「書いて考える」という行為の変容

何かまとまった内容をことを考える時に、紙に文字を書きながら考える、という人は結構いると思います。

特に昔は誰でもそうだったのではないでしょうか? 頭の中だけで考えるか、紙に文字を書いて出力しながら考える、のどちらかしか無かったですから。

今も紙とペンで考える、という人はいると思いますが、デジタルネイティブな若い世代の人たちにとってはどうなんでしょうか?

彼ら彼女らも学校ではノートにペンで書いて覚える、ということを繰り返していますから、そういう人もいるでしょうけれど、生まれたときからパソコンやスマホが身近にあるような環境で育った場合は、考えるという行動自体もデジタルネイティブではない世代とは自然と違ってくるのでは無いかと思います。

教育現場でもパソコンを一人一台使えるようにするとの動きもありますし、いずれは学校での勉強もほとんどがデジタル教材を通じて行われるようになるでしょう。

私のようなオッサンでも最近は紙に文字を書くことが少なくなりました。仕事で書かなくなったことも大きいですが、メモも今ではiPadにApplePencilを使って書くようにしていますので、ますます書いて考えるという行動が減ってきました。今のnoteもそうですが、全てiPhone・iPad・Macで書くことのアイデアや中身を考えて、そのままエディタなどで考えながら書いています。

文章の長さも大したことがありませんので、それで済んでいるという見方も出来なくはないですが、もっと長い文章を書くのなら段落やツリー構造を考えますし、そうなるとなおさら紙とペンよりもソフトウェアを使用した方が考えやすいはずです。

「書く」という行為と「考える」という行為は密接につながっていました。そして、「書く」側の変容によって「考える」行為の変容も起きるはずです。

人間の脳が右脳と左脳に分かれていて、右脳が感性、左脳が理性に関わると言われていました。実際はそんなにくっきり分かれているわけではないですが、そういうことがあるのであれば、「右手で書いて」考えたことと、「両手でタイピングして」考えること、の出力物にも違いが出てくるのではないでしょうか?

欧米ならタイプライターの出現時点でこれが出来ていたはずですが、何らかの結果とかないんでしょうかね?

日本語ではローマ字入力にせよカナ入力にせよ、タイピングした文字を漢字仮名交じり文に変換する必要がありますから、20世紀後半のワードプロセッサーの登場まで時間がかかってしまいました。

もし、「両手で考える」ことが「右手で考える」こととは異なるのであれば、デジタルネイティブの世代が新しい出力結果をもたらしてくれるのかも知れません。

でも、スマホで右手だけでフリック入力しているのならあまり変わらないかな・・・?

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