食事はお金を食べるよりも楽しさを食べた方が良いんじゃないですかね

吉野家とかサイゼリヤなど、安い食事の代表格のような扱いをされることが多いですが、最近ではニュースやSNSで安っぽいマイナスイメージを言った人が、むしろ炎上するケースも出てきました。

吉野家は例の役員の例の講演で、自社の商品を安物扱いしているのも驚きでしたが、サイゼリヤを楽しむことを否定的に言っちゃう人が絶えないのも不思議です。

それらの発言・意見について、確かにそうだと思う人もいるでしょうし、言論の自由から考えればそれはそれで勝手に言うのは構いませんが、食事に金額を直結させて考えるのは狭い考え方なのではないかと思います。だからこそ炎上してしまうのでしょう。

味の保証は、高い金額を払うことによってある程度担保されることは間違いありません。もちろん高いお店で美味しくないことが絶対無いとは言い切れませんが、多分、高級店では美味しい食事がほぼ確実に出来るはずです。

しかし、楽しさの保証はまたそれとは別で、食事の際に楽しいかどうかは味そのものだけではなく、その時の自分の気分、お店の雰囲気、同行者との会話などによっても左右されます。これは高級店だからといって保証されるわけではありません。

何かで読んだ話ですが、レストランのリピーターになってくれるのは、会計時に
「美味しかった」
と言う人ではなく、
「楽しかった」
と言う人の方が多いそうです。それなりの金額を払えばそれなりの美味しさを味わえるのは当たり前で、それプラス楽しさを感じられてこそリピーターが生まれるのでしょう。

チェーン店で食事をすると、味はどこでも基本的には同じです。それはある意味、味の保証が出来ているわけで、後は楽しむためのパラメータが加われば、「楽しい思い出の食事」が出来上がります。高級店で途轍もなく美味しい料理に出会えれば、その味そのものが楽しさになることもあるでしょうけれど、舌が肥えたら求める味のハードルも高くなってしまいます。

舌が肥え過ぎたら、大半の食事は楽しめなくなるということになる気がするのですが、どうなんでしょうね。味が庶民的な人間にはそんな高級な舌を持つ人の気持ちが分かりませんが、安い食事イコール貧困と決めつけたりしなければ、そんな揉めることもないのですけれどね。

そもそも食事の価値を金額で付けるというのは、
「このサラダは****円、次のスープは@@@@円」
とか算出しながら食事するようなものでしょう。チェーン店での食事を笑顔で楽しむのとどっちが良いですかね。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA