「時間の無駄」は自分が決める

例えば何かの本を読んで、ありきたりのことしか書いていなかったり、自分が知っていることばかりだったり、あるいは逆に全く荒唐無稽なハチャメチャなことばかりで参考にならなかったりしたときに、「本を読んだ時間が無駄だった」と思ったりしがちです。

その本を購入していれば金銭的にも無駄が発生しているわけですが、図書館で借りた場合は金銭的には無駄は存在しません。それよりも時間の無駄と思ってしまった方が精神的なダメージは大きい場合もあります。

時間の無駄というのは自分にとって得るものがなかったということと同義です。

しかし、本当に得るものがなかったのでしょうか?

少なくとのその著者と同じ考えだったり、あるいはまるっきり異なるということは確定するわけですし、もしその本がベストセラーになっていれば、その内容を多くの人が知っていたり、支持していたりするわけだな、という感触も得られます。

あるいは、その本を選んだ経緯が間違っていたわけで、次からはそのような選び方はしないようになるはずです。

結局、本当に「時間の無駄」だったかどうかは、読んだ内容によって決まるのではなく、読んだ後の自分の解釈によります。

これは書籍だけではなく、テレビだろうが新聞だろうが、あるいはインターネットだろうが何でも同じことでしょう。勉強や仕事のための調べ物だけではなく、趣味として時間を費やす鑑賞でも同じことでしょう。

100%無駄だったと思ったら、それに費やした時間や労力はそのまま100%無駄になります。

そうではなく自分にとって1%でも得られるものがあれば、効率は悪いかも知れませんが無駄ではなく役に立ったと言えるはずです。

無駄と決めつけずに何か得られるものを見つけられるのも一つの能力です。これがあるかないかで、情報取得の上手さ下手さが決まってしまうかも知れません。

どんなものにも特長や良いところ、あるいは自分にとっての教訓や感動、感心などを得ようとして、常に心がけているのであれば、多分、そういう人は人生もいつも楽しめる、充実できる生き方を出来ると思います。

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