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  • デジタルデバイスの排熱は危険の印か安全の印か

    デジタルガジェット好きの家にはデジタルデバイスは山ほど有ります。当然ですがデジタルデバイスは電気で動きます。デバイス本体、その内部にあるバッテリー、電源アダプタにケーブルを経由して電気が供給されます。電気を使っているものはその電力を動作に使用しますが、100%の効率では使用出来ません。必ず余分というか、動作のために使用される以外の電力が、熱の形で外部に放出されます。

    最近であればスマホをずっと使い続けていると、本体が熱を持つことは誰でも経験があるはずです。スマホを充電するACアダプタも、充電中は熱を持ちます。スマホ以上の電力を食うパソコンであれば、放出する熱も比例して多くなります。利用中・充電中のノートパソコンや電源アダプタを触ってみると、熱さに驚くこともあるでしょう。

    あまりの熱さに、これはこのまま使い続けても大丈夫か、と反射的に思ってしまいますが、冒頭に書いたようにデジタルデバイスは熱を発するものです。触ったら熱いのは当たり前です。外部の筐体を経由して熱を排出することによって、内部の電子部品の高温による破壊を防いでいます。

    もし排熱が考慮されていない場合、内部の電子部品だけに熱がこもってしまい、故障や過度な発熱・発火の可能性があります。危険が顕在化しているのはむしろ健全と言えます。排熱が考慮されているからこそ、触ったときに熱く感じるのです。

    とはいえ、機器が古くなっていたり、そもそも粗悪な製品だった場合は、その熱さが危険信号でもあります。本来の設計で想定していた発熱量を超えて排熱が追いつかず、触り続けられないほどであれば、もう故障する寸前と見なしてもいいくらいです。

    結局のところ、熱いか熱くないかだけでは本当にそのデバイスが熱的に危険であるかどうかが分かりません。

    一つの目安としては、買った直後・使い始めた頃と比べてかなり熱くなっているのであれば、寿命が近いと判断出来ますが、それも確実な見極め方ではありません。

    また逆に、触って熱くない場合も、危険な場合と危険ではない場合があり得ます。危険でないのは元々の排熱設計がしっかりしていて、発熱量<排熱量のために大して熱くならないのです。危険な場合というのは、そもそも熱が外部に排出されないような機構のため、触っても熱くない可能性があります。当然ながら、内部に熱がこもり故障・事故になる場合もあり得なくもありません。

    結局、触って熱い・熱くないだけではそれが正常なのか異常なのかの判断が付かないことになりますが、触れられる外部筐体が金属であれば、プラスチックのものよりも熱くなりがちですので、熱くてもあまり気にしなくても良いかもしれません。設計上、想定されている熱さであることも多いでしょうし、そもそも金属のため排熱が容易です。

    プラスチック製の外部筐体の場合の方が悩ましいです。熱伝導率がアルミなどの金属に比べて低いため、その内部で熱がこもっていても分かりづらいからです。その代わり、その「熱が伝わりづらい」ことによって、ノートパソコンを膝の上に置いて使用しても熱く感じません。ノートパソコンの裏面が排熱により熱すぎると低温ヤケドを負ってしまいます。実際そんな事故とそれに伴う訴訟もあったはずです。

    とどのつまり、メーカーが想定するような使い方で使い、さらに自分でもそれ以上に安全に注意しましょうね、としか言いようがないのですが、どちらにせよ熱がこもるような使い方はダメだということです。

  • 正しい日本語をAIスピーカーに学んで思う、論理国語を批判する活字ムラの人について

    年始のAmazonセールでNature Remo mini 2というスマートリモコンを買いました。これでエアコンや照明の操作が出来るようになり、さらにAmazonのecho dotで使用出来るAlexaと連携させることで、音声でのオンオフも可能です。

    それはそれで大変便利で、少しずつスマートホーム化を実感していますが、Alexa経由での音声操作の際に気が付いたことがあります。

    「アレクサ、エアコン付けて」
    では動作せず、
    「アレクサ、エアコン『を』付けて」
    というように、助詞を入れないと認識してもらえないようです。

    ただ単に私の発声や滑舌に問題があるだけの可能性もありますが、当然ながら日本語として正しいのは、ちゃんと「を」が入っている後者の方です。

    人との会話では、この程度の省略でももちろん理解されないことはまずあり得ません。文法と大上段に構えるほどのことではないでしょうけれど、AIスピーカーを使用するために自分の言葉遣いを正された格好です。

    ドラえもんくらいAIロボットが進化すればこんなことを気にする必要はありませんが、残念ながら現代ではまだまだです。それまでは、人間側が、AI・ロボットに命令する言葉遣いや文法を出来る限り正しくしないと、間違った動作をしかねません。

    前述のように、不正確な文法で発せられた命令を受けても、相手側のAIが動作しないのであれば実害は大してありませんが、もしも真逆の動作を始めたりするとかないません。冷房を付けようとして暖房になってしまったら、場合によっては生命の危機にもつながります。

    毎日話す家族や、気の知れた友人との会話だけなら省略も文法無視も何でもありです。それでも意図は伝わりますし、トラブルも起きません。しかし、音声認識であれこれする時代になれば、むしろ正しい言葉遣いを意識的にせざるを得なくなるでしょう。いわば、AIに言葉を教えてもらうようなものです。

