女性天皇・女系天皇の問題は折に触れて話題というかニュースというか、諸処で取り上げられますが、悠仁様までの継承は問題ないとしても、その先には現状の男子皇族の少なさを考えると、これからの日本では避けては通れない問題です。
一足飛びに女系天皇を認めるところまではいかないでしょう。どう考えても反対が大きいでしょうし、天皇論・皇室論及び憲法・皇室典範の法律論まで出てきます。
では男系の女性天皇はどうでしょうか?
これも、悠仁様の即位までは女性天皇を本格的に論議するところまではいかないのではないでしょうか? 必然性が無いからです。逆に言うと、若い(皇位継承の現実性が高い)男性皇族が他に一人もいなくなる状況になれば、どう考えても女性天皇・女系天皇を認めるか、旧宮家の復活かの2択になります。
女性天皇に限って言えば、過去に存在したことがあるという主張から認めるべきだという意見が出てきます。皇室典範を改正すれば可能ですが、そもそも女性天皇が過去に即位した経緯を考えると、それはそれで穏やかでもありません。
おそらくは聖徳太子(厩戸皇子)の時代の推古天皇が、最も有名な女性天皇だと思いますが、他の女性天皇もほとんどは飛鳥時代から奈良時代に即位しました。
推古天皇
皇極天皇(斉明天皇として重祚)
持統天皇
元明天皇
元正天皇
孝謙天皇(称徳天皇として重祚)
この6名8代の女性天皇はいずれも、天皇として即位しうる後継男子はいるものの、政治状況から鑑みてまだ幼少のため、後継男子が成長するまでのつなぎとしての即位でした。
平安時代に入ると、例え後継男子が幼少であっても、外戚の貴族、特に絶大な権力を持ち始めた藤原氏がいるため、幼くして天皇として即位しても問題がなくなります。そのため、「つなぎ」としての女性天皇の必然性がなくなり、女性天皇の可能性は900年弱の長きに渡ってあり得ませんでした。
そのブランクが破られたのが江戸時代です。徳川政権による禁中並公家諸法度の強制、そして発生した紫衣事件、さらには春日局の参内事件などがあって幕府と大揉めに揉めた後水尾天皇が、無断で娘の興子内親王に譲位して明正天皇として即位させました。当時は男性の皇位継承者がいなかった状況でもありましたが、まだ30代だった後水尾天皇に男子後継を諦める理由もありません。あくまで幕府との軋轢が女性天皇の859年振りの復活を生んだのです。
そしてさらに119年後に、再び女性天皇として後桜町天皇が即位します。こちらも本来の皇嗣である後の後桃園天皇がまだ幼少で、なおかつ先の桃園天皇と摂関家が対立していました。
結局、女性天皇が即位するのは男子の皇位継承者が不在もしくは幼年過ぎること、及び政治状況が不安定であることが条件でした。
もし、この現代において女性天皇の即位が起きるとしたら、そういう状況になった場合という仮定になります。もちろん、例え天皇陛下(あるいは他の皇族含めて)が後水尾天皇のようにブチ切れて譲位したとしても、現行法上では女性天皇は認められません。何より、幼年ではない男子の皇位継承者が2人もいます。
しかし、将来的にそのような状況が発生したときには、女性天皇、そしてさらに進んで女系天皇を求める動きが、水面下のみならず公にも出てくるでしょう。その時になってから慌てるよりは、今のうちから考えておいた方が良いのでしょうね。もちろん、そういう状況が発生するのが10年後なのか50年後なのか200年後なのかは、誰にも分からないことです。
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