人類は勤勉と怠惰で発展してきた

世の中には勤勉な人も怠惰な人もいます。どちらが多いかは知りませんが、どちらの側も相手側がいなければ、もっと快適な世の中になるのにな、と思っているのではないでしょうか。

勤勉な人にしてみたら、怠惰な人がいることによって道徳的にも経済的にも社会に損失があると思っているでしょうし、怠惰な人にしてみたら、勤勉な人から怠惰を責められるのは嫌ですし、勤勉勤勉だらけだと息が詰まるでしょう。

実際に世の中が怠惰な人だけで構成されていたら大変なことになりそうなことは、容易に想像できるでしょう。怠惰で大らかな人なら、怠惰な他人のせいで少々不便や面倒を被っても我慢できるかも知れませんが、命に関わることや大きなお金が絡むことになるとそうもいきません。世の中には真面目に、しっかりと期限を守って、丁寧に着実に仕事をする勤勉な人が必須です。

その一方で、社会が勤勉な人しかいなくなると、素晴らしい世界になるでしょうか?

少なくとも短期的にはそうなるでしょう。勤勉だらけだと息が詰まると考える怠惰な人がいないのですから、誰もがきっちりと勤勉さを発揮していれば、大して困ることは無さそうです。

しかし、そもそも勤勉というのは、社会におけるその時点でのルールや慣習に完璧に従って行動することであって、その社会を発展的に破壊するような、画期的な新たなイノベーションは勤勉からは生まれません。

イノベーションは怠惰・ものぐさから産まれるものです。

食料になる植物を育てて貯蔵することは、狩猟採集社会においては毎日糧を得ることをしない怠惰な概念だったかも知れません。

自分の足で歩かずに馬に乗って高速で移動することは、二足で歩くことから比べたら相当に怠惰でしょう。

蒸気機関によって衣服を作り、機関車を走らせ、船を動かした産業革命は、それまでの社会に生きてきた人から見たら怠け者の集団に違いありません。

社会が行き詰まってきたときに爆発的な発展をもたらす発明や改革・革命は、その時点において勤勉ではない人でないと行えないのです。勤勉なら、その時点での真面目な行動に終始して、以下に自分が楽をして得をすることが出来るかなどと考えないのですから。

ただ、怠惰な人しかいなければ、そもそも社会を維持することも出来ず、発展どころではありません。

結局は人類は勤勉と怠惰で発展してきました。

働きアリの中には2割は常にサボっているアリがいるそうですし、パレートの法則も似たようなものです。必ず「怠惰」な存在は組織にはあります。それを取り除いても、また「怠惰」な存在が発生します。

怠惰なアリが革命的な発明をアリ社会の中で行っているのか知りませんが、少なくとも、勤勉な者(アリ)だけという組織が存在し得ないということは確かなんでしょうね

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