日本語は生きている限り変わっていくものだし、他のエンタメと時間の奪い合いになっている読書習慣は押し付けても意味が無い

最近は見かけなくなったような気がしますが、日本語の乱れを口にする人は多分いつの時代にもいます。特に若者言葉における新語や省略、文法の変化に対してアレコレ嘆くのは、いつの時代でも面倒くさい中高年か老人でしょう。

生きている言語、使用されている言葉というものは、単語が入れ替わり、変化し続けるのが当然です。むしろ本当に嘆くべきは、単語が増えず文法も変わらなくなった時でしょう。それは、使用する人が激減した時です。かつての(あるいは今の)ラテン語のような存在です。限られた人が限られた用途に使うだけの言語には変化が厳禁です。

嘆いてもしようがないことを嘆くのは老害と言われてもしょうがありません。

同じく、似たような現象に読書習慣の減少があります。

本を読む人が減った、怪しからんことだとお怒りになる人は読書好きの中年〜老人に間違いありません。

読書するのが良いことだというのは分かりますが、それを押し付けても読書好きが増えるはずもなく、かえって本を読むことへのハードルを高くしてしまっている可能性もあります。

読書なんて読みたい人が読めばいいのであり、読むものを指定したり読み方をこうあるべきだと論じたりして、悦に入っているのは読書ジャンキーだけです。

だいたいどんな習慣や趣味でも、こうしろああしろとうるさく言われたらむしろ嫌いになるのが当然であり、それをもって「近頃の若い者は〜〜」と言い出したらいよいよ老害待ったなしです。

読書好きが読書好きを増やすのならいわゆる「にわか」を大切にするしかありません。趣味に関してもよく言われますが、マニアがニワカをないがしろにしたり批判したりすると、新規ファンが増えずそのジャンルは滅びの道を辿ります。

読書に興味を持った人に対して、読書するハードルを下げた環境を整えておくだけで良いでしょう。それ以上のお節介が欲しい人が求めてきたら提供してあげるくらいの気持ちで良いでしょう。誰彼構わず「この本を読め」「こうやって読め」と強制し始めたら、むしろ読書という趣味のジャンルにおいては獅子身中の虫と言わざるを得ません。

読書習慣が減少しているのは他の趣味との時間の奪い合いが激しくなっているのであり、テレビや新聞の苦境と理由は同じです。さらに人口、特に若年層の急激な減少によって読書人口が減っていくのも当たり前のことで、人口動態と社会環境の変化を加味した上で論じるべきなのでしょう。

日本語は勝手に存在していくでしょうし、本を読む人はいます。こうあるべきだ、こうするべきだと言ったところで、多分プラスの影響よりもマイナスの影響の方が大きいのではないでしょうか?

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA