昭和をノスタルジーの象徴とするのは正しいか?

二つ前の元号となるとかなり昔の印象がつきます。私は昭和の生まれですが、大正、明治とさかのぼるともはや歴史の教科書上の話に感じてしまいます。そして今の令和から平成、昭和とさかのぼると古い印象を受ける人は多いでしょう。

昭和の時代にあって平成には無くなっているような商品やサービスを見たときにそのような印象を持つのであれば、それは普通の反応だと思いますが、時代背景がそれほど関係ない物事に対しても昭和とか平成とかレッテルを貼るのはちょっといかがなものかなと思います。

そもそも、昭和という時代は非常に長く、元号としては日本史上最長のものです。昭和は元年がⅠ週間しかありませんでしたが、2年に金融恐慌、3年に満州某重大事件、4年に世界恐慌、6年に満州事変、7年に五・一五事件、8年に国連脱退と続いた歴史があります。その後の日中戦争、太平洋戦争と終戦、GHQ占領から独立、経済復興、高度経済成長、東京オリンピックと昭和前半はめまぐるしい変化がありました。

昭和後半は大阪万博、ニクソンショック、オイルショック、バブル景気と崩壊と日本国内は平和を保ちながら経済的な影響が色濃く印象に残る時代でした。もちろん他にも事件やイベントはいくらでもピックアップできますが、戦後の復興から経済大国になり、80年代には世界経済の覇権をかけてアメリカ合衆国と争うまでに成長したのが昭和後半の特徴と言えるでしょう。

社会が急激に変化し、経済的繁栄を迎える中で古いものから新しいものに作り替えられていくという時代でもありました。当たり前ですが、昭和の時代において新しい文化、製品、サービスに出くわし、かつてのものが無くなっていくことに対してノスタルジーを覚える場合の代名詞は「昭和」ではありません。さすがに昭和50年代や60年代において古い物事とを「大正」的だという言い方はしませんでしたが。

なんで今回このようなことを書いているのかというと、こんな記事を読んだときに引っかかったからでした。

すき家の新型レジに「非常に残念」と客が苦言? 何がダメだと考えているのか
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1911/11/news080.html

ヤフーニュースに転載されていたので読んだ人も多いと思いますが、その中で、

この投稿は、9000回以上リツイートされ、4000を超える「いいね」がついている(11月11日午後1時時点)。また、この投稿者は「昭和な考えが良いとは思わないんですが良き心を持っていた時代なのかなと」「近年になるにつれて日本は合理主義資本主義過ぎません?」ともコメントしている。このように言及されたすき家の新型レジ「セミセルフレジ」とはどのようなものなのか。

とありました。

個人的な感想としては、チェーン店の牛丼屋にそこまで求めるのは酷だし、そもそもお金のやり取りをコミュニケーションと捉えるのも無理矢理な気もしますが、それよりも「昭和」を「良き心を持っていた時代」とか「合理主義資本主義」へのアンチテーゼのように捉えている人がいるんだなあ、と思ったところでこのnoteにつながりました。

前述の通り、昭和という時代は中頃から後半にかけて、急激な経済成長を通じて社会が高度な合理主義・資本主義化していった時代でした。もちろんその頃にはこの記事にあるようなセルフレジなんてなかったですが、自動販売機はあらゆるところに普及していましたし、食券で注文する飲食店も既に存在していました。

駅そば店で長々と店員と話したり、細かい注文をしたり、長居したりする人なんて今も昔もいないでしょう。牛丼チェーン店も「うまい、早い、安い」をスローガンにしていた吉野家が出来たのも昭和です。そもそもさっさと食べて出ていくのが牛丼屋含むファストフード店のはずです。そしてそのファストフード店は昭和の産物であって、心温まる店員とのやり取りの存在自体は時代や昭和などとの関係はありません。そういう店では昔から大してコミュニケーションは無かったですし、お金のやり取りがアナログ的だったのはそれを世詩としていたからでは無く、ただ単にテクノロジーが進んでいなかっただけのはずです。

平成が31年まで続き、令和がどれくらい続くのか分かりませんが、いずれは「昭和」をノスタルジーの象徴として言及する人は減っていくでしょう。ただ、それ以前に過去を美化したり過去と現在の混同を行ってしまえば、かえって現代において無用な対立や反感を招いてしまうと思います。

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