以前、こんなnoteを書きましたが、
https://note.com/embed/notes/nfb9d21551be8
最近の流行りの勉強法でもう一つきになったのが、ノートの共有です。
某ノート共有サービスは結構教育関係者では有名だと思いますが、そこを直接的に非難するつもりはありません。ただ、他人が書いたノートを見て本当に勉強になるのかな?という疑問は、自分の学生時代や今の資格試験勉強をする上では、やはり実感として持ってしまいます。
そもそもノートを取るという行動は、黒板の板書や教科書・参考書の内容を自分なりにまとめて理解や記憶を助けるためのものです。そこでは自分にとって分かりやすいように、分かりづらいところや覚えていないところを重点的に目立つよう書くはずです。
ということは、その出来たノートは書いた人にとって一番分かりやすいノートであり、他の人にとっても同じかどうかは分かりません。分かりやすいという人もいれば、分かりづらい人も当然いるでしょう。
万人にとって分かりやすい完璧なノートなど存在しないはずです。
本来、必要な内容は教科書や基本的な参考書に全て記載されています。そこから、エッセンスを抜き出して書くのが「ノートを取る」という作業です。一番大事なことは必ず教科書に書いてありますが、それほど重要では無いことや、補足的なことも書かれてありますので、教科書の中から取捨選択するのは当然です。ただ、その取捨選択で残る情報、捨てられる情報は万人に共通するとは限りません。
このページから自分が覚えて理解するのは何か、これは書くべき、これは除くべきという判断をするところから、ノートを取る作業は始まります。
私にしてみたら、既に誰かによって出来上がった綺麗なノートを読んで勉強するということは、一番大事な作業をすっ飛ばしていることになります。
語弊はあるでしょうけれど、あえて料理に例えるなら、美味しい料理を食べても調理は上手くなりません。自分が調理しない限り決して上達しないということと似たようなものでしょう。
あくまで、他の人が書いたノートを見て、自分が同じ内容をノートに書くときの参考にする、ということであれば、十分役に立つでしょうけれど、他人のノートを読んだだけで勉強した気になっている人が結構いるんじゃないかと危惧します。
また、キラキラ綺麗なノートも必要かなとも思います。自分のテンションがそれで爆アゲするなら良いのでしょうけれど、そうじゃないならノートに使用する色は黒、赤とあと一色程度で十分でしょう。何色も使ったり、蛍光ペンも駆使したり、レイアウトを工夫したりして、綺麗なノートを書くことが目的になっている人はいませんかね。
これも料理に例えるなら、盛り付け・飾り付けに精魂注いでいるようなもので、高級店の料理なら必要でしょうけれど、自分一人が食べる家庭料理なら無くてもいいでしょう。そして、高級店の料理に例えられるノートというのは、分かりやすい参考書そのものです。
自分が理解して記憶するためだけのノートなら、素朴なもので十分なはずです。
綺麗なノートを書いて満足する時間があるなら、同じ内容をちゃちゃっと2回手書きした方がよっぽど理解や記憶に役立ちます。
最後に、ノートを共有する側の利点としては、人に見てもらうことで間違いの指摘やアドバイスをもらえるということはあると思います。下手なノートを公開出来ないというプレッシャーもあるでしょうけれど、それよりも、綺麗なノートを書いて褒めてもらいたいという承認欲求が原動力になっていませんかね?
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