統一規格の時代から寸断の時代へ

20世紀は間違いなく大量生産・大量消費の時代でした。その傾向が端緒に就いたのは各国で産業革命が始まった18世紀・19世紀ですが、生産された物を消費するためには、流通が発展して各地に製品が届くようになり、メディアを通じて消費者に購入を訴えかける広告が産業として発達してからですから、やはり大量生産・大量消費の時代と言えるのは20世紀でしょう。

そして小物なら各商店で並べやすいようにパッケージデザインは整えられ、家電なら同じコンセントに同じ電圧で動くように設計され、自動車はレギュラー・ハイオク・軽油の違いはあれどどこのガソリンスタンドに行っても給油することが出来ました。

大量生産・大量消費のためには、規格の統一は必然でした。SONY製品で使えるカセットテープがナショナル製品では使えないなんてことはありません。文庫本はそこの出版社でもほぼ同じ高さなので、新潮文庫と講談社文庫を同じ本棚に並べられました。時には規格間での激しい争いはあれど、VHSのように最終的には一つに統一されるものでした。

20世紀は統一規格の時代でもありました。その最後の規格は、1980年代に制定されたCDとDVDでしょう。CDは90年代、次いでDVDは2000年代に広く普及しましたが、その後は統一規格の時代ではなくなりつつあります。

ガソリン車と異なり電気自動車はどの車でも一つの規格で充電出来るわけではありません。iPhoneとAndroidスマホではケーブルコネクタの形状が異なります。電子書籍サービスは各社ごとに分断されていて、A社で買った本をB社のリーダーで読めることはあり得ません。

電子マネー、ポイントサービスは乱立・分断され、相互利用やポイント交換できる方が珍しいくらいです。

所有する時代から共有する時代、「シェア」の時代だ、と10数年前に誰もが騒いでいたはずですが、21世紀は規格が分断され、相互利用が不便な時代になっています。

物理的な製品・サービスだから共用出来ないのだ、これからはウェブ上、クラウド上の時代だ、という人もいるでしょうけれど、そもそも普及し始めた頃のインターネットは今よりももっと開放的でした。情報が寸断されていなかったはずですが、今ではSNSなどのサービス内で生産された大量の情報は、串刺しでの検索など出来ません。サービスごとにログインして検索して、コピーして保存してまた他のサービスで利用する、という手間もかかります。

テレビもチャンネルを変えれば1秒かからず別の局の番組を見られましたが、一つのデバイスでNetflixを見ている状態からYouTubeに変更しようとすると、再生を止めてホーム画面に戻ってYouTubeのアイコンをタップして見たい動画を選択、という感じで、手間の数は増えています。

シェアリングエコノミーも便利な人は便利ですけれど、ベンチャー企業のおもちゃ(あるいは飯の種)的に扱われている面もあります。

企業が消費者を囲い込む一方で、消費者は所有しない一方で面倒さを抱える時代になっているのです。

行く先がどうなるか分かりませんが、そう簡単には消費者も企業も満足するような社会がすぐに来ることは無いでしょう。

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