岸田首相の暗殺未遂事件、爆発物投擲事件の犯行動機が明らかになってきましたが、政治的主張が取り入れられなかったからといって、事件を起こすと、結局その主張を取り入れなかったことが正当化されてしまう、ということには思い至らないのでしょう。政治犯なんてみんなそういうものと言ってしまうと元も子もありませんけれど。
昨年、こんなnoteを書きましたが、
https://hrsgmb.com/n/na90cc4d8e0bb
退けられ、不遇だからといって、それに対して暴発してとんでもないことをしでかしてしてしまえば、その不遇さが実は正しかったということになります。社会やその人が所属するコミュニティが、そんなとんでもないことを起こすような人を、その人が求めるポジションから退け、まともに処遇しなかったのは当然だ、という判断になるのです。
被選挙権の年齢制限について不満がある、という主張そのものは問題があるわけではありません。選挙に関心があるだけでも無関心な層よりもマシと言う人だっているでしょう。
しかし、それがテロとして発出してしまったらその主張に耳を傾ける人がいなくなります。
この事件を巡り、ジョン・ロックがかつて唱えた革命権があるから、不当に抑圧されている人民にはテロに訴える権利もある、という人がいることには少し驚きました。
社会を覆う閉塞感があることは認めますが、それが暗殺を正当化するほどのものかどうかは個々人で解釈が異なるのでしょう。私はそう思いませんが、岸田首相を暗殺するしか選挙制度改革は不可能だ、と思ったのであれば、どう考えても論理的に破綻しています。
議院内閣制である以上は、衆院で多数を持つ自民党総裁としての権力が岸田首相にはあるといえばありますが、日本において総理大臣は全権を統べる独裁者ではなく、行政の長でしかありません。選挙制度に関する法律の改正については立法・国会の権限ですし、選挙制度の違憲性を問うなら司法・裁判所の問題です。
だからと言って最高裁長官や国会議長を狙え、というわけでは決してありませんが、犯行声明もない以上、主張とテロに一貫性がないことの解明は裁判を待つしかありませんね。
逆に、護る側としても、直接的な非難やテロの示唆をするような人が出てからテロの警戒をするという訳にもいきません。テロリスト側が主張と一貫した行動を取るとは限らないからです。無差別な犯行はもちろん、特定の対象者が、テロリストの主張の元凶ではないケースもある以上、結局全ての要人を警護するしかないわけです。
あの事件の後から、国会や首相を狙うという趣旨の声明が出ていますが、今のところは単なる愉快犯止まりのようですけれど、愉快犯かどうかは終わってみないと分からないわけで、「不確かな時代」になってきたことは間違いありません。
とはいえ、冷戦構造のように「確か」であるが核戦争の危機がある時代を懐かしんで過去に戻りたいと言う人もさすがにいないでしょう。その時代を教科書でしか学んでいない若者は知りませんが、冷戦時代の「相手方の情報がほぼ無い」時代というのは、それはそれで不安定なものです。
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