政治家は庶民的であるべきか

岸田新総理の33万円の国産腕時計がSNSでネタになって、あっという間に逆襲を受けて鎮静化しましたが、そもそも岸田氏クラスの政治家で数十万円の腕時計を持っていない人の方が圧倒的に少ないでしょう。

私個人はApple Watchより高価な腕時計を持っていませんし、買おうとも思いませんが、お金を持っている人が腕時計にお金を使うこと自体は特にどうとも思いません。首相が宝石入りのギラギラの腕時計を公の場でしていたら、「コイツ趣味悪いな」とは思いますが。

33万円の腕時計が首相として不適切かどうかはともかく、貧乏人でない証しではあります。貧しい=庶民的ということでもないでしょうけれど、庶民的だから良い、庶民的ではないから悪い、という二元論を政治家への判断の軸にするのは相当に問題があります。

庶民のことを気にかけないのは問題ですが、政治家のライフスタイルや家計が庶民的である必要はないでしょう。首相や与党や官僚は何をしても批判されやすいのは確かですが、批判するにもまともなやり方でないと逆効果になる典型のような騒動でした。

だいたい、過去2回自民党からの政権交代を果たした新政権は、どちらも浮世離れした人が首相になりました。1993年に8党連立による38年振りの非自民政権を作った細川護熙は、戦国時代の細川藤孝から続く肥後藩主の直系子孫であり、近衛文麿の孫でもある家系で、とても庶民的とは言えない政治家でした。

また、同じく自公政権に選挙で勝って政権交代を果たした、2009年の民主党・社民党・国民新党による連立政権は鳩山由紀夫が首相になりましたが、この人もおよそ庶民とはかけ離れた血筋です。明治期に衆院議長にまでなった鳩山和夫、戦後に首相になった鳩山一郎、外相になった鳩山威一郎と続くゴリゴリの世襲政治家な上に、ブリジストン創業者のそれなりの遺産も手に入れています。

細川護熙も鳩山由紀夫も自分が庶民とは違うとは断言しないかも知れませんが、庶民からかけ離れた人生を歩んできたことは間違いありません。かつての自民党で総理総裁にまで上った田中角栄や鈴木善幸の方が庶民の暮らしのことを知っていたでしょう。第一、菅義偉前首相だって秋田から上京して働きながら夜間大学を出ています。

何をもって庶民とするか、という基準そのものが存在しないと思いますが、政治家にしろ首相にしろ、庶民的でないといけないという思い込みは無理があります。吉田茂は貴族趣味で庶民的な人気があったとは言えませんが、戦後日本の路線を規定した偉大な政治家でした。

政治家が庶民的だろうと貴族的だろうと、政治家として優れていることが重要なはずです。鄧小平の言葉として言われている、「白いネコだろうと黒いネコだろうと、ネズミを捕るネコが良いネコ」という格言にあるように、国家や国民にとって有益なら金持ち政治家でも一向に構わないはずです。

政治家に対する批評は、あくまで結果で見るべきであって、少なくとも身に付けている腕時計の値段でどうこういうことではないでしょう。

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