生きやすい時代なんて無い

生きやすい時代なんてありません。その時その時で人によって変わるだけです。

これまでの歴史上どんな時でも、まさかそんなことが、という事が起きてきました。この30年間の間だけでも、東日本大震災も阪神大震災も、911のテロも地下鉄サリンも、コロナ禍も狂牛病も、バブル崩壊もリーマンショックもありました。

場所や時代に応じて、生きやすい人もいれば生きづらい人もいます。

吉川英治の小説、私本太平記の最後の巻「黒白問答」の中に、
「必ず朝は来ます。朝の来ない夜はない」
という台詞があります。

鎌倉幕府滅亡、建武の新政の混乱、そして南北朝の動乱に観応の擾乱と、何十年も国内が2つ3つに分かれて戦い続けている中での言葉として、吉川英治が描いたものですが、太平洋戦争を経た大作家の晩年を飾る名作の最後の名言でしょう。

いつどこの時代でも
「必ず朝は来ます。朝の来ない夜はない」
と、そう思って、そう願って生きるしかありません。

この現代のまさに今そのものが生きるのが難しい時代かどうかは人それぞれ違うかも知れませんが、少なくとも表現するのが難しい時代ではあるでしょう。

ポリコレ的批判は当然のものでもありますが、とかく杓子定規で無理矢理難癖をつけるようなケースもあります。それを持って、今だけがかつてよりも表現規制が強まったと批判されることも多いですが、そもそも表現が完全に自由だった時代はそもそも歴史的にも地域的にもそんなにあるものでもありません。

キリスト教・イスラム教の影響が強い時代や地域では宗教絡み、性風俗などは強い規制を法律や文化によって課せられます。戦後の日本は自由だったと思われがちですが、「チャタレイ夫人の恋人」「愛のコリーダ」「四畳半襖の下張」といった表現規制の事件がありました。

表現そのものや、その表現への批判非難がSNSと結びついたことが現代の特徴です。SNSは表現への人々へのアクセスをほぼゼロ距離に縮めました。昔はお咎め無かったのになんで今はダメか、というと、ただ単に昔もダメだったけれど無視されていたか、批判の声が小さかっただけのこともあります。

表現の自由と言っても、何をしても良いわけではなく、結局その表現の自由さは非難や罵倒として自分に跳ね返ってきます。

生きるのが難しい時代、表現するのが難しい時代かも知れないですが、それを嘆いてもしょうがなく、文句言ってもしょうがない。もちろん、嘆いたり文句を言ったりしても良いですが、それで何かが変わるわけではありません。

どんな時代でも生きるのが楽、表現が自由だった時代なんてほとんど無かった以上、それを踏まえていつの時代でも生きていくしか有りません。

今に合わせて変化するしかないし、変化しないならしないでひっそり暮らすしかない。SNSもマスメディアも断って、仙人のような暮らしをすれば何も気にすることはありません。

古代中国三国志の時代の末期から晋の時代にかけて、竹林の七賢という当時の知識人トップクラスの人たちが俗世から離れて隠者として暮らした事例もあります。7人のうちには政治家として栄達した人もいるので清貧の暮らしとは言えませんが、俗世を超越する暮らしは俗世そのものである社会や政治を批判することにもつながります。7人の中には処刑された人もいます。

少なくとも今の日本においては、マスメディアもソーシャルメディアも使わずに隠遁していれば、政治や社会や誰か個人を批判したところで処刑されることはありません。それも一つの処世術でしょう。

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