タトゥーにしろ入れ墨にしろ、昔に比べるとかなり今は社会的に許容されるようになってきました。温泉などの一部入浴施設では入れ墨禁止のルールはまだありますし、タトゥー好き、肯定派の人にとってはまだまだな社会なのでしょうけれど、タトゥー自体を個人的に忌避したり悪く言ったりすることを公的な場所で行う人は減ってきたと思います。
私自身は自分では入れていないし、今後も全くするつもりはありませんが、タトゥーを入れている人を非難するつもりも全くありません。入れたい人が入れれば良いし、入れたくない人は当然ながら入れないものです。それで良いのだと思います。
ただ、ここで分けて考えて欲しいのが、タトゥー文化自体を否定してしまう考えと、タトゥーは好きじゃないor嫌いとする考えは全く別物だということです。
先述のように、私としては別にタトゥーを入れている人を否定するつもりはありませんが、個人的には好きではないし、そんなに良いものではないという気持ちはあります。別に格好いいとも思いません。ただ、それはあくまで個人的嗜好の問題であって、誰にだって好き嫌いはあるはずです。
しかし、タトゥー嫌いを発言・発信したりすることと、タトゥーという文化やファッションそのものを否定したり、存在を拒否したりすることと一緒にされてしまうと、多様性を否定するのかとか、外国ではどうのこうのとかいう的外れな批判に展開されてしまいます。
そうではなくて、何らかの物事に対して個人の好き嫌い・趣味嗜好は当然ながら思想の自由の範囲内に収まるものであり、嫌いイコール否定ではないのです。
例えて言うなら、納豆嫌いの人がいて、その人が納豆なんて食べたくない、と言ったとしても、その人が納豆を食べる人・作る人や納豆文化自体を否定するわけではないのと同じでしょう。納豆が嫌いな人はただ単に納豆が嫌いなだけです。
それを、納豆が嫌いといった人に対して、納豆を馬鹿にするのか、納豆を好きな人のことを考えろ、納豆という多様性を認めないなんてあり得ない、とか言い出すと、逆におかしなことになります。
タトゥー嫌いだってそれと大差は無くて、好きな人がいるなら嫌いな人だっていても当然です。嫌いであっても、いちいちタトゥーを入れている人を捕まえて、「俺はお前が嫌いだ」と言うのでないのであれば、お互いに関わり合いを持たずに、好きな人・嫌いな人で併存できるはずです。
これまでの日本社会では入れ墨・タトゥーを毛嫌いする人も多かったですが、少しずつ減ってきてはいます。完全に否定する人が減る代わりに、嫌いという人が出てきてもそれはそれで個人の思想・信条の自由であって、好きな人に対して攻撃的でないのであれば、それで良いじゃないですか。
問題は、嫌いだと言っただけで、アレコレ揚げ足というか非論理的な非難が来かねないネット社会の方かも知れませんが。
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