リアルっぽい言葉遣いによる問題

話し言葉だろうと文章だろうと、自分が知らない分野の情報に接するときに、難しい言葉遣いをされていると、当然ながら理解が難しくなります。

その分野における専門用語や、日本語で言う横文字・英語を片仮名にしている言葉が多用されていることが、理解の難しさを招く場合があります。

そういう言葉遣いによって相手側の理解度が減り、曖昧な情報が伝わってしまうとしたら、それはどう考えても失敗です。とはいえ、世の中全てが正確に情報を伝えることを目的とした情報伝達ばかりではありません。

相手にこちらの情報を正確に渡したくないケースというのは存在します。例えば、詐欺的な商売というか取引で、金融や経済やITの専門用語っぽい横文字が大量に存在する宣伝は、騙す相手が知らない言葉を並べ立てて曖昧な理解のまま、なんとなく「凄そう」という印象だけを与えるのが目的です。

そういう場合は、用語の使い方が正確かどうかが重要なのではなく、騙す側が騙される側よりも圧倒的に知識があるのですよ、という「リアリティっぽさ」を演出するのが重要なのです。

リアルさが正確さのためではない、というのは何とも皮肉ですが、ここから導き出せる自衛手段としては、自分が理解出来ない言葉遣いをしている人の言うことを信用しない、ということです。

100%信じない、とまではいかなくても、こちら側に理解してもらおうという感じがない宣伝文句を信用してお金を出すことをしなければ、少なくとも大損は避けられます。

逆に説明する立場からすれば、専門用語や横文字をむやみに並び立ててしまうと胡散臭く見られる、ということにもなります。

あと、もう一つリアリティを演出する道具としては具体的な数字があります。よくあるのが、年間何十万もする商品・サービスでも一日当たりにするとわずか数百円ですよ、という宣伝文句で理解を曖昧にさせる手法があります。

それ以外でも、巨大な数字をサッと出すことでこの人はその分野の専門家だと相手に思わせる効果があります。コンピューター付きブルドーザーと呼ばれた田中角栄は、大きくて細かい数字もすぐに覚えて回答出来て、さらにどんどん強引に実行していったからこそ、その異名が付いたと言われています。

彼が嘘の数字を言っていたわけではないでしょうけれど、具体的な数字には魔力というか、少なくとも魅力はあります。何か特定のことについて知らない人は、そのものについてまつわる数字も出てくるわけがありません。数字がリアリティを演出するのは間違いありません。

数字についてはフィクションでも同様で、具体的な数字が出てくることでその場面に感情移入しやすくなります。小説の主人公がコーヒーを飲むにしても、一杯が100円なのか500円なのか、はたまた2000円なのかで、そのコーヒーがコンビニなのか街の喫茶店なのかホテルのラウンジなのかを演出できます。

もちろん、将来インフレしたりデノミしたりして貨幣価値が大幅に変動してしまうと、その小説の時代を想定して貨幣価値を現代に換算しないとリアルさが減じてしまうので、この辺は難しいところです。星新一のショートショートなんかは具体的な数字を書かないように工夫したことで、時代を超えて愛される作品になっています。

リアリティを追求すると同時代的にはイメージ形成の効果が強いですが、時代を経るか、あるいは知識がある人にして見たら、そのリアリティさはかえってマイナスになるというジレンマが存在します。

まあ、30年近くまともに物価も賃金も上昇していない今の日本では、悲しいことにあまり実感が無い話なのではあるのですが。

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