黒船、敗戦そしてコロナウイルスという外圧がもたらす社会変革

俗に日本は外圧が無いと大きく変革できないと言われがちです。

ペリー率いる黒船が来て鎖国が解かれ、敗戦そしてマッカーサーによって大きく変わったと思っている人は結構多いはずです。

ただ、詳細に歴史を調べればそこまで単純ではありません。

幕末で言えばペリー以前にも日本近海にはロシアやイギリス、フランスの船が到来して圧力がかかっていましたし、水戸学の進展・浸透、各藩の財政窮乏や独自の財政政策、幕閣の政争など諸々の前提があってからのペリー来航でした。

昭和20年の敗戦にしても、そこで一気に変わったわけでもなく、元々明治末から大正にかけてのデモクラシーの進展があり、戦時中での国家体制が戦後の経済発展を規定したとする説もあります。

今回の新型コロナウイルスによって、日本社会は大きな変革を求められているのかも知れません。今はそれどころではなく、いかに感染者数や死者数を抑えるか、医療崩壊を回避するか、困窮家庭を救うか、経済を復興させるか、という大問題がいくつも存在していますので、収束した後のことなど考えてはいられませんが、大きく変わるのでしょうか?

働き方改革やセーフティネットなど、必要性は認められるが何か他のものを犠牲にしてまでは導入されてこなかったものがいくつもあります。

働き方改革でいえば、時差通勤・フレックスタイム・リモートワーク・残業削減策などがあります。単に言うと、無理しすぎの労働をしないことです。

セーフティネットで言えば、生活保護の改革(必要以上にもらう人・必要なのにもらえない人の問題)・ベーシックインカムなどです。単に言うと、生活に困らないことです。

自己責任という言葉で全ては個人の問題であり、社会全体や政府・国家が何もかも救うべきではない、という考えが今回のウイルス禍で吹っ飛ぶかも知れません。

自分が責任を取るから好き勝手に外出して飲食して遊ばせろ、と主張しても通らないのが今回の危機的状況です。感染しても無症状な人間が他人にウイルスを伝染させる可能性がある以上、個人の権利は制限せざるを得ません。自己責任と個人の自由の権利がトレードオフではなくなりました。

企業が従業員を無理して働かせても、従業員の自己責任として逃れていましたが、体調不良時に無理して働くことが社会に危機を与える行為になるのであれば、企業の存続に関わる問題に発展しかねません。

セーフティネットの整備を中途半端にして、貧しいのはその人の責任に帰してしまうのであれば、その人は働き続けざるを得ません。それによって感染が広がっては結局国家・政府の責任になります。セーフティネットがあれば無理に働く必要は無いはずです。

もう少し細かい話になりますが、企業が従業員を評価するのに成果主義が必要だ、という考えがバブル崩壊後に生まれましたが、なかなか広がってはいません。結局はデスクワークですら時間単位での給与計算となるケースも多いです。

それでも、会社に通勤してきて上司や同僚の側で働いているのであれば、ある程度成果物のチェックが出来ました。完全成果主義にならなくても評価のしようはあったはずです。

ただ、リモートワーク中心の業務体制になったとしたら、労働時間を管理するのも難しくなります。始業終業はチェックできても、他人が目の前にいるわけではないので、ExcelなりSlackなりを開いたままボーッとしていたり、漫画読んだりしていても分かりません。さすがに外出する人はなかなかいないでしょうけれど、10分くらいだったらトイレに行っていたと言い訳できるでしょう。

ウェブカメラを付けっぱなしにして仕事している様子を上司などがチェックすることも可能でしょうけれど、そこまでやるようなところは嫌がられるでしょう。本人はともかく部屋や家族まで映る可能性があるのでプライバシーの問題もあります。

そうはいっても、ビジネスチャットツールにある在席・離席機能もあんまり使い勝手が良いとは思いません。ついついクリックするのを忘れそうです。

結局、労働時間で業務管理するのではなく、成果物で管理した方が良いと判断する企業も出てくるのではないでしょうか。

リモートで働いている従業員の方ももちろん、サボらないように意識を強く持って仕事をしないといけないですね。

「小人閑居して不善をなす」という状態にならぬように、リモートワーク、あるいは自宅待機や外出禁止の状況下でどう過ごすか、どう生きるか。社会全体だけではなく、個人の変革も生まれるかも知れません。

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