コピーというオリジナル

Winnyとその開発者に関する映画が公開となりました。

日本発の優れたソフトウェアでしたが、多くの罪をかぶせられて潰されたWinnyについては、賛否両論ありました。そしてその開発者の悲劇と相まって、日本のIT・ソフトウェア業界には有形無形の影響を与えることになりました。

Winnyの頓挫を思うとき、思い出すのは同じウェブサービスであったNapsterのことです。正確には、こちらは1999年公開でWinnyより早かったですが、同じように著作権侵害に関する巨額の訴訟もあって無くなりました。

しかし、その後の日本と欧米でのソフトウェア・ウェブサービス・著作権に関する動きは真逆にも思えます。

AppleはiTunesを通じて、著作権保護(DRM)をかけない音楽ダウンロードサービスに乗り出して大成功した一方で、日本ではテレビ放送のデジタル化も含めてコンテンツのコピー制限が当たり前になりました。

違法行為、製作者の意図せぬコピーはもちろんダメなことには違いありませんので、その点で擁護するつもりはありませんが、現在、各種JASRACに関しての事件や問題にあるように、製作者本人が不便さや窮屈さを覚える社会システムは果たして正当なものなのかと愚考します。

ペンタトニックスというアカペラグループは、先人の楽曲をカバーして歌う動画が大ヒットしてグラミー賞を受賞しました。日本では、「U.S.A.」をカバーしてヒットしたDA PUMPが有力視されていたレコード大賞を逃しました。この辺は、コピーに関する社会的寛容さの違いもあるかなと思っています。

そう言えば、レゴでの巨大制作物を極めている、日本唯一のレゴ認定プロビルダー三井淳平さんが、ボストン美術館にその作品を掲示されることになったというニュースがありましたが、その作品は葛飾北斎の絵画を元にしたものであり、まさにコピー(カバー)です。それでも、突き抜ければ芸術作品になるということは、色々考えされられます。

「守破離」や「学ぶ(まなぶ)=真似(まね)ぶ」という言葉を思い出さずとも、コピーというものは文化にとっても芸術にとっても重要なはずですけれど、今の日本はオリジナルにこだわり過ぎて、コピーの大切さを見失っていないでしょうか?

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