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  • 両手にスマートウォッチを付けてみる挑戦

    このタイトルを読んで興味を持つ人はなかなかの変態だと思いますが、実行している本人はもっと変態かも知れません。

    そもそも、なぜ二つもスマートウォッチを持っているのかというと先日投稿したこちら、

    https://hrsgmb.com/n/nb83647b911a5/

    にあるように、元々持っているApple Watchに加えてAndroidスマホに接続するスマートウォッチ「Uwatch2」を購入したからです。

    実際に使ってみて、値段の割にはそこそこ使えるな、とは思ったものの、さすがにApple Watchをかなぐり捨ててメインで使用するほどではありません。それにはiPhoneもAndroidに置き換えないといけないですし。

    ただ、排他利用する必要はありません。私には腕が二本あります。そして時計が二つあります。両腕にスマートウォッチを装着するのはある意味、自明の理とも言えます。

    そんな冗談はともかく、始めは話のタネになると思って実際に付けてみて一日過ごしてみましたが、意外と違和感がありませんでした。

    思うに、両腕に時計を付けることで体の左右のバランスがかえって取りやすくなったのかも知れません。

    とりあえず長袖を着ている時期は両腕に時計をしていても目立たないので、初夏あたりまではこれでやっていくかなと思いますが、すぐに飽きるかも。

    そういえば、サッカー選手の本田圭佑選手も両腕に時計を付けていたはずです。昔、ガンバ大阪に所属していた安田理大選手がブログで書いていました。ガンバジュニアユースの先輩でもある本田に
    「なんで両腕に時計しているんですか」
    と聞いてみたら、
    「なんで両腕に時計をしてはいけないのか」
    と返されたとか、
    「両腕に時計した方が左右のバランスが取れる」
    とか言われたとか書いていた気がします。

    確かにバランス良い感じがするんですよね。

    左右にスマートウォッチというのは変だとしても、片方に従来の腕時計、もう片方にスマートウォッチという組合せは案外良いのではないでしょうか?

    そんなトレンドこないですかね。どこかのオシャレな雑誌とか情報番組とかで流行を無理矢理作ってもらえないでしょうか。

  • スカイスクレイパー、超高層ビル、高所恐怖症、宇宙エレベーターなどなど

    子どもの頃、”skyscraper”「スカイスクレイパー」という言葉の意味と語源を教えてもらって印象に残った記憶があります。

    超高層ビルのことを英語で ”skyscraper” と言いますが、語源は「空」”sky” を「こする」”scrape” するくらい高い建物、つまり「高い空に接するほど高い建物」を「スカイスクレイパー」というのだという話です。

    どうやらこの「空にくっつくほどの高い建物」という解釈から「摩天楼」という日本語が出来たらしいです。摩天楼の「摩」は「摩擦」の「摩」と同じ意味ですね。「天」は「空」、「楼」は「高い建物」を意味します。

    建物は地面に接して存在していますが、その建物を意味する言葉に「空」が出てくるのが面白いと思って記憶に残りました。

    関係ないですが、「スカイスクレイパー」と聞くとアラフォーから少し上までの人はプリンセスプリンセスの「Diamonds」を思い出しませんかね。私だけでしょうか。

    それはともかく、他にも建物と空の関係を思うと、昔の中国での大臣の役職として「司空」という名前のものがありました。

    司空は別に建設だけをつかさどっていたわけではなく、土木工事や動員する罪人も管理していました。別に「空」=「天」を管理していた役職ではないですが、古代では宰相やそれに近い、国のトップクラスの役職でしたが、後には名誉職的になってほぼ「司空」という言葉からは離れてしまったようです。

    この「司空」が城や城壁などの建設に携わっていたという記録もありますので、地平線をゆがめて空に食い込む建物を管理するのが「司空」だという考えがあったのかも知れません。

    こういったことを考えていると、今の日本ではそのまま「超高層ビル」とか「〜〜タワー」と表現しているのが残念というかもったいないというか。何かありませんかね? いや、すでに摩天楼という言葉があるんですけどね。

    話は変わりますが、高い建物につきものなのが高所恐怖症です。程度の差こそあれ、高い建物から外、特に真下をのぞき込むと怖さを覚えるのは恐怖症でなくても当然かとおもいます。むしろそこで恐怖を覚えない方が動物としては変かも知れません。何せ落ちたら死ぬのですから。

    もちろん300メートルのビルから落ちようが30メートルのビルから落ちようが死ぬことには変わりないかも知れませんし、3メートル(2階)の高さでも当たり所が悪ければ死にます。

    土地が少ない地域では高層化で床面積を増やすというのは当たり前の解決方法ですが、どこまで高く出来るのでしょうか? 日本では地震対策が必要なので高さを追い求めるのは難しいですが、ブルジュ・ハリファのような800メートル級のスカイスクレイパーが世界には存在します。地震が無い地域であれば今後もどんどん高いビルが作られていくでしょうけれど、建材の自重があるので高さには限界があるはずです。裾野を広げても解決出来ない問題があるはずですが、どこら辺まで行けるのでしょうか?

    高さの限界の解決策としては、宇宙エレベーターの考えで宇宙、人工衛星から地上に向かって伸ばした建築物であれば今あるビル群とは比べものにならない高さを実現出来ますが、それはもはや地上建築物とは言わない気がします。

    ただ、宇宙エレベーターも地震で地上がズレてしまったらどうするんでしょうか? ある程度の遊びを作っておくんでしょうか? いっそのこと、地上には接しないように少し浮いた状態で緩く固定しておけば解決する気がしますが、そうなると建物とは言えなくなりますね。

  • 「応援」は経済的利益と両立しない

    応援するのはいいのですが、応援しつつお金を儲けるというのは至難の業です。

    江藤農相 官民ファンド解散を表明 累積赤字92億円 解消困難
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191220/k10012222591000.html
    江藤農林水産大臣は、92億円の累積赤字を抱えた官民ファンドについて、赤字の解消は難しいとして解散する方針を表明しました。損失は国民の負担になるおそれがあります。
    農林水産業を支援するために、平成25年に国と民間が出資して設立された官民ファンド「農林漁業成長産業化支援機構」は、出資した企業の破綻など投資の失敗が重なって92億円の累積赤字を抱えました。

    官民ファンドが赤字を出して解散すると、当然ながらその赤字は税金から負担せざるを得ません。これから責任追及や負担の問題がメディアに出てくるでしょうけれど、そもそもの問題点として特定の分野・企業や事業を支援することを目的としたファンド自体に無理があったのではないかと思います。

    儲ける・利益を上げるためには応援するという考えではなく、ダメなときには容赦なく切り捨てないといけないですし、本当に優れた投資先であれば「支援」という考えは必要ありません。第一、官民ファンド以外からいくらでも投資してもらえるでしょう。

    逆に応援・支援するというのは金銭的にリターンがあるとは限らないことを認識すべきです。

    なんとかかんとかインデックスファンド、というのも最近多く見かけますが、これも同様な気がします。インデックスファンドの利点は、特定の銘柄にこだわらず市場全体を網羅していることのはずです。何かの制限を付けて投資先を絞ると言うことは、市場全体以外のリスクも抱え込むことになります。

    インデックスファンドで損害が発生しても、そのファンドに投資している人だけが損するだけですが、官民ファンドの損害は最終的には国民全体が負担することになるのが問題ですね。官民ファンドが本気でも儲けを出すのであれば、投資先を「支援」というフィルターをかけずに探す必要がありますが、成り立ちから考えると難しそうです。

    そもそも、応援する、という行為はこちらのリソースを相手に渡すことでもあります。

    単に口だけで「頑張って」というくらいなら大したことはありませんが、本当に支援・応援しようとすればお金も時間もかかります。

    例えば私はガンバ大阪のサポーターとして色々お金を使っています。グッズはほぼ買わないし、アウェイゲームはたまにしか行かないので、もっとお金や時間を使っている人はたくさんいますが、それでも
    ・ファンクラブ年会費
    ・シーズンパス代金
    ・ガンバプラス費用
    は直接ガンバにお金が渡っています。それ以外にもDAZNの視聴費用やスタジアムまでの交通費も必要です。そして観戦している時間、その前後の移動時間も費やしています。

    そういった費用や時間を相手に渡すことが「応援する」という行為には含まれています。

    そういえば、ガンバの先々代の社長である金森喜久男氏がサポーターミーティングで、ヨーロッパにスタジアム視察のために訪れた時にそこで

    「サッカークラブはファンに苦痛を売るビジネスだ」

    と言われたと話していたことを思い出しました。いつのだったかな、とおもってガンバのHPのサポミ議事録を探すとありました。

    2009年5月9日(土) 第3回サポーターミーティング
    https://www2.gamba-osaka.net/supporter/meeting3.html
    昨年、春、リバプールのローガンテイラーさんという教授が講演に来られて、プロサッカークラブはサポーターの方々に何を売っているのか?と聞かれました。クラブ関係者は、「幸せ」、「エキサイティングなゲーム」と答えていましたが、そうではないといった教授。教授は『苦痛』を売っているんだと説明されました。

    「応援」することはめったに見返りが上回ることはありません。精神的な充足は得られることは多いですが、経済的リターンは応援ではまず生まれないでしょう。そもそも見返りを過剰に求めるのは「応援」とは言いませんよね。

  • 格安Androidエコシステムを試してみる

    今はiPhone8Plusを使用していて、それ以前にはiPhone6PlusやiPhone5Sも使っていましたが、さらにその前はAndroidのNexus5を持っていました。

    Nexus5は確か当時、発売されるかもという噂だけが先行していて、突然Googleのサイトで販売が始まってすぐに購入した思い出のある機種でした。その頃のAndroidスマホとしてはハイエンドレベルながら4万円程度と格安でした。Qi充電も出来ていい機種だったと思います。iPhone4から乗り換えても全く後悔しなかったことを覚えています。

