承認欲求を抑えるのは難しい

承認欲求は誰もが持つものです。他の人に認めてほしい、自分のことを知ってほしい、気にかけてほしい、という欲求は種類や質・量を問わなければ、いつでも誰でも心の中にはあるでしょう。

以前、ヘンリー・デイビッド・ソローに憧れる現代人に関して書いたことがありますが、

https://hrsgmb.com/n/naff5cb01d74a

ソローのように森で静かに暮らしていた人だって、その生活を書いたのです。賢明なる隠者でもない我々一般人が承認欲求を抑えられないのも当然でしょう。

二回りほど昔の頃までは、一般人が他人に認めてもらえるのはごく限られた範囲の中だけでした。家族・友人知人・職場・趣味などで現実に接する人たちと承認し合う仲でのやり取りのみでした。

しかし、90年代半ばWindows95とインターネットの爆発的な普及により、それまでとは比較にならないレベルで各人が自分を世界中に公開することが出来るようになり、同じく公開している人を認知するような時代になりました。

次いで、Web2.0と呼ばれる段階において、ブログサービスや初期のSNS(mixi、MySpaceなど)によってさらに簡単に承認欲求を満たせる(あるいは満たせずにヤキモキする)段階に移りました。

今現在はさらに進んで、パソコンだけではなく、スマートフォンによっていつでもどこでも自分を発信する一方で、「自分を発信している」他人を承認する状態です。

Twitterで他人のTweetを読み、リツイートやコメントを書き、Facebookでいいね!ボタンを押し、Instagramで「映え」ている他人の写真を羨む毎日を送る人が増えました。

とはいえ、それを当てこするつもりもありません。ヒト、ホモサピエンスは社会性を持つ動物であり、他人との関わり合いを求めるのは本能的な欲求のはずです。

だからといって、ぼっちの人間を馬鹿にしたり、承認欲求が満たされないために苦しんだり、他人に無意味なマウントを取るようになると、それはそれで問題です。むしろ「反社会性」と言った方が良いかもしれません。

承認欲求は人間の本能に基づくものであり、無くすことは無理です。

「自分は承認欲求を持っていない」

という人もいるかも知れませんが、その発言自体が誰かに「へー、すごいね」と、「承認欲求が無い人」としての承認を求める内部矛盾を起こしています。

仏教的、禅的な考え方の一つに、「欲望や煩悩を持たないように考えること自体が欲望になっている」というものがあったと思いますが、それに近いかも知れません。

大事なのは、承認欲求があることを自覚した上で、それを出来るだけ(100%までは求めず)コントロールすることでしょう。そうすれば、大きな間違いはしないはずです。

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