知識と知恵袋とオヤジギャグ

人間は生きていく中で知識を蓄えていきますが、動物的にと言うか生物的にと言うか、生存のために知識を活用したのが始まりのはずです。

現代のように高度な社会を築いた後でも、人間は基本的に生きている内に知識が増えていきます。それは個人の中で具体例から抽象化され、現実の問題の解決策として表出したときには知恵となります。

いわば知識(経験とも言います)によって生存競争を勝ち抜ける生物学的要素が、社会的なヒトになってからも重要な役割を担っていることになります。

知識・経験からひねり出した知恵によって、目の前の問題解決に役立てることは個人レベルでも起きることですが、集団や組織でも当然ながらあり得ます。

むしろ、そのために同じ目的を持つ複数の人数が集まって集団を形成するとも言えるでしょう。

もちろん、過去に得た知識からでは解決策を導けない問題もあり得るでしょうけれど、全くのゼロから解決策を作り上げるよりは、やはり「知恵」に基づいて対策する方が成功の可能性も高くなるでしょう。

知恵が知識や経験から現実の事象に対応して導き出されるものであるのなら、長く生きて多くの経験をしている人の方が必ず上手く対応出来る、ということになりかねませんが、若いうちは知識経験が少ない代わりに、思考も柔軟で身体的にも機敏に動けますから、自分の判断と行動で問題を解決出来ます。

年を取ると身体的に衰えてきて、取った行動が失敗だったときに取り返しがつかないので、前もって蓄えてきた知識から助けを得る、という見方も出来るでしょう。いわば、おばあちゃんの知恵袋的なノウハウです。

自分の知識から目の前の事象に対応出来る情報を引っ張り出してくる、そして若者より年配者の方が得意、というのと似ているのが、いわゆるオヤジギャグです。

全く新しいもの、突拍子もない発想からくるギャグではなくて、たいていは下らない冗句、語呂合わせ、言葉遊びの駄洒落です。

目についたものの名前や、耳にした言葉によって、過去の知識から似た言葉や音の情報が引き出されて、その二つが連結されてオヤジギャグが口をついて出てきます。

若い人がオヤジギャグを言わないのは、好き嫌いやセンスの問題ではなく、蓄えてきた情報が少ないことと、遭遇した事象に対応する情報を出さなくても柔軟に対応出来る状態なので、オヤジギャグ向きの思考回路になっていないだけであるのだと思います。

つまり、オヤジギャグを言い始めたら、その人は若者と老人を区切っている境界を越えたというサインを出しているのだと言えます。

そうやって前もって考えておけば、若い人達はオッサンオバサンがつまんない駄洒落でケラケラ笑っていても優しくするするスルー出来るのではないでしょうかね。

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