    さて、その後またiPhone陣営に戻ったのですが、先日、Amazonのセール時に気まぐれで安いAndroidスマホを購入しました。

    買ったのはこちら。今は在庫切れですかね。

    UMIDIGI A3 Pro Updated Edition SIMフリースマートフォン Android 9.0 2 + 1カードスロット 5.7インチ アスペクト比19:9 12MP+5MPデュアルリアカメラ 8MPフロントカメラ グローバルLTEバンド対応 3GB RAM + 16GB ROM(256GBまでサポートする) 顔認証 指紋認証 au不可 技適認証済み 一年メンテナンス保証 ゴールド
    https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07PKV8WHX/

    クーポンもあって購入時の価格は7,600円ほどでした。Nexus5を使っていたときにインストールしていたAndroidのバージョンは5だったので、Android9はかなり久し振り感があります。

    いわゆる中華スマホで、マイナーなメーカーですが一通りの機能は付いています。無いと言えるのはおサイフケータイ(FeliCa・NFCなど)とTV機能でしょうか。それ以外は、microSDとデュアルSIMが排他利用ではないですし、顔認証・指紋認証も付いています。対応バンドもそれほど少なくないのでdocomo、SoftBankのSIMでもまずつながります。

    届いてから気がつきましたが、始めから対応ケースに包まれていて、画面保護シートも付いた状態で送られてきました。これは良いですね。スマホケースはメジャーどころでないと販売されていませんから。

    性能自体はそこそこというか、当たり前ですがiPhoneのハイエンドクラスと比べるのが間違っていますが、一通りのことは出来ます。性能や安定性に差があるだけです。むしろ7,600円でこのレベルのスマホを買えたことが驚きです。そりゃ日本メーカーのスマホは太刀打ちできませんわ。iPhoneは欧米・日本でシェアを取っていますが、それ以外の国ではAndroid一択なのは当然ですね。というか、もし私に年頃の子どもがいたらiPhoneじゃなくてこの辺のスマホを買い与えているかも知れません。

    Androidスマホの問題は、一部の機種を除いて最新バージョンやセキュリティアップデートがあまりないことですが、これくらい安いのであれば、毎年新しいバージョンの中国無名メーカーのAndroidスマホを買っていってもいいんじゃないでしょうか。何せ10台買ってもiPhoneより安いくらいです。

    メインスマホとしてだけではなく、私のようにサブのスマホとしても持っていても気にならない値段です。ロケットモバイルの神プラン(S)のSIMを突っ込んで見ましたが、ちゃんと電波をつかみます。メインはiPhoneでdocomo系のMVNOのSIMを使い、サブでSoftBank系のMVNOのSIMということで、もしdocomoが通信障害を起こしても大丈夫です。

    ちなみに、このUMIDIGIがスマートウォッチもAmazonで売っていたのでそれも買ってみました。こちらもクーポンでの割引後で2600円ほどだったので、スマホとスマートウォッチを合計しても1万円弱で揃えることが出来ました。

    UMIDIGI スマートウォッチ IP67防水 Uwatch2 スマートブレスレット 1.3フルタッチスクリーン 心拍数 活動量計 歩数計 目覚まし時計 カロリ 遠隔撮影 睡眠監視 LINE/Twitter/Facebook通知 iPhone&Android 日本語説明書付き(2ストラップ)
    https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07WN749C7/

    こちらのUwatch2も画面表示や解像度は結構チープな作りながら、ベルトはApple Watchのミラネーゼループっぽいものが付いていましたし、SNS通知、歩数計や心拍数計、血圧計までありました。正直これでちゃんと血圧を測定できるのか疑問ですが、実際に測ってみると確かに普段の血圧と同じ程度の数字が表示されます。かけ離れたいい加減な数字は出ていません。

    iPhone・Apple Watchの組合せと、このA3 pro・Uwatch2の組合せで出来ることというのは大きく差があるわけではありません。もちろん全く同じことが出来るわけでは無いし、性能も速度も洗練さも大きな差があります。それでも値段差を考えると前者が15万円程度、後者が1万円程度ということになると考えてしまいますね。

    多分、次のスマホもiPhoneを選ぶと思いますが、収入なり財産なり苦しい状況になったらAndroidのエコシステムを選ぶかも。それでもやれることに大きな差は出ないんですよね。使う度に少しずつストレスが溜まるか快適に使えるかの違いくらいですね。お金があればアップル製品(あるいはAndroidのハイエンドクラス)でいいんでしょうけれど、お金が無くてもやりようがあるのは消費者にとってはいいことですよね。

  • 脱石炭と脱原発の両立という困難をどう克服するか

    スペインのマドリードで行われている国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)に絡み、日本政府の地球温暖化対策が不十分だとして世界の環境団体でつくる「気候行動ネットワーク」から「化石賞」が贈られました。

    もちろん皮肉の賞ですが、国内の電力のほとんどを火力発電で賄っている日本が該当するのはある意味当然で、政府も事前に覚悟はしていたとのことです。環境保護団体やリベラルな人たちは今こそ日本政府に脱石炭を訴え、非難を浴びせるのかと思いきやそれほどの熱量は感じられません。

