神は細部に宿るけれど、人間の興味はAI作品に宿るか?

AIが自動的にキーワードに合わせて絵を描いてくれるサービスが結構話題になっています。

多分、似たようなサービスがこれから乱立してくるでしょうし、絵のタッチも多様な感じになってくるでしょう。

これで全ての絵師が廃業になるなんてことはないのでしょうけれど、それっぽい絵は非常に安いコストで誰でも簡単に得られる時代になってきました。絵を描けない人や、背景など自分のタッチをそれほど求めない場面の絵は、このサービスを多用するようになるかも知れません。

グラフィック分野よりも、テキストの方がコンピュータの自動処理は上手なはずで、自然言語に関しての研究の蓄積はかなりのものです。文章の自動作成サービスは既に色々あります。AIによるニュース作成も実際に行われています。

しかし、文章の場合はどこかがおかしければすぐに気が付きます。人間だったらこの書き方は絶対しないという文章・文字列がもしあれば、容易に見つかります。

その一方で絵の場合は、そういうノイズがあったとしてもそういう絵、タッチ、趣向なのかと思って流してしまいます。

これは画像データと文字列データの特性の違いによります。非可逆圧縮が可能な画像と、可逆圧縮しか許されない文字列(あるいは数値)の違いというと分かりやすいかも知れません。

ともかく、文章にしろ絵にしろ、今後はAIで作成されることが多くなるはずです。それでもAIは事前のディープラーニングや作成者による重み付けなどがインプットがあってこそのアウトプットです。

AIによってたやすく量産される箇所には、おそらく人間はさほど惹かれないのではないかと思います。AIが発達しても将棋で盛り上がるのは人間同士の対戦です。将棋ソフト同士のコンペティションもありますが、名人戦・竜王戦ほどのお金も動かず注目度もありません。

芸術作品も、AIよりも稚拙であっても人間が作り出したものが、人間の心に触れるものだと思います。

ただ、この理屈だと、AIが作ったモノをAIが評価する時代も来ますよね。そっちの方がはるかに高度で精緻で優秀なモノになるのでしょうし、人間世界とAI世界で完全に分離する時代としたら、それは良い時代と言えるのか、暗黒の時代なのか?

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