今の時代は、ありとあらゆるアナログがデジタルに置き換わっていく過渡期であることは誰の目にも明らかでしょう。もちろん、人の営みの100%が全てデジタル化されて、メタバース上で全ての人間関係が構築されるということは、今の人類には出来ません。そこまでの技術も覚悟も今の人々は持ち合わせていません。
とはいえ、大半の事務仕事、コンピュータ系の仕事はどんどんRPAやAIあるいは自律ロボットに置き換わっていくでしょう。その元になるハードウェア・ソフトウェアそのものを作る人ならともかく、それらを使用する人の仕事は本来、コンピュータがやった方が得意な作業が大半です。
となると、結局残るのはデジタルに置き換えられない、アナログそのものの仕事ということになりますが、それにしたって全てが残ることもないでしょう。自動車の運転も、自動車の製造も、ロボット・AI・ソフトウェア・インターネットなどによって可能です。小さな建物なら現代でも3Dプリンタで一気に作成出来るようになりました。巨大なビルでもプレキャストによる製品を現場で組み立てるだけなら、いずれは人力を介さなくても出来るようになるかも知れません。
絶対必要なもの、作業は、人間でやった方が良いのか、機械・コンピュータに任せた方が良いのか。産業革命のときから人類に突き付けられて、目を背け続けた宿題なのでしょうけれど、いずれは人間の基準を機械が追い越していきます。
残るものは、別に機械でなくても良いもの、コンピュータだと味気なくて、多少の難はあっても人間がやった方が面白いものになるでしょう。
必須事項ではなく、あくまで余暇・余剰・趣味といった類いのものたちです。無くても良いから別に人間が作って、時には失敗しても良いよね、というものだけが、アナログな生身の人間に残される箱舟になるでしょう。
例えば、手書きの文字が綺麗であることは、ワープロの出現までは必須でありました。少なくとも読める字を書けることは学生だろうが社会人だろうが大切なスキルでしたが、ワープロ・パソコン・プリンタの普及によって、むしろ手書きの文字を書く場面自体が大幅に減りました。
現在、綺麗な文字を書いたら褒められはすれど、そのことが仕事に寄与するかというと、そうはいきません。大半の職場では褒められるだけでしょう。
書道家、書道教室はそれが仕事ではありますが、それは書くことや書くことを教えることが仕事だからであり、しかもそれは社会人としての必須のスキルというわけではなく、あくまで余暇、趣味、教養としてのペン字・習字です。
しかし、大半の作業がデジタル化した未来においては、むしろ、「綺麗な字を書く」というアナログそのものの技術は、人間が書くからこそ重宝されるようになるかも知れません。
ペン字・習字だって、ロボットにペン・毛筆を持たせてプログラミングされた通りに書かせれば、ほぼ全ての人よりも綺麗で、乱れのない、美しい文字を出力できます。しかし、そこに人間側の感動はありません。
チェスや将棋のソフトウェアが人類を凌駕しつつある(前者は既に世界チャンピオンがコンピュータに敗れていますが)現在においても、チェスや将棋の「人間同士の戦い」の方が、注目度も賞金も高いです。
100m走だって、人間がそのまま走るよりも、二足歩行ロボットが走る方が速い時代はいずれ来ます。しかしその時に、オリンピックの100m走に誰も興味を持たなくなるでしょうか?
人間の作業をコンピュータが奪ったとき、人間に残るのは人間がやることだけになるはずです。そしてそれは、コンピュータがやっても面白くない、興味を持たない、感動を得られない作業に違いありません。
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