メンター・コーチ・チューター・オンライン授業のAI化と非言語コミュニケーション

日本ではまだ普及し始めくらいですが、アメリカなんかではメンター制度が普及しています。メンターはその名の通りメンタルの部分をサポートするのが主な役目です。その他、似たような立場にはコーチ(コーチング)やチューターがあります。

コーチ(コーチング)も最近は資格として一般的になってきました。言葉自体が元々一般的であり、概念・意味としては人によって異なるかも知れませんが、資格として求められるコーチングは、相手が目標を達成するための指導です。

また、チューターは主に先輩が後輩を具体的に指導するものであり、例えば大学の研究室で院生が学部生を教えたり、企業で5年目の社員が新入社員をOJTで指導したりするのが当たります。

これらメンター・コーチ・チューターという言葉自体が日本で、特に企業やビジネス分野などで使われるようになったのはここ最近だと思いますが、いずれも昔の日本企業では上司・先輩が担っていたはずの役割だったと思います。

仕事を現場で見て覚えさせて、会社や部署一体となって目標設定して、仕事終わりに飲みに行ってプライベートな悩みを聞いて、ということは、昭和の一時代では普通だったのではないかなあと思いますが、会社における個人間の繋がりが、バブル崩壊後の年功序列・終身雇用の制度崩壊と共に無くなっていったことも、コーチングなどの資格や仕組みがビジネスとして注目され始めた理由の一つだと思います。

どれもリアルな人間がリアルな人間を指導するわけですが、企業も先輩も後輩もお金や時間の余裕が無くなってくると、人材育成がままならなくなります。

人が人を指導するには場所や時間を合わせないといけないですが、いっそのこと指導する側がAIになるという時代が来るんでしょうか。

相手がネット経由で対応出来るコンピュータであれば、時間的距離的な制限は無くなります。まあ、仕事を終えて帰宅してから、パソコンやスマホ経由でネット上のAIメンター、AIコーチとやり取り出来る人は限られているような気もしますが。

AIメンターが発明されるかどうかはともかく、生身の人間が生身の人間と相対して叱咤激励するとか指導監督するというのは、非言語的な部分も含めてのコミュニケーションであり、そう簡単にはAIには取って代わられないかも知れません。

生での指導が重要と言えば、学校の授業もコロナ禍によってオンライン化しても基本的にはリアルタイムでの授業であり、先生が話している内容を後で見る、ということは認められていません。病気などであれば別でしょうけれど、原則として学校での授業のように、一つのZoomなりTeamsなり何なりのレッスンルームの中に、先生と生徒が一緒に入って授業を行うことになっています。

ただ、そもそもオンライン授業ならオンデマンドでもいい気もしますが、やっぱりサボると思われているんですかね。授業中にガンガン質問してくる生徒は生授業の方がもちろん良いというか、そうじゃないとダメでしょうけれど。

やっぱり教えている側としても、授業中の雰囲気や生徒の表情や仕草を通して得られる非言語コミュニケーションが必要なんでしょうかね。

自然言語処理や自動応答はハードウェア・ソフトウェアの進化によって人間と変わらなくなるでしょうけれど、場の雰囲気、空気感や相手の様子も踏まえての対応というのは、AIが出来るようになるとしても相当先のような気がします。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA