今に始まったことではないのでしょうけれど、芸能人やスポーツ選手、あるいは文化人にしろ政治家にしろ、そういった著名人がマスメディアの取材・インタビューを受けて、答えた内容が実際にメディアに掲載された中身と異なる、といって不満を表明することはよく見かけます。
はるか昔、メディアが個人のものではなくて、マスメディアしか存在し得なかった頃は、自分のインタビュー記事を読んだ当人が、嘘や誤解がある!と思っても基本的にはどうしようもなく、余程の場合だけ裁判になっていたくらいでした。
しかし、インターネットが普及すると誰でも反論を世界に公表出来るようになりました。それでも、いわゆるWeb1.0時台では自分のホームページに掲載したところで、直接それを読みに来る人にだけその反論を読んでもらえるに過ぎません。
さらに進んでWeb2.0が到来すると、SNSに書き込めばそれが以前と比べると圧倒的な速度で拡散されていき、あえてその人の情報を直接手に入れようとしない人にまで簡単に伝わるようになりました。
しかも、そのインタビュー記事に対する反論を当人がしているSNS上の書き込みを、マスメディアも格好のネタとしてニュースとして取り上げるので、元のインタビュー記事よりも先に本人の反論の方を目にすることも良くあります。
こういう時代になってみると、インタビュー記事自体、存在価値があやふやになります。かつてのインタビュー記事は、その人についての情報を一般人に伝える貴重な情報源であったのですが、今の時代では伝えたいことはネットを通じていくらでも当人が伝えられます。今ではインタビューは、情報を伝えることが目的ではなく、その人の内面を深く抉って切り取り、当人からは出てこないような言葉や見解を導き出すことが使命となりました。
取材される側は、当然ながら聞いてほしくないことを聞かれると嫌な気持ちになります。それをそのまま受け取って提灯記事を書いてしまうこともまだまだ今のメディアにはあるのでしょうけれど、少しずつ減ってくるでしょう。当人発表ではなくて提灯記事である必然性がありませんから。また、今はAIが記事を書く時代です。深い考察も行間を読む洞察もない記事ならAIに書かせれば済む話です。
その一方で逆に当人が聞かれたくないことをズバズバ、ズケズケ聞いてくるインタビュアーも嫌がられるでしょうけれど、インタビュー記事というのはそれしか今後は存在し得ないというか、価値を持たないでしょう。
とはいえ、インタビューされた側が記事に対して、変な切り抜きをされたとか、誤解されるような書き方をしているとか、あるいは嘘だと明言したりするケースは絶えません。紙面、文字数に限界がある紙媒体のメディアであれば、言葉の全てを載せることが出来ないのは当然で、どうしても一部抜粋することになりますし、その上で取材側の意識のフィルター、バイアスがかかってしまいます。インタビュー記事はインタビューされた側が作成する情報ではなく、インタビューした人が作成する情報なのです。
記事を書かれた人が、後になって失敗だと思って取り消すために誤報だと騒ぐこともあるのでしょう。マイナスの反響を受けてから失態に気がついて、記事を批判するケースも多分あるはずです。
そういった、インタビュー時はちゃんと発言していたのに、記事公開後に否定されてしまうと、メディア側が情報の受け手である消費者からソッポを向かれてしまいます。このメディアは嘘をついているのだなと思われます。
それを防ぐには、文章としての意味がない相槌など以外の全ての発言を、例え冗長であったとしても掲載してしまうことしかありません。紙媒体では限界があれど、そのメディアがウェブ上での発表の場所を持っていないことなどまずありません。大手メディアなら尚更、ウェブ媒体で紙面と連動する記事を載せることは容易いはずです。
もちろん、ウェブメディアだからと言って際限なしにダラダラと載せるわけにはいかないのでしょうけれど、インタビューされた側の反論に対して何も言わないと真実っぽいのは、SNS上で反論している方になってしまいます。
インタビュー全文掲載したところで、揉めるときは揉めるのでしょうけれど、紙面記事と同じ内容だけをウェブ上でも載せているのは勿体無い。いっそのこと、最初から誌面の抜粋された記事とウェブ上での全文記事を出して、どのように抜粋しているかを見せてしまえば、このネット全盛時代におけるマスメディアの価値も読者にアピールできるのではないでしょうか? いい加減に記事を書いていた人らは困るでしょうけれど。
コメントを残す