    そういえば、昔こんなnoteを書きましたが、

    https://hrsgmb.com/n/n57d2a12085eb

    自動翻訳だけではなくて、AIスピーカーを通して自分がこの現実に直面するとは驚きました。

    さて、言葉遣いや文法の乱れを指摘する知識人やマスメディアは昔から存在していますが、その指摘が成功することはありません。

    文部科学省による新しい指導要領において、論理国語・文学国語の導入が様々な波紋を呼んでいるようですが、批判するのは別に構わないけれど、それらの批判では、じゃあなぜこの導入がなされるようになったのか、という根本的な原因には触れていない気がします。

    知識人、有識者、あるいは読書好きの人にして見たら、日本人として生まれ育った人が日本語の文章の読解が出来ることは当たり前すぎることなのでしょうけれど、げんじつにはそうではありません。おそらくはその人の想像以上に、文章の読解が出来ない人はたくさんいます。

    活字によって情報を得るしかなかった時代に生まれ育った人と、現代社会で生まれ育った人では文章読解力に大きな差があって当然です。もちろん、ミクロな個人レベルであれば、昔の人でも文章が読めない人はいたでしょうけれど、マクロな全体の割合で言えば現代の方がまともに文章を読めない人の割合は多くなっています。

    日本語を何不自由なく使える人が、文法や読解力について意識することはまずないのでしょう。書いてあることが読めないことが理解出来ないのです。この点から言えば、文科省の役人の方が、論理国語・文学国語の導入に批判的な知識人よりもはるかに問題意識を正しく持っているはずです。

    もっと踏み込んで言うと、文章が読めない人を多く生み出したのは現代社会全体の問題であっても、そういう人への配慮が欠けているのは、文科省のこの方針を批判している知識人っぽい人たちです。

    彼らにして見たら、読書できない人は下等な存在なのかも知れません。読めない人をなんとかサポートして、日本語の文章を読めるように持っていこうとするモチベーションは皆無でしょう。

    https://hrsgmb.com/n/n1972a15b488e

    https://hrsgmb.com/n/n04c4e4b25d5e

    活字業界そのものをかつて批判したことがありますが、活字業界で恩恵を受けている人には、読書なんて呼吸と同じレベルと考えているのでしょう。呼吸できない人なんていないのだから、配慮する必要なんぞ不要であり、文科省の新方針は間違っているとしか思えないのでしょうね。活字ムラで生きてきた人は、ムラの外を理解出来ないのです。

    他人が正しい日本語を使えることを当然と考えている人は、他者への理解が乏しいはずです。論理国語・文学国語の導入によって他人の気持ちが分からない人間が増える、という批判は、まさに自分が他人の気持ちが分からない人間であるという恐ろしいブーメランを伴っています。

    試しに、AIスピーカーを使って自分が正しい日本語を使えているか、という疑問を持ったことは、私個人にとっては良い経験になったのだと思います。

  • 自分の天職なんて分かるものか

    夢を持つことは素晴らしいとか、将来の目標を立てましょうとか、あるいはキャリアアップ・キャリア形成が重要とか、将来どんな風に生きていくかを考えておくことが当然のように言われます。

    実際には、大半の人が子どもの頃の夢など実現出来ず、就きたい仕事・企業にも簡単には就職できず、家族関係などプライベートでも充実した生き方を存分に味わうことも難しいものです。

    もちろん、はるか昔の時代に比べれば、現代は努力と才能と運があればまず間違いなく夢を叶えることは出来ます。その点では良い時代になったと言えますが、だからと言って誰もが夢を叶えられるわけではありません。

    自分の持っている理想と、自分が置かれている現実とのギャップは確実に存在します。それがモチベーションとなって自分を動かせる人はそれでいいのですが、自分の不甲斐なさに苦しみ、失敗に落ち込み、成功する他人が眩しく見えて嫉妬するようになると、精神的には悪影響しかありません。

    そもそも、実際に働いてみるまでは自分の天職なんて分かるはずもありません。最初から最後まで天職だったと思える人は、偶然に理想と天職が一致していただけかも知れないのです。

    ごくわずかの、大成功を収める人はそれでいいですけれど、そうならなかった夢破れた人のことはあまり考えられませんよね。

    子どものうちから、夢を持つべきとか将来の仕事とかを強く意識しすぎてしまうと、仕事についてからの理想と現実のギャップに苦しみます。そのギャップが大きすぎると、悩みに悩んでしまいます。

    理想の形が固まりすぎてしまうと、そこから外れた時を失敗と見なしてしまい、自分に失望します。

    何も考えずにともかくメシを食うために仕事をする、その代わりに趣味なり何なんなりで楽しく生きていけるのならそれでいいのではないでしょうか?

    思い描いていた仕事に就けないことだってあるでしょうし、入りたいと思っていた会社の入社試験に落ちることだってあります。思うとおりに行く人よりも行かない人の方が圧倒的に多いはずです。

    失敗したとき、失望したとき、上手く行かなかったときにどのように進んでいくか、どのように気の持ちようを変えるか、どのように生きていくかの方が、夢を持つことよりも大切だと思います。

  • 都市に広がる感染症とSNSに広がるデマ

    世界中のほとんど全ての人が、常に特定の感染症の心配をし続けるという、極めて稀というか歴史上初の時代になりました。

     歴史的な経緯を考えると、人から人への感染症は当たり前ですが人々が集まって暮らすようになったことで流行するようになりました。いわば集落・都市が形成されたからこそ、感染症が流行する条件がそろうのです。

    現代の先進国の都市からは想像つきませんが、古代・中世あたりまでの都市は人口密集しているために衛生面では非常に不潔な環境でした。排泄物は溝を掘って垂れ流し、密集する建物のために空気もよどみ、生活用水も一つの水源から多くの人数が使用するため、いざ感染症が広まれば歯止めがかかりませんでした。

    日本では平城京や平安京のような都では貧民も貴族も天然痘や麻疹にやられました。藤原四兄弟が相次いで亡くなって、本来後継ぎではなかった藤原道長が急遽藤原氏のトップに立ちました。その後、摂政・太政大臣に就いて
    「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば」
    と唄ったことは有名です。

    中世ヨーロッパでも、名高い黒死病(ペスト)は何度も流行し、その度に大きく人口を減らして、それが理由で農家の待遇改善につながり国家体制にも影響を与え、遠くはルネサンスや宗教改革にも関わりました。

    それでも昔であれば人の移動は船と馬の速度が限界でしたから、原因となる細菌やウイルスの伝播速度には限界がありましたが、時代が下ると交通機関の発達によって、あっという間に世界に広まるようになりました。

    1910年代末に大流行した、いわゆるスペイン風邪は第一次世界大戦の兵士が自国・地元に戻ったことで流行を広げましたが、その時代には先進国を中心に鉄道網の発達が進んでおり、知らない間に感染が広まりました。

    その100年後の現代では、さらに交通は便利になり、それがために飛行機を介して世界のほぼ全ての国にまで新型コロナウイルスが広がりました。感染しても未発症の人がそれとは気づかずに移動してしまう以上、止めるのは難しいものです。

    密集して生活する都市間を、人も物を行き来している現代なのですから、広がり始めたら止まりません。だからこそ、ワクチン・治療薬・行動規制・マスクなどの対策が必要になってきます。

    ヒト・モノの密集と移動が感染流行の原因になります。それはウイルスだけではなくて、情報も同じことです。

    高度にIT化された社会では、事実もデマもあっという間に広がります。人が密集して情報をやり取りするSNSは毎日のように「バズフィード」という流行が生まれています。バズるのは事実かデマかは関係ありません。

    そう言えば、新型コロナウイルスの感染を広まる一要因に、「スーパースプレッダー」という、一人で大量の人数に感染を広めてしまう存在がありますが、新型コロナを政府の陰謀とか嘘とか主張したり、根拠のない反ワクチン論を広めたりする大元も人数は少ないそうです。

    ネット上で情報が広がる仕組みと、人間社会で感染症が広まる仕組みは似ているのかも知れないですね。もしそうだとしたら誰か社会学者とかで研究してくれそうです。解明したらイグノーベル賞ものじゃないでしょうかね。

  • 炎上する「冬はつとめて」

    「冬はつとめて」
    とは清少納言の枕草子であまりに有名な一説ですが、その後には雪が降った朝は言うまでもなく(良い)・・・と続きます。

    確かに、冬の朝早くに少し寒い程度なら趣があって大変結構なものなのですが、この冬の日本のように各地でドカ雪が降るとたまったものではありません。

    こういう時に、雪が降って楽しい!とか、寒いのがかえって気持ちいい!とか有名人がツイートすると、不謹慎だと言われて炎上しかねません。個人の感想なんだからどうでもいいじゃないかと思うのですが。

    ともかく、冬だから雪が降るのは日本の半分くらいの地域では当然のことですが、同じく当然ながら雪が降りすぎると災害になります。

    枕草子が書かれた時代の平安京、今の京都中心部でも今の京都盆地同様に夏暑くて冬寒い理不尽な天候だったとは思います。中世は温暖期だったという定説がありましたが、最近の研究では平安中期以降は寒冷だったという説もあるようです。

    ともかく、当時の水準ではトップクラスの住宅環境だったはずの都の貴族の住まいから清少納言が見た早朝は、手入れされた庭木や地面に雪が積もり霜が立ち、それは大層趣のある景色だったでしょう。その一方で、庶民や地方の暮らしぶりはそんな贅沢なものでもなかったでしょう。

    別に平安貴族を今さら非難しようとは思いませんが、当時にTwitterがあれば「冬はつとめて」と呟いた瞬間に、「御貴族様はいいよな」「貧しい人の暮らしを考えろ」「雪で死にそうになる田舎を馬鹿にしている」と炎上しただろうなとは思います。

    いつの時代でも、人が他人を理解することは難しいものです。それは、非難される人だけではなく、非難する側にも同様です。雪が楽しい人もいれば苦しむ人がいるのは、今に始まったことではありません。

    喜び庭を駆け回る犬に対して非難する人はいないでしょう。犬に文句を言ってもしょうがないですし、逆に犬から見たら文句を言われる筋合いもありません。

    結局炎上案件も本当にダメな場合もあるにせよ、当事者ではない他人が言える批判の妥当性には限界があります。赤の他人に何を言われても気にしない人は、Twitterでもなんでも向いていると思いますが、ネガティブな意見を言われて気にする人は多分向いていないでしょう。

    良い意味で、平安貴族ばりに世間に無関心であれば何とでもやっていけますが、気にしすぎたら何も書き込めません。「鈍感力」という書籍が一昔前に売れましたが、自分の身を守る「鈍さ」は教えられて身につくものでもないでしょうけれど、持っていて損はないですよね。

    だからと言って本当にアカンことをしてしまうくらい鈍感過ぎたらアカンのですが。

  • 台湾とウクライナを抱えるデメリットに気が付いているはずだが

    ロシアはウクライナ、中国は台湾を奪われた領土とする見解を持ち、どちらも将来的な併合への野心を隠さなくなりました。

    どちらにしても周辺諸国、ウクライナで言えばEU、台湾で言えば日米やクアッドなどとの緊張関係が続きますが、まさか直接的な軍事侵攻をいきなりはしないだろうとは思われます。とは言っても、2014年のクリミア併合のように一気呵成に実力行使に及ぶ可能性もあります。

    だからこそ、その可能性を恐怖にするために、EU、特にドイツやNATOの主軸たるアメリカをプーチンが脅しているのがこの年末年始です。

    失地回復を掲げることが自らの権力の正当性の維持につながるからという理由もあるでしょうけれど、世界における相対的なアメリカの覇権の弱体化が進んでいる証拠でもあります。

    オバマ政権時に既に戦略的転換を図ってはいたものの、トランプ前大統領、次いでバイデン現大統領下での混乱が、アメリカの対外的国力の持続的な低下を招いてしまいました。

    それでももちろん超大国たるアメリカとがっぷり四つで戦うつもりはロシアも中国もないはずです。ただ、あくまで昔は自分たちの領地だったウクライナや台湾の切り取りだけは認めろ、という腹づもりです。

    プーチンも習近平も自国への批判に対しては、冷戦思考の産物だと歯牙にもかけていませんが、自分たちが冷戦の前に存在した列強による帝国主義思考をなぞっていることも認めません。

    ただ、まさにかつての帝国主義による植民地支配のように、侵略先の住民の意思を掴めなければ、例え武力による威圧で支配してもいずれは水泡に帰してしまうのです。特に中国は日本あるいはそれ以前のイギリス・フランス・ドイツらによる支配を最終的にはねのけて独立国家を建国したはずなのですが、台湾がまさにその繰り返しにならないという保証をどこかで確信しているのでしょうか?

    台湾を本気で自国支配下に再度取り込み、それを永続させるには台湾人民の心も掴まないと、ずっと独立の火種を抱え込むことになります。軍隊で弾圧してもダメだったからこそ、中国は日本の支配を免れたのですが、今の中国政府による台湾への圧力のかけ方を見るに、当分は本気で台湾支配を考えていないのではないかとまで思ってしまいます。

    本気で台湾を合併するなら、台湾内の強硬派、独立派こそを許して取り込むしかありません。台湾が独立派と中国より派で分割させても後のしこりが長引くだけです。

    ウクライナは台湾とは歴史的経緯が異なりますし、ロシアが失った時期も中国が台湾を失った時期と40年くらい違います。失ってまだ30年ほどなので、まだロシアにしても未練が強く残っているのかも知れません。

    クリミアや、ロシアが緩衝地帯化したウクライナ東部は、歴史的にロシア系住民が比較的多いからこそ、ロシアが野望を広げる地域なのですが、ロシア系住民しか住んでいないわけではありません。ロシア系以外の住民を取り込めなければ、かつての東欧諸国のように、ソ連(ロシア)への反発を持ち続け、西欧諸国への移動に憧れ、ロシアのくびきから解き放たれることを望み続けることでしょう。

    プーチン大統領が存命のうちは強権支配で何とかなったとしても、その先の結果は見えているとしか言えません。それは多分、台湾でも同じはずです。

    さらに言うと、新たなる支配地域だけ甘くして、既存の領地内だけは厳しい独裁政権を保てるはずもなく、全体が変わるか崩壊するかのどちらかでしょう。

  • 国旗問題のフランス大統領選挙への影響

    この大晦日と元日だけ、パリの凱旋門に掲げられているフランス国旗をEU旗に代えて掲揚していたそうです。

    https://www.afpbb.com/articles/-/3383485

    当然ながら右派の政治家からはフランスそのものへの侮辱だと非難の大合唱となりました。無断でやったらそらアカンだろうとは思いますが、事前に言ったら言ったでどうせ反対されるから黙ってやったのでしょう。
    しかし、本来大事にされているはずのフランス国旗自体も、実は右派を含めて誰もそんなによく見ていないのかも知れません。

    https://www.afpbb.com/articles/-/3376037

    こんなことがありましたし。これだってなんで変更する前に言わへんねん、というような話ですが、一流のフレンチジョークなのでしょうか。間違い探しとしたら超難度ですし、むしろ答えを教えたら分かるかと言って怒られるレベルでしょう。

    ちなみに日本の国旗である日の丸の赤色は実は紅色だそうで、いわゆる真っ赤な赤色よりはすこし暗くなっています。とはいえ、白地に赤丸のデザインを見れば日本人なら国旗の日の丸を連想します。

    白米を敷き詰めた中に梅干しがあれば日の丸弁当と言うのですから、とりあえず白い中に赤丸があれば日の丸です。細かいカラーコードなど、日常的には誰も気にしません。もちろん、国旗として制作される本物の旗ならちゃんとカラーコードは決まっているのでしょうけれど。

    フランスのトリコロールだって、青白赤に並んであればフランス国旗なのでしょう。フランス人がどう考えているかは知りませんが、青色が微妙に変化していても青白赤ならフランス国旗です。どの辺まで色を微妙に変えていけば気が付くか、水曜日のダウンタウンみたいなチャレンジをマクロン大統領にはやってほしかった。

    ともかく、「旗印」という言葉が戦場での目印という元々の意味に加えて、集団の目標として掲げる主張の意味を持つように、「国旗」には国家の目印たる役割よりも国民を統合する役割があります。だからこそ、国旗を侮辱することは国民を侮辱することに直結するので、冒頭の記事にあるようにフランス国旗がEU旗に代えた人は、フランス国家への忠誠よりもEUへの貢献の方が重要だと思っている、と非難されても宜なるかなと思います。

    フランスでは、今年の4月に大統領選挙を控えています。マクロン大統領が当選した時ですら、極右のマリーヌ・ルペンを勝たせないために中道右派から左派までが協力して決選投票での勝利でした。その後、黄色いベスト運動や、イギリスのEU離脱、新型コロナの感染蔓延など、不安定な5年間を過ごしたマクロン政権が再選出来るか微妙な情勢です。政治情勢を考えると、凱旋門国旗問題では極右につけ込む隙を与えてしまったと言わざるを得ません。

    その極右がルペンの他にもゼムールという有力候補が出てきたために分裂しそうなのは、中道・左派陣営にとってはありがたい状況です。ルペン、ゼムールの両者とも決選投票に進めない可能性があります。逆に、どちらかが降りて協力し合えば、極右の大統領の誕生の可能性が高くなります。

    イギリスは歴史的にヨーロッパとの統合・依存は少な目でしたが、フランスはヨーロッパそのものです。もしフランスが極右の大統領の下にEU離脱を言い始めたら、EUはドイツとその他の一部の国々、程度の連合体に成り下がります。喜ぶのはプーチンだけでしょう。

    フランスの左派やエリゼ宮関係者はもうちょっと国旗を元にしたフランス国家を大事にした方が良かったんじゃないでしょうかね。

  • サッカーチームを応援する価値はどこにあるか

    先日、松本山雅FCのホームページで「経営責任について」というリリースが公開されました。

    https://www.yamaga-fc.com/archives/274930

    Twitterで流れてきて知りましたが、さすがにこれはないんじゃないか、と思いました。そもそもクラブがJ2からJ3に降格してしまったことを「経営責任」と言うべきではないんじゃないですかね。

    チームの戦績における失敗はあくまで強化方針の失敗であって、100%無関係ではないものの、株式会社の経営陣が「経営責任」を問われるというのは驚きました。

    クラブが経営破綻したり、あるいは大赤字のために中心選手を手放して弱くなったならまだしも、そうでないなら経営責任と強化責任は分けるべきなんじゃないでしょうか。

    強化担当の人事や、強化に回す経費を決めた責任は少なくとも経営幹部にはあるでしょうけれど、これが当然になってはいけないはずです。Jリーグクラブ経営者のなり手がいなくなりかねません。

    松本山雅FCというクラブがJ3に落ちることなどあってはならない、と思う人がクラブの内外にいることは理解しますが、もし、スポンサーか株主からいろいろあれこれ求められたからというのであれば、それこそあってはならないでしょう。海外のクラブや、日本のプロ野球でもたまにそういう話は聞くが、オーナーが強化方針に口出しするとろくな事になりません。

    そもそもサッカークラブの経営は、売上利益を上げることが至上命題である一般的な営利企業と比べるとさらに難しくなります。売上利益を上げることはもちろん必要ながらも、単に利益を積み重ねるのが良いのではなく、お金を強化に注ぎ込んでサッカー自体の成績を良いものにする必要があります。

    大黒字で平凡な成績のクラブと、収支トントンで優勝するクラブのどちらが良いかというと、比べようもないくらい後者に決まっています。その一方で、大赤字で優勝や昇格を目指すクラブが時々出てきますが、失敗すると悲惨なことになります。

    大黒字で優勝すればもちろん一番良いのですが、優勝すれば人件費が上がりますので翌年以降の利益が減るか、選手が出ていって成績が下がります。この辺は社会システムとして良く出来ています。

    それでも川崎フロンターレのように好成績を続けていけるクラブもあるわけで、当然ながらクラブそれぞれで経営方針の良し悪しは出てきます。

    昔、ガンバ大阪のファンクラブミーティングに出たことがありますが、当時の金森社長がヨーロッパ視察の際に向こうのサッカークラブの社長に、
    「サッカークラブは苦痛を売る商売だ」
    と言われたと話していたのを覚えています。サポーターはチームが勝てば気持ちの良い一週間を過ごせますが、負ければモヤモヤを一週間抱えます。全てのクラブが優勝や昇格なんか出来るわけがないので、満足するシーズンを送ったクラブのサポーターは、そうではないサポーターよりもはるかに少ないはずです。基本的には応援するということはお金を払って苦痛を買うことです。

    それでもサポーターはサポーターであり続けます。それは単なる勝ち負けや苦痛のみでサポーターをするしないで決めているわけではないからです。その価値をクラブは提供しないといけないのですが、単に成績そのもので「経営責任」が問われることになると、「サッカーを見る」・「サッカークラブを応援する」・「サポーターになる」ことが、目の前の試合の勝敗のみに価値があると見なすことになってしまうのではないでしょうか?

  • 出羽守の憂鬱

    ウォールストリートジャーナルで興味深い記事を見かけました。

    https://jp.wsj.com/articles/aging-germany-is-running-out-of-workers-putting-europes-largest-economy-at-risk-11640215256

    有料記事なので詳細をつらつらとコピーするわけにはいかないですが、ドイツの今後の労働力の問題点を考察したニュースでして、

    ・労働人口の減少が起きる
    ・ベビーブーマーの大量退職が控えている
    ・戦後の出生率の大幅な低下
    ・女性の労働参加率を上げる政策の検討
    ・労働者の退職(定年)の延長の検討
    ・移民自由化の検討
    ・手厚い年金により早めに退職してしまう
    ・他の先進国と比べると女性の労働参加率が低い
    ・女性が出産後に託児所不足やフルタイム勤務で税額が上がるために労働時間を減らしてしまう
    ・賦課方式の年金制度を維持するために税収で支えるが、さらに拠出金の引き上げと支給額の引き下げが必要になりそう

    という内容でした。

    ドイツに関する記事だと銘打っていなければ、日本社会の問題点の指摘だと思ってしまうでしょう。

    ドイツについてはこの冬はエネルギー不足に悩まされています。日本での原発事故を受けて脱原発を掲げた当時のメルケル首相の指揮の下、原子力発電を大幅に削減してクリーンエネルギーに舵を切りましたが、原子力発電をカバー出来るほどは再生可能エネルギーを調達できておらず、火力発電所でCO2を吐き出しつつ、さらにロシアからの天然ガス供給に国民の生命を握られている状況に陥っています。

    喜んでプーチンに金玉握られているようなもので、ドイツ国民が上から下までそれを望んでいるのでしたら、極東に島国にいる人間がアレコレ言うのも筋違いですが、自分が住んでいたら反対しているだろうなとは思います。

    さらにはガソリン車全廃方針もあって、リチウムなどのレアメタルを調達するために今度は習近平にもう片方の金玉を握らせるつもりなのかも知れません。そういった国家の死命がかかるような状況であっても、政治家の責任が問われていませんので、ドイツ国民的にはそれでもオールオッケーなのでしょうか。

    感染をずっと抑え切れていない、アメリカ・イギリス・フランスなどの西洋諸国でも、感染拡大を理由に時の政府が打倒されたり国家元首が入れ替わったりすることもありませんので、新型コロナの感染拡大は究極的には政治の責任とは判断されていないとも言えるでしょう。

    G7でもG20でも、新型コロナの感染が広がっていることを理由に首相が辞めたのは日本だけのはずです。正確に言えば、当時の菅首相が与党自民党における総裁選への出馬を諦めたのですが、実質的には首相辞任と同じでした。

    G20のほとんどの国では感染状況は酷いですが、欧米のほぼ全ての国よりも感染を抑え込んだ日本において、菅政権が政治的な罪を問われて継続出来なかったというのは、結構国民の意思が政治に反映されている証拠と言えると思うのですが、あまりそういう見方をしている意見は見かけませんね。

    ここまで言ってしまうと特定の思想にハマってしまっているようになってしまいますが、どこの国でもその国特有の事情と歴史があります。自由を生命よりも大事にするアメリカ人とか、インフレを鬼のように憎むために均衡財政を何を犠牲にしても達成するドイツ人とか、右派も左派も国是として日本と仲良くすることを公に出来ない韓国人とか、日本人に理解出来なかったとしても、それはその国では当然な在り方です。

    逆に、日本人特有の在り方も同じなはずです。日本以外の国から見たら日本社会のここがおかしい、というところがあったとしても、それは日本特有の事情と歴史に基づくものであれば、それは単純に外国と比較して日本に問題があるという短絡的な批判をすべきでもありません。

    「〜〜では〜〜なのに日本は〜〜」という紋切り型の批判をする人を「出羽守(でわのかみ)」と言いますが、外国を模範にしろという理屈は、その外国側が駄目だった場合や日本と同様だった場合に途端に説得力を失います。

    日本社会における問題の特殊性が日本固有の原因であれば、外国のようにするべきだというのは、例えばマスク拒否のアメリカ人に対して、日本人のようにちゃんとマスクを付けるべきだと言うようなものです。

    他の国でも特殊性を無視して外国を模範にしろという意見を言う出羽守はいるのでしょうか?

  • 2022年のガンバ大阪サポーターの展望

    2021年はガンバ大阪にとって苦難のシーズンでした。新型コロナの大型感染はどうしようもない災難だったとしても、成績が悪かったことについてはガンバ側の自業自得というか、強化の失敗に起因すると言わざるを得ません。

    それでもなんとかJ1残留を果たした以上、そしてエンブレムも新しくなった2022年シーズンは良いものになってほしいものですが、先日、こんなnoteを書きました。

    https://hrsgmb.com/n/n48a7a0ed7bcc

    この時にはガンバサポーターとしては、このオフシーズンを結構絶望的なものになると感じていましたが、暮れが近付くにつれてそれほど悪くも無さそうと思えるような報道が相次ぎました。

    片野坂監督の正式発表もありましたし、石毛秀樹、ダワン、クォンギョンウォンの獲得もリリースされました。

    一部報道レベルではまだありそうですし、結構な補強具合な感じがしてきました。あまり悪く言うものではないですね。反省します。

    その一方で、入る人がいれば出る人も当然いるわけですが、昨年の主力の中では井手口陽介が再びの欧州挑戦となるセルティックへの移籍が決まりました。移籍金(違約金)が発生する形での移籍ですのでクラブとしても文句はないですし、サポーターとしても今度こそ成功してほしいと思います。

    若手では芝本が藤枝に、塚元が金沢に、唐山が水戸に、谷がそのまま湘南に期限付き移籍となりました。個人的に好きな唐山は愛媛では惜しいシーンばかりでわずか1得点となった昨年でしたが、数多くのレンタル選手がブレイクしてきた水戸でゴール量産してくれることを期待します。

    ガンバサポとしては、遠藤保仁との正式なお別れになるオフシーズンにもなりました。まあ、2020年途中にジュビロ磐田に期限付き移籍してから、向こうでのフィット具合と今のガンバのチーム状況を考えると、多分ガンバに復帰してレギュラーになることはないだろうな、とは薄々感じていましたが、20年もガンバにいた人がいなくなるのは寂しいものです。

    ただ単に長く所属していただけではなく、ずっとガンバの「顔」でしたし、全てのタイトルはヤットと共に獲得したものでした。磐田への完全移籍によって大きなショックを受けている人もいるでしょうけれど、もしかしたら彼が移籍してきた2001年以降にガンバファンになった人と、2000年までに応援し始めていた人とで、「ガンバの遠藤」がいなくなることへの感じ方が違うのかも知れません。

    より正確に言うと、「遠藤のいないガンバ」に対して免疫があるかどうかの違いでしょうか。それだけ影響力も功績も圧倒的な選手でした。

    観戦していて、上手くパスが回らない昨年のガンバを見ていると、
    「ヤットだったらあそこに入れてた」
    「ヤットがいたら落ち着かせていた」
    という思いを抱いたのは、おそらく全てのガンバサポーターに共通するはずです。

    今シーズンは、「遠藤のいないガンバ」、「遠藤が戻ってくることがないガンバ」が、本当に始まります。

  • 序列にこだわる日本人

    日本人はランキング好きだと言われます。本当に他の国の人々と比べて日本人が飛び抜けて好きなのか全く知りませんが、メディアでもネットでもランキングはどこでも見かけますので、少なくとも嫌いではないのは確かでしょう。美味しいコンビニスイーツのランキングも星座占いのランキングも、いくらでも見つけられます。大相撲の番付表だってそれまでの実績に応じたランキング一覧表です。

    ランキングと言うよりは、序列と言う方が正確かも知れません。序列好きだと言うと印象が変わってきますが、一時期Twitterなどで話題になった、稟議書のハンコの角度が役職ごとに変わるというのも一種の序列の可視化でしょう。あれが本当の話なのかどうか知りませんが。

    序列を付けるのは、その組織や限られた範囲の社会においての安定性を図るためですが、それが行き過ぎれば息が詰まります。

    上座下座の考え方は今の日本社会でも生きています。会議室やら宴席やらはサラリーマンにとっては注意せざるを得ませんし、自動車の乗る場所やエレベーターにすら上座下座は存在します。もちろん、完璧に求めることや求められることも今ではだいぶ無くなったと思いますが、それでも上座下座に無頓着でいられる立場の人は限られているでしょう。

    大昔の日本でも席次は重要でした。単なる個人レベルの話ではなく、唐の朝廷での儀式で遣唐副使が新羅の使者と席次を争って引かず、揉め事になったという歴史的事件もありました。

    戦国時代では各地の大名が自分の領地に適用させる法として分国法を制定しましたが、その中で家臣達に対して
    「あまり席次にこだわって喧嘩するようなことをするな」
    と言っている例もあります。

    席次、ランキング、序列と言い方は色々ありますが、順番付けを上からの抑圧と捉えて日本社会の後進性のみクローズアップするのは偏見でしょう。冒頭にもあるように、気楽に用いれば娯楽として盛り上がる手段になります。

    それが行き過ぎれば、某県知事のように都道府県魅力ランキングに噛みつく人も出てきます。ランキングの上を見るか下を見るかで大違いですが、真面目に捉えて批判するか、これをキッカケに「日本一魅力のない県」としてアピールするか、個人のパーソナリティで差が出てきます。かつての芸人出身だった某宮崎県知事は多分、もっとやりようがあるだろうと思っていそうですね。

  • セキュリティ・サポート切れのデバイスを減らしましょう

    パソコンにしろスマホにしろ、インターネットに全く接続しない使い方は、今では相当にイレギュラーになりました。ネットにつながっているのが当たり前で、毎日毎時間大量のデータを送受信しています。そうしますと、好ましからざる不正アクセスやらコンピュータウイルスやらの脅威に誰でもさらされます。

