衣服の規格化、住宅の規格化、そして食事の規格化

戦後から昭和の途中くらいまでは、衣服を店で買うのが当然ではなくて、家庭で母や妻に当たる女性が仕立てるのが普通でした。もちろん衣料品店が無かったわけではないのですが、高級品ならともかく、普段着なら生地を買って縫うことが家事の一つでした。駅前や商店街などには糸やボタンを売っている店がどこにでもありましたし、被服の学校も大小様々にありました。

しかし百貨店・ブランドショップそしてユニクロのようなSPAの店がどんどん普及して、新しい服を手に入れる手段というのはお店で買うことそのものになりました。自前のオーダーメイドから規格品を買うことになったわけです。衣服、衣料品の規格化が進んだと言えます。

住宅でも流れは同じで、現代でも注文住宅はありますが土地とお金に余裕が無ければ出来ません。お手頃な価格のマンションや建売住宅では、どこの住宅会社・不動産会社・建設会社が関わっていても似たようなものです。リビング、ダイニングキッチンと2つ3つの個人部屋があり、独立したバス、洗面所、トイレがあり、洗濯機を置いて、ベランダがあって、個人部屋にはビルトインのクローゼットがあり、お風呂には乾燥機も付いています。

住宅の規格化は高度経済成長期に出てきた団地や文化住宅が最初だったのでしょうけれど、完全に独立している一戸建てでも、同じような間取りになっているのはまさに今風なんでしょうか。ともかく、これは衣食住のうちの「住」、住宅の規格化です。

さらに、食事も家庭で食べるものでも一から作るのは今では時間的に余裕がある趣味みたいなものになってきました。自家製の「手前味噌」を作っている家なんて今どれくらいあるでしょうか?

味噌汁だって味噌を溶いて作る家庭もあれば、レトルトで済ませる人も珍しくありません。手の込んだ料理ならなおさらです。作るにしても既に味付けが出来ている調味料に肉や野菜を和えて火にかけるだけでも作れます。

さらに時間や手間を節約するなら、コンビニやスーパーで弁当や惣菜、冷凍食品を買ってくれば済みます。出来合いの調味料で作るにしろ、既に作られた惣菜を食べるにしろ、衣服・住宅に続けて、食事の規格化が進んでいる状況です。

ただ、これを個性や人間性の消失だの大上段に立って批判するつもりはありません。

社会の進展が個別性から統一性に向かうのはどんな分野においても同じです。始皇帝が天下を統一した後に貨幣や度量衡を統一したように、規格化によって労力の節約がなされるのは個人のサボりや退廃ではないのです。

自分で作った服を着ても良いし、独特な間取りや設計で奇抜な家に住んでも良いし、手間暇かけて自分独自のレシピで作った食事を食べても良いのです。それが出来る人、好きな人はそうすれば良いし、それをしなくても良いと思う人や出来ない人は規格化されたものを利用すれば良いだけの話です。

敢えて自分はこうしているから他人もこうすべき、とか言わなくても良いですよね。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA