのは、この人自身がオープンソース文化に日常的に慣れ親しんでいるからなのかも知れません。
オープンソースはまさしくインターネットならではの思想だと思いますが、経験を元にした価値ある情報知識はこれからどのように拡散していくのか、有料での提供というビジネスモデルは今後も維持されていくのか。note.muというサービス自体の根幹にも関わると思いますが、どんな未来が待っているんでしょうね。
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