自主性とマスクと校則と学校

昨年からコロナ禍のため、マスクを着用したまま運動を行ったことによる悲劇が学校現場で何度も起きています。屋外で適切な距離を空けていればマスクが無くても感染リスクはかなり低くなるのに、なんでマスクを着けた状態で運動させるのでしょうね。学校のグラウンドなんて、街中の商店街や繁華街に比べると相当に開けた場所で風も流れてウイルスが滞留することもないはずなのに。

もちろん、全ての学校や教員がそんな融通聞かずという人ではないでしょうけれど、だからといって犠牲になった生徒が現実に存在しているのですから、放置していいことでもありません。

普段は校則やらルールやらで生徒の自由にはさせていないのに、運動の際だけ生徒の自主性を重んじてマスクを着けたままにさせておく、というのはおかしな話です。

極論を言えば、子どもは物事の判断の是非が大人よりも未熟だから、側にいる大人が注意監督するのです。マスクを着けたままの運動は危険だから外しなさい、という指示・命令を出すのは大人の権利と言うよりは義務に近いものです。保護は監視を兼ねるのであって、放置と保護は両立しません。

何でもかんでも子どもの自主性に任せています、ということならそもそも校則なんてものもあり得ないはずです。法律や条例に違反しないように指導すればいいだけです。

校則についてもブラック校則との揶揄や批判を浴びていますが、法律に抵触しかねない校則が存在するのも疑問です。イジメの問題や部活動のしごきなども学校がどこまで生徒に関わるべきか、というのは微妙な問題でしょうけれど、事件や事故が発生した時には自主性を重んじて、普段は厳しい校則で縛っているのでしょうか?

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