
人間が生きていくには衣食住が必要ですが、現代人にはさらにもう一つ、情報も必要な気がします。
正確には、現代社会において衣・食・住を滞りなく利用するには情報が必要です。前近代的な生活を隔離された環境で営まない限り、何をするにしても情報は必要でしょう。衣食住「情」が現代人には欠かせませんが、欠かせないものであるからといって過剰に受け入れることも問題があります。
衣服を過剰に所有していても京都の着倒れと言われるくらいで、お金がかかるだけです。購入や維持管理の費用や面倒はあれど、かつてフィリピンで権力を奮ったマルコス大統領のイメルダ夫人みたいに国民を搾取して大量の靴を集めていたのなら非難も免れませんが。人一人に必要な衣服なんてたかが知れています。必要量以上は全て贅沢でもありますが、衣服を持ちすぎていることで逆に健康が損なわれるということもありません。
住まいについても同様で、豪邸を多数所有していても、財産にはなれど快適に生きられるとは限りません。複数の家を持っていても一度に過ごせるのは一つの家だけです。一つの家が巨大であっても、その家の中にベッドルームやトイレやお風呂が5つ6つあっても、一度に使用できるのは一箇所だけです。ただ、そうであっても家が大きすぎたり多すぎたりすることで有害出あるわけではありません。
しかし、食事は異なります。食べようと思えば過剰に食べることが出来ます。それは単なる分量だけではなく、偏った食事による栄養過多もあります。過剰な飲食を行えば確実に身体を壊します。
また、食事は次々と入手する必要がある点でも衣服や住居とは異なります。衣服も住居も毎日のように購入するものではありませんが、食料は毎日買うこともあります。長期保存できる食料でもせいぜい数年です。だからといって食い溜めも人間はほぼ出来ません。過剰なカロリーは不要な脂肪になって健康を害します(もちろんある程度は脂肪は必要ですが)。
衣服も住居も適切な量というのはありますがルーズでも寿命に影響はありません。しかし食事はルーズに摂取しすぎると死が早まってしまいます。
冒頭に書いた「情報」は、衣服・住居のようにある程度蓄えることが出来ます。その一方で、食事のように蓄える情報に鮮度がある場合もあります。また、食事同様過剰に摂取することで悪影響が出る場合もあります。
情報の量も問題ですが質も重要ですよね。それは食事も同じですが、質が悪い情報を大量に受け入れるとろくなことにはなりません。デマや不正確な情報、あるいはヘイトや憎悪に基づく情報も摂取して良いものではないです。不要な脂肪が身体に溜まるように、悪い思想が頭や心の中にこびりつきかねません。
現代人は放っておいても大量の情報に晒されます。生きていく上で情報は、必要に応じて量的にも質的にも取捨選択していかないといけない。ただ、身体に悪い食べ物に限って美味しいように、心に悪い情報に限って関心を集めてしまうんですよね・・・。
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