    さて、この「化石賞」という不名誉に対して立てられる方策としては、「脱石炭」つまり火力発電の削減となりますが、それはとりもなおさず原子力発電への移行ということになってしまいます。原発以外の電力供給は、いまだ火力を補うほどはありません。水力は増やせる限界がありますし、再生可能エネルギー発電にしても設置に大量のコストがかかります。その上、供給電力が火力や原子力に比べて安定しません。

    はっきりいうと、「脱石炭」と「脱原発」は現時点では矛盾した概念です。

    そうは言っても、個人的には原発に100%の信頼は置けませんのでいずれは減らすべきだと思っていますし、Co2は喫緊の課題です。

    CO2排出に目をつむって脱原発を進めて火力発電に頼るのか、
    原発のリスクに目をつむって脱石炭を進めて原子力発電に頼るのか、
    脱石炭と脱原発のバランスを取りながら少しずつ再生可能エネルギー発電への移行を進めていくのか。

    政府寄りだろうと反政府寄りだろうと、何らかの旗幟は鮮明にすべきでしょう。

    もちろん、今すぐ火力発電も原子力発電も全てストップして再生可能エネルギーのみに依存することが出来るのであれば万々歳ですが、そこまでの発電量・効率・低コストが実現出来ていません。

    じゃあ人類が使う電気自体を減らせば良いか、ということも出来ません。今、身の回りにある物品や提供されるサービスのほとんど全ては豊富で安い電気ありきで出来ています。それらを全て手放して、はるかに不便な暮らしを選べる人はごくわずかです。

    ドイツはメルケル政権の元、脱原発を進めましたが、いざという時には陸続きの近隣国、特に原発大国フランスからの電力供給があるからこそでもありました。

    第一、今のCO2削減の象徴的な協定はパリで結ばれたものです。原発大国のお膝元で結ばれたパリ協定は原発による環境破壊を織り込んでいないとも言えます。今すぐ火力発電を減らすには日本では原発再稼働しかありません。

    それじゃあ原子力発電を推進してガンガン原発を新規建設していくべきだ、とも思いません。東京湾や大阪湾などの都心部近くではなく福島県や福井県の湾岸に建設している時点で、土地代もさることながら危険性も原発推進派も認めていることになるのではないでしょうか? 本当に安全なら各都道府県の県庁所在地に建設してこそ効率の良いエネルギー利用になるでしょう。

    ドイツが大国の中では進んで再生可能エネルギーに注力していますが、今、ドイツはノウハウの習得や技術の進歩を進めることが出来る経験値を先んじて得ています。

    火力発電も原子力発電を減らしつつ、再生可能エネルギーに少しずつ移行していき、効率化・低コスト化を進めていけるようにするしかないのではないでしょうか?

  • ノートパソコンは必要か?

    デジタルガジェットとして所有しているのはスマートフォンだけ、という人は結構多くなってきました。日本ではiモードを始めとするケータイでのアプリが充実していたので、メールやゲームなども出来ましたがスマホが普及してからはさらに出来ることが増え、スマホのみでデジタル的な活動を行うことも無理ではなくなりました。

    もちろん、長い文章を作成したり、動画や音楽などのリッチコンテンツを作成するならパソコンがあった方が良いですが、スマホでも出来なくはありません。

    そして所有率・使用率が下がる中で、それでもパソコンがあった方が良いと思う人はあまり邪魔にならないよう、あるいは持ち運びやすいようにノートパソコンを選択するケースも多いと思います。たまにしか使わないデバイスがかさばるのは確かに効率が悪いので、なるべくコンパクトなものを選択するのは当然でしょう。

    そうは言っても、そもそもスマホで何でも出来る時代にそれほどノートパソコンを持ち歩くことがあるのか、という疑問が沸いてきます。

    デスクトップパソコンとノートパソコンの違いとして一番大きいのは画面サイズでしょう。正確には、外付けモニタと内蔵モニタの違いです。当然ながら、コンテンツ消費も生産も画面が大きい方が生産性・効率性・視認性が優れています。やっかいなのはその利点をひっくり返すことになる大きさそのものです。

    ただ、ずっと自宅に置いておくのであればノートパソコンよりもデスクトップパソコンの方が便利でしょう。かさばる問題が出てきますが、そこで考えをつなげてみたいのが、テレビの代わりにするということです。

    テレビの視聴時間が年々減ってきています。それはスマホなどの利用時間が増えていることと密接に絡んでいますが、テレビ兼デスクトップパソコンという使い方をすれば、デスクトップパソコン(液晶モニタ)の大きさが邪魔になるという問題が解消されるはずです。テレビを無くして液晶モニタに置き換えて、テレビチューナー(レコーダー)をつなげばいいのです。

    あるいは、パソコンでテレビを視聴するハードウェアもあります。通常のテレビ(地上波やBS・CS)で見たいものが無いときは、NetflixやYouTubeをその液晶モニタにつないだパソコンで見ればいいのです。FireStickのようなHDMI直結タイプの動画コンテンツ用ハードウェアでもいいでしょう。

    自宅ではTV兼パソコンを置いておき、外出先ではスマホ・タブレットとなんなら外付けキーボードを利用すれば、たいていのことは快適にこなせるのではないかと思います。

    そもそも、ノートパソコンを持ち運ぶにしても、画面を開いてスリープから復帰する度に、OSのアップデートのチェックとセキュリティソフトのアップデートのチェック(ワクチンのダウンロード)が必要です。

    ネットにつながっていなければそれらのチェックでデータのやり取りも発生しませんが、今のデジタルガジェットでネットにつながっていないのもあまり意味が無くなってしまいます。

    じっくりと腰を据えてノートパソコンを使うシチュエーションであれば、スリープ復帰後にタイムロスがあってもいいのでしょうけれど、隙間時間に使ったり、カフェや電車で開いたりするのだとすぐに使えないとあまり意味がありません。いわゆるパソコン(WindowsやmacOS)よりはスマホ・タブレットの方が復帰後すぐの利用では圧倒的に便利です。

    日頃使用しているデータもクラウドで同期するようにしていれば、通信料・通信速度の問題さえクリア出来ればパソコンでないと出来ない作業でない限りは、持ち運びはスマホ・タブレットの方が良いと思います。さらには、リモート接続出来るソフトを使えば自宅のデスクトップパソコンにも接続出来ます。

    つまり、自宅などではデスクトップパソコンをテレビ兼用で使用し、出先ではスマホ・タブレットでとりあえずの作業を行う、という使い分けが自分の用途としては一番良いかな?と思っています。

  • 昔と今の細眉・ハイヒール・kutoo

    世に出回っている様々な「三国志」の物語において、まずほとんどで黄巾の乱が描かれていますが、その混乱よりも前から、後漢王朝は不安な政情が続いていました。皇帝の威光をしのぐほどの権力者がたびたび現れ、その権力者を打倒したものがまた新たな強大な権力者として君臨するということが続きました。

    その中でも有名なのが梁冀という人物です。梁冀が二世紀中頃に皇帝の外戚の子として権力を掌握すると、思いのままに贅沢・暴虐を尽くし、それを嫌ったまだ幼い皇帝が「これは跋扈将軍だ」と言ったところ、幼くても言うことを聞かないのであれば不要とばかりに、その皇帝を毒殺したほどの悪人でした。

    最終的には次の皇帝の代になり、太后や皇后などでの血縁者がいなくなると、皇帝と宦官が謀り権力を奪われて一族もろとも自害もしくは処刑されました。

    後漢王朝の問題は、そもそもの王朝の支配力を分配していた豪族から生まれた外戚と、皇帝が外戚に対抗するために起用した宦官との権力闘争が激しすぎたことでしたが、この梁冀・梁一族が族滅されても後漢王朝は安定せず、黄巾の乱から始まる大動乱から終わりを迎えます。

    さて、その後漢王朝の悪い意味での代表的な権力者だった梁冀ですが、実は彼の妻も当時に権力を振るっていた珍しい存在でした。孫寿といいますが、夫の梁冀と競い合って道の向かい側に大邸宅を建てたという現代人にはよく分からないエピソードもあります。独裁者の妻が独裁者と争って平気だったというのが訳が分からないですが、精神的に夫を抑えきっていたのか、個人的に莫大な財産を持っていたのかも知れません。

    それはともかく、この孫寿が当時は単なる悪人というだけではなく、ファッションリーダー的な存在でもあったそうで、ウィキペディアによると、

    「齲歯笑」(虫歯の痛みに耐えながらの笑み)
    「愁眉」(愁いを込めた書き眉)
    「啼粧」(泣きはらした様な目元)
    「堕馬髻」(左右非対称の髪型)
    「折腰歩」(腰を折ったような歩き)

    といったメイク・ヘアメイク・ウォーキングを考案したそうです。

    なんか今でもありそうなファッションですが、こういったファッションが不吉なものと考える人もいて、その後の一族の没落はファッションから予見されていた、ということだったそうです。

    さて、時代は下がって80年代後半〜90年代初めのバブル景気の頃は、女性の眉毛ははっきり太くしていたように思います。その後の長期間の景気低迷の時代はまた細い眉毛が結構長く流行していました。剃ったり抜いたりして細く描くのが普通でしたね。ただ、最近はまた太い眉毛のメイクが復活してきたようです。

    また、上述の「折腰歩」については、歩き方が特徴的で靴にも工夫があったとされています。現代でいえば厚底ブーツやハイヒールのようなものでしょうか。そういえば厚底ブーツも不況の時代に流行っていました。ハイヒールについては、今まさにkutoo運動によって減っていきそうです。女性自身がファッションとして望んで履くのはいいですが、会社から強制されるのは確かにダメでしょう。

    別にそういうファッションが好景気や不況をもたらすとはいいませんが、ある程度は象徴的に変化していくものなのでしょうね。

  • 炎上を防ぐための悪巧みと炎上の社会的存在理由

    今は何をしても、何を主張してもSNSなどで炎上する可能性がある時代です。

    もちろん、炎上してもしょうがないというか、法律や道徳・倫理的に明らかに問題があるようなケースもありますが、そうではない、いちゃもんや単なる価値観の違い、あるいは主張する側の立場などからそう主張せざるを得ないようなケースでも炎上してしまうのはちょっと可哀想かなとも思います。

    炎上して結局何かの主張、創作物、プロジェクトなどを撤回することになってしまうと、企業や団体などにとっては大きな損害にもなります。そうはいっても一旦激しくTwitterなどで取り上げられて炎上してしまうと、ネットニュースにまず取り上げられ、それから一般メディアにも記事にされてしまい、もともと目にすることがなかった人たちにまでネガティブな印象が届けられてしまうことになります。

    それならいっそのこと、世間的に大きく炎上してしまう前に、仕掛ける側がサクラを雇って「わざと」軽く炎上した状態にして、すぐに対応して鎮静化させてしまい、本命のところは傷つかないようにコントロールしてしまうようにしてしまえばいいんじゃないでしょうか。いわば金属が錆びることを防ぐためにあらかじめ薄くわざとサビを作るステンレスのような発想ですね。

    もしかすると、そういうことをやっている企業や団体もあるかも知れませんが、いざ、その対策が全てバレてしまったら過去最大級に炎上してしまいかねないですかね。

    しかし、このウェブ炎上という現象は、記憶する限りでは2000年代中頃、mixiついでブログが一般的に利用されるようになってから始まったと思います。

    確かその頃読んだ、荻上チキ「ウェブ炎上」というちくま新書が出たのが、2007年のようですので、その前なのは間違いないですね。

    この「ウェブ炎上」という現象が何らかの事柄に関して発生した場合、炎上元の原因側の人物や組織が批判されることもありますし、炎上させているネットユーザーにも批判が及ぶことがあります。ネット上での集団リンチ(私刑)という側面があるので、当然ながら「そんな権利はネットユーザーにはない」という批判があり得ます。

    ネット炎上自体は一般的にはマイナスのイメージがつきまといます。もちろん、そもそもがマイナスの出来事に対して非難が集まることで炎上に発展するわけですから、ネガティブな印象が先に立つのは当たり前です。そうはいっても、この十数年間も続く社会的な現象、ウェブ上のユーザーの行動がただひたすら利己的で憎悪に満ちた自己満足の身勝手なもの、と切って捨ててしまうと、何か重要なことを見逃してしまっているような気がしてなりません。

    炎上に加わって積極的に書き込みを行い、拡散させるユーザーというのは全ネットユーザー(子どもを除く人口とほぼ同じはずですが)のほんのごくわずかです。1%にも満たないとも言われています。それでもその行動が社会的に大きく取り上げられて、実際の活動に大きな影響を与え、経済的な損害も受ける人が出てくるとなると、そうも無視できません。

    炎上という現象が人類や社会、文化的に意味(良いものとは限りません)があるのではないでしょうか。社会的に許されない「はずだ」と判断した事象に対して、無名の市民が世間に訴える一番手っ取り早く、簡単で、ローコスト(ほぼ無料)で行える活動が、「ウェブ炎上」ではないでしょうか。

    もちろん、炎上させるネットユーザーの行動やそもそもの判断が正しいとは限りません。しかし、なぜ「炎上」させているのか、ということは考えられるべきだと思いますし、それは炎上を防ぐための第一歩になるはずです。

  • 「書いて考える」という行為の変容

    何かまとまった内容をことを考える時に、紙に文字を書きながら考える、という人は結構いると思います。

    特に昔は誰でもそうだったのではないでしょうか? 頭の中だけで考えるか、紙に文字を書いて出力しながら考える、のどちらかしか無かったですから。

    今も紙とペンで考える、という人はいると思いますが、デジタルネイティブな若い世代の人たちにとってはどうなんでしょうか?

    彼ら彼女らも学校ではノートにペンで書いて覚える、ということを繰り返していますから、そういう人もいるでしょうけれど、生まれたときからパソコンやスマホが身近にあるような環境で育った場合は、考えるという行動自体もデジタルネイティブではない世代とは自然と違ってくるのでは無いかと思います。

    教育現場でもパソコンを一人一台使えるようにするとの動きもありますし、いずれは学校での勉強もほとんどがデジタル教材を通じて行われるようになるでしょう。

    私のようなオッサンでも最近は紙に文字を書くことが少なくなりました。仕事で書かなくなったことも大きいですが、メモも今ではiPadにApplePencilを使って書くようにしていますので、ますます書いて考えるという行動が減ってきました。今のnoteもそうですが、全てiPhone・iPad・Macで書くことのアイデアや中身を考えて、そのままエディタなどで考えながら書いています。

    文章の長さも大したことがありませんので、それで済んでいるという見方も出来なくはないですが、もっと長い文章を書くのなら段落やツリー構造を考えますし、そうなるとなおさら紙とペンよりもソフトウェアを使用した方が考えやすいはずです。

    「書く」という行為と「考える」という行為は密接につながっていました。そして、「書く」側の変容によって「考える」行為の変容も起きるはずです。

    人間の脳が右脳と左脳に分かれていて、右脳が感性、左脳が理性に関わると言われていました。実際はそんなにくっきり分かれているわけではないですが、そういうことがあるのであれば、「右手で書いて」考えたことと、「両手でタイピングして」考えること、の出力物にも違いが出てくるのではないでしょうか?

    欧米ならタイプライターの出現時点でこれが出来ていたはずですが、何らかの結果とかないんでしょうかね?

    日本語ではローマ字入力にせよカナ入力にせよ、タイピングした文字を漢字仮名交じり文に変換する必要がありますから、20世紀後半のワードプロセッサーの登場まで時間がかかってしまいました。

    もし、「両手で考える」ことが「右手で考える」こととは異なるのであれば、デジタルネイティブの世代が新しい出力結果をもたらしてくれるのかも知れません。

    でも、スマホで右手だけでフリック入力しているのならあまり変わらないかな・・・?

  • ラップトップパソコンの低温ヤケド問題

    ノートパソコンはラップトップ(laptop)とも言われます。その名の通り、膝の上に置いて使うからですが、実際に膝の上でノートパソコンを使用するときに問題があります。ノートパソコンが発する熱が膝や太ももに伝わることです。

    特に最近のノートパソコンは高性能化が進み、その分CPUやメインボードから出てくる熱の排出が必要となります。廃熱方法は筐体からの自然廃熱か、ファンを回して強制廃熱かどちらかです。

    ファンによる廃熱の場合、筐体の底面もしくは側面に廃熱用のスリット・穴が空いていてそこから吸気と排気を行うようになっています。底面にスリットがあるパソコンを膝の上に置くと、肌や服が吸気口・排気口を塞いでしまい、廃熱が追いつかなくなってパソコンの故障につながりかねません。ぴったり肌にくっついていないとしても、温風をうけつづけることになります。

    自然廃熱だけのパソコン、いわゆるファンレスマシンですが、その場合は筐体を通して熱が発散されます。キーボード側からも排熱されますが、底面からも当然ながら熱が出ますので、そこから服越しに肌に熱が伝わってきます。

    強制廃熱にせよ自然廃熱にせよ、体温よりも高い熱を肌が受け続けると低温ヤケドになってしまう恐れがあります。机に比べると膝の上は安定性に劣るので、そんな何時間も同じ姿勢でノートパソコンを使用し続けることはないかも知れませんが、そういった低温ヤケド対策や安定性のためにこんなグッズもあります。

    膝上テーブル(ノートパソコン/タブレット用・ブラック)
    https://direct.sanwa.co.jp/ItemPage/200-HUS005BK

    対策が出来るとはいってもいちいち使うのは面倒ですし、持ち歩くのも大変です。しかし、最近では対策ではなくそもそも肌に伝わる廃熱を気にしなくてもいいマシンも出てきました。

    いわゆるタブレット・2in1タイプのデバイスです。

    MicrosoftのSurfaceにはクラムシェル(従来のノートパソコンの形状)タイプもありますが、Surfaceと聞いて思い浮かべるのはタブレットタイプだと思います。タイプカバーを装着するとキーボードを使えるようになり、かなり不安定ですが膝上でも使えなくはありません。

    また、iPadにも今ではスマートキーボードというオプションを使えば2in1マシンのように使うことが出来ます。キックスタンドで支えるSurfaceよりはこっちの方が膝上では安定するでしょう。

    膝上だけではなく例えばスターバックスで見かけるデバイスも、数年前は猫も杓子もMacBookシリーズでしたが、今では様々で、SurfaceやiPadをテーブルに置いて使っている人も結構見かけるようになりました。膝上で使うことも考えて選んでいる人は少ないと思いますが、クラムシェルタイプのノートパソコンでないといけない使い方の人もそれほど多くないと思います。

    かなりの処理速度が必要だったり、キーボードの打ちやすさが重要だったりするような、机の上でのがっつり使い込む感じの場合ならノートパソコンでないといけないでしょうけれど、移動中やカフェでの空いた時間にちょっと使う、という程度の使い方であればタブレット+キーボードカバーで大半の人にとっては充分でしょうね。

  • 流行りの「言語化」について

    最近、いろいろなところで「言語化」という言葉を目にする機会が増えました。

    言語化そのものは重要だと思いますし、今それが話題になっているということはそれだけ社会的に需要が高まっているのだと思います。

    今までそれほど話題にならなかったのは、「言語化」という概念自体をあまり考慮してこなかったということもあるしょうけれど、必然性もそれほど無かったのかも知れません。言い換えると言語化しなくても何とかなっていた、ということです。

    日本においては、日本に住む人≒日本人≒日本語話者という時代が長く、今でもほぼそうです。言語化を特に意識しなくても伝えられる内容は、他の国、民族、言語と比べると割合としては多かったはずです。

    現代でも日本語話者の割合はそれほど減っていないはずですが、教育機会・教育内容の違いや生活習慣・趣味の多様化によって言語化を意識しないと伝わらない事が増えたということもあるのかも知れません。