    そのためにセキュリティ対策が存在していますが、ITリテラシーがあまり無い人にセキュリティの大切さを教えるのは骨が折れます。ネット常時接続が当然では無かった時代のデバイスやOSならともかく、今のネットネイティブなスマホやパソコンなら、ユーザーがセキュリティのことをあまり意識しなくても安全であってほしいものです。

    MicrosoftはWindows7のリリースとほぼ同時に、無償のアンチウイルスソフトをリリースしていました。

    https://www.microsoft.com/ja-JP/download/details.aspx?id=5201

    ただ、これもたくさんある一般的なアンチウイルスソフト・セキュリティソフトと同様に別途インストールが必要ですので、知らない人は知らないままでした。Windows8以降になってようやく、WindowsDefenderとして標準で搭載されることになりました。ただ、PCメーカーの大半がサードパーティ製のセキュリティソフトをプリインストールして、しかもそれが3ヶ月や1年で期限切れになるので、期限切れ後にも放置しているためにWindowsDefenderも機能しないという最悪の状態を招く場合もありました。

    スマホではiPhoneでもAndroidでもPCほど勝手に乗っ取られる可能性は無いと言われていますが、怪しいアプリを入れて権限を与えてしまうと丸裸になってしまいます。自分で気を付ける人はパソコンでもスマホでも大丈夫ですけれど、OS自体のセキュリティサポートが終わったら、それ以降は使うのは危険です。

    未だにWindowsXPでネット接続する人だっています。iPhoneやAndroidでも非常に古いバージョンでネットを利用する人もいます。古い機種を新しいOSでサポートするのは難しいのでしょうけれど、OSメーカーの想定を超えてユーザーは長持ちさせてしまうものです。

    スマホではiPhone・Androidの二大巨頭にサポートでは差があります。iOSでは今年出たバージョン15にアップグレードできるのは、iPhone6s/6s Plus/SE(第1世代)まで可能です。2015年に出たiPhoneが少なくとも来年夏までは最新OSで使用出来るのです。また、つい最近ではiOS12に対してセキュリティアップデートが配信されています。iPhone5Sまでは少なくともApple側のセキュリティ対策はされています。

    一方、Androidではそこまで長く最新OSにアップグレード出来るものはありません。というか、バージョンアップ出来ないAndroid端末が大量にあります。1つバージョンアップ出来るものはそれなりにありますが、確実にバージョンアップが2回、3回出来ると保証されるものとなるとGoogle謹製のPixelシリーズくらいではないでしょうか? Androidに比べてiPhoneは将来的にも安心できます。

    逆にパソコンではAppleがMacの旧機種のサポートを容赦なく切っていくイメージがあります。同じ時期に発売されたものでも性能が高い方はサポートが長続きしがちです。以前所有していた、MacBook12インチ(2015Early)は数ヶ月前にサポート切れになりました。

    MicrosoftのWindowsはMacとは異なり、OSもパソコンも長持ちします。操作が重くなりすぎてもはや使えないだろう、というパソコンにも最新OSをインストールすることも結構出来ました。Windows11はインストール出来るパソコンを制限するみたいですが。

    パソコンの第3勢力とも言えるChromebookでは、実はGoogleのサポート期限は機種によってまちまちです。

    https://support.google.com/chrome/a/answer/6220366?hl=ja

    このページを見れば、対象のChromebookがいつまでサポートされているのか分かりますが、逆に言うとここを見なければ後はメーカー側の善意で公表されているかどうかになります。

    結局のところ、スマホもパソコンもそのデバイスのセキュリティに気を遣わないといけないのはユーザーです。最初の話に戻りますが、IT関係に疎い人にこのややこしさを正確に伝えて、アップグレードしたり買い替えたりさせるのはかなり大変です。

    危険性を例えて説明するなら、車検が切れた自動車に乗り続けるようなものだ、というべきでしょうか? しかしWindowsXPでネットにアクセスするのは別に法律違反ではありません。シートベルトを付けずに運転するようなものだ、という例えも同様です。あえて自動車に例えるなら、サイドミラーを見ずに運転するようなもので、怪しいサイトやアプリを利用するのは赤信号で突っ込むようなもの、といったあたりに落ち着くでしょうか。大丈夫なときもあれば大変な事故を起こすこともあります。

    結局のところは、セキュリティに注意することを利用者に業界や政府や自治体が呼びかけていくしかないでしょう。道交法や車検のような法制化なんて出来るはずもありません。

    また、車検や整備をキチンとしていれば、30年前だろうが40年前の車だろうが合法的かつ快適に運転することは可能です。しかしメーカーやOS提供元のサポートが切れたITデバイスでは、ユーザーレベルではどう頑張っても無理です。

    スペックが低すぎてどうしようもないのならともかく、ある程度の年数は最新OSにアップグレードさせるような法令があった方が良いのではないでしょうか。それで一番困るのは携帯キャリア各社のAndroid端末だと思いますが、総務省との接た、もとい交渉で切り抜けるのではなく、もうちょっと長く最新OSで使える端末がもっと増やす方向に努力してほしいものですね。