政治は結果責任よりも過程責任

先日明石市の泉市長が来年4月の任期満了をもって政治家を引退すると発表しました。暴言・パワハラなどのマイナスと、人口増加や国政への厳しい発言などが評価される面もあった、功罪相半ばするというか、人によって評価が大きく異なる市長でしたが、引退後はマスメディアに出番を求めれば出演機会は得られるのではないでしょうか。

彼の政治姿勢を見るに、そりゃそうだけどそこまで言ったら(やったら)ダメだろう、ということもありました。良いことをするなら何を言っても良いとか、何をやっても良いとかいうことは、少なくとも民主主義国家ではありません。結果のみ

政治は結果責任、という言葉はもはや政治家の挨拶レベルで口にする人が多いですが、結果が一番大事なのはそもそも当たり前で、結果に関して責任を取らなくていい政治家などいません。ただ、ゲームとは異なりリプレイなど出来ないので、施策・政策や判断・決断が最も優れたものだったか、正しいものだったかということは評価がしづらいものです。現実世界の政治では再現性はありません。

だからこそ、政治においてはその実行プロセスが重要であり、敢えて言うなら結果責任ならぬ「過程責任」を取る必要があります。

立場ある政治家がその行動に至った手続きは、取るべき手段としては再現性があるはずです。他の者なら到底経過しないプロセスを経て行ったのであれば、それは民主主義国家ではあるべき姿ではないでしょう。

では誰が最終的な責任を取るのだ、ということになるかも知れませんが、民主主義国家では最終的な責任を取るのは国民、有権者です。だからこそ、国民は選挙やリコールなどを通じて自らの責任を政治に反映させる権利があります。

そう考えると、有権者ノットイコール国民であるのは、民主主義国家ではやむを得ない欠陥とも言えます。どうしても有権者にとって有利な人が政治家として選ばれることになります。

現在の日本の人口動態を考えると、どうしたって高齢者に予算が配分されて若者・子ども・出産育児に関する予算が減らされます。だからこそ、これまで非有権者だった18歳・19歳を有権者にしたことは、民主主義に根源的に存在する欠陥の是正でもあるのですが、政治に対する評価としては話題になることは少ないと思います。

また、同じく選挙権を持たない世代に関して、泉市長が評価されているのはその子育て支援の政策を充実させたからであり、その点は認めるべきでしょう。

だからこそ、規定に背いて国会を開会しなかった内閣や、専決処分を推し進めたり暴言や問題のある手続きを経て強行しようとする市長が、過程責任として非難されるのは当然だと思います。

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