自然由来の服や食物を知らない時代が来るのかも

文化・社会・科学技術の発展や進化や変化によって、元々あったものが形を大幅に変えたり無くなったりしても、一部は残ったりします。

例えばカシャッという、フィルムカメラ時代の物理的にシャッターを切るときの音は、本来の音を聞いたことがある人はもはや30代以上かも知れません。デジカメやスマホでも盗撮防止のために撮影時にカシャッと鳴るようになっていますが、ピッという電子音らしい電子音でも問題ないはずで、既にそういう機種もあったと思います。

あるいは、パソコン上でのアイコン表示にも、今では使う人がまずいないフロッピーディスクを模したアイコンが存在します。ワードやエクセルの保存ボタンはまだそうですよね。これも初めからこういうものだと思っていたら疑問も持たないかも知れませんが、フロッピーディスクも触ったことがあるのは30代以上でしょうか。40歳あたりでも怪しいかも知れません。

スマートフォンの電話アプリにだって、昔の黒電話のようなイラストが表示されています。これも同様でしょう。

ファッションで言えば、フェイクレザーやフェイクファーもあります。皮革や羽毛については対象となる動物の乱獲防止や、動物愛護の観点から人工のものが以前から存在しています。色合い、肌触りなどから、天然物も好む人はもちろんいますが、世界的に人口が増え、ファッションにお金を使える人が今後も増えていくのなら、どう考えても動物資源は足りません。動物愛護の理由があろうとなかろうと、フェイク原料を用いた服やカバンは今後も増えていくと思います。

人口との関係で言えば、むしろ食品の方が変化は激しいかも知れません。人口増加による食糧危機は以前から危険性を指摘されていますが、その一つの解決策として代替肉があります。牛・豚・鶏・羊、どれにしたって育て始めてすぐに食料として人の口に入るわけではなく、時間も敷地面積も餌も水も必要です。また海で捕れる魚にしても、人口増加地域の沿岸部に住む人による乱獲もありますし、オーストラリアなどでは内陸部から川を伝って流れ込む塩や有害物質による漁獲量の減少問題もあります。

培養されて生産される代替肉は条件さえ整えば、生産時間や必要な資源を天然物に比べて少なく出来るはずです。ヴィーガン的思想には個人的に賛同するつもりはありませんが、食糧危機を防ぐための代替肉生産には賛成します。

ともかく、そういう代替肉が一般化してしまうと、元々のものを知らない世代が出てくるはずです。変化が激しい過渡期においては、天然物の状態を再現する必要性(例えば噛んだ感触や溢れる肉汁とか)もあるでしょうけれど、大半の人が元々のものを知らない時代が来たら、そういう性質はあまり必要とされないでしょうね。美味さと値段だけが重視されるようになるでしょうか。それよりも、現実ではあり得ないような形や味など、現時点では未知の食材という未来も待っているかも知れません。

もしそんな時代になったら、自分自身が
「今の若い者は天然物の良さを知らない」
とか言ってしまう老害になりそうで怖いですね。

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