    コミュニティ間の人の移動が無ければ言語化はまず不要なはずです。非言語コミュニケーションで多くのことが伝わるからです。逆に言うと、コミュニティ間での人の移動が多くなったり、在来のコミュニティの境界線が無くなったりして、非言語コミュニケーションによる交流が出来なくなると、言語化が必要になるはずです。

    日本史上、最初に言語化が必要になったのは律令制度の実施時です。日本国内を漢字文化圏することで律令を行きわたらせ、地方から中央への納税・労役提供によって富の集中を行うためです。

    その次はずっと時代を下って明治維新後です。富国強兵のため、日本中を標準語化しないといけなかったのですが、全国に教育制度を導入して各地の学校で教えられる「国語」によって日本人が同じ言語を持つことが出来ました。それ以外にも徴兵制によって徴兵された人が標準語を覚えて除隊して地元に戻るということも影響があったようです。もちろん、新興メディアである新聞の影響もありました。

    戦後は徴兵制がなくなったが、新しい教育制度と新聞の全国紙化とラジオ・テレビの普及によって標準語は誰でも理解出来るようになりました。日本国内においてほぼ単一の文化の中で生活するようになり、現代と比べると趣味も文化も種類が少なく、言語化しなくても意思疎通が出来る部分が多かったと言えます。

    現代が興味の多様化によって「言わなくても分かる」という内容の割合が減りました。それが昨今の「言語化」ブームを作り出しているのだと思います。「言語化」の必要性や手法はよく取り上げられていますが、今、「言語化」として要求されているほとんどは「言語による文字化」でもあります。言葉を文字に変換するのも技術が必要ですし、まぎれもなくアウトプットに位置する技術です。良質なアウトプットは良質なインプットも必要ですが、良質なインプットを得る方法や、それを脳内にて劣化させずにアウトプットに昇華させる技術も同じく重要視されるでしょう。

    良質なインプットを意識的に実行する方が難しいような気もしますが・・・。

  • 興味の境界線上にある知識をどうやって手に入れるか

    個人的にITガジェットは昔から好きで、コンピュータやIT関連の情報取得はかつては雑誌、今ではネットが主になっています。

    自分が好きな範囲の情報は意識して手に入れるのは今も昔も変わらないですが、直接的な興味が湧かないけれど、目にしたら一応は読んで頭に入れておいてもいいかな、という程度の興味の境界線上にある知識を手に入れるのは結構難易度が高いかも知れません。

    まず、興味がはっきりとあるわけではないので意識して情報を手に入れようと思わないですし、その時間を別のことにも使いたくなります。

    かつて、紙媒体の雑誌から情報を得るのが主流だった時代では、月刊アスキーあたりを読んでいれば、そういった興味の境界線上の知識は自然と入って来ました。あまり興味は無くとも、せっかくお金を出して買った雑誌ですから隅から隅まで読んでみよう、という意識もあったからです。月刊アスキーを毎月ちゃんと読んでいれば、当時の初級シスアドくらいの国家資格に合格する程度の知識は勝手に身につきました。

    今の時代も電子書籍として雑誌は存在していますが、情報取得のソースは圧倒的にネットが多くなっています。何かの情報を取得したときに、その周辺にある直接的には興味の無かった情報を得ることが出来ているのかな、という懸念があります。

    もちろんこれはIT関連の情報だけではなく、あらゆる分野の興味にも通用する話だと思います。

    今は本をほぼ電子書籍、というかKindleで読んでいるため書店に行くことはなくなりましたが、かつては書店で目当ての本を買うだけではなく、一通り本のタイトルを眺めたりして目にとまった本を立ち読みしたり買ったりすることもありました。そうやって、興味の周縁上にある知識を手に入れていたのだと思います。今でもAmazonのKindleストアではリコメンドされる本を次から次へとほしいものリストに放り込みますが、立ち読みとはまた違いますよね。

    また、何かを調べようとしてネットで検索し、調べ終わったらそれで終わり、となってしまいます。これは電子辞書などでも思ったことですが、紙の辞典だと調べた単語の周辺にある言葉も目に入り、そこで気になった事柄が意識的か無意識的かに限らず、頭の中に入ります。それがまた後日、思いがけない形で思い出してセレンディピティのような知的出会いが生まれるわけですが、電子辞書だと調べたい単語だけが表示されるので、そうはいかないと思います。そこが不安になるのですが、始めから電子辞書だけを使い続けている人にしてみたら、何らかの形でセレンディピティを生む方法を見つけているのでしょうか?

    完全にランダムで情報を得るのはまた違います。全く興味が無い事柄を目にしても頭に入りません。また興味がある事柄に直接的に関係するような情報を目にしても、セレンディピティは起こりません。あくまで知識の積み重ねになるだけです。

    Amazonのリコメンド機能やGoogle検索のリンク上位表示は内容もさることながら他の多くの人が参照しているから、という理屈に基づいています。それは確かに、多くの場面で最適解を生み出すのだと思いますが、ごくわずかな関連性からもたらされる思いがけない出会い〜セレンディピティ〜を生み出すのはまた別の仕組みが必要でしょう。これはデジタル化時代に足りない一つだと思います。